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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ルーマニアの映画批評、世界の映画批評~Interview with Flavia Dima

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。当然だ、私はそのためにルーマニア語を勉強し、ルーマニア映画を観て、ルーマニアの映画批評を読んでいるのだ。そんな中で私の中に芽生えたのは"誰もルーマニアの映画批評の現状を伝えようとしないならば、じゃあ私がやるしかないだろう!"と。ということで今回の記事はその1つの達成である訳である。

今回インタビューを行ったのは、弱冠26歳でルーマニアの映画批評界を背負って立つ人物Flavia Dima フラヴィア・ディマである。彼女はFILM MENUやAcoperișul de Sticlăなどのルーマニアで有名な映画誌に批評を寄稿し、英語でも批評を執筆している人物(そういった批評家はルーマニアにはとても多い)である。最近、日本の映画界でも話題になった記事にMUBI Notebook掲載のアルベール・セラのインタビュー記事があるが、このインタビュイーを務めた人物がこのDimaである。彼女を追えば、ルーマニアの批評界ひいては世界の批評界を知ることができる、そんな人物に今回はインタビューを行った。批評家としての始まり、ルーマニアで批評を担う場所、エドワード・ヤンとの出会い、ルーマニア映画批評界の未来などなど興味深い話をたくさん聞くことができた。

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済藤鉄腸(以下TS):まずどうして映画批評家になろうと思ったんですか? どのようにして映画批評家になったんですか?

フラヴィア・ディマ(以下FD):長い話を短くしましょう。私はジャーナリズムを専攻していて、クルジュで勉強していました。クルジュではトランシルヴァニア国際映画祭、ルーマニアで最も大きな国際映画祭が開催されていました。私が師事していた教授の1人がAperiTIFFという映画の日刊紙で仕事をしており、毎年4人の学生をボランティアとして編集室に呼んでくれました。それで3年間、映画祭を内側から体験し、1日に6本の映画を観ることを続けた結果、今ここにいる訳です、要約するならば。

なぜ映画評論家になりたかったについてですが……現代映画(もしくはそれ以外でも)についての議論に参加していると感じる切迫さ以上に、今は批評的な立場がより求められているということです。そしてこの仕事が時おり極端なまでに見返りがあることも否定できません(金銭的にはそうでなくとも、精神的なレベルで)特に仕事を通じて、映画芸術の存在を近くに感じながら、映画の内側で多くの時間を過ごした時には。

TS:映画に興味を持ち始めた時、どんな映画を観ていましたか? そしてその時、ルーマニアではどんな映画を観ることができましたか?

FD:嘘はつかないようにしましょう。映画について基本的な知識を得るにあたっての主な手段はトレントでした、はは。ルーマニアではレンタル店が既に絶滅していて、公共のビデオテークもほとんどの場合まともに機能してなかったんです。

救いになったのはその時クルジュに住んでいたことです。この街はとても強靭で活動的な映画文化を持っていて、トランシルヴァニア映画祭(多くの意味で私にとって本当の母校です)の開催地でもありました。シネマテークはなかったんですけどね。その頃、街の旗艦的な映画館であるCinema Victoria チネマ・ヴィクトリアがとてもいい番組編成をしていました。午後3時には学生や年金生活者のため無料で映画を上映していて、"あまり人気ではない"――つまりはより美学に満ち、形式として挑戦的な――作品をいつも上映していました(ここで私の最も敬愛する現代作家の1人、ブリュノ・デュモンに出会いました。カミーユ・クローデル ある天才彫刻家の悲劇」が上映されていたんです)無一文であるジャーナリズム専攻の学生として、私は週に2日はこの午後3時の上映――学生たちからはほぼ伝説的な評判を獲得していました――に参加するようになりました。それから映画を学ぶ学生たちと交流し、映画を通じて打ち解けあうようになったのもこの場所ででした。ある意味で私の人生の中ですこぶるロマンティックな時期で、よくその頃が懐かしくなります。

どんな映画を観たかに関してですが……私の叔父が「死ぬまでに観たい映画1001本」という本をプレゼントしてくれて、古典についての知識を磨くのに便利な導になってくれました。本当のことを言うとリスト的なものは嫌いなんです――ですがあなたがシネフィル初心者の時、"あなたの心を爆裂させる10本のサイケな映画たち"みたいなお粗末なリストでもアントニオーニやヒティロヴァ、パラジャーノフホドロフスキーについて語ってくれるので、とても便利な訳です、はは。

TS:ルーマニアの映画批評の現状についてどうお考えですか。外側から見ると、とても良好に思えます。何故ならCălin Boto カリン・ボトDiana Smeu ディアナ・スメウAndreea Pătru アンドレーア・パトル、そしてあなたなど才能のある批評家たちが多くいるからです。しかし内側からはどう見えるのでしょうか?

