鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ロカルノ2020を振り返る

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コロナウイルスによって映画の在り様はもちろんのこと、映画祭の在り方すらも変わってしまった。この状況で多くの映画祭が中止かオンライン開催を余儀なくされるなか、いわゆる三大映画祭に次ぐ有名映画祭、スイスで行われるロカルノ映画祭もまたオンライン開催ということになった。今回、映画祭は短編作品が対象のPardi di domani部門を世界に開放、選ばれた43作品がお披露目されることになった。という訳で引きこもり映画批評家である私はその作品を鑑賞、逐一TwitterFacebookに感想を投稿してきた。そして全43作品を鑑賞し終わった今、ここに総括記事を書くことにする。まずは私のトップ10を発表する。

1. Play Schengen
2. Nha Mila
3. An Act of Affection
4. I ran from it and was still in it
5. O Black Hole
6. Spotted Yellow
7. Statul paralel
8. Retour à Toyama
9. Aninsri daeng
10. Lachsmänner

今年のPardi di domani部門はアニメーション作品が頗る豊作であり、1作たりとも凡作が存在しなかった。スイスのAline Schoch監督作"Megamall"は、巨大ショッピングモールを舞台とした資本主義狂騒曲というべき作品で、手書きと切り絵の交錯する極彩色アニメーションには心躍らされた。同じくスイス出身のSamuel PattheySilvain Monney監督作"Ecorce"が宿す時の流れへの優しい眼差し、Gabriel Böhmer監督作"Push This Button If You Begin to Panic"が持つアール・ブリュットさながらのそこはかとない狂気も印象的だった。中国のYuan Gao監督作"Cloud of the Unknown"はアクリル絵具的リアリズムで紡がれる超現実的な世界が、穏やかな白昼夢から目まぐるしい悪夢へと徐々に変貌していく様が見事だった。その中で際立った2本のうちの1本がやはりスイスの Joel Hofmann、Veronica L. Montaño、Manuela Leuenberger監督作"Lachsmänner"だった。鮭の繁殖をアニメーションで描くというアイデアからまず新鮮だが、幼稚園児がクレヨンで描く絵のような無邪気さとカラフルさを以て、金玉爆発寸前の雄たちが川を疾走し、発情期の雌たちが官能的な舞いを踊るのが描かれる様は軽快で笑いに溢れている。たった6分ながら監督たちの創造性を感じさせる1本である。

ロカルノ映画祭は東南アジア映画へのサポートが手厚いことでも知られ、今年もPardi di domani部門とは別に近年の傑作東南アジア映画を集めたOpen Door部門を配信していた。こちらの部門にも新作が幾つか上映されたが、タイのSorayas Prapapan監督作"Digital Funeral: Beta Version"の吐き気を催す最低ぶりを除けば、なかなかの好調さを見せた。例えばフィリピンのJoanne Cesario監督作"Here, Here"は野心が空回っている節もあるが、ラブ・ディアスやブリランテ・メンドーサらが幅を利かせるリアリズム支配のこの国で稀有な詩情を持っているように思われた。ベトナムPhạm Ngọc Lânによるこの国の神秘性・哲学性を集約したような1作"Giòng Sông Không Nhìn Thấy"、1人の女性と彼女の初恋相手の再会を通じて中年を生きることの悲哀と喜びを描いたDuong Dieu Linh監督作"Thiên Đường Gọi Tên"ベトナム映画の未来を感じさせる作品たちだった。そんな中で私が最も評価したのはタイのRatchapoom Boonbunchachoke監督作"Aninsri daeng"だった。冷戦下のタイにおいては"ヒーローはよりヒーローらしく、悪役はより悪役らしく"と、俳優が誰かに関わらず声を吹き替えるという伝統があった。今作はこの伝統を、トランス女性の声にまつわる考察に重ねあわせた一作である。トランス女性の主人公は政府のスパイとして、シスゲイ男性に変装し反政府デモを指揮する大学生を篭絡しろとの命を受ける。そんな中で彼女は仕事を越えて彼に惹かれてしまうのだが、このロマンスの中でトランス女性が自身の声を通じて尊厳と愛を求める様が描かれるのである。正にタイ的な作品であり、このローカル性が映画の面白さを高めていた。

