
さて、マニプール州である。インド北東部に位置する州の1つであり、ミャンマーとの国境沿いに位置している。州都はインパール、日本人が聞くと何とも言い難い気分になる第2次世界大戦におけるあの激戦地は実はここに位置していたりする。そして住民にはチベットやミャンマー系の住民が多いのだが、数年前にこの州で民族紛争が勃発したというニュースを聞いた覚えのある人もいるかもしれない。未だに情勢不安なマニプール州だが、ここからも新しい才能は現れ始めている。ということで今回はマニプール州の新鋭監督Lakshmipriya Deviによる初長編“Boong”を紹介していこう。
今作の主人公はブーン(Gugun Kipgen)というマニプール州に住んでいる少年だ。彼は学校で騒動を起こしまくる問題児であり、生徒からも教師からも鼻つまみ者としての扱いを受けている。しかしそんな状況はどこ吹く風とばかりに、ブーンはラジュ(Angom Sanamatum)という唯一の友人であり無二の親友である気弱な同級生とともに日々イタズラを繰り広げるんだった。
まずこの映画はおちゃらけて陽気な子供映画として展開していく。ブーンたちのわんぱくっぷりやその姿から溢れだす活力を撮影監督であるTanay Satamは鮮やかな形で捉えていくとともに、その光景はShreyas Beltangdyによる小気味よい編集によって観ていてワクワクさせられるようなテンポを伴うことになる。こうして序盤から観客はブーンたちのイタズラに惹きこまれていくだろう。
これと同時に描かれるのがブーンと両親との関係性だ。彼の母親であるマンダキニ(Bala Hijam)は父親のジョイが不在ゆえに一人息子に対して過保護ぎみであり、しかしそんな母親に反抗するかのようにイタズラを繰り返して、過保護ぶりもまた悪化するという悪循環が存在する。それでもブーンはそんな母親を自分なりに想っており、彼女への何よりのプレゼントとして父親を久しぶりに家へ呼び戻そうと計画を立てる。
しかしここから今作は予想外に不穏な方向へと進んでいく。ある日ブーンたちのもとに届いたのはジョイが消息を絶ったという驚きの報せだった。親族はみな彼が亡くなったと思いながらも、ブーンとマンダキニはそれを信じることなどできない。そしてブーンは立てていた計画を決行するかのように、ラジュとともにジョイが出稼ぎに行っていたというミャンマーとの国境沿いに位置する町モレへと旅に出掛ける。
このようにして今作ではマニプール州における政治情勢が幾度となく顔を出すようになる。マニプール州は1947年にインドへと強制併合された過去を持つが、それが原因で反政府組織の活動が活発で独立運動なども起こっている。劇中で流れるラジオにおいて革命軍兵士が国境近くで逮捕されたとの報道も成される。さらに驚くべきはマニプール州ではヒンドゥー語映画の上映が禁止されており、登場人物の1人が隠し部屋で密かに映画を楽しんでおりその恐喝のネタにされるという描写まで存在している。
これに少し関連するが、ブーンの親友であるラジュはマールワーリというラージャスターン州の商人階層の出身だ。南アジア系の濃い肌色をした彼は、ミャンマー系で肌色の薄い多数派とは見た目が明らかに異なるゆえ、さらにはヒンドゥー語を母語とする人物ゆえに学校ではいじめの対象となってしまう。その根深さは、文化の境なくラジュやその家族と交流するブーンたちまでもが“あんなヤツらとは付き合うな!”といった風に軽蔑と排斥の対象になってしまうほどだ。
そして国境の町モレの状況はこういったマニプール州に満ち満ちる緊迫の情勢を凝縮したものとなっている。町の至るところには兵士たちが闊歩し、ラジュへの差別もより露骨で直接的なものとなっていく。先述通りマニプール州では2023年5月、多数派でヒンズー教徒が主なメイテイ人が優遇政策を求めたことをめぐって、少数派であるキリスト教徒のクキ人との間で武力衝突が発生した。今作の撮影が終了したのはこの衝突勃発の数日前であり、劇中には否応なくその激発前の緊張が反映されてしまっているわけだ。この事情に関して、長くなるがこのGlobal News Viewの記事から引用したい。
