鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

彼女の息子によるCristiana Nicolae~Written by Radu Nicolae

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いつものようにルーマニア映画について調べていた時、Cristiana Nicolae クリスティアナ・ニコラエを見つけた。彼女は共産主義時代のルーマニアで活躍した数少ない女性監督でありながら、例えばルーマニア映画界のアントニオーニと呼ばれたMalvina Urșianu マルヴィナ・ウルシアヌや長編1本のみを残して忽然と消え去りカルト的な人気を博すAda Pistiner アダ・ピスティネルらに比べると話題に上がることは殆どないし、故に映画作家として語られることも少ない。しかしそういった隠れた映画作家にこそ私は興味を持つのである。分からないことに関してはそれを知ってそうな人物に聞くのが早いと、Facebookルーマニアの人々に彼女について尋ね、ともすれば鉄腸マガジン用の記事を書いてもらおうと思ったのだが、まさかの人物が私に接触してきた。Radu Nicolae ラドゥ・ニコラエCristiana Nicolaeの息子である。という訳で彼にCristiana Nicolaeを日本に紹介する記事を書いてもらうことを依頼し、彼の執筆してくれたルーマニア語の記事をここに訳出する。日本の映画好きにもぜひCrisitana Nicolaeという作家を知っていただければ幸いである。

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春のある晴れた朝、1人の若いスチュワーデスCristiana Nicolaeが旅から帰ってきて、食事をするために帰宅した。その巨大な邸宅はブカレストの中心に位置していた。彼女の姉妹であるLuli ルリに迎えられ、彼女たちはテーブルを囲んで議論を始めようとしていた。そして議論を戦わせた後、Luliが言った。「知ってるでしょ、私の友達のMircea Veroiu ミルチャ・ヴェロイユが映画を監督してるって自慢してきて、その傲慢さに頭おかしくなりそう。だからあなたも映画監督になってみてよ、だってそしたら彼が自慢してきても『私の妹も監督やってるし』って言えるし、そしたら自慢も終わるだろうしね」と。

「映画監督って何?」と聞いたのはCristianaだ。「知らない」と静かにLuliが言う。「でも必要なのは一般的な文化の知識だけ、それならあなたも十分に持ってるでしょ」

Cristianaは姉をおちょくるため試験を受けた。しかし最後のテストの前、彼女は仕事に出かけてしまった。別にその大学に受かりたい気はなかったからだ。だけども旅から帰ってくると空港には映画監督のIulian Mihu ユリアン・ミフがいた。試験をちゃんと受けるよう説得するため大学からやってきたのだ。Cristianaはそれを拒んでしまう。こうしてあのMircea Veroiuがその年に監督科の生徒になった訳である。

1年後、パリへの飛行の最中、彼女はIulian Mihuの付き添いでやってきた映画監督Liviu Ciulei リヴィユ・チュレイと俳優のGina Patrichi ジーナ・パトリキと出会うことになる。Ginaと知り合った後、Cristianaは再びMihuと言葉を交わす。彼はこう尋ねてくる。「大学に戻る気はないか?」と。Cristianaはやはり断ってしまう。「まあいい、全てをいったん戻してみようじゃないか」

そんな会話の後、初めて大学に挑戦した時と同じ衝動を彼女は感じ、2度目の試験に挑戦してみる。今回は最終試練もキチンと行い、そこで彼女は映画監督という仕事に恋した訳である。

彼女にとって初めての長編映画"Întoarcerea lui Magellan"("マジェランの帰還")だった。第2次世界大戦下における愛を描きだす作品だ。自分をマジェランと呼ぶ若い女性が1人の若者に救いようもないほど深く恋に落ちてしまう。この最愛の人と近くにいるために、マジェランは男と行動を共にし、最後には殺されてしまう。続編として"Zidul"("壁")という作品があるが、Crisitina Nicolaeは監督でもなければ脚本を執筆してもいない。当時こういったことが良くあった訳である。

人間性を揺るがすような歴史的出来事に左右される恋人たちというテーマは、ギリシャ神話において英雄たちが自身の運命と対峙する様に共鳴し、例えば「ドクトル・ジバゴといった作品にも同じような趣向が見られる。そしてこのテーマは次回作で更に深まっていくのだ。

"Rîul care urcă muntele"("山を登る川")はやはり第2次世界大戦時を舞台とした、エモーションに満ちた作品であり、タトラ山脈を進撃するルーマニア軍が起こす波紋に揺れ動く2人の若者を描いている。この歴史的出来事が2人の心を近づけながら、最後には暴力的な形でその関係性を引き裂くのである。人間的な行動への柔らかな眼差しによって、今作は国のために戦おうとする青年の熱意、ある種の頑なさで恋人を探し求める女性の姿――これはルーマニア文化における女性のパーソナリティなのだ――を綴っていく。加えて今作は第2次世界大戦が市井の人々にとってどういう意味を持っていたのかに関する人間心理のフレスコをも作りだしているのである。そしてこの"Rîul care urcă muntele"は俳優Cartrinel Dumitrescu カトリネル・ドゥミトレスクのデビュー映画でもあった。

そして"Cumpăna"(分水嶺)である。今作はいわゆる刑事もので激しい吹雪で孤絶したコテージを舞台としている。共産時代のルーマニアでは頗る珍しい設定だが、実際に在り得る、現実味があるという意味では完璧なものだ。描かれるのは労働者の所有する金が強奪される様だ(当時労働者のための銀行振替など存在しない、あるのは現金だけだったのだ)