FD:最低でも外からは良好に見えるのは嬉しいですね、はは。実際あなたが名前を上げた人物に、その他の素晴らしい才能たち――たとえばAndrei Gorzo アンドレイ・ゴルゾIrina Trocan イリナ・トロカンGeorgiana Mușat ジョルジャナ・ムシャト、映画誌FILM MENUの面々、それにキュレーターに転向したOana Ghera オアナ・ゲラAndrei Tănăsescu アンドレイ・タナセスクら――は批評が立ち上がるにあたっての主要な核であり原動力です。仕事における障壁を越えて、彼らの作品が境界線を越えて世界的に評価されるのは素晴らしいことでしょう。

しかし他方で、ローカルな映画産業にのみ舵を切る方向性を深める現状もあります。時おり余りにも親和的なんです。現状において批評家に仕事を与えるのは中立的なメディアよりも"パルチザン"的なメディアです。彼らは否定的なレビューを書かない(もしくは影響が余りない場合だけ書くかです)か、日常の営みから切り離されたものとして映画を観る"脱政治的"な人間ばかりを育てようとしています。最も金払いがいい存在でもありますが。私がとても恐れているのは今、もうすぐで破裂する泡のような蜜月の真っ只中にあるのではないかということです。そして極めて不安定な求人市場で、批評で生計を立てるという現実に直面せざるを得なくなる訳です。

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TS:あなたはAcoperișul de Sticlăというオンラインの映画雑誌に参加していますね。日本の読者にこの雑誌について説明してくださいませんか。そしてこの雑誌はルーマニア映画と批評においてどういった機能を果たしているでしょうか?

FD:Acoperișul de Sticlăはこの10年間において、独立した映画批評の拠点でした。この時代は映画誌FILM MENUが映画館やUNATC*1と組織的な軋轢に見舞われていたんです。その中でIrina TrocanAndra Petrescu アンドラ・ペトレスクはFILM MENUの初期にも関わっていたんですが、他のいわゆる"スローシネマ"的な映画批評サイトに触発されて、この計画の主核を担ってくれました。とてもオープンな知識空間を養うとともに若い書き手や映画を学ぶ学生に親和的だったんですが、それ以上にAcoperișul de Sticlăがユニークだったのは、映画の政治的な側面に興味のある批評家――たとえば私やAlex Miricioi アレックス・ミリチョイなどの書き手――にとって、現代映画についての視点を育むホームになってくれたことです。とても白熱した状況であり、私たちはその心を捧げたんです。

今は多くの編集室が日ごと問題に直面するように、この雑誌も空白期にあります。しかし現在はカムバックを予定しています。この状況に一石を投じますよ、はは。

TS:あなたはどのようにAcoperișul de Sticlăに参加しましたか? それは映画批評家であるあなたにとってどんな意味を持っていますか?

FD:十分には言い表せませんが、Acoperișul de Sticlăは今の私を作ってくれた場所です。映画批評家として切磋琢磨した場所なんです。主にレビューを書いていましたが、IrinaやAlex、Georgianaには頭痛の大きな種になっていたようです。今ではいい友人ですけどね、はは。そしてここは映画に対する自分の思考の深め方を学んだ場所で、そこに形を与えることができました。自分の批評が掲載されるという経験も積めました。そして仲間たちの批評家から多くの素晴らしい作品を見つけることができました。素晴らしい、本物の贈り物でした。

TS:あなたや同僚の批評家たちはAcoperișul de Sticlăで、女性作家や彼女たちの作品を特集する"Girls on Film"という記事を書いてますね。自分としては特にヴェラ・ヒティロヴァの記事に感銘を受けました。ルーマニアの雑誌において女性監督について書くということにはどんな意味があるでしょう?

FD:ありがとう! "Girls on Film"はルーマニアにおける映画批評にとってとてもユニークなものです。それは女性作家のみを特集し、映画史において不公平な形で見過ごされている彼女たち――映画史において最初の女性作家アリス・ギィを含めて――を皆に知ってもらうという意味からです。

Alex Mircioiがこの特集の立役者です。ルーマニアにおいては前代未聞の特集です。女性作家を無視する雰囲気が出来上がっている(ダイレクトに女性嫌悪的とは言わないまでも)なかで、世界とルーマニア両方から彼女たちを紹介する特集でも、こんなに大々的なものは、ルーマニアでは初めてです。この今の時代に必要な、野心あるプロジェクトに貢献できてとても誇らしいです。

TS:英語で書くのと、ルーマニア語で書くのとでは何か違いがありますか?

