鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 〜秘密と嘘〜」/SNSの時代に憑りつく幽霊について

人を愛するという行為には喜びや快感と共に、不安や独占欲がつきものであり、ある意味ではそちらの方が強烈な感情をであるかもしれない。これらはスター・ウォーズのダークサイドさながら、歴史の中で様々に姿を変えて人々を恐慌に陥れてきた。今はどうだろう、ネットが発展しFacebookTwitterなどいわゆるSNSの時代がやってきているが、この時代は不安や独占欲に新たなる姿をもたらしたとも言えるだろう。ということで私の好きな監督・俳優特別編"文芸エロ映画に世界が見えてくる"では、そんなSNS時代の愛の風景を描き出したセルビア産文芸エロ映画「インモラル・ガール 秘密と嘘」(以下、原題の"Panama"表記)とセルビア映画界の新鋭パヴレ・ブコビッチについて紹介していこう。

パヴレ・ブコビッチ Pavle Vučkovićは1982年ベオグラードに生まれた。ベオグラード美術大学Faculty of Dramatic Arts(以前紹介したセルビアの新鋭作家マヤ・ミロシュNikola Ležaićらもこの学校出身)の映画・TV監督科で学び、卒業後はMVやCM、TV番組などを多く手掛け映像作家として活躍する(幾つかの作品は監督の公式vimeoで鑑賞可)

同じ大学の友人であるKosta Đorđevićのホラーロマンス映画"Aurora"(2002)などに助監督として関わり経験を積んだ上で、2003年に"Bezi Zeko Bezi "(英題: Run Rubbit Run)でデビュー。今作はカンヌ国際映画祭でプレミア後、シカゴ国際映画祭やチェコのFAMU映画祭などで上映され話題になる。同年にはセルビアの人気コメディドラマ"Mile vs. Tranzicija"を何本か手掛け、2005年には第2短編"Zvonce"を、2007年には第3短編"Minus"と第4短編"Beginning"を監督する。前者は山小屋で週末を過ごすことになったカップルが味わうことになる恐怖体験を描いたホラー映画で再びカンヌでプレミア上映、後者は公式vimeoで観られる……って短編は"Zvonce"以外観られるので興味が湧いたら是非観よう。そして数年の準備期間を経てブコビッチ監督は初長編"Panama"を手掛ける。

主人公は大学生のヨヴァン(スラヴィン・ドスロ)、彼は親友のミラン(Milos Pjevac)とナンパに明け暮れ、代わる代わる女性たちと一夜の関係を共にする日々を送っていた。その日もナンパのためクラブに繰り出していたヨヴァンは、マヤ(ジョバーナ・ストジルコヴィック)という女性と出会う。彼はマヤに対し互いに束縛しあわない自由な関係を提案し、2人は意気投合する。彼女もまた今まで付き合ってきた女性たちと同じ存在だ、ヨヴァンはそう思っていたが次第にマヤの魅力に深く惹かれていく。そんなある日、彼はマヤがSNSに挑発的な動画をアップしているのを見つけてしまい……

SNSの存在は人と人との繋がりを不必要なほど密な物とし、人間の不安や独占欲に新たな形をもたらすことになった。ヨヴァンは自由な関係を標榜しながらも、いつしかマヤのSNSを監視するようになり、そこに挙げられた画質の悪い動画に心を乱していき、生身の彼女に猜疑心をぶつけ始める。監督はそうしてヨヴァンの姿にSNS時代における不安の表象を浮かび上がらせていく。同じくセルビア出身のマヤ・ミロシュ監督のデビュー長編「思春期」は携帯で自分を撮影し続ける少女たちの姿を通じて、ネット世代が喰らわされるどん詰まりの青春の日々を描き出していた。"Panama"はその風景を男性視点から描いた作品とも言えるだろう。そういう意味で今作のテーマに目新しさはない、しかしそれを補って余りある魅力を持っていることも確かだ。

物語が展開するにつれ、不安はヨヴァンの内面を越えて彼の生きる世界を変容させることともなる。例えば音、Milan Djurdjevicの手掛ける不協和音の連なりは私たちをも巻き込んでヨヴァンの鼓膜を不愉快に震わせるが、もっと恐ろしいのは生活音だ。蛇口から溢れる水が洗面台へと流れていく音、マヤの携帯から響き渡る着信音、神経質な音の数々は独占欲の炎を更に激しく燃え立たせる。

だが劇中において最も印象的なのは、映し出される建物や部屋の内装だ。ヨヴァンは建築学科の学生という設定であり、彼の部屋はキッチリと整頓されミニマリスティックな印象を与えるのだが、また彼の巡る場所、例えば恩師が提供してくれたインターン先のオフィス、浮気相手であるサンドラ(タマラ・ドラギチェビッチ)の住むマンション、ある事情で立ち寄ることとなる喫茶店や研究所、その多くがモダンでスタイリッシュ、ひいては潔癖症的な印象を与える内装にデザインされている。これと対称的なのがマヤの住む建物だ。彼女は歴史をも感じさせる石造りの建物で、祖母と2人暮らしをしている。彼女の部屋は一見すると年相応に色づいた内装ながら、古びた石壁が寒々しく露出しているのだ。モダン建築か多く登場する"Panama"において、この内装はチグハグな印象を与えるのだが、後々これが意味を成すことともなる。

そんな部屋の中でヨヴァンとマヤは親密なキスを交わし、暴力的なセックスを果たし、互いの不実を罵倒しあい、様々な感情を衝突させるのだが、ヨヴァンの心の彷徨の理由はあからさまな程語られながら、マヤの心についてはーー例え物語の視点がヨヴァンにあるとしてもーー杳として伺い知れない。何故彼女はSNSに挑発的な動画を挙げ続けるのか、何故彼女は「あなたと別れたくない」と涙を流した後に動画に映るクラブの位置情報を流すのか、自分への愛を試しているのか、自分を翻弄して楽しもうとしているのか……独占欲はヨヴァンを追いたて、彼はSNSに浮かぶマヤの軌跡を執拗に追いかけ始める。

だがまず1つだけ先に書いておこう、公式のあらすじには"衝撃の事実が明かされる"とあるがそれを期待したなら完全に裏切られることになる。この映画は彼女について何も明かすことはないし、むしろだからこそこの映画は独特の魅力を湛えるまでの作品になったと断言できる。余り詳しくは記せないが、SNS時代がもたらした不安の新たな形態を描いていた今作は、終盤に入ると驚くことにSNS時代の不可解な幽霊譚へと姿を変える。此処においてモダンさと灰色の古びた傷跡が混ざりあうベオグラードの街並みは生と死の狭間の地となり、物語は不気味さを帯びるのだ。そして物語は突き放すような終幕を迎えるが、"Panama"というリゾート地の暖かな響きが、凍てついた呪いのような響きに変わっているのに貴方は気づく筈だ。

参考文献
http://eyeonfilms.org/film/panama/(映画公式サイト)
https://vimeo.com/pavlevuckovic/videos(監督公式vimeo)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&"The Gift"/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
その96 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その97 アンジェリーナ・マッカローネ&"The Look"/ランプリング on ランプリング
その98 Anna Melikyan & "Rusalka"/人生、おとぎ話みたいには行かない
その99 Ignas Jonynas & "Lošėjas"/リトアニア、金は命よりも重い
その100 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