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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Jazmín López&"Leones"/アルゼンチン、魂の群れは緑の聖域をさまよう

さて2016年も半ばが過ぎようとしている。私も映画をボコスカ観てきたが、クソ面白い映画がボコスカ出てきて嬉しい悲鳴が上がるほどだ。それでも今年の上半期ベストに食い込んでくる映画はもうそろそろ打ち止めかな……と思いきや、これまた素晴らしい映画が南米アルゼンチンから現れた。実は今までもこれは絶対観たい、これもう絶対面白いと確信していた作品で、最近とうとう観る機会に恵まれたのだが、その予想を軽々と超えてくるほどの魅力に満ち溢れていた訳である。ということで今回は群雄割拠のアルゼンチン映画界に現れた超新星Jazmín Lópezと彼女の長編デビュー作"Leones"を紹介して行こう。

Jazmín López1984年にアルゼンチンのブエノスアイレスに生まれた。国立映画大学で映画について学ぶ一方で、トルクァト・ディ・テラ大学ではアルゼンチンの著名な芸術家ギジェルモ・クイッカ Guillermo Kuitcaホルヘ・マッチ Jorge Macchiの元で視覚芸術を学びアルゼンチンは勿論、メキシコやアメリカで個展を開くなどアーティストとしても活躍している(彼女の作品については公式サイト参照)

映画監督としては2007年に短編"Parece la pierna de una muñeca"を製作後、翌年に森の中で遊びに耽る少年少女の姿を奇妙な形で描いた"Juego vivo"を、2009年には"Te amo y morite"を手掛ける。後者は運命的な出会いを果たした赤毛の少女に思いを馳せる青年の姿を詩的な形で描き出した作品で、長回し主体の演出やロケ地など"Leones"の原型ともなっている。そして2012年には初長編"Leones"を監督する。

木の根本に寄り添い眠る少女、しばしの静寂の後に彼女は目を覚ます。木々の稠密に立ち並ぶ森の中で少女イサ(Julia Volpato)は自分の名を呼ぶ声を聞き、友人たちの背中を見つける。イサと4人の男女――ソフィと彼女の兄であるアルトゥーロ、そしてニキとフェリクス(Macarena del Corro, Pablo Sigal, Diego Vegezzi, Tomas Mackinlay)――は森の奥にある別荘を目指して歩き続ける、歩き続ける、歩き続ける……"Leones"の冒頭において、カメラは5人の背中をひたすらに追いかける。言葉遊びを繰り広げながら、木々の合間を縫って思い思いのスピードで彼女たちは進んでいく。それ故にフレーム外へと誰かの姿が消え去ることが繰り返される。だがその度に彼らはフレームの内へと忍び込んでくるのだ。このフレームイン/アウトの技法は驚く程多用されるが、それはLopez監督の映画芸術に対する姿勢を象徴した物であり、冒頭たった数分の時点において根源的な問いを投げ掛けてくる。

映画を生み出すということはある1つの視点から世界を恣意的に切り取るのと同義だ。カメラによって切り取られた世界、この世界は監督の美意識や俳優たちの存在、音楽や編集に加えて色調調整や特殊効果などによって装飾され、無二の豊かさを持つこととなる。言わば映画という名の特権を附与されるのだ。だが殆どの映画はカメラに映し出された世界で全ては完結していると誤解し、その外部にも世界は存在するのだという事実を完全に見落としてしまう。むしろ外部にこそ豊饒さの鍵がありながらそこに到達できる作家は少なく、世界=カメラに映る全てとして小さく閉じてしまう。

しかし"Leones"においてLopez監督の意識は映画とその外部どちらにも等しく向いている。5人の登場人物はこの2つの間を行き交う存在であり、突然画面の外へと消えては思わぬ場所から姿を現す。2つの世界がじゃれあうように戯れる様は観客は絶えず驚きの渦に投げ込むが、その驚きによって私たちはこのフレーム外にも世界が広がっているのだという知覚へと導かれることともなる。そしてある時カメラ(撮影監督はMatías Mesa)はアルトゥーロの背中を追っていくのだが彼もまた私たちを挑発するようにフレーム外へと消え去り、そして劇的なまでにカメラがグルッと大回転を遂げる瞬間、私たちは何処までも広がる森の中に薄汚れた重機が放置されている光景を目撃するのだ。カメラがこちらを向かなければ重機の存在を観客は知ることはなかっただろう、しかしその時にも重機は存在していた、外部にも確かに世界は存在していたのだ。世界はスクリーンの中だけに存在する訳ではない、この自明でありながらも映画を観る者なら誰でも内面化している強固な錯覚を一瞬に砕く豊饒さが"Leones"には宿っているのだ。

こういった演出を指向する理由について、Lopez監督はこう語っている。"リサンドロ・アロンソルクレシア・マルテルといった(同じアルゼンチン出身の)映画作家と私は違う表現方法を取っています。彼らはリアリスティックな方法論に寄っていますが、私が実践するのはある種ファンタジー的な、例えばボルヘスコルタサル(2人ともアルゼンチンを代表する小説家)のようなやり方です。彼らの作品を読むと聞こえてくる物、見えてくる物がリアルに感じられながら何処か現実離れしている、私はそういった感覚にこそ大いに興味をそそられるんです"

