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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Ru Hasanov&"The Island Within"/アゼルバイジャン、心の彷徨い

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日本ではあまり知られていないが、アゼルバイジャンはチェスの強豪国である。この国にはヴガル・ガシモフガルリ・カスパロフといった数多くのチェス・チャンピオンがおり、例えば2019年には世界U-16チェスオリンピックでは幾つもの優勝候補を破り、アゼルバイジャンが優勝を勝ち取った。そうした栄光の歴史を持つアゼルバイジャンだが、このチェスを通じてこの国の現在を描きだそうとする1作が今回紹介するRu Hasanov監督作"The Island Within"である。

今作の主人公はセイムル(Orkhan Ata)という青年である。彼はチェス・チャンピオンとして世界的に活躍する日々を送っているのだが、その絢爛たる日々に猜疑心を抱いていた。彼は自分の人生を生きられていないという不全感に苛まれながら、しかし負の螺旋から逃れられずにいる。

まず"The Island Within"はそんなセイムルの思い通りにならない人生を描きだしていく。その大きな原因の1つが父親(Vidadi Hasanov)である。彼はコーチ兼マネージャーとして常にセイムルと一緒にいるのだが、その強権的な性格によって彼を支配し続けている。セイムルは父に反抗することができず、半ば奴隷のような生活を続ける他ない。

更に彼の職業がチェス・プレイヤーというのも問題だった。先述通り伝説的なプレイヤーを多く輩出するアゼルバイジャンにとって、チェスは国家的な事業である。チェス・プレイヤーは正に国家の代表的な存在なのだ。その重圧が常にセイムルの背中にはかかる訳である。そして彼の心は徐々に圧し潰されていくのだ。

今作の演出の中心は静謐に満ちたリアリズムだ。撮影監督Orkhan Abbasofとともに、Hasanov監督は登場人物たちの動きを怜悧に見据えていく。特に印象的に浮かびあがるのはセイムルや父の表情の微妙な移り変わりだ。当惑に塗り潰されたセイムルの顔、彫刻刀で彫った傷のような皺で溢れた父の顔、そこで複雑微妙な感情の揺らぎが現れるのだ。そしてこれが映画に静かな緊張感を与えるのである。

そんなセイムルは祖父からとある弧島での生活について聞いてから、島でたった独りで生活することを夢想しだす。そして社会からのプレッシャーに加え祖父の死の報せによって精神が限界まで来た時、彼は衝動的に夢想を実行に移す。セイムルは祖父が話していた孤島へと実際に赴き、ここでの生活を始めることにしたのだ。

ここで撮影監督Abbasofは島の大いなる自然にその視線を向けることになる。夜の闇のなかで群青色に光る海、広野の中心に位置する巨大な廃墟、大地を這う錆びた線路、荒野を勇大に駆け抜ける馬たちの群れ。中でも特に私たちの目を惹くのは水平線で輝く夕日だ。黄金の黄昏に包まれながら、セイムルは荒野をフラフラと彷徨い歩く。その時、彼は心の解放を味わうのだ。

そして次第に監督の演出も内省的なものになっていく。自由なる自然のなかでセイムルの氷結した精神は少しずつ溶けていき、生命力を取り戻していく。この絶海の孤島で、彼の魂は初めて救われるのである。例えそこに追手が迫っているとしても、この事実を消し去ることは誰にもできないだろう。こうして"The Island Within"は現代に生きるアゼルバイジャン人の心の彷徨を印象的に描きだしているのである。

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