“現在のマニプールの地域は植民地化前、メイテイ王朝の独立国家であった。その後、インド連邦の一部となって州として成立した。この頃から、ビルマの侵略を受けたり、マニプール藩王国としてイギリスの保護下に置かれたりしながらも、ある程度の自治を保っていた。しかし、1947年にインドによる強制合併が行われた。地域住民の多くはこれに対し、強い抵抗と分離主義を主張した。様々な信仰や文化を持つ複数のコミュニティが存在するこの地域では、インド政府に対する相反する要求や主張があり、その数だけ反政府勢力が生まれた。例えば1964年には統一民族解放戦線、1978年には人民解放軍 (PLA)といった武装組織が生まれ、インド政府の治安部隊と衝突してきた。
ここで対立構図を、インド政府対マニプール地域と単純化することはできない。特に、主に低地に住むメイテイの人々と、主に高地に住むクキの人々との間での分断が生じる傾向にある。まず、一つの原因としてこれらのコミュニティの間の土地権利の不均衡さがあげられる。インドへの併合に際し、州政府はクキの人々の多くが住む丘陵地帯に保護林を設定し、保護林内のクキの村々を調査する取り組みを行った。その多くが政府の望む自然環境の基準以下であると判断され、クキの人々は立ち退きを強制された。ほかにも、メイテイの人々が丘陵地帯の土地購入を制限されており、コミュニティ間の現在の土地の不均衡のシステムがある事がわかる。
上述したような土地の不均衡や州政府の対応への不信感などにより、クキとメイテイのコミュニティの間には常に緊張があった。緊張状態が暴力へと発展したのは、2023年5月であった。この日、裁判所はメイテイの人々にインド憲法内で特別な地位を与える判決を下した。クキの人々の一部はこれに反対し、抗議活動を行った。メイテイコミュニティはこれに触発され、両コミュニティの一部の人々が暴力的な衝突を引き起こした。多くの避難民を生み死亡者も出しており、性的暴力までもが報告されている。インド政府は、2023年5月から顕在化しているマニプール地域の暴力行為について2ヶ月ほど沈黙したとの批判もあった。この地域に兵士や警察が派遣されているが、コミュニティ間の長年の不安は拭いきれない”
このような重苦しい政治的背景がありながらも、今作はその絶望感に打ちひしがれ続けることはない。何故なら今作は何よりも子供映画である、つまりは未来を担う子供たちのために作られた映画であるからだ。とてつもない緊張感の中でブーンとラジュの友情が過酷な形で試されようとも、その輝きにこそ監督は希望を見ている。そして父を探し求めるブーンが経験する痛みと、それを通じてこそ成される成長にこそ監督は明日を見ている。“Boong”はすこぶる深刻なテーマの数々を、その重みは失わないまましかし軽やかに子供たちの心に訴えかける力強く誠実な一作だ。ここにおいてぜひ最後に監督のメッセージを紹介したい。
“40年前、武装蜂起がピークを迎えていた時、私はマニプール州を離れました。今も襲ってくるあの頃についての辛いフラッシュバックを、しかし幼少期のある記憶がすべてふるい落としてくれます。それは、夜におばあちゃんのベッドへ滑りこんで彼女の話を聞いていた時の記憶です。外の遠くで銃声が鳴り響く中、蚊帳がおばあちゃんのベッドを覆うように垂れ下がっていたんですが、その下に横たわっているとどれほど安心したか今でも覚えています。私にとってこの映画は彼女が話してくれた民話の一解釈であり、そしてここには私が長年マニプールと結びつけてきた光景、音、匂いが包みこまれているんです。
風が歌を運んで、夜の静けさを優しく破るところ
薪の煙が、母の抱擁の香りを呼び起こすところ
踊りと音楽が、生者と死者を祝うところ
大地の緑が、その悩める魂を隠してしまうところ
“Boong”はそんな私の故郷マニプールについての、苦くも甘い記憶なんです”*1
