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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいハンガリー・アニメーションのすべてについて教えましょう~Interview with Varga Zoltán (Part 2)

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razzmatazzrazzledazzle.hatenablog.com

ということでVarga Zoltánへのインタビュー後編です。ここでは2010年代における最も重要なハンガリー・アニメーション、この世界における最も偉大な巨匠であるJankovics MarcellCsaba Vargaについて、そしてハンガリー・アニメーションの未来について語ってもらった。それではどうぞ。

TS:2010年代も数か月前に幕を閉じました。そこで聞きたいのは2010年代に最も重要なハンガリー・アニメーションは何かということです。例えばMilorad Krstić ミロラド・クルスティチの"Ruben Brandt, a gyűjtő"("ルーベン・ブラント、収集家")、 Luca Tóth ルカ・トート"Superbia"("プライド")、それからMarcell Jankovics"Az ember tragédiája"("人間の悲劇")などです。しかしあなたの意見はどういったものでしょう?

VZ:多くの人が賛成してくれると思いますが、2010年代はハンガリー・アニメーションにおいて熱狂的な10年であり、少なくとも2000年代よりも素晴らしかったでしょう。2011年からほとんど10年が経ち、こう振り返ってみるとこの年は象徴的な年だったなと思います。2011年はJankovics Marcell"Az ember tragédiája"を完成させ(彼と同僚たちは今作を完成させるのに20年以上かけたんです!)さらに2011年の終りには"Hungarian Folk Tales"が100本目のエピソードを放映しました。おそらくこの偶然はより大局的な視点において象徴的、もしくは分水嶺的な瞬間だったのでしょう。幸運なことに"Az ember tragédiája""Hungarian Folk Tales"を完成させた人々は今もアニメーション制作を続けており、Jankovics Marcell自身も前は今作が最後のアニメーション映画だと宣言していましたが、今も続けています。例えば2010年代の終りに彼は新しい作品をアニメ化に挑戦し始めました。Jankovicsと彼のスタッフは19世紀に書かれた、ハンガリー文学史において最も重要な物語詩の1つである、Arany János アラニ・ヤーノシュ"Toldi"のアニメーション作品を現在制作中です。今作はKecskemétfilmの制作によるアニメシリーズになりますが、長編映画版も作られる予定です。このプロジェクトはハンガリーで今進められている作品の中で最も興奮させられるものの1つでもあります。

2010年代に起こった出来事に戻ると、2011年に象徴的な形で先述のアニメーションが完成した後、新しい何かが始まりました。おそらく私たちはそれをハンガリー・アニメーションの"また新しき新たな波"と呼ぶことができるでしょう。それはMOME Anim(モホイ・ナジ大学・芸術デザイン部門のアニメーション科です)が自身の卒業制作や最初の個人的な短編作を披露することになった時からですね。MOME Animの教育プログラムはFülöp József フュレプ・ヨーセフによって進められ、生徒たちの成功した映画作品は彼の功績とも見做されています。彼は過去から現在までプロデューサーとしてそういった映画の製作に貢献してきたんです。他に語るべきなのは以前からMOME Animで作られた映画には広く注目された作品も多く、しかし2010年代は特にここで制作された短編アニメーションが世界的に成功した時代と言えることです。この流れの最初に位置する作品は2013年制作であるVácz Péter ヴァーツィ・ペーテル"Nyuszi és Őz"("ウサギとシカ")で、120以上の国際的映画祭で上映されました。そこから多くの出来のよい映画がハンガリー国内でも世界でも成功を遂げたんです。ゆえにこの流れ、もしくは流行は2010年代においてハンガリー・アニメーションの最も重要な発展と考えられるでしょう。

