さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)
この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアやブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。
今回インタビューしたのはブルガリアの映画批評家Katerina Lambrinova カテリナ・ランブリノヴァである。彼女は映画批評家として現在のブルガリア批評界を牽引する存在であり、ブルガリア唯一である紙媒体の映画雑誌Kino Magazineの編集者としても活動している。そんな彼女に今回は極個人的なブルガリア映画の思い出、ブルガリア映画界における女性監督の台頭、2010年代において最も重要なブルガリア映画、ブルガリアの映画批評の現在などなど様々なことについて聞いてみた。ブルガリア映画ファンには垂涎のインタビュー記事であること間違いなしである。ということでこのブルガリア映画への旅をぜひ楽しんでほしい。
/////////////////////////////////////////////////////////////
済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思ったんですか? それをどのように成し遂げましたか?
カテリナ・ランブリノヴァ(KL):私はいつだって映画に興味があり、子供の頃から映画に対して高い基準を持っていました。まるで書くことに関する芸術的な職業に就くと常に知っていたようでした。映画批評家の他に、私は脚本のコンサルタント、ブルガリア国立テレビ局のプロデューサーもしており、執筆もしているんです。監督のPhilip Andreev フィリップ・アンドレエフと脚本を共同執筆した短編"Boys Don't Cry"を撮影する予定だったんですが、コロナ禍のせいで延期になってしまいました。父もまた映画批評家で書き手でもあったので、これが血なのでしょうね。映画を学ぶことで得た機会を私はとても楽しんでいます。執筆からキュレート、映画のプログラム、イベントのマネージメントに制作……
TS:映画に興味を持った頃、どんな映画を観ていましたか? 当時ブルガリアではどんな映画を観ることができましたか?
KL:共産主義の崩壊後、私たちは自由市場経済に不安定な形で順応していくことになり、その結果20世紀の終りには映画館は個人投資家に売られ、ハイパーマーケットやビンゴホールに変わってしまいました。これは文字通り、消費主義がいかに文化を搾取するのかの比喩な訳ですね。それでも90年代には、近くの映画館で様々な映画を観ることができました。
MTVとVH1は私の世代に大きな影響を与えています(ブルガリアでは90年代中盤に利用できるようになりましたが、それは西側諸国で大いに人気を博した約10年後でした)それらは私たちの心に断片的で、時おり一方的なイメージと音の交わりにまつわる、ポストモダン的なパラダイムを植えつけました。私は最初にドライヤーが1928年に作った「裁かるるジャンヌ」のあのクロースアップを観た時のことを覚えていますが、それが"Nothing Compares 2 U"のMVに映るシネイド・オコナーと重なったんです。
その頃、ビデオレンタル店は広く人気になっており、夏には兄と私は1日に3,4本もの映画を観ていました。父もTCMで古典映画を見せるのが好きで、Odeonという映画館に行き「暴力脱獄」を何度も何度も見せてくれました。それでいかに今作が傑作かを説明するんです。私たちが感心したのはポール・ニューマンが1日に40個もの卵を食べられることで、私たちもその記録を破ろうとしました……その後、マラソンか実験かのような映画鑑賞はソフィアの国立映画演劇アカデミーで続き、ここで教育者や同僚たちと意義ある出会いを果たしました(彼らの多くは今では有望な監督、プロデューサーです)
成長期には、多くの映画やその中のある要素が私に大きな影響を与えてくれました。ヌーヴェルヴァーグ、チェコスロヴァキア・ヌーヴェルヴァーグ、マルクス兄弟、モンティ・パイソン、ドグマ95、それから理論本である"American Smart Cinema"はある時期の私にとって必要不可欠なものでした。
私はいつも生の活力や真実味に惹かれます。例えばアニエス・ヴァルダの「冬の旅」やケリー・ライヒャルトの「ウェンディ&ルーシー」、アンドレア・アーノルドの"WASP"、ゲイリー・オールドマンの監督デビュー作「ニル・バイ・マウス」などの作品です。それからある種の賢さ、冷たい皮肉、ドス黒いユーモアに惹かれます。それはアキ・カウリスマキの初期作品だったり、パヴェル・パヴリフコスキの"Dostoevsky's Travels"ですね。不可欠なのは才能ある映画作家が私たちの存在や行動について大切なことを語る時の力量です。それゆえに私のオールタイム・ベストはマイク・リーの「ネイキッド」なのでしょう。
TS:初めて観たブルガリア映画は何でしょう? そのご感想は?
