鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

母と娘、カタルーニャとギリシャ~Interview with Jaume Claret Muxart

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

さて、今回インタビューしたのはカタルーニャの新鋭映画作家Jaume Claret Muxart ジャウメ・クラレ・ムシャルトである。サン・セバスチャン国際映画祭でプレミア上映された短編作品"Ella i jo"は母と娘の関係性を描いた作品だ。バルセロナに住む母、ギリシャに家族とともに移住した娘、彼女たちの関係性はその距離もあり微妙なものとなっていた。彼女たちは画家であり、自身のアトリエで黙々と絵を製作し続けるが、その過程で二人は互いの思いを知ることになる。繊細な筆致で語られる本作は驚くほど美しい作品であり、一瞬で私は魅入られてしまった。という訳で今回はそんな彼にインタビューを敢行、映画監督への道の始まり、絵画制作や母と娘の関係性を映画として捉えること、カタルーニャ映画界の現在などについて直撃した。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になろうと思いましたか? どのようにしてそれを成し遂げましたか?

ジャウメ・クラレ・ムシャルト(JM):まずこのインタビューの機会をくれて感謝します。演劇を通じて、映画館へ行き始めたのは13歳の時です。子供時代は演劇のクラスに通っていて、村で開かれるステージの舞台裏も覗いていました。ある時に映画に出演したのですが、映画の製作裏を見た時、恋に落ちてしまった訳です。私が出演した映画と今自分が作っている作品は全く違うのが実情ですが。そしてたくさんの映画を観て、いわゆるシネフィルとなりました。同時に、真剣に映画を作りはじめ、愛する映画作家たちから受け取った感情、それに似た何かを人々に届けたいと思っています。

TS:映画に興味を持ちはじめた頃、どういった映画を観ていましたか?

JM:私に大きな影響を与えた映画作家が1人います、リチャード・リンクレイターです。若い頃、彼とは異なる映画作家の作品を観て今でも好きではいるんですが、リンクレイターは今でも私にとって巨匠であり続けているんです。それから他にも私を驚かせる鍵のような映画もあります、それはアルフレッド・ヒッチコック「裏窓」ですね。さらにある時から私は映画祭へ行き、映画のレビューを書きはじめたんですが、家族と共に行った映画祭がロカルノ映画祭で、それ以前と以後に分かれるほどの衝撃を受けました。ジョアン・ペドロ・ロドリゲス、Milagros Mumenthaler ミラグロス・ムメンサレル、Radu Jude ラドゥ・ジュデ、マティアス・ピニェイロといった映画作家の作品を観て、しかもピニェイロは最近まで私の教師でもあったんです、はは。それからケリー・ライヒャルト、ミア・ハンセン=ラブ、クレール・ドゥニホウ・シャオシェンなど……

TS:あなたの短編作品"Ella i jo"の始まりは何でしょう? あなた自身のご経験、カタルーニャでのニュース、もしくは他の事象でしょうか?

JM:今作の始まりを幾つか挙げましょう。祖母が亡くなった後、家賃の高騰により手離さざるを得なくなった家(バルセロナにあり、ここに祖父母が住んでいました)さらに、それゆえの映画を通じて家を取り戻す必要性、永遠を得るための行動、バルセロナの祖母がギリシャに住む彼女の娘に宛てた手紙の数々、私の祖母(Roser Agell ロセル・アジェユ)とおば(Paulina Muxart パウリーナ・ムシャルト)の描いた絵画……

TS:OPシークエンスが示唆するように、今作の核は2人の画家Roser AgellPaulina Muxart Agellの作品でしょう。ぜひ日本の読者に彼女たちについて教えてください。映画を観る間、その作品へのあなたの大いなる愛を感じました。どのように彼女たちの絵画と出会ったのでしょう? この美しい映画にこれらの作品を選んだ最も大きな理由は何でしょう?

