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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Maria Ignatenko&“Achrome”/良心が、その地獄を行く

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ソビエト連邦支配下に置かれていたバルト三国の人々にとって、第2次世界大戦におけるナチスドイツの侵攻はある種の“解放”とも映ったのだという。そして彼らの中にはドイツ軍に加入し、枢軸国側としてソ連軍と戦った者たちもいた。更にナチスによるユダヤ人虐殺に加担する者さえいたという。こういった歴史は戦後に秘匿され、長らく語られぬままの時もあったが、ここ最近その歴史を映画として提示していく若手作家たちがいる。例えばリトアニア人監督Jurgis Matulevičius ユルギス・マトゥレヴィチウスのデビュー長編“Izaokas”(レビュー記事はこちら)はリトアニアにおけるユダヤ人虐殺とその余波を描きだした1作だった。そして今回紹介するのは、ロシア人作家Maria Ignatenko マリア・イグナテンコによる1作“Achrome”だ。

今作の主人公はラトビア人青年マリス(Georgiy Bergal ゲオルギイ・ベルガル)だ。彼の住む辺境の村にも戦争の影がチラつき、彼は弟であるヤニス(Andrey Krivenok アンドレイ・クリヴェノク)とともにナチスドイツに徴集されることとなる。彼らはドイツ国防軍に所属した後、基地として接収された修道院で待機期間を過ごし始めるのだったが……

まずこの“Achrome”はそんな戦時下における日常を過ごすマリスの姿を淡々と描きだしていく。同じく徴兵されたラトビア人男性に混じり、彼もまた機械的に検査を受けることになり、それが終わった後には装備一式を渡される。だが即時戦場へ送られるということはなく、待つことを余儀なくされる。打ち捨てられた迷宮さながらの様相を呈する修道院の奥を、マリスは目的もなく彷徨い歩く。その合間には神への祈りが捧げられる。闇ばかりの迷宮とは打ってかわり、祈りの広間は暴力的なまでの白光に包まれている。ここでマリスは今自分が直面する現実を神にもたらされた運命と捉えている。そして同僚とは全く異なる、粛々たる落ち着きを以て運命を受容するのである。

今作において注目すべきはAnton Gromov アントン・グロモフによる異様な撮影だ。まず印象的なのは画面の暗澹たる様だ。今作には常に闇が這いずり回っており、その暗さによって視覚情報が著しく制限されている。マリスを含めた登場人物が一体何をしているのか判然としないことが多ければ、彼らがいる空間を把握すること自体が困難なことも頻繁にあるのだ。

それは監督らが撮影のために最小限の光源だけを使用しているゆえに他ならない。例えば窓から差し込んでくる青みがかった灰塵色の陽光や、例えば全き闇のなかに心許ない橙色を揺らしている篝火、こういった弱々しい光だけを取り入れる禁欲性によって今作の異様なまでの暗澹が紡がれているのだ。これを詩的とするか、ただただ見にくい自己満足と取るかは評価がハッキリ分かれるだろう。

しかし不思議なのは、この極端なまでの不明瞭さが逆説的に空間、もしくは建築空間の存在感を際立たせるのだ。今作は修道院を主な舞台としているが、祈りを捧げる大広間を除いては全てが陰鬱な瘴気に支配されている。光があるとしても微かな陽光だけだ。それとも灰塵の色彩が石造りの壁や柱を照らす時、その荒い、ザラザラした質感が観客の網膜により迫りくるのだ。そして黒で塗り潰したような闇に篝火が輝く時、修道院という建築が持つ荘厳なうねりがのたうつのを観客は感じるだろう。“優れた建築は闇のなかにこそ浮かぶ”と、そんな言葉を否応なく思いださせる、ここにおいてはひどく恐ろしい形でだが。

この空間が催させる陰鬱なまでの畏怖というのは、マリスら兵士たちの心にも去来しているものかもしれない。だがこの畏怖に常に晒され続ける彼らの心は徐々に麻痺していき、虚無へと傾いていくことになる。そして思考の余裕を奪われていった先にこそ残虐の萌芽が存在している。修道院の一室には拉致されたユダヤ人女性たちが監禁されており、ドイツ人兵士たちから凄惨な虐待をも被っている。これにラトビア兵も荷担させられ、その神経、その精神は変質していくのだ。

そして陰鬱かつ荒涼たる風景に幻覚が浮かび始める。例えば闇のなかに得体の知れない何かがいるという風景。例えば虐待されていた女性たちが明滅を繰り返す1つの空間に集結し、こちらを眺めているという風景。そういった不気味な映像に更に付け加わるのは、鼓膜を貫いたり、押し潰したり、引き裂いたりするような攻撃的な音の数々だ。それはおそらく兵士たちを苛む幻影なのだろう。この麻痺を催させる闇と、激烈な幻影のイメージが交錯する様に、観客は兵士たちが発狂を遂げる様を追体験することになるのだ。

そんな中でマリスは神への献身によって能動的に自身の感情を麻痺状態にしていき、現状から目を背けることで、発狂という地獄から逃れようとする。だが彼はナチスや同僚兵による暴虐を目の当たりにするうち、この姿勢を問い直さざるを得なくなっていく。神は何故女性たちを救うことがないのか、神は何故こんな過酷にすぎる試練を与えるのか。神への献身は徐々に不信へと変貌を遂げていく。

“Achrome”はこのマリスの姿を通じて、極限状態に置かれた人間たち、彼らに残された良心の行く末を見据えていく作品だ。こういった状況下において、例え肉体は生き延びようとも、良心は潰えるしかないのか。それとも生き残るものもまた存在するのだろうか。だが少なくとも、凄まじき苦痛の道を歩むことは避けられない。戦争はこの地獄をもたらすのである。

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