KL:初めてのブルガリア映画は正確には思い出せません。しかしPetar Popzlatev ペタル・ポプズラテフの"The Countess"を観た時の興奮を覚えています。それは父が少し出演していたからだけでなく、内容が衝撃的だったんです。観たのは1989年に上映されてから数年が経った後です。1989年というのは私が生まれた年であり、社会主義政権が崩壊し、待望されていた民主主義が東欧に現れた年でもあります。
"The Countess"は政権の制約に抑圧され、自然に持てるべき機会を失った世代についての物語です。ドラッグを以て反抗する主人公シビラの姿は、個と全体主義の闘争の比喩でもあります。最後、板塀もない精神病院の閉ざされた扉の前に立つ彼女の姿が映し出されます。このイメージは独立性の欠如と、社会主義の社会における自律を露にしています。この時代においては、反体制的な行動は残酷なまでに抑圧されたんです。
今作はKrassimir Krumov クラシミル・クルモフの"Exitus"やIvan Cherkelov イヴァン・チェルケロフの"Pieces of Love"、Ludmil Todorov ルドミル・トドロフの"Running Dogs"などと並んで、80年代の終りに現れたブルガリア映画の"新たなる波"に属しています。これらのデビュー長編は社会主義政権の裏側を露にしています。80年代後半における静かな反抗は登場人物の行動に滲んでいます。彼らは己の意思で周縁化されるの好み、"内なる移民"(Krumovの言葉です)であろうとします。なぜならそれが政権がもたらす偽のルールやモラルに対抗して、真実味ある存在であれる唯一の方法だからです。
"The Countess"
TS:ブルガリア映画の最も際立った特徴とは何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス黒いユーモアなどです。では、ブルガリア映画の場合はどうでしょう?
KL:冷戦下におけるいわゆる文化の前線のおかげで、政権は自由で知的、現代的な作品を作ることに興味を持っていました。そしてそういった映画は東側ブロックの外側で上映され、称賛されました。これによって、芸術的な誠実さと社会主義的リアリズムという陳腐な文句を無視する勇気を持った作品が生まれました。例えばMetody Andonov メトディ・アンドノフの"The Goat Horn"や"The White Room"、Binka Jelyazkova ビンカ・ジェリャズコヴァの"We were young"や"The big night bathe"、Edward Zahariev エドワルド・ザハリエフの"If the Train isn't Coming"や"Counting on the wild rabbits"、Georgi Stoyanov ゲオルギ・ストヤノフの"The Penleve case"、Borislav Sharaliev ボリス・シャラリエフの"A shooting day"、Grisha Ostrovski グリシャ・オストロフスキとTodor Stoyanov トドル・ストヤノフの"A detour"、Hristo Piskov フリスト・ピスコフとIrina Aktacsheva イリナ・アクタクシェヴァの"Monday Morning"、Hristo Piskov フリスト・ピスコフの"Avellanche"、Rangel Valchanov ランゲル・ヴァルチャノフの"On the Small Island"と"The Unknown Soldier's Patent Leather Shoes"、Lydimil Staykov リュディミル・スタイコフの"Illusion"、Georgi Dulgerov ゲオルギ・ドゥルゲロフの"Avantage"、Ivan Pavlov イヴァン・パブロフの"Miracle on a mass scale"、そして80年代後半のいわゆる"新たなる波"です。これらはブルガリア映画の発達に大きな影響を与え、その顔が作られるのを助けました。しかしこれらは例外であって、退屈で灰色の、体制順応的でイデオロギーに即した大量生産も存在していました。例外的作品は散発的に可能だった訳です。同時に検閲されたり、製作を止められたり、お蔵入りになった作品もありますし、プレミアを延期されたり、作者に制作の禁止が言い渡された場合もあります(時おりその状態が数十年続くことにもなりました)この複雑な"熱く冷たい"ゲームにおいて作り手は権威との戦いを余儀なくされ、芸術的活力を犠牲にしました。おそらくブルガリア映画界における多くの傑作映画が作られることすらなくなったこともあるでしょう。そして作り手は、いわゆるイソピア語や寓意に長けることになり、検閲を通り抜けるために微妙で多層的な映画を作るようになりました。