特に1人の映画作家を挙げるなら、それは間違いなくBucsi Réka ブチ・レーカでしょう。"Symphony No.42""Love""Solar Walk"といった作品が最も有名ですが(特に"Symphony No.42"はアカデミー賞ノミネートにとても近かったです)私にとって興味深いのは彼女の周囲にいる人物、例えば同僚や友人たちが素晴らしい作品を作る流れにあることです(例えばKreif Zsuzsanna クレイフ・スサンナ、Tóth Luca、Andrasev Nadja、Wunder Judit ヴンダー・ユディトらです)そして彼女の映画はとても軽やかでありながら哲学的であり、超現実的なファンタジーや不条理なユーモアとの関係はかけがえないものです。彼女の作品群には多くの相似性があり(例えばスタイル的、語り的な要素においてです)しかし本質的な相違も見受けられ、ゆえに相似性と相違のダイナミクスがとても明確で、すこぶる豊穣に多層化したこの映画作家のアプローチを説明していると言えます。

TS:そして2010年代のハンガリー・アニメーションにおける際立った流れとして女性アニメーターの台頭が挙げられます。Tóth LucaやAndrasev Nadja、Szöllősi Anna、Bucsi Rékaといった才能は皆女性であり、他にもその名前を挙げることは容易いです。しかし一方でハンガリーには既に長い間多くの女性アニメーション作家がいながら、言語の問題や性差別によって私を含めて世界の批評家やシネフィルに無視されてきたのではないかとも思われます。そこでお尋ねしたいのはハンガリー・アニメーション史における女性アニメーション作家の立ち位置です。元々彼女たちは多くいたのでしょうか、それとも最近になって数が増えてきたんでしょうか?

あなたの考えは正しいです。2010年代のハンガリー・アニメーションを考えるにあたり女性アニメーション作家の台頭は際立って明確です。先の質問で話した"また新しき新たな波"は女性作家で占められています。これは単純な"頭数"にまつわる問いではありません。彼女らの芸術的ヴィジョンはハンガリー・アニメーションの美学においてオリジナルなアプローチを提供してくれます。例えその作品がとても個人的な様式で作られているとしても、彼女らの野心がセクシュアリティジェンダーといった問題を直視しているのは普通のように思われます。Tóth Luca"Superbia""Lidérc úr"("ミスター生霊")、Wunder Judit"Kötelék"("絆")、Andrasev Nadja"A nyalintás nesze"("舐める時の騒音")や"Szimbiózis"("共生")、Lovrity Katalin Anna ロヴリティ・カタリン・アンナ"Vulkánsziget"("火山の島")、Buda Anna Flóra ブダ・アンナ・フローラ"Entrópia"("エントロピー")といった作品群はこの潮流を最も明白に象徴するアニメーションであり、極個人的なアプローチを使いながらもとても異なるやり方で、上述の問題の数々を描きだしています。ゆえにこれはハンガリー・アニメーションの"カンバス"における新たな"点"であるのは間違いないでしょう。

しかし忘れるべきではないのは彼女たちに先立って活躍した女性アニメーション作家たちです。ハンガリー・アニメーションは数十年もの間男性が支配していたにも関わらず、この分野でも才能ある女性芸術家が活躍していました。共産主義時代、とても個人的な作品によって成功した作家を最低でも3人は挙げられます。1970年代のブダペストにおいてはMacskássy KatalinKeresztes Dóraが際立ったアニメーション短編を製作し、すぐさま注目されました。Macskássy Katalinの特異性はアニメーションとドキュメンタリーの独特な融合であり、それは彼女が映像の構成物として数百枚もの子供たちの絵を使ったこととも関連しています。そして音は日常や家族、もしくは未来についてどう思っているか、休日において何がしたいかという子供たちとのインタビューから引用されています(例えば"Gombnyomásra""Nekem az élet teccik nagyon""Ünnepeink"といった作品です)Keresztes Dóraの作品は物の姿や空間が頻繁に変貌していく、夢のような世界における色とりどりの風景を観客に披露します。彼女の映像様式は民話やシュールレアリズム、言葉遊びと密接に関わっています("Holdasfilm""Garabonciák"といった作品です)そして3人目はケチュケメートのスタジオの発達に貢献した芸術家の1人Horváth Mária ホルヴァート・マーリアです。彼女の映画は先述した女性作家よりもより多面的な作品となっています。しかしkeresztesと似たように、彼女も夢の世界、詩、子供時代のファンタジーといったものに深く興味を持っており、しかしその作品における演出装置は――特に演出道具に関して――とても多様です。最初の作品"Az éjszaka csodái"("夜の奇跡")はハンガリ―人詩人Weöres Sándor ウェエレシュ・シャーンドルのシュール詩を基としています。そしてケチュケメートのスタジオにおいて最初に世界的成功を収めた1本でした(オタワで2等賞を獲得したんです)この後彼女は"Zöldfa utca 66"("緑の木通り66番地")や"Állóképek"("静止画")など誌的な短編を製作し、"Hungarian Folk Tales"のエピソード監督も務めました(そして同時期に活躍した女性アニメーション作家としてHáy Ágnes ハーイ・アグネーシュも挙げられます。彼女は正式な映画製作には関わっていませんが、実験映画作家としてハンガリーで最も早く粘土をアニメーションに使用した人物でした)

