さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。
そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。
今回、インタビューを敢行した人物はスロヴェニアの新鋭映画作家であるIvana Vogrinc Vidali イヴァナ・ヴォグリンツ・ヴィダリである。1997年生まれの彼女は高校時代から映画作家を目指し始め、現在ではチェコ最大級のドキュメンタリーの祭典ジフラヴァ映画祭に作品が選出されるほどである。そんな彼女の代表作“O luni, mesecu in njunem odsevu”(2018)は、彼女の旅の記録である。撮影監督とともに彼女はスロヴェニアの北部を旅し、そこに根づくスロヴェニアの土着信仰を撮影していった。そしてその光景は大いなる自然によって、美しい詩へと昇華されていく。今回はそんな作品を制作した彼女に映画製作の原点、短編製作の過程、そしてスロヴェニア映画界の現在について聞いてみた。それではどうぞ。
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済藤鉄腸(TS):まず、映画監督になりたいと思ったきっかけはなんでしょう? そしてどのようにその夢を叶えたんでしょう?
イヴァナ・ヴォグリンツ・ヴィダリ(IVV):私はオーストリアとの国境沿いにある小さな村の集合住宅で育ちました。ケーブルTVすらなかったですが、アパートは本や新聞、写真や楽器で溢れていました。選択肢はたくさんあったんです。しかし私はビデオで今まで何度も観た映画を観るのにいつだって魅了されていました。
ですが映画監督になろうとは思っていなかったんです。そう思い始めたのは高校で夏休みのインターンに参加した時です。無給だったので相応の理由が必要だったんですが、その時期にやっていたドキュメンタリーのワークショップに参加しました。それで故郷にいる野良猫についての作品を作ったんです。それから映画は語ることで人々の心に届き、何かを変えることができるメディアだと信じ始めました。そしてリュブリャナの映画学校の入試を受け、社会派の短編作品を作りました。これが自分にとっては最後のリアリズム偏重作品だと思います。
今は映画が全てを変えることができると信じるのは止めましたが、それでも時々自分を変えてくれる作品に会う時、そんなことを思うんです。そんな作品を自分が作れるとは思いませんけどね。
TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時のスロヴェニアではどんな映画を観ることができましたか?
IVV:子供の頃から素晴らしい映画に触れることができていましたね。スロヴェニアの国営テレビには“今週の映画”という枠があって、毎週水曜日にはおそらく前に大きな映画祭で賞を獲ったんだろう作品が放映されていたんです。ですが分岐点はファティ・アキン監督の「愛より強く」を観た時でした。その時私は9歳で理解できたとは言いがたいですが、完全にその虜になってしまいました。映画が終わると同時にデータを見てタイトルを書き記し、後日母にDVDを買ってもらったんです。
それから母には本当に感謝しなくてはいけません。彼女は時おり私を劇場や映画館に連れていってくれました。先と同じ年にVlado Škafar ヴラド・シュカファル監督の“Otroci”(2008)を彼女と観に行きました。覚えてるのは季節が冬だったこと、老朽化した映画館で上映されたこと、ヒーターがなかったこと……それでも映画が始まるとそんなの関係なくなりました。あの時のことを考えると今でも鳥肌が立ちます。あれは紛れもない魔術であり、紛れもない映画でした。
TS:今作“O luni, mesecu in njunem odsevu”の始まりはなんだったんでしょう。あなたの経験、スロヴェニアの儀式、もしくは他の出来事から?