より少なく専門化された観客によって共産主義下のドキュメンタリー映画は社会的・政治的批評においてより先鋭で勇気あるものとなりました。素晴らしい芸術的作品は多く、それらは70、80年代の周縁化された奇妙な人々を描いていました。代表的な人物はOscar Kristanov オスカル・クリスタノフ("The Eternal Musician")、Milan Ognianov ミラン・オクニアノフ("Everest - Joy and Sorrow")、Zdravko Dragnev ズドラヴコ・ドラグネフ("Short Autobiography")、Jacky Stoev ジャッキー・ストロエフ("Counted Days")、Nokolay Volev ニコライ・ヴォレフ("House 8")、Anri Kulev アンリ・クレフ("I Dream Music")がいます。それから私たちにはアニメーションの素晴らしい伝統があります。いわゆる"ブルガリア・アニメーション学校"が国際的名声を獲得した最たる瞬間は1985年にSlav Bakalov スラフ・バカロフとRumen Petkov ルーメン・ペトコフの"Marriage"がカンヌ国際映画祭で短編パルムドールを獲得した時でしょう。
90年代初期、以前に残っていた映画産業の基盤は破壊され、全面的アプローチと許容に欠けたものに取って代わられてしまいました。それに加えて、過渡期における不安定な経済的・政治的状況、そして経験の欠如が映画産業を崩壊させました。1本のブルガリア映画も上映されない時期が何年もあったんです。この時期、多くの映画作家たちは道に迷い、社会主義時代には際立っていた作家たちも他の作品を全く作れなくなりました。それにも関わらず何本かの素晴らしい作品が存在しています。例えば女性監督による2本の薄暗くも力強い作品、Eldora Traykova エルドラ・トレイコヴァの"Neon Tales"(1992年にクレルモン=フェラン映画祭で賞を獲得しました)と、Boryana Puncheva ボリャナ・プンチェヴァの"Genko"(1994)です。題材は全く違うのにも関わらず、2作はある程度まで、不安に満ち悲観主義的な前触れを描いています。政治的・経済的不安定が周縁に生きる人々やグループに与える影響が描かれているんです。感情的に努力をしすぎな面があるも、力強い作品群もあります。表現主義的な"Canary Season"(1993)、Ilian Simeonov イリアン・シメオノフ監督の議論を巻きおこした"Border"(1994)です。これらは以前の政権を批判し、その非人道性を冷酷で直接的な形で描きだしました。
世紀の変わり目、ブルガリア映画界では心機一転の経過とともに、様々なフィクション映画が成功を遂げました。それらは世界とブルガリアにおける生き方の視点にあるダイナミクスを描いていました(Iglika Trifonova イグリカ・トリフォノヴァの"Letter to America"、Zornitsa Sophia ゾルニツァ・ソフィアの"Mila from Mars"、Georgi Dulgerov ゲオルギ・ドゥルゲロフの"Lady Zee"などです)同じ時期には芸術的で挑発的、最新のドキュメンタリー作品が成功していました。生で活力に溢れたSvetoslav Draganov スヴェトスラフ・ドラガノフの"Life is Wonderful, Isn't It?"(2001年のライプツィヒ・ドキュメンタリー映画祭で賞を獲得しました)、Andrey Paunov アンドレイ・パウノフのエキセントリックな"Georgi and the Butterflies"(2004年のIDFAで銀の狼賞を獲得しました)、それからBoris Despodov ボリス・デスポドフの不条理な"Coridor 8"(2008年のHot Docsで賞を獲得)などです。さらにKamen Kalev カメン・カレフの真実味ある力強いデビュー長編「ソフィアの夜明け」(2009年のカンヌに出品されました)はブルガリア映画における、将来性に満ちた新しい時代の始まりを告げました。
TS:ブルガリア映画史において最も重要な映画は一体何でしょう? その理由は?
