個人的な意見だが、最近のコソボ映画は頗る繊細な作品が多い。例えばBlerta Zeqiriの"Martesa"やLendita Zeqirajの"Shpia e Agës"など、静かに紡がれていく風景を背景として、登場人物たちの心情が丹念に描かれていく。そしてその中にはコソボ人としての壮絶な過去やアイデンティティの探求というテーマが込められていることが多い。さて、今回はそんな系譜の最先端に位置するだろうコソボ映画、Antoneta Kastrati監督作"Zana"を紹介していこう。
今作の主人公であるルメ(Adriana Matoshi)は、夫であるイリル(Astrid Kabashi)と彼の母とともに、コソボの田舎町で静かに暮らしていた。しかし彼女には1つ問題があった。家族の皆から子供を待望されているのに、妊娠できないのだ。日々は過ぎていくが、その中で人々の彼女への不満は膨らんでいく。
まず今作はルメの日常を淡々と描き出していく。例えば彼女は夫や姑と一緒に、テレビを観ながら朝食を取る。そこには少しだけ家庭内での権力関係が見え隠れする。その他にもルメは洗濯をしたり、動物たちの世話をしたりする。その日常は普通のもののように思えるが、その裏側では何かが蠢いているのが感じられるだろう。
コソボでは今でも信仰療法士(healer)という存在が広く信じられており、家族に連れられてルメも彼らの元へと赴くことになる。その時彼女は、過去に刻まれた傷が不妊の原因ではないかと占われる。家族はそれについて問い質すのだが、ルメは沈黙を貫き続ける。
その過去に対する沈黙に関連して、ルメは劇中を通じて悪夢を見続けている。深い水溜りに沈んだ牛の死骸、森を襲いくる激しい爆撃……それらの悪夢は日常に溶け込んだ形でルメに迫りくる。その魔術的リアリズムに裏打ちされた悪夢は、ルメに刻まれた傷の深さを饒舌に語る。
更にもっと現実的な悪夢までもが彼女を襲うことになる。家族からは子供を作れと圧力が常にかけられる。まるで子供が作れない女性は不完全だとでも言う風に。姑からは心無い言葉を投げ掛けられ、村には悪意ある噂が広まっていく。
監督はこの光景を通じて、コソボの田舎町に巣食う女性差別的な価値観を描き出していく。先述した作品を監督した現代コソボの女性作家たちは女性たちをめぐる問題を意識的に描こうとしているが、今作のテーマも正にそれである。元々コソボ映画界は規模が小さかったが、そこに女性作家が入る余地はなかった。しかし現在、むしろ海外で注目を集める作家は女性たちである。今、とうとう女性たちの問題を描きそれが世界的に評価されるフェイズが来ている。"Zana"はそれを象徴してもいる。
今作は様々な悪夢に直面する女性の受難劇であるが、それを支える存在がルメを演じるAdriana Matoshiである。彼女は先述の2作他、海外の映画祭で話題になるコソボ映画には全て出ていると言ってもいいほど広く活躍している。彼女はコソボ映画界のミューズなのである。そんなMatoshiは悪意を一身に背負いながらも、感情を抑圧し秘密を隠し続ける女性を静かに熱演している。その姿には現在の活躍を全く以て納得させる力強さが宿っている。
"Zana"はコソボで女性が生きることについての物語だ。今作を観た後には、女性として、この地を踏み締めることの苦しみ、悲しみはこんなにも深いものなのかと、私たちは絶望感を抱くことになるかもしれない。
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