共産主義が終った後、1990年代から2000年代にかけてもにも際立った才能を持つ女性アニメーション作家が現れました。名前を挙げるにも労力を費やす必要もありません。Tóth M. Évaハンガリー・アニメーション研究について語る際に名前を挙げましたが、とても表現主義的なイメージ(白黒が基調となっています)を紡ぐ作家であり、流れるようなイメージに官能的な雰囲気が刻まれています(例えば"Jelenések"などです)Rogusz Kinga ログス・キンガが作ったのは喪失と痛み、思い出にまつわる悲しくも美しい作品"Arlequin"です。Péterffy Zsófia ペーテルッフィ・ジョーフィア"Kalózok szeretője"("海賊たちの恋人")はFrançois Villon フランソワーズ・ヴィロンのバラードを基とした不穏なアニメーションで、ヴェネチア映画祭で賞を獲得しました。Neuberger Gizellaは最初Kecskemétfilmで背景画家をしていましたが、監督として興味深い実験アニメーションを製作しており、その作品はクオリティの割に知名度が低く、私としてはここ10年で最も過小評価されたハンガリー・アニメーションではないかと思っています。そんな1作が"A zöldségleves"("野菜スープ")であり、とても遊び心に溢れたサイケなヴィジョンを纏っています。そして最後に挙げたいのはGlaser Katalinです。彼女の作品には魅力的な"FIN"や、2010年代のハンガリー・アニメーションにおいて最も重要で可愛らしい短編映画"Három nagymamám volt"("私には3人のおばあちゃんがいる")があります。先に言った通り、このハンガリーの女性アニメーション作家にまつわるリストは今まで挙げた作家だけでは完成には至りません。言及したのは基本的に、作品が最も重要と思われる、もしくは私が最も親しんでいるアニメーション作家に限っています。

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TS:海外においてシネフィルに最も有名なハンガリー人アニメーション作家はJankovics Marcellでしょう。"Sisyphus""Fehérlófia"といった作品を観るたび、その自由で極彩色に溢れた作風に感銘を受けます。特に"Fehérlófia"は今年アメリカで再上映され、世界のシネフィルから再評価を受けていますね。しかし現在のハンガリーにおいて彼と彼の作品はどのように評価されているでしょう? そして彼に対するあなたの正直な意見も知りたいです。

VZ:個人的な内容から話させてください。去年私はJankovics Marcellのアニメーション作品に関する長いエッセーを書くという栄光に恵まれ、彼の作品群を紹介する美しいアルバムに収録されることになりました(含まれているのは彼のアニメーションだけでなく彼の美術・文化史家としての仕事もです)なので彼の作品について徹底的に研究し、これをエッセーに記していくうち、彼のアニメーション作品の虜になり、ハンガリーひいては世界中の皆が同じことを言うだろうという事実に納得することになりました。

