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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ナルシスとプシュケ、そしてハンガリー映画史~Interview with Csiger Ádám

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのはハンガリー映画批評家Csiger Ádám チゲル・アーダームだ。1988年生まれとハンガリーの批評家でも若い層に位置する彼は2009年からフリーランスとして活動を開始、英語とハンガリー語で映画評を寄稿しており、ハンガリーで最も有名な映画雑誌Filmvilágにも記事を執筆している。ということで今回彼にハンガリー映画との出会い、ハンガリー映画界の異端児Bódy Gábor ボーディ・ガーボル、そして2010年代を代表するハンガリー人作家Nemes László ネメシュ・ラースローの評価などなど様々なことについて尋ねてみた。ということで、再びハンガリー映画史への航海へ旅立て!

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? どのようにその夢を成し遂げましたか?

チゲル・アーダーム(CA):私が思うに映画とは最も豊かで複雑な芸術形態であり、その他の芸術全ての複合体なんです。多くのことを成し遂げる力があり、そこで観客は異なる視点、世界、そしてある意味では人生を経験することができます。映画は観客に対して世界を開くゆえに、恋に落ちるのは容易いでしょう。私はこの経験について書くのがいつも好きでしたし、ある理由からメモを取り続けてもいて、こうして映画批評家になったのは自然なことでした。同時に脚本の執筆も勉強しており、これが映画を批評するにあたってまた別の良い視点を与えてくれました。そうすることでこの職業にまつわる多くのトリックを学べますし、たくさんの初歩的な間違いを体験することもできますしね。それから私が映画批評が重要だと思うのは、映画には人の物事を考える方法を変える力があり、そういう意味で映画作家は責任を負っているからです。そういう意味で私が感銘を受けた映画が2つあります。1つが映画に関する知的な会話の数々がある「スクリーム」そしてもう1つがクラスで映画を学ぶ生徒たちが続編について語る場面のあるスクリーム2です。この場面を観ると大学でできる最もクールなことはこれだなと思えるし、実際そうなんですよね。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時ハンガリーではどういった映画を観ることができましたか?

CA:90年代とゼロ年代において、ハンガリーの映画館は今と同じようにハリウッド映画に支配されていました。良いハンガリー映画は少なく、故に子供の頃の私はTVを観ながら育ちました。ディズニーやカートゥーン・ネットワークドラゴンボールなどです。高校に通っていたゼロ年代、近くにラインナップの良いビデオテークがあり、文学の教師だった母とたくさん映画を観ました。その時はリベラルアーツを専攻していたんですが、それは映画の授業があったからで、映画理論と映画史で学位も取りました。実は私はハンガリー映画のファンではありません、そうであればと願ってはいるんですが。皆、自分の言語や文化、歴史にこそ最も密接に関われますからね。私の場合はアメリカ映画やイタリア映画、日本映画、それから古いB級映画作家主義的なジャンル映画(スコセッシ、デ・パルマタランティーノ、ヴァーホーベン、クローネンバーグなど)さらにテレンス・マリックデヴィッド・リンチアレハンドロ・ホドロフスキーといった作家たちの最も大胆な作品群、ブレイキング・バッドといった素晴らしいTVドラマなどです。他にも挙げましょう、マリオ・バーヴァダリオ・アルジェント石井輝夫塚本晋也三池崇史「鬼婆」「HOUSE -ハウス」「地獄」さらに素晴らしいアニメたちです。黒澤映画や「忍びの者」シリーズを観るのはスターウォーズを観るのと同じような体験でした。10年前に大学を卒業する頃、ハンガリーではトレントが普通となっていて、どんな映画でも簡単に観ることができました。ですが確信しているのは私はハンガリーで最も規模の大きいDVDコレクションを持っていることです。ここ数年、オーディオコメンタリーを収集しているんです。

TS:あなたが初めて観たハンガリー映画は何でしょう? その感想もぜひお聞きたいです。

CA:記憶が定かではありませんが、それでも1996年に観た"Honfoglalás"だと思います。ハンガリー人の国的なオリジンを描き出した歴史映画です。私は小学校に通う8歳の少年で、教師が授業の一環として私たちを映画館に連れていったんです。覚えているのは当時は幼いですから映画に注意を払っていなかったことですね。TVでは古典映画を観ることができましたが、次に観たハンガリー映画は当時のハリウッド映画に似た商業映画で1997年の"A miniszter félrelép"と2003年の"Kontroll"でした。それから映画を学ぶ生徒として"Körhinta""A tanú", "Szegénylegények", "Mephisto", "A kis Valentino"といったハンガリー映画史に影響の深い作品群をテストや卒業試験のために観ました。ですがハンガリー映画の価値を真に悟ったのは2016年、マーティン・スコセッシ「沈黙」――2010年代におけるベスト映画だと私は思います――が上映されて、それを観ながら"Szegénylegények"を思い出した時です。そこで私はスコセッシがJancsó Miklósの作品を礼賛していたことを思い出しました。

TS:あなたにとってハンガリー映画の最も際立った特色とは何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス黒いユーモアなどです。ではハンガリー映画についてはどうでしょう?