FD:難しい問いですね。当然、私の母語ですからルーマニア語の方が安心感を感じます。楽しめるんですよね。英語で書いた記事は何というか……もっと大人しい?と感じます。ルーマニア語ではもっと詩的になれるんですよ、はは。

他の問題はとても自然なものです。英語ではもっと多くの読者と対面することとなります。より飽和状態にある、競争率の激しい場所で書く必要があるんです。だから重要なのはこの遊び場を知ること、何か書く前に主題についてリサーチすることなんです。何か新しくユニークなものを書くことが、記事を適切なものにする秘訣なんです。レビューにしろ、インタビューにしろ、レポートにしろ、分析にしろ。

TS:あなたはベルリンやロカルノサラエボなど多くの映画祭に参加していますね。このことはルーマニア人の映画批評家としてどのような意味を持ちますか?

FD:実用的な意味でですか? 私は映画祭でプレミア上映されたルーマニア映画について書く、この国の最初の批評家の1人になれますね、はは。いいスタートを切れます。議論の土台を作る責任を担える訳ですが、とても興奮することです。何が来るか分からないまま映画を観ることのできる数人に選ばれたというのもいいことです(これはもっと一般的なことですが)他には、世界のメディアとの繋がりを作り、より広い読者に作品を届けるためにとても大切な時間だとも思ってます。

TS:あなたの作品の中で素晴らしいものの1つがKinoscopeに掲載されたエドワード・ヤンについての記事です。とても力強い、声高なものでした。あなたはどのようにエドワード・ヤンと彼の作品を見つけたんでしょう? 彼はルーマニアでは有名ですか?

FD:どうもありがとう! 残念ですが、エドワード・ヤンはこの国では全く有名でないと言わざるを得ません。数人のシネフィルのためにあるだけといった具合です。ルーマニアで作品が上映されたかも分からないんです。なので出来る限り彼の作品を広めようと努めています。去年の春には、私の生徒たちに「牯嶺街少年殺人事件」を見せました。マラソンさながら4時間見続けるという経験はとても衝撃的でした。

彼を見つけたのは、自分の映画文化に対する価値観に疑義を持った、つまりとてもヨーロッパ中心主義的だと思った時期でした。こう思ったのでたくさんの東アジア映画(その時知っていたのは黒澤明ウォン・カーウァイなどの巨匠による作品でした)を観るというチャレンジを課しました。そしてホン・サンスツァイ・ミンリャンアピチャッポン・ウィーラセタクン大島渚という作家たちを貪ったんです。そうしてエドワード・ヤンを見つけました。

ですが実はこの物語の重要な部分について嘘をついています。ある時、私は"Nice to See You"という曲のファンメイドMVを観たんです。どこにもその映像についての情報はなかったんですが、その映像のもとが台北ストーリー」だった訳です。富士フィルムのネオンの看板、そこから放たれる光を浴びながら、天井にいるチンの姿を何度も見ました。このイメージがしばらくの間私に憑りついていましたが、偶然あの場面を演出したヤンについての記事に出会いました。謎は解けた訳です。そして自然と映画を観るために全力を注いでいました。残りはもう歴史です。

(ちなみにこのインタビュー後、前述のFILM MENUが主催するシネクラブで台北ストーリー」の上映が決定した。ディマもそこに参加しているのだが、今作のルーマニア公開は初だそうで、彼女にとっても悲願だったようだ。めでたい)

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TS:あなたにとって最も影響力のあるルーマニア人の書き手(映画もしくは文芸批評家、哲学者、小説家……)は誰ですか?

FD:難しい質問ですね。映画の分野でいえばAndrei GorzoCristian Ferencz-Flatz クリスティアン・フェレンツ=フラッツは、私が思うに、最も重要な知識人であり理論家だと思います。もっと答えの幅を広げるなら、最初の影響元はルーマニアシュールレアリストたちです。Gell Naum ジェル・ナウムGeo Bogza ジェオ・ボグザGherasim Luca ゲラシム・ルカなど。彼らは私の趣味や興味を形作ってくれました。私の作品自体には見えないでしょうけども。

TS:作品が世界中のシネフィルが読むべきであったり、広く翻訳されるべきであったりするルーマニアの映画評論家は誰でしょう?