KL:"The Goat Hoan"や他のブルガリア映画の傑作については前述しましたね。それらに共通するのは力強いイメージ、確固たる動き、表現主義的な映画言語などです。これらは詩的で寓話的、複雑な映画作品の例であり、社会主義的な規範や共産主義のデマゴギーへの複雑微妙な反抗でもありました。
しかし、勿論のこと、権威に不都合だった最も勇気ある作品の中のいくつかは検閲を受けたり、上映を禁止されました。その"逮捕された"作品の1つが監督コンビHristo PiskovとIrina Aktashevaによる素晴らしい作品"Monday Morning"です。今作は1966年に制作されましたが、上映されたのは1988年でした。それもそのはずで、今作はヌーヴェルヴァーグの手法で以て精巧に作られており、政権の偽善的で皮肉的な表情を暴き出しているんです。主人公であるトニ(Pepa Nikolova ペパ・ニコロヴァ)はドナウ川の小さな町でインターンをすることになります。彼女は猥褻で、社会主義的な倫理に反する腐敗を疑われるんです。実際に当時、"軽薄な美徳を持つ女性"はキャンプから排除されていたんです。それでもトニは改心するための機会を与えられ、そこでヨルダンという男性に出会います。彼はトニに恋に落ち、彼女を自身が働く建設現場に連れていきますが、そこのチームは男性だけで構成されていました。しかしすぐに彼女はメンバーの間に波紋を巻き起こすんです。偽善とデマゴギーに彼女は憤り、静かで控えめな人生における労働者-母-主婦という役割からの自由を選ぶんです。彼女の解放感に溢れた行動と柔軟なバイタリティは、社会主義の世界において到底受け入れられるものではありませんでしたが、監督たちはこれによって勇気あるフェミニスト的主張を行ったんです。
TS:もし1本好きなブルガリア映画を選ぶなら、どれになるでしょう? その理由もお聞きしたいです。個人的な思い出などがあるんでしょうか?
KL:好きな映画は優に10本以上は思いつくし、それでも足りないとは思わされますが、今挙げたい作品はKonstantin Bojanov コンスタンティン・ボジャノフの"Ave"(2011年にカンヌで上映されました)です。10代の少女アヴェ(Anjela Nedyalkova アンイェラ・ネジャルコヴァ)は痛いくらい軽薄で魅力的、まるで妖精のようでした。自分自身から逃れるため、彼女は薬物中毒である弟と会うという最後の希望を抱きながら、旅を始めます。そしてその希望はすぐにファンタジーや虚言症、アイデンティティーを変えたいという欲望と交わりあいます。道の途中、彼女はカメン(Ovanes Torosian オヴァネス・トロシアン)という少年と出会うのですが、彼は自殺した友人の葬式に出るためルセへと向かっていたのでした。"Ave"は小規模ながら柔らかく私的な映画であり、エゴを消し去りたいという欲望や消失、そして成長を描いています。語りは寂れた道路沿いに緩やかに進行していき、若い俳優たちはヒッチハイクをする時、ホテルの部屋の明るい中間色の中に立ち尽くす時、何の変哲もない駅で迷った時、打ち捨てられた港で互いを知ろうとする時、喜ばしいほど豊かに登場人物の不安に満ちた、感情的な揺れを体現しています。映画は登場人物の内面のリズムを追っていきますが、ゆっくりとした繊細な形で、その雰囲気は陽気で生命力に溢れたものから、絶望と柔らかな憂鬱を纏ったものへ変わっていきます。ショットの1つ1つが動く絵画のようであり、その中で上質な物語のドラマツルギーが展開していくんです。この映画が大好きです。デニス・ホッパーの「アウト・オブ・ブルー」を彷彿とさせます。
"Ave"
TS:Vulo Radev ヴロ・ラデフとMetodi Andonov メトディ・アンドノフ、彼らの作品"The Peach Thief"や"The Goat Hoan"は私たちにブルガリア文化の豊かさや複雑さを教えてくれます。しかし実際に彼らはブルガリアでどのように評価されているのでしょう?
