鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20201118144039p:plain

ルーマニアはLGBTQの権利という意味ではかなり保守的な部類に入る。それを象徴する事件が近年頻発している。例えばロマ文化研究者とロマ文化の担い手が恋に落ちる、ゲイ版"ロミオとジュリエット"と呼ばれるルーマニア映画"Soldații: Poveste din Fereastra"や日本でも話題になった、エイズ活動家団体ACT UPのメンバーを描くフランス映画BPM ビート・パー・ミニットが映画館で上映される際、その映画館で抗議活動が行われたのだ。彼らはホモフォビア宗教右派であり、ルーマニアの"伝統的な家族"が失われると抗議を止めることはない。これによってセクシャル・マイノリティを描く映画の上映、そして制作すらも危ぶまれる状況が続くが、正にこの現状を背景として作られた1作がEugen Jebeleanu監督によるデビュー長編"Câmp de maci"だ。

今作の主人公はクリスティ(Conrad Mericoffer)という若い男性だ。彼は警察官として職務を全うする日々を送っているが、ある秘密をひた隠しにしていた。それはゲイであるということだ。その日はドイツに住む、遠距離恋愛中の恋人ハディ(Radouan Leflahi)が家に尋ねてくる予定だったが、彼の運命は静かにうねり始める。

まず本作はゲイとして日常を生きるクリスティの姿を描きだす。隣人の前では友人関係を装いながら、二人はエレベーターの中で再会を祝福するように濃厚なキスを遂げる。そして薄暗い部屋で愛しあい、肌を重ね、他愛ない会話に花を咲かせる。その光景には細やかな幸福が宿っており、私たちはクリスティたちの温かな息遣いを感じることになるだろう。

だが確かに幸せが滲みながらも、この親密さには何か閉じられた感覚がつきまとう。それはクリスティの妹であるカタリナ(Cendana Trifan)が部屋に現れた時、徐々に露になる。クリスティは彼女にはカムアウト済みだが、今日部屋に来たことには苛立ちを隠せない。カタリナは明るさを以て彼らに接しながら、場には険悪な、生温い空気感が淀みはじめる。クリスティは自身の関係に第三者の介入を許さない。それはルーマニアの現状を鑑みた上での防衛本能のように思われる。彼の心はハディ以外に開かれていないが、ふとした瞬間彼に対しても閉じられるのではないかという不穏さが画面に兆すのだ。

夜、クリスティは警察官としての職務を行うために同僚たちと映画館へと赴く。ここではレズビアンを主人公とする作品が上映されようとしており、それに抗議するため人々が集まっているのだ。彼らは映画やその観客を激しく罵り、ルーマニアの国旗を高らかと挙げて国家を斉唱する。それに対して観客たちも彼らの主張に異議を唱えるのだ。一触即発の状態が続くなかで、クリスティは警備を行うのだったが……

ルーマニア映画界の豊穣を象徴する撮影監督Marius Pandru("Polițist, adjectiv","Inimi cicatrizate")の撮影は手振れを伴ったリアリズム(そして16mmフィルムで撮影されてもいる)が核となっている。圧巻なのはクリスティが映画館へ入っていく姿を何分にも渡る長回しで描きだす場面だ。憎悪に満ちた罵詈雑言が飛び交い、今にも暴力が激発しそうな空間を彼は息詰まる臨場感を以て描きだす。そしてクリスティや彼の同僚、上司であるミルチャ(Alexandru Potocean)、そして空間に犇めく人々の顔という顔を捉えていき、画面からは異様な熱、そして混沌が浮かびあがるのだ。

この濃密な混沌が反映するのはルーマニアでゲイとして生きることの果てしない苦痛だ。クリスティの前に突然現れるのは彼の元恋人だった。彼はクリスティに対して不気味な怒りを露にしながら、警察の同僚たちにクリスティがゲイであることをバラすと脅迫してくる。執拗な怒りに追いつめられたクリスティは彼を殴り、この騒擾は更に激化することとなってしまう。

そして彼にとって敵とはホモフォビアや怒りに狂う恋人だけではないことも知り始める。同僚たちは観客を保護するフリをしながら、自身に無意識的に根づいた同性愛者への憎悪を他愛ない会話という形で露にする。その時にクリスティが浮かべる表情はあまりにも冷たい。さらに同僚の一人は自分を襲ってきたという"ホモ"を殴り倒した話をし、男(元恋人だと彼は知らないが)を殴ったクリスティに深い、親愛なる共感を見せる。それこそが彼の息の根を止めようとする。ここにおいてJebeleanu監督は警察が緻密なホモソーシャル的集団であると描きだし、これこそがまたクリスティにとっての敵であることを指し示す。警察という絆の裏側にあるのは"ホモは死ね"という悍ましい価値観なのだ。

今作はある種の一夜ものと言えるだろう。主人公が一夜を彷徨うなかでその人生が運命的に変貌を遂げてしまう。だが一夜ものは街全体を舞台にする一方で、今作の舞台はほぼ映画館に限られる。だがPandruの長回しを主体とした撮影によって、比較的シンプルな構造をしている映画館が何か悪夢のような迷宮へと変わっていき、そこをクリスティの引き裂かれた心が彷徨う様が緊張を以て描きだされるのだ。