IVV:先も言った通り、自分の成長過程に深く結びついているんだと思います。父はこれらの民話を話してくれましたし、私自身木に登ったり、鳥を眺めたり、とかげを狩ったり(それから自然に返すんです)しました。こういったことについてある時まで忘れていたんですが、学校でこれらをインスピレーション元として絵を描き始めました。その頃、1960年代までスロヴェニアに住んでいた土着の宗教信仰者について聞きました。彼らの信じるものや生き方は私に多くのレベルで語りかけてくれました。実際に儀式を体験したり、自分を“古くからの信仰者”と思ったりはしませんでしたけどね。
映画の出来には満足していませんけど、感謝の念は持ち続けています。実験映画に触れたことはあまりありませんでしたが、内容からしてもっと実験的であるべきだと思ったんです。この経験が映画や映画製作に対する視点を変えてくれました。
TS:今作を観た観客は、この場所がどこなのか気になるところでしょう。ここはスロヴェニアでも有名な場所なのですか、それともあなたの生まれ故郷であるのでしょうか?
IVV:今作のために私と撮影監督のGaja Naja Rojec ガヤ・ナヤ・ロイェツはスロヴェニア中を回りました。作品のほとんどはスロヴェニアの北部と北西部、ソチャ川に沿って撮影されました。ここは土着の信仰者にとって聖なる川なんです。全てが聖なるものではあるんですがね。岩も木も何もかも。だから私たちは1つの宗教だけにはこだわりませんでした。あらゆる場所に目を向けていたんです。Gajaと私は動くもの(それは文字通りにも比喩的にも)を見つけたら、止まって撮影をしたんです。
TS:最も印象的な要素の1つに、イメージと音のコンビネーションが挙げられます。風の吹く音が空に浮かぶ月と重なり、神々しい雰囲気が生まれます。映画を製作する際、どのようにしてこの要素を繋ぎあわせたんですか?
IVV:正直に言うと、あまり覚えてないんです。編集作業は大変なもので、全てやり直したいと思いながらも、全く改善する気配すらありませんでした。ですが先に言った通り、自然と崇拝者という内容がインスピレーションを与えてくれたんです。音響についてですが、プロであるTristan Peloz トリスタン・ペロスに担当してもらいました。彼はとても良い耳を持っていて、私の希望とあるべき音を追求してくれました。
TS:映画のエンドクレジットで、美しい曲が印象的に流れますね。その音の響きは豊かな余韻をさらに深いものにしてくれます。この曲について教えてくれませんか。スロヴェニアでは有名な曲なんですか?
IVV:“Drobna ptička”(“小さな鳥”)は様々な歌詞で歌われるフォークソングです。例えばキリスト教バージョンは、小さな鳥が教会の屋根に座っている姿を歌ったものです。それから農民バージョンもあります。これがこんにちの儀式で歌われるものです。映画において様々な視点や土着の様々な信仰形態を描きましたが、歌でも同じことが行われています。Metka Batista メトカ・バティスタにスロヴェニアの特別な楽器Zitherを使って演奏してもらったのはとても幸運でした。彼女の家族は土着の信仰と深い結びつきを持っていて、映画製作において大いに助けてもらいました。
TS:自分はあなたの最新作“Vialund”も観賞しました。今作において感銘を受けたのはあなたの声とスロヴェニア語の美しい流れです。このスロヴェニア語の詩を読むにあたって、最も重要だったことはなんでしょう?
IVV:奇妙なのは、この言葉を詩だと形容したのはあなたが初めてではないことです。私はよく自分の考えや印象に残ったものについて紙に書くんです。記憶力は悪かったり、物事をもう一度思い出せなくなるのがとても怖いという理由からなんですけどもね。“Vialund”の言葉は、誇張でなく、噴出するように生まれました。この作品自体のように、完成に15分もかかりませんでした。後からいくつかの文章を変えて、入れ換えたりもしましたが、それでもです。何かを成し遂げたという心地ではありません。ただフェロー諸島での経験をいかに鮮やかに描き出すかに心を注いだまでです。“O luni, mesecu in njunem odsevu”に関しても同じです。あの時は自然が私に語りかけてきて、それを言葉や映画にしたまでなんです。
TS:監督の声明を読んだ時、こんな文章を見つけました。“映画というのは詩のようであるべきだ”というものです。これについて説明してくれませんか。なぜ映画は詩のようであるべきなんでしょう?