Jankovicsはアニメーションの全ての形態において、最も重要なハンガリー・アニメーションを創造しました。最も有名な短編"Sisyphus""Küzdők"について話しましたね。それからシリーズ作品である"Hungarian Folk Tales"は彼の貢献が無ければ全く違うものになっていたでしょう。彼は全エピソードの映像様式はハンガリーの民話における装飾パターンをなぞるべきだと考えを持っていました。そして彼はハンガリー・アニメーション界において初の長編を作った人物であり、1973年に上映された本作のタイトルは"János vitéz"("コーンパイプのヤーノシュ")でした。そして今作は彼のキャリアにおいて分岐点となりました。Jankovicsはここから先自身の映画はハンガリーの文化的遺産と密接に繋がるべきだとし、彼の作品はほとんど全てが装飾的アニメーションとなったのでした(彼の初期アニメーションは素晴らしい1作"Hídavatás"を含め諷刺的アニメーションでしたが、後にその殆どを放棄することとなりました)しかしながら彼は装飾的様式でも異なる方法を使い続ける傾向にあり、自身だけのパーソナルな様式を発展させるのは慎重に避けていました。彼の信念は作っている映画に最も適した特定の様式を高めていくというものでした。"János vitéz"や、"Fehérlófia""Ének a csodaszarvasról"("奇跡の雌鹿の歌")、"Az ember tragédiája"などの他の長編、それから"Hungarian Folk Tales""Mondák a magyar történelemből"("ハンガリー史の伝説")、"Toldi"(未だ製作途中ですが)といったシリーズもハンガリーの民話や歴史、文学に即しています。そして成功した作品の幾つかは深くパーソナルでかつ同時に普遍的でもあるんです(その例が"Sisyphus""Küzdők"ですね)Jankovicsはある種の仕事中毒で、1980年代には美術・文化史家としての"第2のキャリア"を歩み始めるほどでした。彼は数百のエッセー、数十冊の本を執筆しましたが、その内容は一般におけるシンボルの解釈、そしてある特定のシンボルについてでした(例えば彼は太陽や木というシンボルにまつわる本をそれぞれ書いたんです)見ての通り、研究者としての彼の関心の分野はアニメーション制作に密接に関わっています。例えば、象徴的な要素は"Fehérlófia"の激化した映像的様式化を占めています。

彼の長編映画の受容については語るべきことがあります。中でも最初のたった1作"János vitéz"だけが大きな成功を収め、ハンガリーでも広く受容された後、今作は最も偉大なハンガリー・アニメーションの1つに数えられています。しかし他の作品の評価は割れています。おそらく"Fehérlófia"の評価は最も興味深いもので、"János vitéz"と比べ大きな成功を収めませんでしたが、多くの人々――私含めです――がJankovicsにとっての傑作と見做しており、カルト的な評価を獲得しています。監督自身も、小さな子供たちが今作の催眠的なイメージの数々が彼らの夢に似ているということで"中毒"になっていることを知り、それを誇りに思っているんです。あなたが指摘した通り"Fehérlófia"の修復作業と再上映のおかげで、世界のより多くの人々がどんどん魅了されていっています。

彼が1990年代以降に作った長編は未だ再評価されていません。"Ének a csodaszarvasról"はプレミア時あまり良い評価を受けることができず、そのリズムや詰め込み過ぎた語りの構成という問題点もあり、それもある程度理解できます。しかしJankovicsの最も素晴らしい映像的要素の数々(人々はそれを"トリップ的な"と呼んでいます)が今作にも見られます。私の知る限り、長編作品でも"Ének a csodaszarvasról"は世界的に最も知られていません。それから"Az ember tragédiája"はプレミア時に過小評価されたと思っていますし、私は再評価の時が来ると確信しています――少なくともそう願っています、"Fehérlófia"がそうであったように。この記念碑的な(160分あります!)アニメーション作品は19世紀後半にMadách Imre マダーチ・イムレによって書かれた深遠なまでに哲学的な戯曲を基にしています。制作には20年以上もかかりました! Jankovicsは80年代初頭にアニメ化の計画を立てており、最初の場面はその終りに描かれました。しかし作品自体が完成したのは――先述した通りですが――2011年だったんです(アニメーションの歴史においておそらく彼以上に夢の計画に歳月を捧げた人物はRichard Williams リチャード・ウィリアムス以外にはいないでしょう。しかし私の認識が間違いでないならその1作アラビアンナイトは彼が元々求めていた形とはなりませんでした)