KL:両作ともブルガリアでは重要な立ち位置にあります。2作はVulo RadevとMetodi Andonovによって精巧に監督されており、巨大なスター俳優も出演しています。"The Peach Thief"にはNevena Kokanova ネヴァナ・コカノヴァとRade Markovic ラデ・マルコヴィチ、"The Goat Hoan"にはKatya Paskaleva カーチャ・パスカレヴァやAnton Gorchev アントン・ゴルチェフが出演しています。監督は2人とも力強い表現主義的なイメージを達成しています。つまりは確固たる素朴さと意味論的な複雑さのコンビネーションです。ある地域(バルカン半島)の原型的な態度や習慣を描くとともに、動きの1つ1つを普遍的意味を持つ儀式へと変えようと試みていました。
"The Peach Thief"は力強く組みあげられた劇的なラブストーリーと登場人物たちの解決しがたい衝突を描きだした傑作です。"The Goat Hoan"は語りのミニマルさ、衝撃的なイメージ、猛烈な沈黙、象徴的な力強い物語、神話的な要素、そして高い真実味によって、私たちの映画史において最も素晴らしい映画だと数えられています。今作のように、剥き出しの不可欠さと生の美によって人生を描き出した抜本的映画は他にありません。しかしMilko Lazarov ミルコ・ラザロフの"Aga"の登場で、その状況も変わりました。
TS:ブルガリア映画において印象的なことの1つは、いわゆる子供映画の豊穣さ、素晴らしさです。例えば"Knight without Armour"や、Mormarevi モルマレヴィ兄弟による"Hedgehogs are Born without Spines"や"With Children at the Seaside"などに魅了されてきました。他の東欧諸国に比べて、ブルガリアの子供映画は数が多くクオリティも高いのには、何か理由があるのですか?
KL:私たちには子供映画の素晴らしい伝統がありますが、これはそれは国のポリシーとして若者たちを芸術、特に映画で教育しようというものがあったからです。そして多くの映画作家たちはこのジャンルの映画を作るのを好んだのですが、それは子供映画は彼らにとっては比較的安全地帯であり、罰されたり映画製作を禁止されたりする危険なしに、子供たちの物語を通じて婉曲的な形で、現代に広がる生活について描く試みができたからです。しかし実際には子供映画は、特に現実について真実味を以て描きたい場合、扱いがとても難しいものでした。それでも幸運なことに、私たちには素晴らしい脚本家たち、例えばValeri Petrov ヴァレリ・ペトロフやMormareviらがいました。彼らは比喩的な物語を作りあげ、親の狭量さというものをめぐる衝突を描きました。そして賢く力ある監督たち、子供たちを演出し、彼らの視点から真実味を以て世界を再構築する才能を持った人々によって、これらの映画は古典となりました。
他の国に比べ、現代ブルガリア映画において傑出している点はいかに女性監督が多いかです。私でも10人は軽く名前を挙げられます。例えばMaya Vitkova マヤ・ヴィトコヴァ、Kristina Grozeva クリスティナ・グロゼヴァ、Svetla Tsotsorkova スヴェトラ・ツォツォルコヴァ、Nadejda Koseva ナデジュダ・コセヴァ、Ralitza Petrova ラリツァ・ペトコヴァ、 Simona Kostova シモナ・コストヴァらです。なぜブルガリアにはこんなにも女性監督が多いと思いますか?