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今回のロカルノでは日本にルーツを持つ若手作家の作品が2本選出された。Neo Soraアメリカと日本のダブルであり、ニューヨークで映画製作を学ぶ人物だが、彼の短編"The Chicken"志賀直哉「十一月三日午後の事」を、舞台をニューヨークに移し替えて映画化した作品だ。彼の作品にはアナクロと現代性が混じりあう新鮮な野心が宿っており、それが志賀作品にもあった生命倫理への洞察をより高めているように思えた。そして平井敦士はパリで映画製作を行う、ダミアン・マニヴェル監督にも師事する期待の作家だ。そしてトップ10に入れた彼の作品"Retour à Toyama"は今の日本映画には稀有な光を放っている。フランスから故郷の富山に戻ってきた青年の心の彷徨を描きながら、日本の日常に宿る豊かなる美を浮かびあがらせている。彼らは共に海外で映画を製作する人物であり、日本は歴史的に内向きであることも考えると、彼らこそが日本映画界の未来になることを期待したいと思う(彼らについては個別に紹介記事を書いているのでこちらも読んでほしい)

私が最も愛する東欧映画も何本かロカルノに選出されていたが、それらは大いに明暗が分かれた。セルビアVladimir Vulević監督作"Kako sam pobedio lepak i bronzu"は"あくびを催させる"を"野心的"と勘違いした、マルセイユ国際映画祭ででも上映されているような怠惰な駄作だった。ハンガリーKölcsey Levente監督作"Szünet"タル・ベーラ作品などのハンガリー映画のスペクタクル的長回しではなく、ルーマニアの禅的なリアリズムに影響を受けたような1作だが、その影響を上手く御することができず、平凡な結果に終わってしまった。そんな中でルーマニアOctav Chelaru監督作"Statul paralul"は抜きんでていた。禅的な長回し、無表情の黒いユーモア、職業倫理への深い洞察など正に"ルーマニアの新しい波"の正統後継作のような立ち位置にあり、Corneliu Porumboiu"Polițist, adjectiv"を初めて観た時の感動を私に思い出させてくれた。

先述した東欧映画はリアリズム傾倒の作品で占められていたが、真逆の奇想映画ももちろん選出された。だがクオリティは前者に比べると同じように微妙なところである。ギリシャJacqueline Lentzou監督作"The End of Suffering (Proposal)"パニック障害を患う少女が宇宙からメッセージを受け取るという奇妙な作品だが、肝心の宇宙との対話が哲学的を履き違えた平凡さで、際立つものはなかった。フィンランドSawandi Groskind監督作"Where to Land"は声を失った老女とアフリカ系移民の彷徨いを描いた作品であり、ここから奇想が展開してくのだが、どうも突き抜けないまま終わってしまった印象を受ける。そんな中で例外的な1作がイランのBaran Sarmad監督作"Spotted Yellow"である。顔に黄色い痣を持つ女性が、同じような文様を持つキリンに執着心を抱くという作品である。物悲しいユーモアと洗練された撮影を以て、監督は1人の女性の孤独ゆえの執着を豊かに描きだしている。フィリピンと同じようリアリズム傾倒のイラン映画界においては正に一線を画す作風を持った作品でもある。

先にアニメーション映画の隆盛について書いたが、その頂点に立つだろう作品がイギリスのRenee Zhan監督作"O Black Hole!"である。時の残酷な流れを儚んだ女性がそれを超越するためにブラックホールへと姿を変えるという物語だが、たった15分のなかで生と死についての凄まじい叙事詩が紡がれている。絵具と粘土で綴られるアニメーションは正に瞠目の一言である。Pardi di domani部門の全作を観たうえで、私は確信を以て本作が技術的に最も成熟した、息を呑むような短編作品だと言える。