彼の脚色は基になったテキストに拘泥する類のものではありませんでした。映像的な層はある種の時代錯誤に満ちており、ゆえにアニメ版は"普通の"脚色ではありませんが、同時にオリジナルの勇気ある再解釈とも言えます(必然的に不均衡があるとしてもです)そして今作はJankovicsが持つ、人間の歴史、特にその芸術の歴史に関する驚くほどの知識を象徴してもいます。各エピソードにおいては異なる様式が使われながら、その全てがエピソードの舞台となる時代に作られた芸術を基にしています。"Az ember tragédiája"は過去についてだけの話ではなく、可能性ある未来に対する活き活きとした警告をも提供してくれるんです(それから私たちが生きる現在についても)世界中で人々がフランツ・カフカジョージ・オーウェルルイス・ブニュエルといった人物が描きだすような悪夢的世界へ深く深く沈んでいく中で、今作のある部分は驚くほど今日的です。例えばロンドンでのエピソードの最後におけるあの奇妙な死の舞踏や、次のエピソードにおけるFalansterと呼ばれる硬質なディストピア世界などです。おそらくこれは悲観的なアプローチ(私にとっても遠くないものです)でしょうが、私たちは自分の生きる世界を過渡の局面と見ることになるでしょう。死の舞踏は徐々に、しかし確実にディストピア世界に溶けていくんです(おそらく私は間違っているでしょう。そう願っています)そして最後に私たちが思い出すべきは、彼のアニメーション作品の流れは完成していません。彼は今なお"Toldi"を製作しているんです。

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TS:個人的に最も好きなハンガリーのアニメーション作家はVarga Csabaです。先にも名前を挙げたハンガリーのアニメーターSzöllősi Annaに勧められ、私は彼の短編"A szél"("風")を観たのですが、心の底から感動しました。様々なイメージが美しくかつ奇妙に互いと重なっていき、人間の想像力への深遠なる瞑想へと昇華されていきます。そして次に私は"Bestiak"("獣")を観て"A szél "と劇的なまでに異なる作風、そして爆発的な傑作ぶりにまた驚かされました。ここで詳しく聞きたいのは彼の人生や作品についてです。彼と彼の作品はハンガリーのシネフィルにどのように受容されているでしょう?

VZ:あなたが彼の"A szél"に言及してくれてとても嬉しいです。というのも本作は最も重要なハンガリー・アニメーションの1つに属する作品だからです。そしてその2本の作品がいかに異なるかにあなたが驚いたのは何も偶然ではありません。彼のフィルモグラフィを見ると、Varga Csabaというアニメーション作家の作品は頗る多方面に渡っていたというのが分かります。実際彼の同僚や友人たちはCsabaはアニメーションを製作する時に同じ手法は2度と使わなかったと何度も証言しています。なので表面上、彼のアニメーション作品は広範なアプローチや様式、形態を見せてくれます。後者に関する限りでは、Csabaは手書きアニメーションの巨匠であっただけでなく、"A szél"が証明している通り、彼が粘土を駆使してアニメーションを作り始めたハンガリーで最初の映画作家の1人だとも分かります。アウグスツァという粘土で作られたヒロインは1980年代初頭に作られた"Ebéd – Kedvesem főz"("午餐会――私の愛する人が料理をしている")から登場しますが、この不器用な女性がコミカルなアニメシリーズの主人公となるんです。Csabaはストップモーションにおける様々な技法(特にオブジェクト・アニメーションです)を駆使して、より気味が悪いアニメシリーズ"Szekrénymesék"("食器棚のお話")も制作しました。そのイメージはチェコの天才アニメーション作家であるヤン・シュヴァンクマイエルの途轍もなく不気味な世界観にとても近いです。

