さて、グリーンランドである。北極海と北大西洋の間にある世界最大の島であり、1721年から1953年まではデンマークの植民地だったが、今はデンマークの一部として自治政府が置かれており、広範な自治が認められている。とはいえこれはある種、未だにデンマークによる植民地化が終わっていないというわけで、色々な問題が持ちあがっている。
正に最近、トランプ大統領がアメリカの安全保障のためグリーンランドの買収を叫び、デンマークからの独立を目指すか否かを争点として選挙が行われた。今回は独立に慎重な野党が勝利し、デンマークとの関係を強化する方向性に進んでいるという。だが実際、ここに生きてる人の日常はどういうものなのだろう?そんなことを思わないだろうか。ということで今回はこの地期待の新鋭Christoffer Rizvanovic Stenbakken監督による短編“Anngeerdardardor”を紹介していこう。
舞台はグリーンランド東部に位置するタシーラクという町、主人公はこの町に住むカーリ(Kamillo Ignatiussen)という青年である。彼は自閉症スペクトラム障害を持っており、そのせいで周囲のコミュニティに馴染めない日々が続いている。友達はバルティラー(Mikkel Paalu P. Bianco)という同世代の少年と、愛犬のメッコヤーくらいのものだ。そんなある日、カーリはメッコヤーにエサをあげようと庭に行くと、彼女が姿を消しているのに気づき……
今作はそんなカーリが失踪してしまった愛犬メッコヤーを探す姿を通じて、グリーンランドに広がる日常を見据えていく作品だ。まず驚くのはカーリたちが日常を過ごすその環境だ。起伏のなかなかキツう山地に色とりどりの建物がまるでキノコのように生え、彼らはその隙間を縫うように生き生きと駆けていく。行く先々には、役目を終えた廃船が無残にも転がっていたり、何匹もの野犬たちが鎖で繋がれ共同で飼われているなんて場もある。過酷な自然と隣り合わせで生きている様が一目でありありと見て取れる、そんな風景が連なっているのだ。
こうして置かれた環境も(少なくとも都会育ちの私には)過酷だけども、人間関係についてもなかなかに過酷だ。父親は愛犬が消えたというのに、整備士としての仕事が忙しいと全く取りつく島もない。バルティラー以外の少年たちは鉢合わせするとカーリをバカにし、彼がそれに楯突くと報復のために追いかけ回すほどだ。実際こういった人間関係にこそカーリがより疲弊している様が観客にも伝わってくるほどだ。
撮影監督であるPhilip Peng Rosenthalのカメラは、メッコヤーを捜索するカーリとバルティラー、それに無言で寄り添うもう1人の友達のような形で彼らを追い続ける。彼は空気感を生々しく反映したような手ブレとともにカーリの姿を映しとっていくわけだが、かけがえのない友達を探し求める少年の静かな悲しみや寂しさが画面に滲んでいく。
その果てにカーリたちは、メッコヤーがある家の庭に鎖で繋がれているのを何とか発見することになる。カーリは彼女を助け出そうとしながらも、そのせいでバルティラーが家主に捕まってしまい、その後、ある事実を知ることになってしまう……こうして物語はグリーンランドの特殊性を越えて、友情をめぐる普遍的なものへと変貌を遂げていく。
最後に監督や政策背景について少し。Christoffer Rizvanovic Stenbakkenは1986年生まれ、映画の舞台となるタシーラクに生まれ育った。今作を製作するに辺り生まれ故郷を舞台にしたわけだが、ここはグリーンランド東部では最も大きな町であり、人口は2000人ほどだそう。そしてグリーンランド映画は今までにも細々と作られてきたが、この東部で映画が撮影されたのは初めてのことらしい。登場人物たちも実際にタシーラクの住民たちだそうだが、そしてそれがベルリン国際映画祭にも選出されるのだから素晴らしい。
もう一つ重要なことは、カーリたちがイヌイットであることだろう。彼らは北米大陸からやってきたグリーンランドの先住民であり、この記事によればグリーンランドの人口約56000人のうち89%がグリーンランド系イヌイット人だという。言語も宗主国のデンマーク語とは全く違うエスキモー・アレウト語族のグリーンランド語である。彼らはデンマーク人とは全く異なる文化を持っているわけだが、そんな彼らの暮らしぶりがカーリの姿を通じてここでは描かれているのである。ということでグリーンランドの新鋭Stenbakken監督の今後に期待!