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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Hilal Baydarov&"Səpələnmiş ölümlər arasında"/映画の2020年代が幕を開ける

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映画批評家として映画を観続けてきたうえで、2020年代に台頭する国はどこかと聞かれたとするなら、私はこう答える。コソボスロヴェニアカザフスタン、そしてアゼルバイジャンと。アゼルバイジャンに関してこう確信させてくれた映画作家Hilal Bydarov ヒラル・バイダロフだった。彼の"When the Persimmons Grew"(レビュー記事はこちら)に感銘を受けた後、私は様々なアゼルバイジャン映画に触れてきたが、そんな彼の最新作"Səpələnmiş ölümlər arasında"ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門に選出されたと聞き、本当に喜ばしく思った。そしてこの作品を目撃した今、私は途方もない感動の涙に暮れることとなっている。今作は2020年代という今後の10年を規定する紛れもない傑作だ。

今作の主人公はダヴド(Orkhan Iskandarli)という青年だ。彼は"本物の"家族を得たいと日々願っている。だがある偶然から人を殺してしまったダヴドは追われる身となってしまう。その逃走の最中、彼は無数の不思議な出来事に遭遇することになる。

ダヴドの不本意な旅に広がる風景は息を呑むような壮大な美に溢れている。アゼルバイジャンの無限の広野は闇の色彩にも近い深緑色の自然に包まれており、それを見る観客に畏敬の念を呼びおこしていく。そしてその美はあまりにも凄絶なものであり、私たちの網膜は絶対的な崇高で満たされることになるだろう。

この風景について"動き、生きる絵画"と形容できるかもしれない。例えば登場人物たちが純白の霧のなかを歩く場面がある。彼らは詩的な言葉を紡ぎながら、霧のなかへと進み、最後にはその身体が完全に白に包まれてしまう。しかしふとした瞬間に彼らの影が幻想的に浮かびあがる。そして彼らは霧のなかから出ていき、また旅を始める。撮影監督Elshan Abbasovはこの風景を5分にも渡る長回しで以て描きだし"動き、生きる絵画"を描きだすのである。

だがダヴドの旅路はあまりにも奇妙なものだ。旅の始まりが死であったなら、旅路にも多くの死が付きまとう。再び偶発的に殺人を犯してしまった彼は、更に自分を助けてくれた女性が自身の夫を殺害する様を目撃してしまう。それでも彼は旅を続けながら、目前には何度も死が現れるのである。

今作はある意味で実存主義的な不条理劇であると言える。Baydarov監督は頗る容易く、そして大胆に無数の死を紡ぎだしていく。その様に私たちは唖然とする他ないだろう。だが観客の狼狽をよそにダヴドの旅は続いていき、不条理がまるで驟雨のように降り注ぐこととなるのだ。

この不条理のなかでダヴドの苦悩は深まっていく。彼は思索的な言葉によってこの苦悩を言語化しようと試み、そこに詩が生まれる。彼の内面世界には黒い装束を纏った女性と薄汚れた白馬がいる。彼らに触れながら、ダヴドは詩的懊悩を突きつめていくのだが、それは解きほぐされていくどころか更に異様なる迷宮へと化していく。

だが今作にはそこはかとないユーモアすらも存在している。犯罪者であるダヴドを追跡する男たちがいるのだが、彼らはダヴドに追いつくことができず、彼の残した死を前に途方に暮れることになる。ある者は気だるげに電話をし、ある者はアゼルバイジャンの荒野に向かって石を投げる。彼らの成就しない追跡は濃密な不条理のなかで笑いを運んでくれる。

私は1年前に彼の作品"When the Persimmons Grew"を観た時の感動を覚えている。今作は監督が故郷へと帰還を果たし、母と再会する姿を追った作品だ。叙情的で美しい風景のなかで、2人の関係性が再び花開く様は私の心の琴線に深く触れるものだった。そして彼の作品は例えば"Birthday"(2018)や"Nails in My Brain"(2020)など詩的リアリズムに依拠するものが多かったが、今作の作風は一気に超現実へと跳躍していると言ってもいいだろう。

先述した通り、今作の核にあるものは数多の飛躍と省略で構成された大胆な不条理である。それがBaydarovの手で何度も反復されるうちに、壮大なる神話へと昇華されていくのである。そしてそれは死の神話である。生物として、私たちが根源的に恐れている死という概念の真実を、今作は解き明かそうとする。その向こう見ずな創造的蛮勇こそが、今作を傑作へと押しあげているのである。

これは少し誇張しすぎているかもしれない。だが今作を観終わった後の私は、1896年にリュミエール兄弟「ラ・シオタ駅への列車の到着」を初めて観た観客と同じような心地にある。スクリーンから猛然と列車が迫ってくる。その見たことのない迫真性に恐れを成した観客は、部屋のなかを逃げ惑う。彼らはそこに他でもない自分たちの死を見たからだ。そして私もまた"Səpələnmiş ölümlər arasında"という作品のなかに己の死を見た。今でも心の震えを抑えることができていない。

"Səpələnmiş ölümlər arasında"を以て本当の意味で、映画の2020年代は幕を開けた。今作は今後の10年間を規定する1作となるだろう。そして私は映画の未来はアゼルバイジャンにあるという確信に至った訳である。

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