Vargaの手書きアニメーションが瞑想的でより哲学的なアプローチを取っている一方で、アウグスツァが主人公であるシリーズには彼の驚くほどグロテスクなユーモアセンスが表れています。ここで取り上げたいのは8年前にVargaが亡くなった時書かれたOrosz Ida Annaのエッセーです。表面上の折衷主義にいて、彼の作品の多くには反復されるモチーフがあると言います。これらのモチーフは時、もしくは時の流れ、そして――Oroszによれば――現在進行形という概念が中心となっていると。"A szél"や同様に魅力的な"Időben elmosódva"("時に消えていく")といった作品は時の神秘性に関する最も力強い映像的問いであるでしょう。同様に彼はハンガリー・アニメーション史において優れたオーガナイザーの1人であったことも忘れるべきではありません。元々彼は数学を学んだ美術教師であり、1970年代にペーチュのアニメーション団体においてアマチュアのアニメーション作家として存在感を発揮したんでした。Yxilonという彼のスタジオは1979年にパンノーニア映画スタジオ2つ目の地方スタジオとして再編成され、Csabaは1980年代中盤までリーダーを務めたんでした。

ペーチュに設立されたスタジオは不当に知られていませんし、ここ数十年でもはや忘れ去られてしまっています。そこでここではこのスタジオについて語らせてください。Varga Csaba以外にも知名度は低いですが素晴らしい作家が多くいました。スタジオのチームはPásztor Ágnes パーストル・アーグネシュ、Kismányoky Károly キシュマーニョキ・カーロイ、Ficzek Frenc フィツェク・フェレンツ、Baksa Tamás バクシャ・タマーシュ、Markó Nándor マルコー・ナーンドル、Papp Kása Károly パップ・カーサ・カーロイら力強いメンバーで構成されています。ここで作られた短編映画はVarga自身の作品と似たようなところがあり、殆どが実験的な作品となっています(例えばFiczekの謎めきながら魅力に満ちた"Hátrahagyott kijáratok"をご覧ください)そしてアウグスツァのアニメシリーズに加えて"Trombi és a Tűzmanó"("トロンビと炎のゴブリン")というとてもコミカルなアニメシリーズもこのペーチュのスタジオで作られました。消防団(登場人物は人間のような姿をした動物です)を描いたアニメーションでした。1980年代の終りには長編映画も作られており、その1本がアーサー王の物語をパロディ化した"Sárkány és papucs"("ドラゴンとスリッパ")でした。共産主義が終りを告げ、スタジオが株式会社ファニーフィルム(Funny Film Ltd)として独立した後、その時はHernádi Tibor ヘルナーディ・ティボルがリーダーをしたいたのですが、主となる作品はレッドブルというエナジードリンクのコミカルなCMシリーズでした。2013年にスタジオが閉鎖されるまで、130ものCMがそこで作られました。スタジオのコラボレーターの1人で私の友人でもあるKardos Andrea カルドシュ・アンドレはペーチュにおけるアニメーションの遺産に関心が向くよう多くの活動を行っています。このスタジオの遺産を披露する展覧会を定期的に行い、この地でのアニメーション映画製作の物語を要約しています。この短いバイパスとともに、私はペーチュに設立されたスタジオの役割を研究しない限り、ハンガリー・アニメーションの歴史は完成しないと強調してきました。

Varga Csabaの話に戻ると、共産主義の時代において彼はプライベートなアニメーション・スタジオを設立した(Erkel András エルケル・アンドラーシュと共同でですが)のはとても重要なことです。それをしたのは1988年、共産主義崩壊の直前です。ヴァルガ・スタジオ(Varga Studio)はブダペストに位置し、1990年代にパンノーニア映画スタジオが閉鎖した後は最も影響力のあるスタジオの1つとなりました。ある一方でヴァルガ・スタジオはヨーロッパやアメリカなど海外からの多くの仕事をこなし、他方では実験アニメーションの制作を奨励しながら、主に中欧と東欧から若く才能ある芸術家たちを招聘しました。例えばMilorad Krstićはこのスタジオで"My Baby Left Me"というユーモア溢れる作品を作り、国際的な映画祭において人気を博します(後に彼は"Ruben Brandt, a gyűjtő"を製作、あなたが先に言った通り再び世界的な評価を獲得します)Varga自身は1990年代に幾つかの実験映画を作った後、20世紀の最後には1時間半に渡る粘土アニメーション"Don Quijote"(1999)を製作しました。今作の主人公は監督にとって苦くて甘い自画像のようでした。そしてVargaはアニメーション制作から引退することになります。そしてJankovicsと似たような形で人生を歴史の研究に捧げることになります。彼はハンガリーの古代史や、言語と執筆にまつわる古代史についての本を出版しました。彼は正に規格外の人物です。彼の遺産はハンガリー・アニメーションにおいて最も偉大な達成の1つとして見做せるでしょう。

