さて、ザンジバルである。これはタンザニアに属するザンジバル諸島の指す地域名であるが、名前を聞いてパッと何らかの連想が働く人は多くないだろう。とはいえここ出身の有名人が何人かいる。例えばクイーンのボーカルであるフレディ・マーキュリーはイギリスの保護国だった頃のザンジバル諸島で、ペルシア系インド人の両親の元に生まれた。幼少期はインドに住んでいたが、1963年に両親とザンジバルへと移住する。しかし翌年にザンジバル革命が勃発、アラブ系とインド系住民に多数の死傷者が出るなかで、今度はイギリスへ移住することになる。ということで彼はザンジバル現代史に翻弄される少年期を送った訳である。
もう1人の有名人物は2021年のノーベル文学賞を獲得したアブドゥルラザク・グルナだ。フレディ・マーキュリーが生まれた2年後の1948年に生まれた彼もまた、ザンジバル革命によって国を追われ(グルナはアラブ系)、1968年からはイギリスに住み、この地で文学研究や小説の執筆を行うなどしている。著作に関しても、自身と同じくザンジバル出身という主人公は多いらしい。らしいというのは、まあまだ読んでないのでネット情報頼りということだ。といった風に、ザンジバルは文化の面でかなり独特の存在感を誇っている。今回紹介するのは彼らの人生を大きく変えたザンジバル革命も関わってくる、タンザニア出身のAmil Shivji アミル・シヴィ監督作“Vuta N’Kuvute”(英題:Tug of War)を紹介していこう。
舞台となるのは独立の機運が高まっているザンジバル、そしてこの島に住むデンゲ(Gudrun Columbus Mwanyika)が今作の主人公である。彼は漁師として生活している一方で、この島を保護国として実質支配するイギリスの打倒を目指す闘士でもあった。彼はソ連でマルクス主義を学んだ後、革命のために故郷へと帰ってきたのだった。虎視眈々とその時を待ち続けるデンゲだったが、彼はヤスミン(Ikhlas Gafur Vora)という女性に出会い一目で恋に落ちてしまう。
今作はそんなデンゲとヤスミンの愛を描きだすロマンス映画である。2人は急速に接近していくのだが、大きな障壁が存在していた。ヤスミンは結婚を控えていたのだ。ゆえに彼らの愛は禁じられたものでありながら、互いに惹かれあうことを止められず、愛は加速していく。
しかし更なる障壁が2人の前に立ちはだかる。デンゲはアフリカ系であり、ヤスミンはインド系であるという人種の違いだ。ここでザンジバルの歴史を少しおさらいしよう。イギリスはザンジバルの住民を分割統治するにあたり、アラブ系を役人、インド系を商人として任じる一方、アフリカ系を下層の肉体労働者として扱っていた。この後にアラブ系が民族解放運動を主導し、ザンジバルはイギリスから独立を果たす訳だが、アラブ系スルターンの長年に渡る統治への不満を募らせた末、アフリカ系住民が政府の転覆を画策、こうしてザンジバル革命が勃発する。アラブ系は元よりインド系に対する不満も根強く、先述したマーキュリーの家族含め多くが亡命を余儀なくされた。こういった人種的緊張がアフリカ系、そしてアラブ系とインド系の両者には存在し、デンゲとヤスミンの愛に陰りを投げ掛けている。
こうして愛に心を引き裂かれていたデンゲだったが、遂に仲間たちとともに革命への計画を遂行することになる。その果てに彼は警察に捉えられて、刑務所で惨たらしい状況に追い込まれてしまう。デンゲを救いだすためにヤスミンは奔走するのだったが、刻一刻と時間は過ぎ去っていく。
今作の原作はザンジバル出身の作家Shafi Adam Shafiが生涯最後に執筆した、1999年完成の同名長編だ。Shafiはスワヒリ語文学を代表する小説家だそうだが、英語ですらほとんど情報がなく詳細はあまりハッキリしない。だがザンジバル革命を背景としたこの悲恋の物語は傑作と名高いのだという。残念ながら翻訳は英語すらない。グルナも母語のスワヒリ語でなく英語で執筆しているし、スワヒリ語は英語帝国主義に支配された世界文学の時代にはマイナーであらざるを得ないということなのだろう。
自身もザンジバルにルーツを持つShivji監督はこの長編小説を映画化するにあたって、興味深い趣向を凝らしている。撮影監督Zenn van Zylによるカメラがデンゲやヤスミンを撮す時、彼らの肌は艶やかな輝きを帯び、その美しさに息を呑んでしまうような瞬間がある。特に冒頭における、濃密な黄が彼らに降り注ぎ、その肌に馴染んでいく様はすこぶる印象的なものだ。
思い出すのはバリー・ジェンキンス監督による、オスカー作品賞も獲得したロマンス映画「ムーンライト」だ。今作はゲイのアフリカ系青年が貧困や暴力に翻弄されながら、愛を探し求める様を描く作品だ。そこにおいて官能性が重要な要素となるが、ジェンキンスは撮影監督のジェームズ・ラクストンやカラリストのアレックス・ビッケルとともに、アフリカ系の黒い肌がスクリーンに美しく映えることに細心の注意を払ったという。そうして「ムーンライト」の美しさや官能性が生まれたが、“Vuta N’Kuvute”は正にその手法に学んだ画面・色彩設計を行っているように思われる。
2つの物語には社会の片隅で抑圧される者たちの愛を描いたロマンスであること、そして愛が宿す力強い美しさについて謳いあげる作品であるというものが共通している。ゆえにShivjiは今作を映画化するにあたって「ムーンライト」という巨人の肩を借りて、官能の世界観を作りあげたと想像したくなる。
そしてここにおいてはアフリカ系であるデンゲの黒い肌、インド系であるヤスミンの茶色い肌は艶やかな輝きを宿し、2つは滑らかに溶け合うことになる。1つになった心はどんな状況にあっても離れることはない。抑圧の前でも、暴力の前でも壊れることなどなく、色褪せることもない。永遠のものとしてそこで輝き続ける。これこそが愛なのであると、“Vuta N’Kuvute”という映画はそう観客へと囁くのだ。