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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

HuyungとNawi Ismailの間に:モンタージュ~Written by Umi Lestari

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想像してみてほしい。あなたは探偵で、最小限の情報を頼りにある依頼の証拠を探している。そして突然、素朴だが重要な証拠を見つける。まあ……これが探偵ごっこというものだ。研究の際、私はいつもこういうことをしている。私たちが触れられるものから周囲のゴシップまで、データを総体的な形で探し求める。見つけた物象を恣意的に繋げ、衝動的に行動する時もある。例えば私がNawi Ismail ナウィ・イスマイルの作品に降伏した時、Dr. Huyung ドクトル・フユンの作品「天と地の間に」("Frieda", 1950)と再会することとなった。この邂逅から、Nawi Ismailに関する美学的旅路の図式は瞬間にダイレクトなものになった。その作品を探求し、研究を深めていきたいという熱狂を探しあてたかのような気分になったのだ。

「天と地の間に」アーカイブとフィルムの数々はKultursinemaによって、2017年のArkipel映画祭で披露された。偶然のせいでそこに参加することは叶わなかった。しかし今、幸運は私の側にいる! Dr. Huyungの作品群がジョグジャカルタにやってきたのだ。Kultursinemaによる展覧会は2017年の4月3日から7日にKedai Kebun Forumで行われる。この展覧会は拡大していく映画の可能性を探求するためのものであり、ここではDr. Huyungの作品が上映されるだけではなく、植民地時代の映像から1963年にインドネシアで開催された新興国競技大会(GANEFO)のドキュメンタリーまで様々なアーカイヴが上映される。そしてポスターや雑誌のレビュー、制作現場の写真から作品に関する論文が動くイメージの数々と一緒に展示されるのだ。この展示会という炎によって、観客として私たちは映画を観にいくという文化がインドネシアでいかに培われたかの見取り図について知ることになるだろう。

「天と地の間に」とDr. Huyungについて

「天と地の間に」の物語はオランダ人の祖先を持つ女性のロマンスとそのスパイ行為を軸に展開していく。フリーダとインドネシア人のアビディンは長い間離れ離れだった。インドネシアが独立を果たした後、そんな新しい国家で彼らは再会を果たす。そのメッセージは明白なものだ。ナショナリズムというものはインドネシアを自身のアイデンティティにしようとする個人個人の自発的な性質によって形を得ていくということだ。これがフリーダというスパイによって表現される。オランダの植民地主義が栄光を誇っていた時、フリーダは過去に囚われないことを選択する。最後には天と地の間に留まることなく、インドネシアに生きることを決めるのだ。

「天と地の間に」の物語は現在のジャワにおける芸術の地図を鑑みると、頗る今日的なものだ。舞台はジャカルタとバンドン、そしてジョグジャカルタだ。私たちはFTV(テレビ放送用に制作された映画)に当然親しんでいる訳だが、そこではバンドンやジョグジャカルタといった都市は、首都ジャカルタの喧騒から逃れて束の間の静寂を求める人々のための心地よい場所として仮定されていた。しかし「天と地の間」においてそういったレクリエーション的な側面は描かれない。登場人物たちがジョグジャカルタやバンドンへ出発する姿は、自身の内面世界における危機への答えでもある。アビディンの妻は最初夫の活動家としての行動に疑問を抱くが、ジョグジャカルタにおいて彼女は戦争における食糧配給をサポートするために女性たちの軍隊へと加入することになる。そしてフリーダはバンドンに行くことで、自分のこの2本の足で立つことがどういったものかを経験するのだ。他方で彼女はアビディンとロビジンという人物がそれぞれの方法で独立を維持しようとする様と、彼らの自発的な姿勢に感銘を受けることになる。町から旅立つことで登場人物たちのナショナリズムへの意識はどんどん強靭なものとなっていくのである。

映画を製作する前、Dr. Huyungもしくは日夏英太郎は日本のプロパガンダ組織である日本映画社からの任務を携えてインドネシアへやってきた。HuyungはJavanese Eiga Koshaに加わり1942年から45年までの間、インドネシアの現状を映したフッテージ映像を編集していた。独立後、HuyungはBerita Film Indonesia(BFI)に参加し政治家スカルノヒジュラに従ってジョグジャカルタへ移住した。そして写真という芸術分野において、インドネシアにはIPPHOSという組織があった。BFIとIPPHOSは愛を目的として活動した一種の共同体であり、彼らこそが革命の間に独立の理念を支えたのだと想像することもできる。この2つのグループは実際にインドネシアの革命が世界的に知られるようになった時、解散することになる。