TS:ハンガリー・アニメーションの現状はどういったものでしょう? 外側から見ればそれは良いように思えます。多くの才能が有名な映画祭から現れています。例えばカンヌのTóth Luca、SXSWのAndrasev NadjaサラエボSzöllősi Annaらです。しかし内側からだとその実情はどう見えているでしょう?

VZ:この問いに関して真に関連性のあることを言うのは少しばかり難しいでしょう。何故なら私はアニメーション映画を研究する立場の人間で、実際に作る側の人間ではないからです。つまり映画作家たちが直面する問題の数々は彼らが映画を製作する前、もしくは作っている途中に現れるものですが、私が問題を認めるのは――それも彼らとは違う類の問題ですが――映画が完成しリリースされた後です(笑)ということでこれはとても複雑な問いとなります。

なのでアニメ作家たち自身の考えをここで引用することを気にしないで頂きたいです。去年ハンガリー映画アカデミーが"Magyar animációs alkotók"("ハンガリーのアニメーション作家たち")というとても有益な本を出版しました。編者はFülöp JózsefKollarik Tamás コッラリク・タマーシュです。この本はアニメーションという領域(殆どが監督ですが、何人かはプロデューサーやスタジオのトップもいます)で働いている(もしくは働いていた)19人の人物へのインタビューが構成されています。多くは様々な分野において解決されていない問題があることを強調しています。例えばファイナンスや制作過程、配給などですね。適切なファイナンスや専門家が欠けているゆえに頻繁に深刻な難関が訪れるんです。そして彼らはアニメーター(つまり動きや運動をデザインする役割を果たす人物です)の不足を特に問題視しています。そしてアニメーション制作に制作した脚本家やプロデューサーが多くないことにも言及しているんです。世界中の観客があらゆる映画(アニメーション含め)が巷に余りにも多く溢れていることに圧倒されているという事実によって、特定の顧客を捉えるのが昔よりもとても難しくなっています。

しかしながら、ハンガリー・アニメーションにおいて間違いなく栄光を獲得している将来を嘱望された才能がいることも真実でしょう。先に私がBucsi Rékaの成功に、そしてあなたは他の作家に言及しましたが、才能という面において現代のハンガリー・アニメーションには間違いなく可能性があるということに疑いはありません。前世紀にキャリアを始めた最も重要なアニメーション作家たちの中には今でも活動している者もいます。例えばJankovicsやOrosz IstvánCakó Ferencらですね。それから現在幾つもの長編映画が進行しているのも本当です(例えばSzabó Sarolta サボー・サロルタBánóczki Tibor バーノーチュキ・ティボル監督作であるディストピアSF"Műanyag égbolt"や、Csáki László ツァーキ・ラースロードキュメンタリー映画"Kék pelican"です。彼の作品はチョークを使ったアニメーションが特色でもあります)そして多くのシリーズ作品も進行しています。何より待たれるのは先述の"Toldi"でしょう。

なので結論として私が言えるのは、ハンガリー・アニメーションの新たな黄金時代が創造されるという楽観的な意見の数々はおそらく間違っているでしょうし、少なくとも誇張されてはいるでしょう。しかしハンガリー・アニメーションは多くの驚きを未だ隠しています。そのために私たちはアニメーション制作を闇に葬るのではなく、称賛してきた訳です。このインタビューの機会を与えてくださり、感謝しています!

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