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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Joël Akafou&“Loin de moi la colère”/コートジボワール、怒りよりも赦しを

さて、コートジボワールである。映画界においては正直あまり目立たない国だが、最近はこの国の新鋭Philippe Lacôte フィリップ・ラコート“La nuit des rois”が話題になり、ラコートはAmazon制作のノワール映画「キラーヒート 殺意の交差」に抜擢されるなどしている(というか今調べて知った、ウソだろ!?)私もこの国の映画には全くお目にかかれていなかったが、とうとう新作映画を観ることができた。ということで今回はコートジボワール期待のドキュメンタリー作家Joël Akafouの長編作品“Loin de moi la colère”を紹介していこう。

2010年から2011年にかけて政治的対立により、コートジボワールでは内戦が勃発することになってしまう。国中が大混乱に陥る最中、デコエ州のジグラという村では村民たちが殺し合う事態にまで発展してしまう。多大なる犠牲者を出し内戦が終結した後にも、村には大きなトラウマと禍根が残ることとなるが、それに対する賠償や裁きなどは一切進むことがなく時間だけがいたずらに過ぎていく。

そんな状況に痺れを切らしたのが、ジョシアーヌという中年女性だった。彼女もまた内戦で家族を失い失意の時を過ごしていたが、村中の人々が未だに憎しみ合う状況に直面し、この現状を何とかしなくてはとの思いから行動し始めることになる。今作ではそんなジョシアーヌの姿に、監督自らがカメラを携えて迫っていく。

彼女がまず行っているのは、内戦の記憶について語る場を作っていくことだ。例えば命に関わる重傷を負った時の経験、ジョシアーヌがそうであるように家族を殺されたという人が受けたトラウマ。こういったことを同じような苦しみを持った人々と共有することで自分たちの傷を少しずつ癒やしていくある種のセラピーがここでは行われている。ある場所では子供も夫も失ったという女性の話をジョシアーヌは聞くことになる。その悲しみや喪失感を捲し立てるように話した後に「助けてほしい」と彼女は絞り出し、そして号泣を始める。彼女はそういった途方もない辛さを抱える人々に手を差し伸べていくのだ。

これと同時に、彼女は被害者側と加害者側の人々に同じ場に集まってもらい、対話を取り持つという活動もしている。その対話においてジョシアーヌは“赦し”というものを重要視している。家族や友人を奪われ、深すぎる傷を刻まれた中で、その加害者を赦すなどということはできるのか。これは間違いなく容易ではない。だがそれでも憎しみに囚われることなく、その連鎖を断ち切ることで新しい人生を生きる、彼女はこれをひたむきに目指す。

ただ村民たちの抱く傷や他者への不信はあまりにも大きいことをも、観客は知っていくだろう。子供を目の前で射殺された母親、家族を奪われた挙げ句に家も全て焼かれた夫婦。そういった人々が涙ながらに自身のトラウマを語る姿には言葉を失わざるを得ないだろう。そして村での対立が激化してしまったのは様々な民族が共に住んでいたからもあると分かる。バウレ人、モシ人、ゲレ人、ロビ人……村にはこういった文化も言語も違う人々が住んでいたが、国内情勢が悪化することでその共生の均衡が崩れてしまい、異民族への憎悪へと繋がってしまったのだ。

さらに村人たちは互いにだけでなく、政府への深い不信も抱えている。虐殺の根本には国家の内部分裂があるわけだが、内戦が終結した後にも機能不全の状態は続いていた。ある者は内戦によって亡くなった人々を尊厳を以て埋葬したいと願いながらも、そういった願いすら聞き入れられず完全に放置されているという怒りをジョシアーヌたちの前で吐露する。この状況では誰も、何も信じられなくなってもおかしくはない。おそらくこの不信は内戦前からもずっと燻っていたものなのだろう。

そんな状況においても、いやだからこそジョシアーヌは奔走する。先述してきた少数での集まりだけでなく、ある種パーティのように皆が集まれる場をも彼女は作りだしていく。みなで料理を作り一緒に食べるかと思えば、みなで家を作る時すらあるのだから興味深い。そしてその場には老若男女、さらに様々な民族が集まっており、彼らが違いを越えて共同作業を行うことで互いへの理解が深まっていき、そして反感や憎しみも少しずつほどけていく。

そしてここにおいてもう1つ重要な存在が口承文学である。とある語り部が巧みな話術で昔話を披露する中で、集まった人々がそれに様々な反応を見せていく。場の空気が盛り上がると歌が披露されて、みなの心が1つになっていく。そうしてこのコートジボワールの大地から生まれた物語や言葉が村人たちに新たなる道を提示するのだ。そしてそれは“Loin de moi la colère”と、ジョシアーヌという勇敢なる人物が指し示す希望の道でもある。