CA:思うにハンガリー映画において支配的なテーマを指摘するのは極端な素朴化であると思います。映画作家たちとのインタビューを読んだり、実際に敢行する中で学んだのは彼らは映画批評家のように全く考えないということです。彼らには彼ら自身の特定の興味と情熱がある訳ですよね。もちろん批評家の仕事はまた異なる考えを提示することでしょうが、しかしおそらく私たちの1人1人が自身が興味深く思うことを背景にこの問いを答えるのも面白いでしょう。私としては、ハンガリー映画の黄金時代は――50年代から80年代です――100万人という人口しか持たない、社会主義に独裁された、文字通りの第2世界である国から生まれたことを無視はできません。もちろんこれもやはり極端な素朴化でしょうが、黄金時代の傑作の数々は間違いなくあるレベルにいて作られた環境と対峙しています。

TS:ハンガリー映画史において最も重要な映画とは何でしょう? それは何故かもお聞きしたいです。

CA:もし1作選ぶとするならSzabó István サボー・イシュトヴァーン"Mephisto"でしょう。今作はハンガリー映画で初めてオスカー像を獲得した作品(外国語映画賞)で、主演はKlaus Maria Brandauer クラウス・マリア・ブランダウアーです。今作は俳優が直面する試練とナチ時代のドイツにおける苦難を描いたファウスト的な物語です。しかし同時に今作が属する時代のシステム、芸術家たちが個性と全体主義の間で戦い続けなくてはならなかったシステムについても描いていました。こんにちにおいて監督に関しては毀誉褒貶があります、彼は政府の秘密警察に与する密告者であったからです。今作は前の質問に対する答えが意味するものの良い例だとおも思います。

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TS:もし1本だけ好きなハンガリー映画を選ぶなら、どれを選びますか? その理由は一体何でしょう? 個人的な思い出がありますか?

CA:好きな映画と呼べるものはありません。しかし喜ばしい驚きを持っていたり、海外で広く観られるべき作品をいくつか挙げることができます。Jankovics Marcell ヤンコヴィチ・マルツェッルのアニメーションはクールな日本アニメのように素晴らしいです。例えば"János vitéz""Fehérlófia"など。それから"Szindbád"は監督Huszárik Zoltán フサーリク・ゾルターンと我らが"俳優の中の王"Latinovits Zoltán ラティノヴィツ・ゾルターンの豪華なコラボレーションでもあります。2人とも若くして亡くなってしまいましたが。"Meteo"は1990年に制作されたクールなポスト黙示録映画で、東側ブロックの時代の最後に作られた1作でした。そして2014年制作の"Van valami furcsa és megmagyarázhatatlan"ハンガリー「アニーホール」であり、私たちの世代を描きだすスナップショットなんです。

TS:海外において世界のシネフィルに最も有名な映画作家の1人はBódy Gábor ボーディ・ガーボルでしょう。"Nárcisz és Psyché""Kutya éji dala"といった作品群を観ると、これらの生々しさと悲痛さに心の底から感銘を受けます。彼の自由な、永遠に若き魂にはいつだって涙を流してしまいます。しかし彼や彼の作品は今ハンガリー人にどのように受容されているでしょう?

CA:彼は興味深く何とも謎めいた人物です。彼もまた密告者と言われており、不可解な状況で若くして亡くなったからです。彼は映画理論に興味があり、実験的な野心にも溢れていました。それと同時に巨大な1作"Nárcisz és Psyché"も作っていますね。私はウド・キア"Nárcisz és Psyché"についてインタビューする機会に恵まれたのですが、彼は今作が規格外なまでに大規模な予算で、撮影も長かったと語っていました。それから彼とキアーはTVドラマ("Krétakör""Katonák")も共に制作していますし、卒業制作である"Amerikai anzix"も発見する価値があります。私は他の人と違う理由で"Kutya éji dala"が好きですね。今作には私の好きなハンガリーのバンドVHK-Galloping Coronersが出演しているんです。学術的観点ではBódyは深く尊敬されていますが、思うにハンガリーにおいて彼は過小評価され、忘れ去られています。

TS:ハンガリー映画を観る時にいつも感動させられるのは、映画作家たちが息を呑む優雅さと綿密な努力によっていかに長回しを駆使しているかです。ハンガリー映画史を通じて、この技術は映画作家たちに受け継がれています。Radványi Géza ラドヴァーニ・ゲーザからJancsó MiklósGaál István ガール・イシュトヴァーンからBódy Gábor ボーディ・ガボールTarr Bélaからx……しかし私のような外国人にとって謎めいているのは、なぜこの技術が歴史を通じてハンガリー映画作家の魂に共鳴しているかです。この長回しへの傾倒の源は一体何でしょう、そしてどのようにこの技術は構築されていったんでしょう?