"私の関心は自分の作品を1つの総体に纏めることなんです、何が芸術で何が映画と規定できるなんて思っていませんから。思うに最近の現代芸術は何かを表現することにおいては映画以上にオープンなんです(中略)私にとって"Leones"は映画というより作品の1つなんです。それは視覚的な意味でだけではなく、概念的な意味でも……つまりこの作品はコンセプチュアル・アート(1960年代から1970年代にかけて世界的に行われた前衛芸術運動)と密接な関係にあります"

そして5人は森を延々と彷徨い続けるのだが、その中に少しずつ彼女たちの微妙な関係性が浮かび上がってくる。5人は最近大切な人間を亡くしたばかりで、その理由もあっての旅のようだ。ソフィはニキと恋愛関係にあるのだが、同時にニコラスとは純粋な楽しみのためにセックスする関係にある。そしてニキは彼女の兄アルトゥーロに対し言い知れぬ感情を抱えており、アルトゥーロが拾った銃を彼のいない間に持ち出し細工を施していく。彼女たちの間には目には見えない愛とその他の複雑な感情が横たわり、それによって物語全体に性的な緊張感を漲っている。

そこで思い出されるのが同じアルゼンチン出身の新鋭マティアス・ピニェイロだ。特に彼の作品「みんな嘘つき」とは似たような雰囲気を共有している。内容は1つの家で共同生活をしている8人の男女が口笛の響きさながらの軽妙さで以て愛と裏切りの駆け引きを繰り広げる作品なのだが、基本的な内容はほぼ共通している。更に長回しを主体にフレームイン/アウトを繰り返し観客を驚きの渦に巻き込んでいく様は"Leones"のプロトタイプが此処にあるとすら言えるかもしれない。

だが「みんな嘘つき」"Leones"の大きな違いはその空間性にある。前者は物語のほぼ全てを室内に限定し、閉じられた人工的な空間でいかに豊かに映画的な快楽や豊かさを提示するかを指向していた。だが後者は何度も書き記している通り、舞台は大いなる森である。鬱蒼として緑の葉が空を覆い尽くすまでに並び立つ木々、波によって奇妙な紋様の浮かぶ湖、アプリコットが実る瑞々しい場所があるかと思えば今まで見たことのない紫の花々が揺れる不気味な場所、この全てを内部に取り込みながら何処まで続くともしれない迷宮のような空間。"Leones"の要はこの森の存在にある。

森とは映画において様々な機能を果たしてきたがここで参照されるべきは生と死の混ざりあう聖域としての森だろう。このブログで取り上げた映画の中で最も今作に近いのはエストニア映画作家ヴェイコ・オウンプーによる終末映画「ルクリ」だ。全てを破壊する戦争の予感に人々は苛まれ疲弊していく。しかしその中で主人公たちは謎の存在に導かれて森=聖域を彷徨い歩き、恐怖の超克と救済の到来を目撃する。人間の知覚を越えた大いなる物の存在が森には息づいているのだ。他にもブンミおじさんの森などのアピチャッポン作品にもそういった思想が濃厚に反映されていると言える。

そんな作品の系譜の先端に"Leones"もまた位置している。この森の存在と5人の旅の意味を読み解く鍵は物語の随所に存在しているが、印象的なのソニック・ユースの楽曲"Do You Believe in Rapture"だろう。予告で効果的に使用され、且つ旅路の途中でイサがその歌詞を口ずさむのだが、この"Do You Believe in Rapture"の意味とは何か。"Rapture"には"骨折"や"絶頂感"など様々な意味があるのだが、その中に"携挙"という日本人には耳慣れないだろう言葉がある。これは"終末にキリストがこの世に再臨する時、キリスト者は天へと召され不死の体を手に入れるという待望の時"を意味しており、その観点から否応なしに本作は宗教的な側面を持つと言える。

だがこれは一側面に過ぎないのだ。少女たちはキリスト教ひいては神への不信感を語り、即物的な振る舞いを行う。そして銃やアプリコットのイメージが現れては消え、時には日本のアニメすらも今作の遡上には挙げられる。意味も明かさない宙吊りのイメージが連なる作劇は、ともすれば自慰行為にも見なされる諸刃の刃でありながら、監督は2つの世界が絶えず対立し融和しあう天衣無縫な手捌きにより固着した解釈からの逃走を遂げる。獅子を意味する言葉を冠された"Leones"は類い稀なる崇高さを身に纏いながら、全てを遥へと追いやりまだ見ぬ地平へと駆け抜けていく。

"Leones"ヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門で上映され特別賞を獲得、更にブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭では審査員特別賞を勝ち取り、更には毎年MOMAで開催される"New Directors/New Films"の1本に選出されるなど世界で話題となる。翌年にはヴェネチアの70周年を記念したオムニバス作品"Venice 70: Future Reloaded"に参加し、短編"La gravedad y la gracia"を監督するが、現在は絵画製作を中心に活動しているようである。映画に戻ってくることを願うと共に、Lopez監督の今後に超超超期待。

参考文献
http://www.jazminlopez.com/(監督公式サイト)
https://www.festivalscope.com/all/film/collection/torinofilmlab/2-torinofilmlabs/film/lions(監督プロフィール)
https://sarahlawrencefilmjournal.wordpress.com/2013/04/28/jazmin-lopez-interviewed-by-gabriel-chazan/(監督インタビュー)

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