ジョグジャカルタにおいて、Huyungは"Stiching Hiburan Mataram"という作品を作った。HuyungとBFIはジョグジャカルタの難民キャンプに腰を据えることとなったのだが、BFIの代表として彼は現地を記録するだけでなく、映画製作を学ぶためのグループも設立した。そこで教えたのは、ドラマや映画の製作は例え戦争の最中においても真剣なものでなくてはならないという原理についてだった。教師はDr. HuyungAndjar Asmara アンジャル・アスマラGayus Siagian ガユス・シアジヤンといった人物、そして生徒にはDjadoeg Djajakusuma ジャドゥク・ジャヤクスマSuryo Sumanto スリョ・スマントSoemardjono スマルジョノUsmar Ismail ウスマル・イスマイルといった人物がいました。もしインドネシア映画の歴史が人種的アイデンティティを抜きにして綴られるなら、Huyungはインドネシア映画界において間違いなく重要な人物だ。

HuyungとNawiの間に

HuyungとNawiを繋げるものは一体何か? モンタージュ! 1973年にNawi Ismailが記した短いプロフィールによると、彼は編集補や脚本補として日本映画社で働いていたという。そこで彼はHuyungと仕事をしていたのだ! もっと詳細なアーカイヴを探すとNawiがHuyungの相棒であったことも分かる。Usmal Ismailがインドネシア映画の父として"Stiching Hiburan Mataram"の制作に関する短期授業を行うずっと前に、Nwiはモンタージュの技術を彼から学んでいたのだ。

ではモンタージュとは一体何か? これは画の数々を1つのシークエンスへと仕立て上げる技術のことだ。これらのイメージが最後には観客へ何かを表現するのである。その最も初期の例がこれだ。最初の画はあなた自身、2つ目の画はあなたの友人、そして3つ目の画はまぜご飯だ。この3つの画が1つのシークエンスになった時、観客はあなたとその友人がまぜご飯を食べていると知覚するだろう。この"モンタージュ"という言葉はロシアの映画作家・理論家であるセルゲイ・エイゼンシュタインによって紹介された。今私たちはデジタル映画など人気のメディアにおいても様々なモンタージュを見つけることができるだろう。

私は常にNawiがインディペンデントな学び手だと主張してきた。独学で映画製作を学んだと。オランダの植民地支配下において、Java Industrial Film(The Teng Chun テ・テン・クヌが設立した映画製作会社)やStandard Filmといった場所でアシスタントやエキストラとして働きながら映画製作について学んだ訳である。そしてこの時代に彼は映画のエコシステムに関する知識を得たり、パフォーミング・アート出身の芸術家たちと出会ったのだ。しかしHuyungと仕事を共にするうち、彼はイメージを重ねていく自身の能力を開花させたのである。Nawiは極めて独特な映画監督だ。Usmar IsmailAsrul Sani アスルル・サニなど文学やパフォーミング・アートの分野から現れた映画監督とは違う。Nawiは映画学校の同窓生であるDr. Huyungから直接英が製作を学んだ、正に映画という分野から現れた映画監督なのである。

さよなら、アビディン……
さよなら、フリーダ……
なぜさよならと言うの、こんにちわと私は言うよ……

実際私は諦めてしまっていた。Nawi Ismailの作品への好奇心を抑えてしまったのだ。ここから前に進んで、研究の主題を他の何かに変えたかったのだ! しかし「天と地の間に」のクレジットにNawi Ismailの名前が載っているのを発見した時、思わず興奮していた。私とNawiはまるでフリーダとアビディンのようだった!

とにかく……前の記事で仄めかしたようにNawi Ismailの重要なものだ。彼はただの画だけでも私たちを笑わすことができる。NawiのコメディはNya Abbas Akup ニャ・アッバス・アクプといった、知的なユーモアを殊更強調する人物の作品とは違う。NawiのコメディはErnest Prakasa エルネスト・プラカサといった低い階級の人々を嘲笑うしかできない人物の作品とは違う。Nawiがシステムを描きだす重要なコメディを作れるのはDr. Huyungに学んだからだ。「天と地の間に」について、私たちは今作と当時の映画の数々が異なることが分かるだろう。だから……そう……モンタージュ理論を学び終えた人々を馬鹿にするのは止めよう。いつかモンタージュはコメディ文化と融合し、伝統的なパフォーミング・アートから離れるだろう。笑いがあなたの息の根を止める!

私が感じるのはNawiとHuyungはイメージの速度を編みこむ上での近似性だ。ジャンルは異なりながら、イメージの移ろいは等しく滑らかなものであり、カウントも正しい。今から説明する場面を通じて、NawiとDr. Huyungのモンタージュを比較することもできるだろう。1つ目は"Benyamin Biang Kerok"において登場人物のペンギがドアを開けるとバケツが落ちてくる場面、2つ目は"Benyamin Tukang Ngibul"において登場人物ベニが靴を投げた後に不幸に見舞われる場面だ。そして「天と地の間に」において、ある人物がロビジンを訪ねてドアを叩いたのを、自分を呼ぶものと勘違いするのである。

原文:Between Huyung and Nawi Ismail: Montage | Umi Lestari

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