CA:あなたは正しいでしょう。これはハンガリー映画における伝統であり、最新の映画では例えば"Genezis"(監督はÁrpád Bogdán アールパード・ボグダーンです)などが挙げられます。しかし難しい質問ですね。博士号を持った学生や教授ならこのトピックに関して多くの時間を費やしているでしょう。そして私が前に言った通り、映画作家というのは皆異なっており、長回しも様々な形で使われています。例えばリアリズム――カット割りで現実を誤魔化さないための――からシンプルな演出までです。しかし映画作家たちは自身の師や理想からこれを受け継いでいるのでしょう。例えばJancsóはアントニオーニから、TarrはJancsóから、NemesはTarrから。そしてSzőts István セーツ・イシュトヴァーン"Emberek a havason"はイタリアのネオリアリズモに影響を受けていると言われていますし、私たちはイタリアからも影響を受けているのでしょう。

TS:そして2010年代のハンガリー映画界において最も重要な人物は間違いなくNemes Lászlóでしょう。彼のサウルの息子「サンセット」といった作品は世界の批評家やシネフィルから熱狂を以て受け入れられています。しかし本当に知りたいのはハンガリー史の闇を描きだす彼の作品群に対する、ハンガリー人たちの反応です。それからぜひとも彼に対するあなたの率直な意見もお聞きしたいですね。

CA:このテーマを問題としている人々はそう多くはないと思います。それでも少しだけですが、そういった問題が持ち上がることもあります。サウルの息子はオスカー像を獲得しただけでなく、ハンガリーで珍しく興行的にヒットを遂げました。おそらくカンヌでの熱狂が理由でしょう。私は今作について3回観て多くのことを書きましたし、DVDのオーディオコメンタリーにも参加しました。それ故に「サンセット」に関しては少し心配もしていました。監督は大きな期待に応えなくてはならなかったし、初監督作がヒットしたと作り手の皆が信じ、数々の成功の後に監督が自身が天才だと祭りあげられ完全な創造的自由とより多くの予算を与えられた挙句、野心的な失敗作を作ってしまう、いわゆる""2作目のスランプ"に陥ってしまうのではないかと思ったんです。これが正に起こったとは言いませんが、それでも「サンセット」サウルの息子よりも評判が極端なものになりました。少ない数の批評家は妥協なき芸術映画と賛辞を送りましたが、他は今作を不満に満ち焦点が合っていないと酷評しました。もう1度観る必要があるんでしょうが、思うにサウルの息子ではスタイルと内容が完璧にマッチしていましたが「サンセット」で異なる物語が同じ様式で語られる様は所見だと困惑させられるのです。本当に異なった映画でしたからね。しかし国際的に彼が認知されていることは嬉しく思います。

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TS:2010年代が数か月前に幕を閉じました。ここで聞きたいのは、2010年代において最も重要なハンガリー映画とは何だったのかということです。例えばNemes Lászlóサウルの息子("Saul fia")、Mundruczó Kornél ムンドルッツォ・コルネールホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲("Fehér isten")やEnyedi Ildikó エニェディ・イルディコー「心と体と」("Testről és lélekről")などなど。個人的にはTill Attila ティル・アッティラヒットマン・インポッシブル」("Tiszta szívvel")を挙げたいです。今作は2010年代における新鋭の1作として素晴らしく、その障害者に関する描写も目覚ましいものがあります。

CA:それはサウルの息子」になるでしょうね。2010年代に国家的なファイナンスを映画に行っていたのはAndy Vajna アンディ・ヴァイナ率いるFilm Fundであり、個人的に思うのはこの映画こそがこの10年で作りたかった私たちの映画であったということです。脚本や演出、演技が良いというだけでなく、35mmフィルムによって大きなスクリーンで体感するべき本物映画体験がここにはあるんです。Nemesは最もハンガリー的な映画製作の伝統を、例えば1985年制作のソ連映画「炎628」などから受け取ったインスピレーションと組み合わせた訳です。今作は私たちの歴史を描きながら、他方でとても普遍的なものです。それからこの映画は大作映画に見えながら実際は低予算なんです。スタイルにおいてとても魅力的でありながら物語自体はアンティゴネー」のように伝統的なものでもあります。

TS:ハンガリー映画界の現状はどういったものでしょう? 外側からだとそれは良いように思えます。Nemes László以降も、新しい才能たちが有名な映画祭に現れています。例えばロカルノKenyeres Bálint ケニェレシュ・バーリン、カンヌのSzilágyi Zsófia シラーディ・ジョーフィアヴェネチアHorvát Lili ホルヴァート・リリらです。しかし内側から見ると、現状はどのように見えますか?