FD:私の知る限り、ルーマニア語の批評が翻訳されたことはないので、基礎的なものを挙げましょう。Andrei Gorzoの"New Romanian Cinema"についての批評、そして先に挙げたAlex Miricioiの批評です。更にLeo Șerban レオ・シェルバンは様々な意味で、ルーマニアにおける現代の映画批評にとって父親的な存在でもあります。

TS:ルーマニアの現代映画で最も重要な映画は何だと思いますか?

FD:今批評家によるここ十年のベスト映画リストを編纂してるので、それに関してはまだお伝えできませんが、ここ30年を対象にした個人的なリストにおいてはLucian Pintilie ルチアン・ピンティリエ(紹介記事)や、Cristi Puiu クリスティ:プイユ(紹介記事)とコルネリュ・ポルンボユ(紹介記事)の初期作、Andrei Ujică アンドレイ・ウジカ(紹介記事)の全作品(思うに、ルーマニア国外で決定的にかつ目に見える形で影響のある監督は彼が唯一なのでは)それに、もちろんRadu Jude ラドゥ・ジュデ(紹介記事)も入ります。私にとっては最も創造的で多産なルーマニア人作家だと思っています。それから今影響力があり、作品がここ数年来のルーマニアの風景を変えている女性作家の名前を上げたいと思っています。例えばAdina Pintilie アディナ・ピンティリエ(紹介記事)、Ivana Mladenovic イヴァナ・ムラデノヴィチ(紹介記事)、Ana Lungu アナ・ルング(紹介記事)、Teona Galgoțiu テオナ・ガラゴツィユなどです。

TS:日本の映画好きがルーマニアの映画史を知りたい時、どんな映画を観るべきでしょう? そしてその理由は?

FD:ルーマニア映画に親しむための入り口はたくさんあると思います。筆頭はジャンル的なアプローチの映画、もしくは歴史的な作品。もっとも、あなたが聞いているのはルーマニア革命前の芸術映画について聞いているんでしょうから、ならLucian PintilieMircea Daneliuc ミルチャ・ダネリュク(紹介記事)、Alexandru Tatos アレクサンドル・タトスが入り口になるでしょう。意見の相違はあるにしろ象徴的であり、神話的でもあります(特にPintilieの"Reconstituirea"(紹介記事)はそうです)。現代の映画作家にも素晴らしい人物はいます。例えばCristi Puiuです。もっと楽しい側面を持った映画が好きなら、Ion Popescu-Gopo ヨン・ポペスク=ゴーポ(紹介記事)とElisabeta エリサベタ・ボスタンをオススメします。

TS:ルーマニアの映画批評の未来についてどう思いますか。明るいですか、それとも暗いですか?

FD:いくつかの導的な光を除けば真っ暗で、恐れを抱いています。批評を成り立たせるのも、新しい才能を鼓舞するのも、すこぶる難しい状況です。読者がいない、財政的なサポートがない、仕事が安定しない……これを言うのは心苦しいですが、プレミア上映のための無料チケットを手に入れ、お腹が空いてるからと上映後のビュッフェを野蛮に扱う、それでは十分でなくなっています。腹の立つことに主流メディアは、極めて稀な例外を除いて、フルタイムで批評家を雇用しようとはしません。主要紙は世界的にブランドを確立しているにも関わらずルーマニア映画についてほんの少ししか特集しようとしないんです。ジャーナリストを送って軽薄な記事や安いニュースばかり書かせます。そして彼らはPRエージェントが望むように書き直すか、もしくは露骨な形でコピペします。映画に関する公の議論や意識に対して醜い効果を与えているのは明白でしょう。そしてPR業界に関してですが、この新たな分野は批評的な議論を、そしてそれに携わるプロたちを生きたまま食い散らかしています。業界ではより大きな存在で、当然給料もよりいいですからね。

なので不幸なことに、ルーマニアの映画批評はゆっくりと、少しずつ趣味になってきています。批評は輝きを放ち、とても多くの若い批評家が映画祭のワークショップに参加しているにも関わらずです。この分野でプロとしてキャリアを積み上げたいと願う私たちにとって、安定した無関係な仕事なしに生活していくのは大変です(それは不幸なことに、世界的なレベルで、多くのクリエイティヴな仕事で起こっていることでしょう)アカデミアの庇護を受けられたとしてもです。私は教職に携わる幸運に恵まれました。素晴らしい経験で、多くのレベルでとても重要です。しかし映画の心臓や動脈、つまり映画芸術そのものや映画祭には程遠いんです。

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*1:Universitatea Nationala de Arta Teatrala si Cinematrografica I.L. Caragiale I.L. カラジャーレ舞台芸術・映画国立大学のこと。映画誌FILM MENUはこの大学の機関誌