IVV:私たちが文字通りに詩を読んだとしたら、そこには意味はありません。私が好きなのは言葉(それは必ずしもフレーズである必要はありません)が正しい順番で並ぶことによって新たな意味、新たな定義、新たな視点を獲得することです。その一方で映画、少なくともメインストリームの作品、映画祭や映画館で上映される作品、そして時には学校で上映される作品までもがすこぶる言葉に偏重したものなんです。それらは物語を語り(勘違いしないで欲しいですが、映画は素晴らしい語り手とも思っていますよ)巨大なテクノロジーを駆使します。最後にはある素朴な問いにすら答えられなくなるのが普通だと、私は思っています。これは映画である必要があるの? どうして戯曲や小説、写真や彫像でないの? 思うに物語だけではこのメディアを探求する良い理由にはなりません。発見されるべきもの、形成されるべき新たな意味、探し出されるべき新たな形態はたくさんあります。
同時にこの考え方はラディカルなものとも思います。私自身、語りを持った映画作品、特にドキュメンタリーや若者向け映画が好きですからね。そういった作品は私にとっても大いに意味があります。
TS:スロヴェニア映画の現状はどういったものでしょう? 外側から見ると、状況はいいものに思えます。新しい才能が有名な映画祭の数々から現れていますからね。例えばロカルノのMatjaž Ivanišin マチャシュ・イヴァニシン、トロントのGregor Božič グレゴル・ボジッチ、そしてジフラヴァにおけるあなたです。しかし内側からだと、現状はどのように見えるのでしょう?
IVV:スロヴェニア映画は平均的なスロヴェニアの観客には未だ認知されずにいます。彼らはそんな作品を鬱々として事件の起きない、退屈な作品と思っているんです。この国で最もヒットした作品はメインストリームの若者向け映画ですが、他の作品と同じく、信じられないほどの低予算で作られています。スロヴェニアの映画製作は小さなものであり、取られるリスクはとても小さいことが普通です。だからこそMatjaž IvanišinやGregor Božič、Rok Biček ロク・ビチェク、Darko Štante ダルコ・シュタンテ、そしてSonja Prosenc ソーニャ・プロセンツといった作家たちがとても重要なんです。思うに彼らはスロヴェニア映画の定義を組み立て直し、私たちのように映画界を入ったばかりの人物に少なくとも絶望を抱かせないようにしているんです。
そしてとても重要なのはスロヴェニアが芸術や文化(当然、映画も含めた)に投資を始め、ロクでもない映画を製作したり、少なくとも予算を与えたりしないようになったことです。例えば政治スリラー気取りの作品、表層的なドラマ作品にその他の悪趣味な作品、こういった普段1年の予算を奪っていく作品群が減ったのは大きいです。
TS:日本の映画好きがスロヴェニア映画史を知りたいと思った時、どんなスロヴェニア映画を薦めますか。それは何故でしょう?
IVV:1本だけを選ぶならKarpo Godina カルポ・ゴディナ監督作“O ljubavnim veštinama ili film sa 14441 kvadratom”(1972)ですね。意味は“14441フレームにおける愛の技術、もしくは愛の映画について”でしょうか。とても理知に長けていて溌剌、そして誠実な作品で、観るたびに心が歌ってしまうんです。
TS:新しい短編、もしくは初長編を作る予定はありますか? もしあるならぜひ日本の読者に教えてください。
IVV:今は短めの長編、つまりはAGRFTにおける卒業製作を作っています。“O luni, mesecu in njunem odsevu”を作った後、1年ほど休息を取っていました。本当に理知的で活動的、そして未来を信じていない人々と仕事をしましたからね。その経験から自分はGeneration Zに属するのではないかと思い、そしてピーターパン症候群について語る資格があるのではないかと思いました。他の皆と同じように、自分もある程度そういった生き方をしているんです。私にとってこの映画は本当は持っていない可能性を作り出すことについての作品なんです。