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次回作"Stele de iarna"("冬の星々")には多くの感情的な変化がある。というのも今作はルーマニアに実在したレーサー、エンジニアでありながら速さに情熱を持ち、ルーマニアのレースカーでは西欧に太刀打ちできないと悟った人物Horst Graef ホルスト・グラエフの人生を基にした作品なのである。こういった訳で彼は新たな車を見つけ出す、それがボブスレーだった。彼はレースカーの部品を大量に使って、自分で空気力学的に優れたボブスレーの雛形を発明してしまう訳だ。そして現代においてはこれが世界中に広まることとなる。しかし彼の両親はそれを知らない。設計図は全てビデオ映像を通じて、ルーマニアボブスレー連合に売り飛ばされてしまった、そんな都市伝説も存在する。

この映画の後、Cristiana Nicolaeは劇的な転回を果たして、子供たちのための映画を作り始める。"Racheta albă"("白いラケット")は1話55分で全9話のドラマシリーズであり、並行して"De dragul tău, Anca"("君のために、アンカ")という映画も制作した。今作は子供映画として見做されているが、実際には彼女が若い頃に深く慕っていた友人Anca Bursan アンカ・ブルサンに捧げられるオマージュでもあった。主人公は体制に反旗を翻すようなヒーローであるボーイッシュな少女アンカであり、ドレスよりもサッカーに惹かれ、喧嘩の際に少年たちに守られるということもない。今作は比喩としての、社会に押しつけられた規範に反した考え方を厭わない人間の孤高さなのである。

"De dragul tău, Anca"は世界の数々の映画祭で上映されることになった(シカゴやジッフォーニ・ヴァッレ・ピアーナなど)そして今作に続いて"Al patrulea gard lângă debarcader"("埠頭近くの4つ目の柵")を製作、高校を卒業しようとする4人の若者が砂浜で過ごす1日を描きだした美しい物語だ。映画は現代的な映画言語を持っており、今日的なものだ。2人の若者は話すことすらないまま、遠くから見つめあうだけで恋に落ちる瞬間というものを体感する。そして高校最後の日、彼らは砂浜でデートをするのだ。今作は2人の少年少女や彼の親友、そして彼女の甥といった登場人物たちへ優しさの溢れた視線を注いでおり、ルーマニアで興行的成功を収めた。

そしてすぐさま次回作である"Recital în gradina cu pitici"("小人たちの庭でリサイタル")を製作、再び子供たちを描きだす1作であり、しかし今回物語の中心となるのは若いバイオリニストの少女であり、彼女は芸術の名の許に様々な犠牲を強いられることになるのだ。

これらの映画を製作した後、Cristiana Nicolaeは膨大な予算と政治的な後ろ盾を獲得し"Hanul dintre dealuri"("丘の間の宿")を監督する。今作は歴史映画という体を持ちながらも、反共産主義的な力強いメッセージを持っていた。劇作家であるI.L. Caragiale ヨン・ルカ・カラジャーレの、しかしあまり知名度のなかった中編小説を原作とした本作はある若い貴族の従属的なスピーチから始まる。彼は1848年にルーマニアで起こった革命後すぐ、金のために結婚をしたという訳だ。脚本は学校卒業後から執筆していたもので、映画自体もCristiana Nicolaeという人物の魂を表現している。物語としては、この若い貴族が結婚のために義父の邸宅へと赴く姿がまず描かれる。道の途中、夜に休息を取るため彼は宿に泊まることにする。しかし彼は宿の主人に恋に落ちてしまい、もうどこへも行かないと決意してしまう。しかし将軍でもあった未来の義父は処刑された革命分子から奪った富で財を成した人物であり、彼の反抗を、そして彼の結婚が潰え貴族の地位を獲得できるチャンスが無くなろうとしていることを受け入れようとはしなかった。この光景は秘密警察セクリターテの行った行為にも共鳴するし、以前共産主義者たちが貴族たちを追放し土地を奪った行為とも重なる。若い貴族は魔術に操られるかのように行動していく。これはルーマニアに実際存在したプロパガンダにも通ずるもので、政治犯はその存在自体を隠匿されていた。

そしてこの宿主は革命分子の妻であったが、彼は主人公の義父に殺害されていたという事実が明かされる。故に義父はこの騒動を宿の主人を殺すことで終らせてたかったのだ。

こうして今作にもCristiana Nicolae作品の主要テーマが浮かびあがってくる。例えば"De dragul tău, Anca"にも表れるような抑圧的なシステムとの闘い、そして"Întoarcerea lui Magellan""Rîul care urcă muntele"にも表れた、大きな歴史的出来事に引き裂かれる愛、そして踏みにじられる市井の人々の人生。

今作のエンディングはハッピーエンドと言えるようなものではない。宿は収奪された後に将軍の兵士によって燃やされ、最後には消えてなくなってしまう。若い貴族だけが反抗し兵士たちのリーダーと戦うが、行動が遅すぎたし力も及ばなかった。それでも"Întoarcerea lui Magellan""Rîul care urcă muntele"がそうだったように、最後の場面は若い貴族と宿の主人が何とか再会し一緒に逃げていく風景が想像されるようなものとなっている(彼らが抱きあう姿が燃える宿に置かれた鏡に映るのだ。しかし最後にはその鏡も焼き尽くされ、あれが幻影だったのかそうではないのか定かでなくなる)これが観客に想像の余地を与え、2人の間の愛は救われたと信じさせるのである。

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