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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Stathis Apostolou&“The Farmer”/2つの国、1つの肉体

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まずある1人の俳優との出会いについて語らせてほしい。先日、私はロッテルダム映画祭でプレミア上映された“Broadway”というギリシャ映画を観た。詳しくはレビューを書いたのでそれを読んでもらいたいが、少し内容を書くと、今作は家父長制に挑む反逆者たちの物語だ。しかしこのシステムの恐ろしさは弱き者たちの間にすら抑圧的ヒエラルキーを生みだすことでもあると映画は見据えながら、それでも両方に中指突き立て、生きるクィアなやつらの生きざまを祝福していく。

そのなかで最も印象に残った登場人物は、実は主人公たちでなく、彼女たちに立ちはだかる悪役だった。そのマルコスという男は生臭い性欲と生々しい負の感情を持つ人物であるという意味で、家父長制の立ち向かうはずの集団のなかで再生産されてしまった抑圧そのものだ。同時に、どこか浮世離れした異様なる存在感を持っている。激しいファックによって男性性を誇示しながら、銀髪を揺らす彼の姿からはバイナリー的な性を逃れるような雰囲気もあり、全く正体が掴みにくい。そんな驚くほど複雑なキャラを体現するΣτάθης Αποστόλου スタシス・アポストルという俳優に私は深く魅入られたんだった。

そしていつもやっているように、彼にもまた“あなたの演技、素晴らしかったです!”とメッセージを送ったのだが、彼は速攻で感謝の返信をくれて、しかもここから色々と会話が始まったのでまた驚いた。ギリシャの詩人たち、ギリシャ演劇と日本文学という自分たちが所属する場への不信感、彼が執筆しているという本の内容。ここで私が自分が英語で書いた詩を送ると、これまた即読んで、意見をくれた。いきなり現れたどこの馬とも知れぬ人間にここまで優しくしてくれるというのも珍しいだろう。そして逆にApostolouが6年前に監督したという短編作品を私に見せてくれたのである。ということで今回はそんな経緯で鑑賞した、Stathis Apostolou監督作品“The Farmer”を紹介していこう。

物語はあるギリシャ人男性(Foivos Papadopoulos フォイヴォス・パパドプロス、先述の“Broadway”で主演)が車を駆る場面から幕を開ける。彼は2年もの間、故郷の村に妻子を置いて、ドイツで出稼ぎ労働者として働いていた。そして今、男は新品の高級車と高級スーツを伴い、ギリシャへの帰還を果たそうとしていた。

車を駆る彼の姿に重なるのは、自身の境遇を木訥と語る男自身の独白だ。だが少しずつ様子がおかしくなっていく。ドイツとギリシャという自分が行き交う2つの国について語るなかで、男は車から降り、着替えを始める。高級スーツを脱いだかと思うと、彼は農作業用の素朴なシャツを身に纏うことになる。そしてこの服装のままで、妻子の待つ家へと帰っていくのだ。

設えられた高級スーツは、ドイツという国家が持つ富と名声であり、男はこれを纏うことでそれを手にしている“ドイツ人”としての威光を誇る。だが妻子の前では頑なにこの姿を隠し、農作業着を纏い続けるのだ、まだ自分は“ギリシャ人”であるということをも誇示するように。2つの服、2つの国、男はその狭間を行き交うのだ。

ここにおいて服を着替えるという行動は、彼のアイデンティティーが引き裂かれていることを象徴するようだ。そして引き裂いているのは国家/国民という漠然としながら、頗る強固なイメージに他ならない。近年においても経済破綻によって多くのギリシャ人が国を出ていき、移民として生きていく道を選んでいる(私自身、東京に住んでいるギリシャ人建築家と会ったことがある)男は中でもドイツを選んだ訳だが、EUが経済危機に陥ったギリシャに救済措置を行う一方で、ドイツはそれを批判し緊縮財政を求めていた。近年、2国間の緊張は高まっているのだ。そんな複雑な関係性にある2国の狭間で、彼の心は引き裂かれているのだろう。

そして故郷に戻ってきた男は農作業着を纏ったままに、鍬で農地を耕し始める。彼の肉体が質実剛健であり、一切手を休めることなしに、力強く作業を進めていく。だが広大な大地においては、そんな彼の勇姿もちっぽけなものとしか映らない。案の定、彼は疲れはてることになるが、何度も何度もこの作業を行う。そこまでして男が成したいものは一体何なのか。

私がApostolouと会話している際、彼が執筆中だという本の話題になった。それは“素朴なる人間の進化”という題だそうだ。彼が目指しているのは人種や性といった概念から解き放たれた人間、つまりただただ人間でだけ在ること、その状態で思考することなのだという。あの男は農作業によって肉体を駆動させることで、Apostorouの言う“simple human”を目指している、私はそう思った。しかしそう簡単に、ただ人間でだけ在ることを世界が許さないのである。

今まで見ていった通り、今作のストーリー自体はギリシャの移民事情を背景とした男の自我の探求と、地に足ついたものとなっている。だがこのローカリティ/土着性をも越えて、Apostolouは国籍や人間という概念そのものを存在論的に問おうとしている。その意味で私には今作がSFに見えてならないのである。彼の“simple human”という試みは、この世界においてもはやポスト・ヒューマン的な思考とすら重なりあうのだ。

“Broadway”における彼の演技、そして“The Farmer”において監督として彼がFoivos Papadopoulosから引き出す演技を目の当たりにしながら“存在感”という日本語を想起したと、Apostlouに伝えた。これは言うなれば人間がそこに在る時に宿す手触りであり、あなた自身が俳優として鬼気迫るほど複雑な存在感を宿すとともに、監督として他の俳優からもこれを引き出していく、その才覚があると。“The Farmer”はそんな才能の降臨を伝えるような超越的な1作なのだ。

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