1980年代、マイノリティである白人によって統治されていた南アフリカ共和国において、人種隔離政策、いわゆるアパルトヘイトが頂点を極めていた。そんな中でこの国は、共産主義であったアンゴラ人民共和国における内戦に介入、共産主義政権を潰そうと活動していた。そこにおいて利用されたのが白人の若者たちである。彼らは一定の年齢になると軍隊に徴兵され、アンゴラへと送られることとなり、多くの尊い命が失われた。今回紹介するのはそんな南アフリカの負の歴史の裏側に隠された苦悩を描きだす、Oliver Hermanus監督作"Moffie"である。
今作の主人公は、英国の血を引く白人青年ニコラス(Kai Luke Brümmer)だ。彼もまた軍隊に徴兵されて、訓練を受けることになる。軍隊での生活は非人道的なものであり、日に日にニコラスは疲弊していく。そんな中で彼の隠していた秘密が少しずつ明らかになっていく。
まずこの作品は軍隊における壮絶なしごきの数々を静かに観察する。朝から晩まで訓練が続くなかで、上官に慈悲は一切存在しない。激烈な罵倒の数々を繰り返しながら、若者たちの身体と精神ともどもを追いつめていく。その一方で若者たちも暴力的、ホモソーシャル的な価値観を抱えており、いじめは日常茶飯事だ。そしてそこに赤黒い血が流れ続ける。
Jamie Ramsayによる撮影は観察的でありながらも、同時に詩的でもある。彼は手振れの多い移動撮影で軍隊の緊迫した空気感を捉えていきながら、その壮絶さのなかにすら宿る美についても同時に見据えている。ある時、若者たちは地面に塹壕を掘ることになるのだが、そこには茫漠たる不毛な大地と輝く暁がある。そんな自然に晒されて、ニコラスの皮膚は輝きを放つのだ。そういった詩情が今作には存在している。
だがその美には否応なく当時の南アフリカの狂態が関わってくる。アパルトヘイト下故に若者たちの黒人への差別意識は強烈で、彼らは黒人を見かけるとまるで上官のように罵倒を繰り返す。さらに白人社会の中においても差別は存在し、オランダ系は他の白人、例えば英国系を軽蔑している。そして英国の血を引くニコラスもやはりいじめの対象となるのだ。
そんな中である時点から今作の雰囲気は徐々に変わっていく。ある時、若者2人が隠れてセックスをしていたという容疑で糾弾されることになる。上官は兵士たちに1つの言葉を叫ぶよう要求する。"このホモ野郎! このホモ野郎!"。今作の題名"Moffie"はアフリカーンス語で"ホモ野郎"を意味するスラングであり、苦々しい攻撃性を持っている。そんな状況のなかで、ニコラスは複雑な表情を見せる。
ニコラスが抱える秘密というのは彼がゲイであるということだ。だが彼は過去の出来事からこの事実を隠すことになり、更に軍隊生活のなかでこれを否定し尽くそうとする。同時に彼は同僚である若者たちの肉体に欲望を抱き、そして友人に曖昧な恋慕を抱くことを抑えられないでいる。
ここにおいて新たに際立ってくるのは撮影の官能性である。例えばニコラスが夜の大地で、友人の隣で眠る場面がある。彼らの重なりあう凍てつきながら熱烈な視線、互いの身体を愛おしむような手つき、夜の群青に艶めく若い皮膚。そこには息を呑むような親密さがあるのだ。
撮影監督であるRamsayの官能性を伴う視線は、まるでニコラスの抱く欲望を肯定するようなものだ。特に若者たちの剥き出しの身体が太陽に晒された時、弾ける汗や肌の煌めきといえば目も眩むようだ。この視線はニコラスの男性たち一般への憧憬の視線とも重なるのだろう。
しかし状況はあまりにも過酷なものだ。上官や同僚たちによる罵倒と暴力の嵐に加え、ある時に先述した、"ホモ野郎"と罵られた青年が兵士たちの前で自殺してしまう。この状況をニコラスは何とか無表情を以てやりすごそうとしながら、過酷さは時が経つにつれ更に極まっていく。
Hermanus監督は以前にも南アフリカでゲイであることについての映画を監督している。彼の第2長編"Skoonheid"はゲイであることを隠し家族を築いた中年男性が、友人の息子に恋をするという物語だった。しかしこちらがより直接的であった一方で、今回の"Moffie"はより繊細で、仄めかしに近いアプローチを取っている。ニコラスは自分がゲイであることを一切口外はしない。しかし監督は彼の視線や彼の過去、それに加え若者たちの肌の煌めきから彼のゲイとしての欲望を示唆する。
そして物語はアンゴラ内戦へと突入していくのだが、ここにおいて作品に満ちる空気感はより荒涼たるものになっていく。いつ誰の命が失われてもおかしくない極限の状況下で、ニコラスは戦争の悍ましさを、残酷さを見据えることになる。
今作の鍵となる存在はニコラスを演じるKai Luke Brümmerに他ならないだろう。彼は軍隊に入るには相応しく思えない痩せっぽちの青年であり、常に冷ややかな表情を顔に張りつけている。だがこの寡黙な痩身には抗いがたい欲望が宿っており、それをBrümmerは静かに、豊穣に表現する。彼の存在感こそが正に映画を支えている。
"Moffie"は南アフリカの負の歴史を背景として、この国でゲイとして生きることの苦悩を綴った過酷で、しかし官能的な1作だ。私たちはニコラスのその寂しげな、切ない視線にその道行きの幸福を祈らざるを得ないだろう。