CA:批評家という観点から見ると、ハンガリーには多くの才能がいて、驚くほどに面白い、時には過小評価すらされる映画をよく作っています(困難や小さな市場ゆえのチャレンジにも関わらずです)、そして私たちは鉄のカーテンが遠ざけていたこの芸術に関して今もまだ学び続けています。そうして皆と同じようにハンガリー人も芸術映画を作れると証明した訳です。そして今はジャンル映画を作ることで世界の関心を奪うことができる素晴らしい時代です。例えばパンデミック禍においてポーランド映画「愛は、365の日々で」Netflixを通じて大きなヒットを巻き起こしました。観客はその映画が好きでないにも関わらず!

TS:それからハンガリーの映画批評の現在はどういったものでしょう? 悲しいことに日本には情報がほとんどありません。しかし私はStrausz László シュトラウス・ラースローやBátori Anna バートリ・アンナ、Vincze Teréz ヴィンツェ・テレーズといった素晴らしいハンガリー人批評家の作品を読み、状況は良いように思えます。しかし内側からだと、現状はどのように見えますか?

CA:自然とより多くの映画雑誌や映画批評家が活躍しだしているのが分かって嬉しいのですが、本当に重要なのは量ではなく質なんです。故にもっと大きな国では私たちの国にいる批評家と同じほど優れた批評家がいるんでしょう。思うに、若い人々や映画作家を映画批評に興味を持たせるだけの力を持つ映画の研究者や批評家が多くいます。私自身、10数年前にエトヴェシュ・ロラーンド大学(ELTE)で伝説的な教授Király Jenő キラーリ・イェネーの最後の授業を受けられたことを幸運に思っています。それからELTEとデブレツェン大学ではこの職業を追求できるよう勇気づけてくれる教師たちと出会うこともできました。

TS:あなたはハンガリーの映画雑誌Filmvilágに記事を多く執筆していますね。ぜひこの雑誌について日本の読者に説明してください。この雑誌はハンガリーの映画批評においてどのような役割を果たしていますか?

CA:過去には数年間毎月記事を書いていましたね。今は時々で、最後の記事はシャンハイの映画祭についての記事で夏に掲載されました。この雑誌は月刊の紙媒体誌(名前の意味は"映画の世界"です)で、ハンガリーにおけるカイエ・デュ・シネマやSight&Soundのようなものです。スタンダードはとても野心あるもので、ハンガリーにおいて最も聡明な映画批評家たちのエッセーやインタビュー、レビューを掲載しています。ここに掲載されない限りは自分を映画批評家としては呼べないほどです。オンラインのアーカイブは映画についてどう書けばいいかを教えてくれますし、私自身も大学時代やもっと小さな雑誌に記事を書いていた若いフリーランスの頃にお世話になっていました。映画作家たちもこの雑誌を読んでおり、ある記事にはえとても影響を受けているのではないかと思っています。

TS:あなたにとってハンガリー映画界で最も注目すべき新たな才能は誰でしょう? 例えば私としてはそのアニメーションの繊細なタッチからSzöllősi Anna シェッレーシ・アンナを、ハンガリーのドス黒い現実への鋭い批評からBaranyi Benő バラニ・ベネーを挙げたいです。あなたのご意見はどうでしょう?

CA:この2人の若い映画作家にあなたの関心があるというのは嬉しいことです。しかし私自身が名前を挙げられるかというと定かではないです。何故なら映画製作とはチームワーク、皆による努力であり、監督たちが過大評価される一方で、脚本家やプロデューサー、撮影監督や俳優はかなり過小評価されています。しかし酷く過小評価されている作品として2018年制作の"Nyitva"を挙げたいです。セックスにまつわるロマンティック・コメディですが、とてもクオリティが高く、脚本はハリウッド的だとしても、最もホットな俳優たちで作られていると言えます。もし私がハリウッドのプロデューサーだったら今作をリメイクするでしょうね。物語はとても普遍的なテーマ、オープン・リレーションシップを描いており、観ている間は次の場面が気になってしょうがなくなるでしょう。Netflixで配信されています、日本で観られるかは分かりませんが、もし配信されているならぜひ観てみてください。それから"Post Mortem"という作品にも期待しています。歴史ものでありホラー映画という一粒で二度美味しい作品だそうです。

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