KL:共産政権の公式的なイデオロギーとして、女性の解放と平等な権利を活発に促進するというものがあり、これは私たちの社会の家父長的な魂(こんにちでも頗る強烈なものです)によって潰えましたが、それが女性と、いわゆる二重の重荷(女性は男性と同じように働きながら、家を守り子供を世話するべきという考えです)という矛盾した状況を作り出しました。芸術の分野で才能ある女性が常に多くいたのは、思うにこれが考えられる理由の1つでしょう。例えば舞台のJulia Ognyanova ジュリア・オグニャノヴァ、ファイン・アートのLika Yanko リカ・ヤンコ、建築のStefka Georgieva ステフカ・ゲオルギエヴァ、オペラのRaina Kabaivanska ライナ・カバイヴァンスカやGena Dimitrova ゲナ・ディミトロヴァなどがいます。映画界は制作過程で多くの精神的・身体的な苦境がある意味で、伝統的に"男の"職業として見られてきましたが、多くの女性監督がいました。何人かは男性のパートナー(それは公私に渡ります)と一緒に制作を行っています。この長く続く実りある伝統の例としてはBinka JelyazkovaとHristo Ganev、Hristo PiskovとIrina Aktashevaが過去にいました。現在はKristina GrozevaとPetar Valchanov ペタル・ヴァルチャノフ、Svetla TsotsorkovaとSvetoslav Ovcharov スヴェトスラフ・オヴチャロフがいます。
全体主義政権の崩壊後、現在でも社会の自由化が進んでいますが、そこで女性たちは全身のための強い基盤を持っており、さらに芸術は公共において最もリベラルな分野の1つであることも相まって、多くの女性がこの分野に自己実現を見出すのは自然なことでした。幸運なことにとても多くの新鋭女性作家がここ10年で現れており、独自のビジョンや異なる芸術的アプローチによって私たちの映画を豊かにしてくれています。
TS:2010年代も数か月前に幕を閉じました。そこで聞きたいのは、2010年代において最も重要なブルガリア映画は何かということです。例えばRalitza Petrovaの"Godless"、Emil Christov エミル・クリストフの"The Color of the Chameleon"、Ilian Metev イリアン・メテフの"3/4"などがありますが、あなたのご意見は?
KL:私の意見として、ここ10年では2作の規格外に力強く、芸術的な意味でとても野心のある作品がありました。"Godless"(2016年にロカルノ映画祭で金豹賞を獲りました)と"Aga"(2018年にベルリンで上映されました)です。これらはスタイル的に異なり、まるで白と黒という風にムードも違います。しかし両作とも無邪気さの喪失と私たちの知る文明の終りを描いています。"Godless"において、Ralitsa Petrovaは人間性の完全なる腐敗を描き、Milko Lazarovは地球で最後の純粋な場所が殲滅される様を描いています。両監督共に赦しや贖いなどの根本的なモラルや倫理的なカテゴリーを描いています。
これらの映画とともに私が挙げたいのは、才能ある監督コンビKristina GrozevaとPetar Valchanovの作品群です。思うに彼らは"新たなブルガリア映画"のバックボーンとなっています。真実への鋭い感覚、人生における不条理と矛盾を見出す技術は彼らの悲喜劇的な作品全てに沁みわたっています。最も新しい作品"The Father"(2019年のカルロヴィ・ヴァリ映画祭で作品賞を獲得)は、彼らの構想するブルガリア社会3部作の1本ではありません(2014年の「ザ・レッスン 女教師の代償」と2016年の「ヤンコの腕時計」はすでに完成済み、そして3作目の"Triumph"はプレプロ中です)が、似たような自発性と真実性を共有しています。"全ての映画作家が3作の長編を作った後に自身の作家性を刻みつけられるとは言えない。しかしブルガリアの脚本・製作・監督コンビはその数少ない例外だ"と、世界プレミア後にJessica Kiang ジェシカ・キャンはVarietyに書いています。卓越した物語、軽やかな雰囲気、機知に富んだ会話、そして滑稽な瞬間の数々によって"The Father"は家族の再会についてのここ数年で最も理知的なコメディの1つと言えるでしょう。今作はアレクサンダー・ペインの「ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅」やマーレン・アデの「ありがとう、トニ・エルドマン」の系譜にあります。
新しい10年の始まりはコロナウイルスによって遅延してしまいました。それでもAndrey Paunov アンドレイ・パウノフ、Kamen Kalev カメン・カレフ、Drago Sholev ドラゴ・ショレフ、Svestoslav Draganov スヴェストラフ・ドラガノフ、Pavel Vesnakov パヴェル・ヴェスナコフの今年お披露目される予定の最新作を観るのは楽しみです。
"3/4"
TS:ブルガリア映画の現状はどのようなものでしょう? 外側から見ると状況は良いように思えます。新しい才能がとても有名な映画祭に次々と現れているからです。例えばロカルノのMina Mileva ミナ・ミレヴァとVesela Kazakova ヴェセラ・カザコヴァ、サン・セバスティアンのSvetla Tsotsorkova、トロントのIlian Metevなどです。しかし内側から見ると、現状はどのように見えるでしょう?
