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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Eugen Jebeleanu&"Câmp de maci"/ルーマニア、ゲイとして生きることの絶望

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ルーマニアはLGBTQの権利という意味ではかなり保守的な部類に入る。それを象徴する事件が近年頻発している。例えばロマ文化研究者とロマ文化の担い手が恋に落ちる、ゲイ版"ロミオとジュリエット"と呼ばれるルーマニア映画"Soldații: Poveste din Fereastra"や日本でも話題になった、エイズ活動家団体ACT UPのメンバーを描くフランス映画BPM ビート・パー・ミニットが映画館で上映される際、その映画館で抗議活動が行われたのだ。彼らはホモフォビア宗教右派であり、ルーマニアの"伝統的な家族"が失われると抗議を止めることはない。これによってセクシャル・マイノリティを描く映画の上映、そして制作すらも危ぶまれる状況が続くが、正にこの現状を背景として作られた1作がEugen Jebeleanu監督によるデビュー長編"Câmp de maci"だ。

今作の主人公はクリスティ(Conrad Mericoffer)という若い男性だ。彼は警察官として職務を全うする日々を送っているが、ある秘密をひた隠しにしていた。それはゲイであるということだ。その日はドイツに住む、遠距離恋愛中の恋人ハディ(Radouan Leflahi)が家に尋ねてくる予定だったが、彼の運命は静かにうねり始める。

まず本作はゲイとして日常を生きるクリスティの姿を描きだす。隣人の前では友人関係を装いながら、二人はエレベーターの中で再会を祝福するように濃厚なキスを遂げる。そして薄暗い部屋で愛しあい、肌を重ね、他愛ない会話に花を咲かせる。その光景には細やかな幸福が宿っており、私たちはクリスティたちの温かな息遣いを感じることになるだろう。

だが確かに幸せが滲みながらも、この親密さには何か閉じられた感覚がつきまとう。それはクリスティの妹であるカタリナ(Cendana Trifan)が部屋に現れた時、徐々に露になる。クリスティは彼女にはカムアウト済みだが、今日部屋に来たことには苛立ちを隠せない。カタリナは明るさを以て彼らに接しながら、場には険悪な、生温い空気感が淀みはじめる。クリスティは自身の関係に第三者の介入を許さない。それはルーマニアの現状を鑑みた上での防衛本能のように思われる。彼の心はハディ以外に開かれていないが、ふとした瞬間彼に対しても閉じられるのではないかという不穏さが画面に兆すのだ。

夜、クリスティは警察官としての職務を行うために同僚たちと映画館へと赴く。ここではレズビアンを主人公とする作品が上映されようとしており、それに抗議するため人々が集まっているのだ。彼らは映画やその観客を激しく罵り、ルーマニアの国旗を高らかと挙げて国家を斉唱する。それに対して観客たちも彼らの主張に異議を唱えるのだ。一触即発の状態が続くなかで、クリスティは警備を行うのだったが……

ルーマニア映画界の豊穣を象徴する撮影監督Marius Pandru("Polițist, adjectiv","Inimi cicatrizate")の撮影は手振れを伴ったリアリズム(そして16mmフィルムで撮影されてもいる)が核となっている。圧巻なのはクリスティが映画館へ入っていく姿を何分にも渡る長回しで描きだす場面だ。憎悪に満ちた罵詈雑言が飛び交い、今にも暴力が激発しそうな空間を彼は息詰まる臨場感を以て描きだす。そしてクリスティや彼の同僚、上司であるミルチャ(Alexandru Potocean)、そして空間に犇めく人々の顔という顔を捉えていき、画面からは異様な熱、そして混沌が浮かびあがるのだ。

この濃密な混沌が反映するのはルーマニアでゲイとして生きることの果てしない苦痛だ。クリスティの前に突然現れるのは彼の元恋人だった。彼はクリスティに対して不気味な怒りを露にしながら、警察の同僚たちにクリスティがゲイであることをバラすと脅迫してくる。執拗な怒りに追いつめられたクリスティは彼を殴り、この騒擾は更に激化することとなってしまう。

そして彼にとって敵とはホモフォビアや怒りに狂う恋人だけではないことも知り始める。同僚たちは観客を保護するフリをしながら、自身に無意識的に根づいた同性愛者への憎悪を他愛ない会話という形で露にする。その時にクリスティが浮かべる表情はあまりにも冷たい。さらに同僚の一人は自分を襲ってきたという"ホモ"を殴り倒した話をし、男(元恋人だと彼は知らないが)を殴ったクリスティに深い、親愛なる共感を見せる。それこそが彼の息の根を止めようとする。ここにおいてJebeleanu監督は警察が緻密なホモソーシャル的集団であると描きだし、これこそがまたクリスティにとっての敵であることを指し示す。警察という絆の裏側にあるのは"ホモは死ね"という悍ましい価値観なのだ。

今作はある種の一夜ものと言えるだろう。主人公が一夜を彷徨うなかでその人生が運命的に変貌を遂げてしまう。だが一夜ものは街全体を舞台にする一方で、今作の舞台はほぼ映画館に限られる。だがPandruの長回しを主体とした撮影によって、比較的シンプルな構造をしている映画館が何か悪夢のような迷宮へと変わっていき、そこをクリスティの引き裂かれた心が彷徨う様が緊張を以て描きだされるのだ。

そして際立つのは激烈な言葉の数々だ。先述した通り今作では露骨なまでに差別的な言葉が頻出し、本流のように観客の耳を震わせることになる。その苛烈さに、ある程度ルーマニア語を解する私は耳を塞ぎたくなるほどだった。だが今作が驚くほど静かな映画だと感じられる由縁は主人公クリスティを演じるConrad Mericofferの存在感だろう。彼はほとんど感情を表に出すことはないが、痛烈なホモフォビアに直面した時、その顔からは微かな感情すらも消え去る。この時彼の顔に宿る静謐とはつまり諦念だ。現状への深淵のような諦念。これが映画に絶望の静けさを宿らせる。

"Câmp de maci"は同性愛者たちをめぐるルーマニアの過酷なる現実を静かに、しかし凄まじい勢いで以て叩きつけられる映画だ。私はルーマニアという国をどこよりも深く愛している。愛しているからこそ、その闇の部分を知らねばならないという思いがある。今作はそれについて知り、深く考えるまたとない機会をくれた。感謝したい。

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