鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Birgitte Stærmose&"Værelse 304"/交錯する人生、凍てついた孤独

群像劇というジャンルがある。様々なキャラクターが目の前に現れ、それぞれの人生を披露し、いつしかそれらが絡み合っていく物語の構図だ。ロバート・アルトマンナッシュビル「ショートカッツ」、彼を師と仰ぐポール・トーマス・アンダーソンブギーナイツ」「マグノリア……私が好きなのはスペインの隠れた名作「午前2時の唇」ガイ・リッチー「ロック・ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ」(及びガイリチに影響を受けまくっている成田良悟バッカーノ!も)なんかが好きだ。ということで今回紹介するのはそんな群像劇の範疇にありながら、普通の群像劇とは興趣を異にするデンマーク映画"Værelse 304"とその監督Birgitte Stærmoseだ。

Birgitte Stærmoseは1963年デンマークのオーデンセに生まれた。フィラデルフィアテンプル大学の映画&メディア・アート学部で映画について学んでいた。監督デビューは2001年の短編"Se Mig Nu"、東欧でスパを営む叔母の元で休日を過ごす少女が体験する一夏のロマンスを描き出した作品でハンプトン国際映画祭では短編部門の観客賞を獲得する。2作目はジョイス・キャロル・オーツの短編を映画化した作品"Sma Skred"でこちらはエディンバラ国際映画祭で欧州短編作品賞を獲得する。

2006年は彼女にとって転機の年となる。まず初のドキュメンタリー"Mit Danmark - Filk Nr.2"を手掛け、更に道を歩く男女の会話が奇妙な方向へと進んでいくコメディ短編"Sophie"(トリーネ・ディアホルム様も出演)を監督し、そして中編"Istedgade"を製作することとなる。題名はコペンハーゲンの地区名で、この地区を舞台に4人の女性の人生が交錯する1日を描き出した群像劇だ。今作は翌年のサンダンス映画祭で上映され、更にはMOMAの恒例企画"New Directors/New Films"の1本として選出され、話題となったのだ。そして2009年、内戦後のコソボに生きるストリート・チルドレンの姿を映し出したドキュメンタリー"Ønskebørn"ベルリン国際映画祭の特別賞を獲得した後、彼女は2011年に初の長編映画"Værelse 304"を手掛ける。

"舞台はコペンハーゲンのとあるホテル、まず現れるのはカスパー(Mikael Birkkjær)という中年男性、彼はこのホテルの責任者だ。妻がいながら、マネージャーのニーナ(「犯罪捜査官アナ・トラヴィス」スティーネ・スティーンゲーゼ)とホテルの一室で密会を重ねている。過去という名の絶望に晒される彼は、いっそ全てをブチ撒けてしまおうかと、真夜中のホテルで独り苦しむ。しかしそんな彼の元にコンシェルジュのマーティン(裏切りのサーカスデヴィッド・デンシック)がやって来る、貴方にお伝えしたいことがあるのですが……

時間は巻き戻り、今度はマーティンの姿に焦点が当てられる。彼は無類の勤勉さで以て、黙々と自身の職務をこなしていると、上司のニーナから呼びつけられる。彼女はマーティンの仕事ぶりを褒めながらもたった1つ、お客様に対して笑顔を見せて欲しいと頼んでくる。しかし彼にはその言葉が余り理解できない、笑うとは一体どうすれば良いのか?……無表情でそのことについて悩んでいると、メイドをしているフィリピン人移民たち(Lourdes Faberes & Mona C. Soliman)がある物を渡してくる、それは黒くギラつく拳銃だった。

"Værelse 304"はこうして絶えず時間の前進と後退を繰り返し、ホテルという閉じられた空間の中で生きる人々の姿を描き出していく。彼らの人生が収斂する一点は冒頭において提示される一発の銃声であり、そういった意味で今作のスタイルはグランドホテル形式にガイ・リッチーに代表される"スタイルのためのスタイル"的演出が結い合わされた物であることは、簡単に予想できる。しかしパーフェクト・センス「ファイティング・ダディ 怒りの除雪車など一作品ごとに作風をガラリと変えるキム・フップス・オーカソンの脚本はその予想を裏切り、群像劇というスタイルにある種の寒々しさを宿す。