ここ10年、新しいブルガリア映画(30代から50代の映画作家によって製作された作品群です)はいくつかの最も特権的な国際映画祭において成功してきました。例えばカンヌ、ベルリン、ヴェネチア、ロカルノ、トロント、サンダンス、IDFA、HotDocs、カルロヴィ・ヴァリ、サラエボ、東京、EFAなどです。新しい世代はブルガリアの映画産業に新たな美的価値観とクオリティ高い制作スタンダードをもたらしました。こういった映画作家は自身に満ち溢れており、現代社会における主だった不安や危機を描く気概があります。テーマの多様性やスタイルやアプローチの相違に関わらず、彼らは自身の作品において芸術的な勇気、誠実さ、健康さを目指しているんです。
既に言及したKamen Kalev, Milko Lazarov, Ralitsa Petrova, Petar ValcthanovとKristina Grozevaらに加えて、この世代における他の重要な映画監督を挙げるならそれはIlian metevでしょう。彼はラディカルなデビュー長編"Sofia’s last ambulance"(2012年にカンヌで上映)で名を上げ、更に初の劇長編"3/4"(2017年のロカルノで上映)でその成功を乗り越えました。今作は繊細で即興的、芸術的な形で、機能不全家族を描いています。繊細さや詩的感触を持つ作品にはKonstantin BojanovやLybomir Mladenov、 Svetla Tsotsorkova ("Thirst"は2015年に、"Sister"は2019年にサン・セバスチャン、ワルシャワ、コットブスで上映)らの監督作があります。それらは小規模ながら人間心理を描き出した作品となっています。そしてTsotsorkovaは共同脚本家のSvetoslav Ovcharovとともに、人間の本能や登場人物たちの本質的な揺れを描いた素朴な物語を作りあげています。"Dreissig"(2019年にロッテルダムとベルリンで上映)は力強いチェーホフ的な物語で、ベルリンに生きる30代のヒップスターたちと、彼らの抱くくすんで頑強な存在論的虚無と説明できない哀しみを描いています。Tonislav Hristov トニスラフ・フリストフの"The Magic Life of V"(2019年にサンダンスとベルリンで上映)は若いフィンランド人女性を描いた繊細な作品で、彼女の子供時代のトラウマ的な出来事をロールプレイを通じて見据えています。
複雑で綿密に演出されたNadejda Koseva監督作"Irina"(2018年にワルシャワと香港で上映)と、超現実的で衝撃的、視覚的に印象深いMaya Vitkova監督作"Viktoria"(2014年にサンダンスで上映)は両作ともに、主演女優――Martina Apostolova マルティナ・アポストロヴァとIremna Chichikova イレムナ・チチコヴァ――による規格外の演技によって際立っています。知的で複層的、社会政治的な喜劇であるMina MilevaとVesela Kazakova監督作"Cat in the Wall"(2019年にロカルノで上映)と、洗練されて皮肉的なDrago Sholev監督作"Shelter"(2010年にサン・セバスチャンで上映)はどちらも世界の狭量さを黒いユーモアで描いています。Stephan Komandarev ステファン・コマンダレフの"Directions"(2017年にカンヌで上映)と"Rounds"(2019年にサラエボで上映)は尖鋭な社会批判に溢れています。
しかし現在のところ、若い映画作家たちの芸術的な可能性は十分に開花していないように思われます。質の悪い練習、ロビー活動、行政システムにおける亀裂の数々などによって監督たちは、映画製作に関する時代遅れのビジョンや以前の平凡な映画の歴史(映画祭と興行収入における失敗です)を押しつけられることが多々あります。疑問の余地あるクオリティの計画への国の助成金を獲得するためです。同時に、膨大な実例の1つとして、Ralitsa Petrovaは世界的な成功を収めた監督であることは否定しがたいですが、第2長編のための予算が獲得できないんです。何て馬鹿げてるんでしょう!