JM:先述した通り、この2人の画家は私の祖母とおばなんです。特に最近彼女たちの繊細な作品がより深く好きになっていっており、映画を通じて広く世界に知られるようにする必要を感じました。この作品群は私の祖父Jaume Muxart ジャウメ・ムシャルトの作品に比べると知名度が低く、彼の作品も好きではあるんですが、2人の作品は性差別のせいで影に追いやられていると感じていました。

TS:劇中、あなたは主人公ジェンマが自身の芸術を作るプロセスを、繊細で緻密な形で描きだしています。ミニマルなリアリズムを伴ったあなたの視線を通じ、ジェンマの真剣な姿勢、その作品にも滲む彼女の手や息遣いの複雑微妙な動きが捉えられており、これらが作品の静かな力を更に高めています。そこで聞きたいのは、この芸術製作のプロセスを描くにおいて最も重要なことは何であったかということです。

JM:静寂、もっと正確に言えば集中です。そして動きつづける身体を見つめること、踊るように(まるで床に絵画を描くように)動く身体とフレーミングの身振りとの間に関係性を作り出すことの快楽です。しかしとりわけ重要なのは、伝達です。ジェンマは彼女の息子に人生の生き方、表現の方法を伝達します。そして息子は何かを尋ねながらも催眠にかかったように彼の母を見つめます。それが静寂なんです。

TS:私が感銘を受けたのは映画が宿す複雑な雰囲気です。今作を観ている時、時おり私は昼間の微睡みのような心地よい眠気を感じました。しかし時おりピンと張りつめたピアノ線のように濃密な緊張をも感じました。私にとってこの"Ella i jo"はこの絶妙なまでに矛盾した感情を基としており、そしてこれは芸術製作の表と裏、そして母と娘の複雑な関係性を表現しているんです。撮影監督であるMarina Palacio マリナ・パラシオとともに、あなたはどのようにこの雰囲気を構築しましたか?

JM:あなたのその言葉に深く感謝します。それこそが私たちが達成したかったものであり、あなたがこのように感じてくれたことは素晴らしいことです。しかし思うにこの雰囲気の構築は編集と、ショットの間に漂う時間によって行われたと思います。1つのイメージを他のイメージ、また他のイメージと繋げることはモンタージュであると言えます。そしてこれを行ったのはMarinaと私でしょう。光と色彩という雰囲気の鍵になるものに関して、とても美しい仕事は成されました。そしてMarinaとBernat Bonaventura ベルナ・ボナベントゥラ(もう1人の撮影監督です)とともに、私たちはショットに入りこむだろう太陽の動きを計算し、待ちつづけた後、フィルターをかけて光を動かしました。そして夜の場面ではランプのバルブで光を操作し、明度を調節したんです。

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TS:そしてもちろん、今作の最も印象深い要素の1つは母と娘の関係性です。謎めいて且つ興味深いことに、母親であるケラルトの声を電話から聞く時、カメラがそれを映していないにも関わらず私たちは娘であるジェンマの複雑な表情を見出だします。そしてジェンマが作品を作る時、ケラルトが自身の娘を労る姿が浮かびあがるんです。つまり、観客は深い想いとともにジェンマのなかにケラルトを見て、ケラルトのなかにジェンマを見るんです。この母と娘の豊穣な関係性を描きだす時、最も不可欠だったことは何でしょう?

JM:ジェンマのなかにいるケラルトの心の間に在ること、ケラルトのなかにいるケラルトの心の間にあること、2人の想いを感じることです。撮影の前に仕上げた脚本は純粋に皮膚感覚で書かれたものです。それが撮影中に発展していく様は魅力的なものでした。カメラのバイザーを通じて2人の顔を眺めることができました。しかし編集においては難しいものでした。幾つかの要素を排除し、他の要素がいるべき空間と瞬間を探す必要があったんです。

TS:前の質問と関係するのですが、この関係性は2人の素晴らしい俳優Anna Muxart Agell アンナ・ムシャルト・アジェユMariona Martín マリオナ・マルティンに支えられていますね。この映画を観たなら彼女たちの優雅で洗練された存在感に魅了されざるを得ないでしょう。彼女たちについてぜひ日本の読者に教えてください。どのようのこの才能と出会ったんでしょう?  名字からしてAnnaさんはPaulina Muxart Agellの親戚か何かでしょうか。

JM:彼女たちが素晴らしい俳優であることには同意します。Anna Muxart Agellは私の母親でPaulina Muxart Agellの妹です。自分の母を撮影するというのは信じられないような経験でしたよ。彼女を撮影している時、母でなく確かに俳優の魂を見ました。それでより彼女を尊敬するようになったんです。映画を観るとその時のことが思い出されます。そしてMariona Martínは私の友人で、私が通っていた高校で国語の教師をしていたんです。子供、彼女の息子、カップル、彼女のパートナー。全ての役をその家族が演じたんです、はは。

TS:少しネタバレになりますが、最後の場面に流れる曲について話しましょう。ケラルトが聞くギリシャ語の曲は彼女の娘への思いと恋慕に溢れた心へと私たちを導き、そして観客は自分自身の家族との思い出にも浸ることとなるんです。この曲についてもっと深く知りたいです。ギリシャでは有名な曲なのですか、何があなたにとって最も魅力的でしたか?

