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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Abbas Fahdel&"Yara"/レバノン、時は静かに過ぎていく

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日本語には“ほのぼの”という言葉がある。英語で言えば“peaceful”だとか“heartwarming”だとか、そんな意味になるのではないか。しかしそれよりもっと緩やかで心地よいといったニュアンスがあることは日本語の分かる方ならご存知だろう。その微妙なニュアンスを捉えることは簡単ではないが、それを最も美しい形で成し遂げている作品がある。それこそがAbbas Fahdel監督作“Yara”だ。

題名にもなっているヤラ(Michelle Wehbe)という少女が今作の主人公だ。彼女はレバノンの緑深い山奥で祖母と一緒に2人で暮らしている。孤独などは感じていない。祖母とそれに、鶏やロバ、ネコなど可愛らしい動物たちに囲まれながら、毎日健やかに日々を生きていた。

今作を組み上げる要素は平凡なる日常の何気ない記録の数々だ。祖母とは“おはよう”だとか“お腹すいた?”だとか他愛ない会話の数々を繰り広げている。その合間には山奥にまで食料を持ってきてくれる親子と交流を繰り広げる。そしてヤラは豊かな自然の中を、誰に邪魔されるでもなく自由に散策することになる。こういったどこにでもあるだろう日常が淡々と描かれていくのだ。

そこにが自然との安らかで理想的な共生の光景が見て取れる。例えばヤラは木に生えているプラムを採って自由に食べたりする。午後には日向ぼっこをするネコたちと戯れたりする。時々はヤギたちを引き連れて、山の険しい道を練り歩いていく。自然を愛する者にとっては、正に理想的であろう暮らしがここには広がっているのだ。

それが伝わってくるのは監督の徹底したドキュメンタリー的演出のおかげに他ならない。撮影監督も兼任するFahdelは、目前で繰り広げられる風景の数々を些かの装飾もなく映し出していく。監督が紡ごうとするのは息を呑む絵画的な美などではない。彼は日常に根づいているのだろう、ありのままの美を焼きつけようとしているのだ。

今作の監督Fahdelは、5時間にも渡って死と隣り合わせにあるイラク人家族の日常を追った長大なドキュメンタリー作品「祖国ーイラク零年」が有名な映画作家である。そこでも彼はかけがえのない日常を丹念にかつ素朴に描き出していたと言える。その方法論は正にこの“Yara”にも受け継がれていると形容しても過言ではないだろう。

ある時、ヤラはエリアス(Elias Freifer)という青年と出会うことになる。彼は父が住んでいるオーストラリアに移住する予定なのだが、この山奥の地でレバノンでの最後の時を過ごしていた。出会った当初からお人好しでお調子者な彼の性格は、自分と同世代の若者たちと交流してこなかったヤラの心を少しずつ開いていく。その過程で彼女はエリアスに惹かれていくのだったが……

今の観客はハリウッド方式の出会ったらその夜のうちに速攻でキス&セックスという早さに慣れてしまっているかもしれない。そんな観客にとって今作は正に驚きという他ないだろう。一緒にご飯を食べたり、廃墟を散策しながらも、彼女たちはセックスどころかキスすらもしない。歩くような早さで近づいていって何とか額にキスするくらいの程度だ。余りにも甘酸っぱい、思春期の少年少女のような恋がここでは描かれていく。

だがそこには胸を締めつけるような、激しい切なさが存在している。エリアスはいつかオーストラリアに移住してしまう故に別れは近いのだ。恋心は成就することができないと既に定められてしまっている。それでもヤラは彼に惹かれる心を抑えることができない。何故ならば、それが恋というものだからなのだ。

“Yara”において、監督はそんな風景の数々を一切の虚飾もなく、ありのままに描き出す。それだけの大いなる度量がある。自然は揺れる少女の心を優しく抱きながら、その切実な震えには監督の類い稀なるヒューマニズムが宿っている。素朴だけれどもとてつもなく大きな寛大さによって、監督は何気ない日常や何気ない人生が、何気ないからこそ宿しているのだろう唯一無二の美しさを映し取っているのだ。

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