TS:それからブルガリアの映画批評の現状はどうでしょうか。外側からだと、その批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えるでしょう?
KL:ここ30年のブルガリアにおいて、人文学の分野は周縁化され、十分に賃金を与えられていない。しかし最悪なのは批評家の声が観客に届かないことです。観客は考えずにファストフード的な娯楽を消費したいからであるとともに、批評家の活動が時代遅れな故でもあります。世界は凄まじい速度で絶えず変わりつづけており、メディアもそれに合わせ変化しているんです。近頃、紙媒体はとても圧縮されています。利益がますます得られなくなってきているからです。それが贅沢になってきている訳ですね。なので映画批評も時とともに変化し、視覚的でデジタルなものになってきています。ビデオエッセイやポッドキャストにおいて高いレベルの批評が行われている素晴らしい例も存在します。思うにブルガリアの映画批評はもっと柔軟になり、新しい形態に順応していくべきです。それはもちろん批評を意味あるコンテンツで満たすためです。
TS:あなたはブルガリアの映画雑誌Kinoの編集者だとお聞きしました。日本の読者にKinoについて説明していただけませんか? ブルガリアの映画批評においてどういった機能を果たしているんでしょう?
KL:Kino Magazineはブルガリア映画監督組合による発行の隔月誌で、ブルガリアにおいて最も古い映画芸術専門の雑誌(1946年創刊です)であり、現在は唯一の存在でもあります。不幸なことに、私たちのメディアにおいて文化や芸術に関する空間は日に日に縮小しています。ゆえにKino Magazineで働けることはいつだって特権に思えます。思うにもっと良くなる可能性はあります。目を大きく開いて世界的な映画の潮流を観察し、新鮮な考えを持つ新しい批評家たちと共同していけばいいんです。
TS:ブルガリアの批評家の中で、世界のシネフィルに読まれたり、翻訳されたりするべき人物は誰でしょう?
KL:ブルガリアの映画批評家によるブルガリア映画についての論考集が近々発売されるのは素晴らしいことです。しかし特別に注目されるべき研究は2つほどあります。1つは天才的な、素晴らしい筆致を誇る歴史的な研究書"Poetics of Bulgarian Cinema"です。この本は映画作家で研究者でもあるKrassimir Krumov-Grec クラシミル・クルモフ=グレクによって書かれました。本書において彼はブルガリア映画におけるある規範、原型、汎用コードを細かく調査しています。もう1作はIngeborg Bratoeva-Darakchieva インゲボルグ・ブラトエヴァ=ダラクチエヴァの"Bulgarian cinema – from Kalin the Eagle to Mission London"です。ここでは、重要で高度に徹底した批評的分析によって、現代ブルガリア映画において周縁に置かれる登場人物たちの表象と利用法について興味深い点を示してくれます。
TS:ブルガリアの映画批評の未来についてどうお考えですか? 未来は明るいでしょうか、それとも暗いでしょうか?
KL:現在世代間には大きなギャップがあり、不幸なことに若く活動的で才能ある批評家というのはそう多くはありません。こんな状況に陥ったのには多くの理由がありますが、最も残酷な理由は芸術や文化についてのジャーナリズムが、過剰なレーティングや売れ筋の名の下に破壊されてしまったことです。
Yoana Pavlova ヨアナ・パヴロヴァやMariana Hristova マリアナ・フリストヴァ、Yordan Todorv ヨルダン・トドロフといった才能ある若い同僚たちはここ10年で外国に移住してしまいました。しかし幸運なのは、彼らの何人かは今でもブルガリアの雑誌に批評を執筆してくれることです。一方で、ロンドンで研究を続けていたSavina Petkova サヴィナ・ペトコヴァといった若い才能も現れ始めています。素晴らしいのはブルガリア科学アカデミー芸術学院が若い批評家や研究者を育てることで、このギャップを埋めようとしていることです。なので将来、ブルガリアの映画批評はもっと柔軟になり、高いプロ意識も優れた先輩批評家によって培われていくでしょう。
"Godless"