JM:この曲は脚本にはありませんでした。Marinaと照明を設置していた際、食事のためにおばがNikos Mamagakis ニコス・ママガキスという作曲家のレコードを流したんです。このレコードは古いギリシャ映画のサウンドトラック今でもそのタイトルは分からないんですが、この曲が突然流れてきてMarinaと思わず顔を見合わせてしまいました。「この曲こそ最後にふさわしい」と。このアルバムはおばがパートナーであるおじとギリシャに住んでいる時に買ったものでした。

TS:日本のシネフィルがカタルーニャ映画史に興味を持った時、どの映画を観るべきですか? その理由もお聞きしたいです。

もし1本だけ好きなカタルーニャ映画を選ぶなら、どの映画を選びますか? そしてその理由は何ですか。個人的な思い出がありますか?

JM:これに答えるのは難しいですね。なので2つの質問をまとめて、私の好きな映画監督について語りましょう。Marc Recha マルク・レシャは素晴らしい監督ですが、今は少々忘れられています。特に"Dies d'agost"(2006)と"Pau i el seu germà"(2001)がいいですね。友人たちと話す時、この監督の汚名を晴らそうと試みています。彼の作品において詩的とは政治的であるんです。そして物語を好みながら、標準化されたやり方でそれを語るということはしません。さらに彼は撮影監督のHélène Couvert エレーヌ・クヴェールとともに、とても小規模な制作体制が撮影を行っていました。それから今重要な映画作家Meritxell Colell Aparicio メリチェル・コレル・アパリシオです。彼女の作品"Con el Viento" (「フェイシング・ザ・ウィンド」2018)と"Transoceánicas"(「海を渡る映像書簡」2020)はとても美しい作品で、後者はなら国際映画祭でプレミア上映されました。そして忘れてはならないのがNúria Aidelman ヌリア・アイデルマンLaia Colell ライア・コレユという人物が経営する組織A bao a quの"Cinema en Curs"というプロジェクトです。映画作家たちが映画制作のクラスへ赴き、6歳から18歳までの生徒たちが作る映画に参加するんです。諏訪敦彦が日本で同じようなことを行っていると聞いています(おそらく"こども映画教室"のこと)

TS:カタルーニャ映画の現状はどういったものでしょう? 外側からだと状況は徐々に良くなっているように思えます。新しい才能が有名映画祭から現れていますからね。例えばロンドンのBelén Funes ベレン・フネスやベルリンのElena Martin エレナ・マルティンDiana Toucedo ディアナ・トゥセドゥらです。しかし内側から見ると、状況はどのように見えますか?

JM:あなたの言うことは正しいです。カタルーニャには素晴らしい映画作家がたくさんいます。しかし一方で私たちの映画は、ただ物語と標準化された語りの構成にだけ注視することに舵を切っているように思われます。そしてもう一方で、私たちにはより多くのインディペンデントな制作者が必要なんです。 Luis Miñarro ルイス・ミニャロはそんな人物の1人でした。私たちが必要なのは映画に投資する金であり、そうして危険を冒し、失敗し、新しい個人的なやり方を見つけ出していけるんです。やはり危険を冒すことが必要なんですよ。失敗と新たな方法のためには補助金が必要なんです。そして普通ではない、しかし詩的で今日的な第1長編というものを作る必要があるんです。そうすれば大衆も喜ぶでしょう。

TS:何か新しい短編か長編の計画はありますか? もしそうなら、ぜひ日本の読者にお伝えください。

JM:はい、今は初長編である"Estrany Riu"("奇妙な川")の脚本執筆に取り組んでいます。Elías Querejeta Zine Eskola(EQZE)という組織のサポートを受けています。この作品は普通ではない映画ですよ、はは。意図的な形で普通でなく、そして大胆な映画なんです。ドナウ川を舞台として、2人の兄弟の関係性とともに、彼らの家族とドナウ川において円環が綴られる様を描いています。ロマンティックな映画ですが、セクシュアリティと兄弟の絆の間にある、タブーを破るような関係性をも描いています。一方で今回の"Ella i jo"から始まった3部作の2本目である短編を製作しています。家族という関係性、仕事、そして3世代の流れを描いた1作です。この2本目はラジオを主題とした作品ですが、俳優は"Ella i jo"と同じになるでしょう。

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