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今回はアメリカにおける黒人の生を描きだす作品が3作も選出されていた。スイスのJustine de Gasquet監督作"The De Facto Martyr Suite"は30年以上もの間収監されている男性が黒人が生きるうえでの苦闘と歴史における殉教者について語るドキュメンタリーである。しかし被写体の言葉は力強く深遠ながら、監督の紡ぐフッテージ映像の集合体はそれに見合う美学を持っていないように思われた。アメリカのPat HeywoodJamil Mcginnis監督作"Gramercy"鬱病を患った黒人青年が故郷に戻り、友人たちと旧交を温めるといった内容である。だがその詩的映像は軽薄以外の何物でもなく、テレンス・マリック被れも甚だしいと思わされた。その中で私が最も高く評価したのはアメリカのDarol Olu Kae監督作"I ran from it and was still in it"だった。今作はアメリカで父親として生きること、黒人として生きることの喜びが綴られた力強い1作である。監督は亡き父が遺したホームビデオと黒人の歴史を映し出したフッテージ映像を組みあわせ、極個人的でありながら歴史的な映画作品という離れ業を成し遂げている。今作がPardi di domani部門で作品賞を獲得したのも全く納得である。

Pardi di domani部門ではドキュメンタリー作品が劇映画と同じ比率で選出されている珍しいものだったが、その中で最も際立った作品がベトナムViet Vu監督作"An Act of Affection"だった。ポルトガルに移住した監督は、リスボンでゲイの中年男性と出会う。今作は彼と過ごすある夜を描いた作品だが、2人の間に満ちる親密さには驚かされた。これほど被写体に近づいてその人物の心をカメラに焼きつけることができるのは、ドキュメンタリーだけかもしれないと思わされる。最後、監督が眠っている男性の頭を優しく撫でる、ただそれだけの場面は2020年において最も優しく、美しい瞬間だったと私は言いたい。

Pardi di domani部門はインターナショナル部門とスイス部門に分かれているのだが、私はスイス部門の豊穣さに驚かされた。先述の"Ecorce""Push This Button If You Begin to Panic""Lachsmänner"に加え、異様な撮影で以て黙示録にも銀河からの祝福にも似た瞬間を描きだしたAlexandre Haldemann監督作"Um tordo batendo as asas contra o vento"、若さゆえの蒼い憂鬱を魅力的に掬いあげたTristan Aymon監督作"Trou noir"、スイス部門で作品賞を獲得したJonas Ulrich監督作"Menschen am samstag"などなど力作が勢ぞろいしている。そんな中で傑作と言ってもいい作品が、スイス在住のカーボベルデ人監督Denise Fernandes監督によるスイス・ポルトガル合作(というところにスイスの多民族・多国籍性を感じさせる)"Nha Mila"だった。カーボベルデ人である女性がポルトガルの飛行場で同国出身の掃除婦と出会う。彼女に幼馴染と勘違いされた女性は、誘われるがままに彼女の家へと赴く。Fernandes監督はカーボベルデという国への素朴な、しかし豊かな郷愁を捉え、まるでロベール・ブレッソンのように映画を崇高なものとする。今作には稀有な生の温もりが宿っている。私はその温もりに深く、深く感動させられた。

そして私にとって今年のロカルノのNo.1となった作品がノルウェーGunhild Enger監督作"Play Schengen"だった。今作はEUシェンゲン協定を題材にした子供向けゲームを開発しようとする人々の悲喜こもごもを描きだした作品である。まずそのアイデアが魅力的だが、Enger監督は絶妙な間の演出と凍てつくほどに無表情のユーモアで、それを数えきれないほどの笑いに変えている。今作はイギリス脱退宣言に端を発するEUの混乱を笑いのめす、正に2020年代的コメディだった(今作を作ったのがEU未加入を選択したノルウェーの映画監督であることもまた重要だろう)

ということでロカルノPardi di domani部門43作品を駆け足ながら振り返った。映画批評家として映画祭には行かずともその全作品を観るというのはまたとない経験だった。来年もこんな形式が続くのだろうか。私としては全く歓迎であるので、例え実地で開催されようともこの形式の部分的存続を願いながら、この記事を終えよう。では来年のロカルノでまた会おう、そしてくたばれミゲル・ゴメス

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