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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Ayarush Paudel&“Helena”/ネパールより、遠く離れて

アラブ首長国連邦という国は中東に位置する連邦国家であるが、この国の人口比において自国民が占める割合がたった1割ほどなのだそうだ。つまり人口の約9割が移民などの外国籍住民で構成されているのである。驚くべき割合であるが、今回はそんな移民国家の日常を、南アジアの一国ネパールからの出稼ぎ労働者の目を通して描きだす作品を紹介したい。それがネパール人監督Ayarush Paudelによる短編作品“Helena”である。

主人公は題名ともなっている人物ヘレナ(Ayshuma Shrestha)である。彼女は家族を故郷に残し、アラブ首長国連邦のレストランで出稼ぎ労働者として働いている。この日、彼女は貯めたお金で息子のブブにノートパソコンを買おうとしていた。だが店内でその金を一部紛失してしまったことに気づく。これではプレゼントを買うことができない。何とか残りのお金を調達しようとするヘレナだったが……

今作はそんなヘレナの姿を追っていくのだが、基調となるのは撮影監督であるPu Jiaによる手振れを伴ったリアリズム演出である。カメラはヘレナの一挙一動を静かに撮しとっていきながら、その場に満ちる息苦しい空気感をも観客に伝えんとしてくる。傷心のままレストランの勤めに出ながら、ブブからは何度も何度も電話がかかってくる。どの色を買ったの? 友達が来たら絶対自慢するよ! そんな言葉に押し潰されそうになるヘレナの表情を、カメラは静かに見据え続けるのだ。

同時に監督らはアラブ首長国連邦という国の日常をも同時に映しだしていく。中でも印象的なのは言語の混交状況である。この国の公用語アラビア語であり、例えばヘレナが勤めるレストランの看板にもアラビア文字が記されている。だが横には同じ大きさでアルファベットを使った看板もあり、これが示すように英語も日常として完全に根づいているのだ。ヘレナは接客時は基本英語を使用し、他の店でも店員は英語で喋っている。むしろ今作においてアラビア語の会話場面はほぼ出てこないのだ。この背景には先述した外国籍住民の多さが関係しているのだろう。

さらにレストランにはヘレナと同じくネパール出身らしき同僚がいるのだが、彼女とはネパール語で会話をする。さらに同国に住む叔父と話す際に、ヘレナはヒンディー語を使用するのである。これは、彼女の生活はこれら3つの言葉でこそ構成され、アラビア語の影は薄いということを暗に示しているのかもしれない。そしておそらく他の地域からの移民にとっても似た状況が広がっているのではないかと思わせる。

物語の核となっているのは出稼ぎ労働者としての苦悩である。同じ状況にあるネパール人の同僚はヘレナを支えようとしながら、自身も経済状況が芳しくないゆえ金銭的な援助をすることができないでいる。ただ寄り添うだけでは解決できない問題がここには存在しているのだ。以前この国におけるフィリピン人労働者に対する虐待が報道されていたが、今作自体には直接的な暴力は描かれないとしても、これに類するだろう経済的苦境がヘレナたちを苛んでいる。

ここにおいて際立つのが、同じく出稼ぎ労働者である叔父との対話場面である。彼はヘレナに次のようなことを語る。故郷に置いてきた家族はプレゼントを求めてくるが、私たち出稼ぎ労働者にとってそのプレゼントこそが彼らに対する唯一の存在証明なのだ。そして家族がそれを求めてこなくなった時には、全てが手遅れになっている……物理的な距離は精神的な距離を生み、この溝を埋めるためには“プレゼント”というものが必要にならざるを得ない。そして今のヘレナにとって、それがあの“ノートパソコン”なのだ。これを買えなければ……

今作を牽引する最も重要な存在は、ヘレナを演じるAyshuma Shresthaに他ならないだろう。こういった過酷な状況を彼女は言葉少なに堪え忍び、その中で感情が磨耗してしまったかのような無の表情を幾度となく浮かべることになる。だがその表情からは彼女の抱く深い苦悩が、言葉よりも勇弁な形で溢れ出している。こうして彼女はヘレナの苦境に体現しているのだ。そして彼女の存在を以て、“Helena”という作品はアラブ首長国連邦ひいては世界に散らばるネパール人労働者たちの苦境をもスクリーンに暴きだしている。