彼らの次に現れるのは、ユーゴ内戦を逃れデンマークへとやってきたコソボ人夫婦アジムとエリラ(Luan Jaha & Ksenija Marinkovic)だ。カスパーがニーナとの情事から目覚めた朝、マーティンが黙々と職務をこなす朝、エリラはある男がホテルへとやってくるのを目撃する。それを聞いたアジムは怒りに震えながら、1つの因縁に決着をつけるため男の部屋へと乗り込んでいく。だが観客が期待するだろう痛切な対峙はほとんど存在しない。その代わり、全てを終えてエリラのいる車へ戻り、助手席に身を埋めるアジム、彼の横顔をカメラは撮し続ける、そこに浮かぶのは憎しみ、安堵、悲哀、後悔……

"Værelse 304"は過去の名だたる作品が形作ってきた群像劇という概念に照らし合わせたとすれば、不適切でとても成功しているとは言えない代物だろう。全く同じシーンの反復の多さ、前進と後退を紡ぐ編集のもたつき、そして物事が別の視点で語られた時に要素と要素が繋がる時に感じられるだろう、驚きの火花というべき存在はほぼ此処にはない。しかし監督は敢えてそういった旧来の群像劇にとって美徳とされる物を意図的に排除しているように思われる。

この鈍く、要素要素には表層的な繋がりしかない反群像劇的作風が物語にもたらすのは人間と人間の確かな断絶の風景だ。登場する人々は孤独に苦しみながらも、いつまでも救われることなど有り得ない、題名ともなっている収斂地点304号室における銃声もこの映画のクライマックスとは成り得ない。"Værelse 304"が最後に提示されるのは"何かが起こった、何かが失われた、しかし何も変わらない"という世界や人生に対する凍てついた眼差し、諦めに満ちた孤独の光景だ。

"Værelse 304"はカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭やクロアチアのプラ映画祭で上映され、フランス・オーバーニュ国際映画祭で監督賞を獲得した。その後は2015年、冷戦時代を舞台に核開発の秘密を暴く告発者の姿を描いたスリラー"Idealisten"の脚本を「誰がために」ラース・K・アナセンと共に共同執筆、そして麻薬密売を撲滅しようとする刑事を追うドラマシリーズ"Norskov"を演出するなどしている。ということで監督の今後に期待。

参考文献
http://www.dfi.dk/faktaomfilm/person/en/147194.aspx?id=147194(監督プロフィール)