そして際立つのは激烈な言葉の数々だ。先述した通り今作では露骨なまでに差別的な言葉が頻出し、本流のように観客の耳を震わせることになる。その苛烈さに、ある程度ルーマニア語を解する私は耳を塞ぎたくなるほどだった。だが今作が驚くほど静かな映画だと感じられる由縁は主人公クリスティを演じるConrad Mericofferの存在感だろう。彼はほとんど感情を表に出すことはないが、痛烈なホモフォビアに直面した時、その顔からは微かな感情すらも消え去る。この時彼の顔に宿る静謐とはつまり諦念だ。現状への深淵のような諦念。これが映画に絶望の静けさを宿らせる。

"Câmp de maci"は同性愛者たちをめぐるルーマニアの過酷なる現実を静かに、しかし凄まじい勢いで以て叩きつけられる映画だ。私はルーマニアという国をどこよりも深く愛している。愛しているからこそ、その闇の部分を知らねばならないという思いがある。今作はそれについて知り、深く考えるまたとない機会をくれた。感謝したい。

f:id:razzmatazzrazzledazzle:20201118145028p:plain

ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
その42 Bogdan Mirică&"Câini"/荒野に希望は潰え、悪が栄える
その43 Szőcs Petra&"Deva"/ルーマニアとハンガリーが交わる場所で
その44 Bogdan Theodor Olteanu&"Câteva conversaţii despre o fată foarte înaltă"/ルーマニア、私たちの愛について
その45 Adina Pintilie&"Touch Me Not"/親密さに触れるその時に
その46 Radu Jude&"Țara moartă"/ルーマニア、反ユダヤ主義の悍ましき系譜
その47 Gabi Virginia Șarga&"Să nu ucizi"/ルーマニア、医療腐敗のその奥へ
その48 Marius Olteanu&"Monștri"/ルーマニア、この国で生きるということ
その49 Ivana Mladenović&"Ivana cea groaznică"/サイテー女イヴァナがゆく!
その50 Radu Dragomir&"Mo"/父の幻想を追い求めて
その51 Mona Nicoară&"Distanța dintre mine și mine"/ルーマニア、孤高として生きる
その52 Radu Jude&"Îmi este indiferent dacă în istorie vom intra ca barbari"/私は歴史の上で野蛮人と見做されようが構わない!
その53 Radu Jude&"Tipografic majuscul"/ルーマニアに正義を、自由を!
その54 Radu Jude&"Iesirea trenurilor din gară"/ルーマニアより行く死の列車
その55 Șerban Creagă&"Căldura"/あの頃、ぼくたちは自由だったのか?
その56 Ada Pistiner&"Stop cadru la masă"/食卓まわりの愛の風景
その57 Andrei Cătălin Băleanu&"Muntele ascuns"/田舎の安らぎ、都市の愛
その58 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その59 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望
その60 Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望
その61 彼女の息子によるCristiana Nicolae~Written by Radu Nicolae

私の好きな監督・俳優シリーズ
その401 Jodie Mack&"The Grand Bizarre"/極彩色とともに旅をする
その402 Asli Özge&"Auf einmal"/悍ましき男性性の行く末
その403 Luciana Mazeto&"Irmã"/姉と妹、世界の果てで
その404 Savaş Cevi&"Kopfplatzen"/私の生が誰かを傷つける時
その405 Ismet Sijarina&"Nëntor i ftohtë"/コソボに生きる、この苦難
その406 Lachezar Avramov&"A Picture with Yuki"/交わる日本とブルガリア
その407 Martin Turk&"Ne pozabi dihati"/この切なさに、息をするのを忘れないように
その408 Isabel Sandoval&"Lingua Franca"/アメリカ、希望とも絶望ともつかぬ場所
その409 Nicolás Pereda&"Fauna"/2つの物語が重なりあって
その410 Oliver Hermanus&"Moffie"/南アフリカ、その寂しげな視線
その411 ロカルノ2020、Neo Soraと平井敦士
その412 Octav Chelaru&"Statul paralel"/ルーマニア、何者かになるために
その413 Shahram Mokri&"Careless Crime"/イラン、炎上するスクリーンに
その414 Ahmad Bahrami&"The Wasteland"/イラン、変わらぬものなど何もない
その415 Azra Deniz Okyay&"Hayaletler"/イスタンブール、不安と戦う者たち
その416 Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛
その417 Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける
その418 Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い
その419 More Raça&"Galaktika E Andromedës"/コソボに生きることの深き苦難
その420 Visar Morina&"Exil"/コソボ移民たちの、この受難を
その421 「半沢直樹」 とマスード・キミアイ、そして白色革命の時代
その422 Desiree Akhavan&"The Bisexual"/バイセクシャルととして生きるということ
その423 Nora Martirosyan&"Si le vent tombe"/ナゴルノ・カラバフ、私たちの生きる場所
その424 Horvát Lili&"Felkészülés meghatározatlan ideig tartó együttlétre"/一目見たことの激情と残酷
その425 Ameen Nayfeh&"200 Meters"/パレスチナ、200mという大いなる隔たり
その426 Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解
その427 Pavol Pekarčík&"Hluché dni"/スロヴァキア、ロマたちの日々
その428 Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る
その429 David Perez Sañudo&"Ane"/バスク、激動の歴史と母娘の運命
その430 Paúl Venegas&"Vacio"/エクアドル、中国系移民たちの孤独
その431 Ismail Safarali&"Sessizlik Denizi"/アゼルバイジャン、4つの風景
その432 Ruxandra Ghitescu&"Otto barbarul"/ルーマニア、青春のこの悲壮と絶望