これ凄く変な映画なんですよね。人によっては正統派なVSギャング物、またある人は出来そこないのオモシロノワール、こんなことを書いている私は今まで見たこと無いおかしなおかしなコメディ作品と感じたり。
まずはじめにこの作品の監督ルーベン・フライシャー、これ以前のフィルモグラフィーが『ゾンビランド』『ピザボーイ 史上最凶のご注文』と立派なコメディ作家。特色は軽佻浮薄な下らなさに心地よいグダグダな笑い。そんな彼が何故に1940年代の暴力抗争を描く映画の監督なんてするんだ、と思うかもしれない。だけども振り返ってみれば、「28日後」と「ドーン・オブ・ザ・デッド」くらいしか見ないで「ゾンビランド」の監督引き受けたり、「ピザボーイ」で明らかにピザ配達人爆殺事件をモチーフにしながら――脚本家は否定、フライシャー自身は言及無し――あんな大味なコメディにしたりと、映画に対するスタンスはテキトーな感じ。それがフライシャー唯一無二の魅力なのだけれども。
であるからして、『L.A.ギャングストーリー』なんかは仕事頼まれたから作りました、そんなんじゃないのかなって私は思ってます。そんな仕事で銃乱射事件の影響受けて撮り直しなんて不運だなあと思ったりもする。でも、その果てにこんな不思議な怪作を生み出しちゃうのだから凄い。
さて、この映画には原作があって、それがポール・リーバーマン著『L.A.ギャングストーリー(上)(下)』(私は未読)。勿論『アンタッチャブル』がエリオット・ネスの自伝を映画的に脚色しているように、原作読んだ方の話を聞く限りでは、ノンフィクション作品のこれもかなり脚色しているんじゃないかと思います。原作にノワール色なんかは介在しないみたいですし。
原作を脚色したのはウィル・ビールという方、脚本家としての映画デビューがこの作品みたいです。
そしてフライシャーとこのビールが組んでリーバーマンの原作を映画化してどうなったのかと言えば、頗る変なことになっているんですよね。リーバーマンとフライシャー&ビールの指向している所の物が全く違って、それはもうチグハグ。双方の魅力が殴り合いの大ゲンカに発展しちゃったみたい。
物語の根本では、多分リーバーマンが描いているだろうシリアスさが通底している、してはいるんですよね。そこに事故的にフライシャーらの大味コメディセンスがガツンッ!と来る。それがベッタベッタで笑えてくる……笑えてくるのは良いんですけども「何か………おかしくない?………」っていう思いも首を擡げてくる。
「そんな笑い要素入れたら物語台無しになっちゃわない……?」と思ったりもする。コッテコテのコメディ・リリーフなマイケル・ペーニャの角張ったおかめ顔面が、作為的に過ぎるタブーめいた物に見えてくる。「ペーニャ、この映画に存在して良いの………?」とか。
そしてそのシリアス要素とコメディ要素の相容れなさが発展して、笑っていいのかダメなのかさえ判断に困るシーンさえ出てくる。個人的にその極致がエマ・ストーンを拳で救うサリヴァン・スタプレトン(多分)の下りで、観た後「いやいやいやいやいやいやいや!!!!????」としか思えなくなる迷シーンだったんですよ、皆さんどう思うか分かりませんけど。
シリアスなノンフィクションにしては軽すぎるし、コメディとしては変化球過ぎて、全編のノリとしてすごく不思議なんですよね、何だか。
あと随所に“アンタッチャブル”のオマージュが見られたりもする。それどころか音楽やストーリー展開がモロにそうだったり。しかも多分“アンタッチャブル”踏まえての笑劇シーンがあったりする。だけども、その“アンタッチャブル”要素がユルユルだったりする。
その最たる要素が“階段”。“アンタッチャブル”の名シーンと言えば、『戦艦ポチョムキン』内の“オデッサの階段”を踏まえた乳母車落下シーンですよね。『L.Aギャングストーリー』でも階段出て来るんですよ。しかもそこに至るまでが迫力ある銃撃戦に、絶妙にカッコ良いスローモーションと、観客をワクワクさせるに十二分なシーンの連続だからこそ、“階段”が出てきたとなれば「ウッヒョーーーーーーーーーーーー!!!」とワクワクする人も少なくないんじゃないかと。
だけどもいざ見ると、上と下でただ撃ちあうだけのシーン。階段はただあるだけという感じ。『戦艦ポチョムキン』『アンタッチャブル』を経て、ただの階段に成り下がっちゃったっていう。
あとジョヴァンニ・リビシ。姿見ただけで何か“アンタッチャブル”のあの人っぽい………とか思うんですよ。ネタバレ故に詳らかな言及避けますが、役回りと活躍っぷりとか凄く彼っぽいんですよ。
まあとにかく言えるのは、「フライシャー、絶対“アンタッチャブル”見てないだろ」ということ。
それ関連の演出が冴えてないので、多分“アンタッチャブル”要素はウィル・ビールがブッ込んだんだろうなぁと思います。というかそもそも、“アンタッチャブル”要素入れる意義がちょっと分からない。確かにシチュエーションにてるとは思うのですけど、わざわざ入れなくても良いんじゃあないか。という訳で、フライシャーとビールの間でもまた殴り合いが勃発しているっていう。
本編と関係ないですけど、ポスト・ブシェミ最有力候補だと思います。
俳優陣は素晴らしいと思います。一瞬の魅せ方が、フライシャーは上手いんだと確信。
ライアン・ゴズリングが感情の撃鉄を上げる一瞬の、底冷えする程のカッコ良さ!
アンソニー・マッキーはナイフ投げがイカしてるし、ニック・ノルティやる時はやるし、マイケル・ペーニャ&ロバート・パトリックの師弟関係も良い。ショーン・ペンの肌ツヤは干ばつ被害に遭った土地みたいだし、ジョシュ・ブローリンはいつにも増してゴリラ・ゴリラ・ゴリラ。
中でも素晴らしいのが、ブローリンの妻役ミレイユ・イーノス。
「死ぬなよ、ムコ、死ぬなよ!」とばかりに夫と一蓮托生のギャングスタ・スクワッド構成員を的確に選び出す辣腕っぷりがカッコ良い!勝手に加入してきたどこの馬の骨とも知れぬマイケル・ペーニャとの掛け合いも良いなぁと。
如何せん大局的に見ると、ひとりひとりの出番が少なくてヤン・クーネンの『ドーベルマン』みたいになっちゃってるのが惜しい感じ。
エマ・ストーンは目が大きくて怖いです。
こう、全体的に色々チグハグなんですよね。何より大本のシリアスさとコメディのバランスが、劇的かつ致命的に間違えているっていう。監督たちの意図はともかくとして、敢然と平均台に挑戦したは良いけれども、途中でバランスを崩して落下&股間を強打“OOOOoooooOooOOoHHHHHHHHHHHHHHHH!!!!!!!”と惨状を晒してしまった、そんなデキ。まぁ多分フライシャー監督はいつも通り作ったらこんなんなりましたけど、というスタンスなのでしょうけれども。でもフライシャーが凄いのは、これがつまんないかと言ったらそんなことはなく、逆に今までにない新味になっているっていう所だと思います。
レシピに則ってビーフシチュー作ろうとしたら、様々な思惑が絡み合った末に、肉じゃが出来ちゃった。
そんな突然変異的面白さがここにはあるんですよ。それをどう感じるかはおそらく、人によって千差万別だと思うのですよね。だから取り敢えず観に行きましょう。映画ってまず見ないと何も始まりませんから。
映画冒頭に登場アンビル・チルダース。超かわE。