私の好きな監督・俳優シリーズ
その51 Shih-Ching Tsou&"Take Out"/故郷より遠く離れて自転車を漕ぎ
その52 Constanza Fernández &"Mapa para Conversar"/チリ、船の上には3人の女
その53 Hugo Vieira da Silva &"Body Rice"/ポルトガル、灰の紫、精神の荒野
その54 Lukas Valenta Rinner &"Parabellum"/世界は終わるのか、終わらないのか
その55 Gust Van den Berghe &"Lucifer"/世界は丸い、ルシファーのアゴは長い
その56 Helena Třeštíková &"René"/俺は普通の人生なんか送れないって今更気付いたんだ
その57 マイケル・スピッチャ&"Yardbird"/オーストラリア、黄土と血潮と鉄の塊
その58 Annemarie Jacir &"Lamma shoftak"/パレスチナ、ぼくたちの故郷に帰りたい
その59 アンヌ・エモン&「ある夜のセックスのこと」/私の言葉を聞いてくれる人がいる
その60 Julia Solomonoff &"El último verano de la Boyita"/わたしのからだ、あなたのからだ
その61 ヴァレリー・マサディアン&"Nana"/このおうちにはナナとおもちゃとウサギだけ
その62 Carolina Rivas &"El color de los olivos"/壁が投げかけるのは色濃き影
その63 ホベルト・ベリネール&「ニーゼ」/声なき叫びを聞くために
その64 アティナ・レイチェル・ツァンガリ&"Attenberg"/あなたの死を通じて、わたしの生を知る
その65 ヴェイコ・オウンプー&「ルクリ」/神よ、いつになれば全ては終るのですか?
その66 Valerie Gudenus&"I am Jesus"/「私がイエス「いや、私こそがイエ「イエスはこの私だ」」」
その67 Matias Meyer &"Los últimos cristeros"/メキシコ、キリストは我らと共に在り
その68 Boris Despodov& "Corridor #8"/見えない道路に沿って、バルカン半島を行く
その69 Urszula Antoniak& "Code Blue"/オランダ、カーテン越しの密やかな欲動
その70 Rebecca Cremona& "Simshar"/マルタ、海は蒼くも容赦なく
その71 ペリン・エスメル&"Gözetleme Kulesi"/トルコの山々に深き孤独が2つ
その72 Afia Nathaniel &"Dukhtar"/パキスタン、娘という名の呪いと希望
その73 Margot Benacerraf &"Araya"/ベネズエラ、忘れ去られる筈だった塩の都
その74 Maxime Giroux &"Felix & Meira"/ユダヤ教という息苦しさの中で
その75 Marianne Pistone& "Mouton"/だけど、みんな生きていかなくちゃいけない
その76 フェリペ・ゲレロ& "Corta"/コロンビア、サトウキビ畑を見据えながら
その77 Kenyeres Bálint&"Before Dawn"/ハンガリー、長回しから見る暴力・飛翔・移民
その78 ミン・バハドゥル・バム&「黒い雌鶏」/ネパール、ぼくたちの名前は希望って意味なんだ
その79 Jonas Carpignano&"Meditrranea"/この世界で移民として生きるということ
その80 Laura Amelia Guzmán&"Dólares de arena"/ドミニカ、あなたは私の輝きだったから
その81 彭三源&"失孤"/見捨てられたなんて、言わないでくれ
その82 アナ・ミュイラート&"Que Horas Ela Volta?"/ブラジル、母と娘と大きなプールと
その83 アイダ・ベジッチ&"Djeca"/内戦の深き傷、イスラムの静かな誇り
その84 Nikola Ležaić&"Tilva Roš"/セルビア、若さって中途半端だ
その85 Hari Sama & "El Sueño de Lu"/ママはずっと、あなたのママでいるから
その86 チャイタニヤ・タームハーネー&「裁き」/裁判は続く、そして日常も続く
その87 マヤ・ミロス&「思春期」/Girl in The Hell
その88 Kivu Ruhorahoza & "Matière Grise"/ルワンダ、ゴキブリたちと虐殺の記憶
その89 ソフィー・ショウケンス&「Unbalance-アンバランス-」/ベルギー、心の奥に眠る父
その90 Pia Marais & "Die Unerzogenen"/パパもクソ、ママもクソ、マジで人生全部クソ
その91 Amelia Umuhire & "Polyglot"/ベルリン、それぞれの声が響く場所
その92 Zeresenay Mehari & "Difret"/エチオピア、私は自分の足で歩いていきたい
その93 Mariana Rondón & "Pelo Malo"/ぼくのクセっ毛、男らしくないから嫌いだ
その94 Yulene Olaizola & "Paraísos Artificiales"/引き伸ばされた時間は永遠の如く
その95 ジョエル・エドガートン&"The Gift"/お前が過去を忘れても、過去はお前を忘れはしない
その96 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その97 アンジェリーナ・マッカローネ&"The Look"/ランプリング on ランプリング
その98 Anna Melikyan & "Rusalka"/人生、おとぎ話みたいには行かない
その99 Ignas Jonynas & "Lošėjas"/リトアニア、金は命よりも重い
その100 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その101 パヴレ・ブコビッチ&「インモラル・ガール 秘密と嘘」/SNSの時代に憑りつく幽霊について
その102 Eva Neymann & "Pesn Pesney"/初恋は夢想の緑に取り残されて
その103 Mira Fornay & "Môj pes Killer"/スロバキア、スキンヘッドに差別の刻印
その104 クリスティナ・グロゼヴァ&「ザ・レッスン 女教師の返済」/おかねがないおかねがないおかねがないおかねがない……
その105 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その106 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その107 ディアステム&「フレンチ・ブラッド」/フランスは我らがフランス人のもの
その108 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その109 Sydney Freeland&"Her Story"/女性であること、トランスジェンダーであること