さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。
そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。
今回インタビューしたのはモンテネグロ映画界の新鋭監督Andrija Mugoša アンドリヤ・ムゴシャだ。彼のデビュー短編"Praskozorje"はモンテネグロで実際に起こった出来事を元として、モンテネグロの山間部に住む女性の救い難い孤独を描きだした1作である。私は最近、モンテネグロ映画に嵌っており、その無限の可能性に耽溺している訳だが、Mugošaは私が惚れ込んだ才能の1人であり、8月に開催される東欧最大の映画の祭典、ボスニアはサラエボ映画祭に新作短編が選出されるなどしている。そんな彼にインタビューを敢行、読者もぜひここからモンテネグロ映画界へと旅立ってほしい。それではどうぞ。
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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか。それをどのように成し遂げましたか?
アンドリヤ・ムゴシャ(AM):正直、この質問に対する答えは自分でも分かっていません。高校時代は、強制的に押しつけられた勉強を投げ出して、毎日映画を観ていました。その時から素人としてですが、撮影をしたり編集をしたりしていて、ここで知識を養ったと言えますね。そして高校卒業後はこの道が最適だと思いました。2年後には映画学校に入学したんです。
TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? その当時モンテネグロではどういった映画を観ることができましたか?
AM:子供の頃はテレビ番組を観て育ちましたね。それから私たちの国では、映画の海賊行為が高いレベルにありました。私が生まれたのは紛争の後で、それから立ち直る途中にNATOの爆撃を受けました。なので海賊行為がかなり容易に罷り通っていた訳ですね。家にはVHSプレーヤーにたくさんのVHSテープがあったんですが、両親がいつも働きに出ていたので、私はそれを観ながら独りの時間を過ごしていました。例えばディズニーやワーナーブラザーズのカートゥーンを観ていたんです。それからVHSはCDとトレントに取って代わられ、手に入れられるものは何でも観ていました。特に当時興味を持ったアメリカの娯楽大作は殆ど観ていましたね、今でも思い出せます。
TS:"Praskozorje"の始まりは一体何でしょう? あなたの経験、モンテネグロのニュース、もしくは他の何かでしょうか?
AM:残念なことに今作は実際の出来事に基づいています。そのニュースが私に齎された時、それを紙に書き留めていたんですが、2年後に脚本家であるStaša Petrović スタシャ・ペトロヴィチの力を借りて映画が完成しました。モンテネグロ北部は未だ開発が成されていない地域で、近年やっと観光業が機能し始めたところなんですが、本当に最近まで相当の貧困が広がっていました。これが恥と思えるのは、この地域には国有数の本当に美しい自然があるからです。結果として、この地域の人々はより良い生活を求めて都市部へ移住せざるを得ませんでした。
TS:まず最初の場面から作品の作りだす世界に惹かれました。カメラは家族の夕食風景を映しだしますが、そこから少しずつ主人公の表情へ肉薄していき、不穏で力強い雰囲気が紡ぎだされます。これが主人公の挑戦的な性格や、映画のトーンを印象的に象徴している訳ですね。ここで聞きたいのはどのようにこの場面を演出したかということです。そしてこの場面を映画の冒頭に置いた理由は何でしょう?
AM:脚本に取り組んでいた時、私としては主人公が第4の壁を破って、観客と会話する場面が必要だと思っていました。そうでなくてはこの主人公に共感してもらうのは難しいと感じたからです。それでも脚本執筆時や編集の初期、この場面は映画の中盤に置かれていました。しかし編集を経るうちに、今作のスタートはゆっくりとしたもの故、観客の関心を惹くフックのようなものが必要だと分かったんです。そうしてこの場面を冒頭に置くことになりました。
TS:今作の最も重要な要素の1つは、その息を呑むほど美しい風景です。聳え立つ山々、緑輝ける森など大いなる自然がそこには広がっていて、これが人間存在とはいかにちっぽけなものかを語ります。そして主人公の精神的な孤立を言葉なしに表現してもいるんです。ここは一体どこでしょう? モンテネグロでも有名な場所なのでしょうか?
AM:あなたの言葉こそ、私たちがこの場所を撮影に選んだ理由です。今作はドゥルミトル山(Durmitor)にあるジャブリャク(Žabljak)という所で撮影していますが、ここ数年で観光地としてどんどん有名になってきています。
TS:そして撮影も印象的です。撮影監督であるIvan Cojbasic イヴァン・コイバシツのクロースアップが親密かつ息苦しい形で主人公の日常を描きだす一方、そのロングショットは登場人物たちを囲む無限の自然、その崇高さを捉えています。この距離感のダイナミズムが今作をより力強いものにしているんです。このスタイル、ダイナミズムをCojbasicとともにどう構成していったんでしょう?
AM:3か月にも渡るロケ地探しや風景の撮影、幾つかのアイデアの深堀りを通じて、今作のための撮影リストを準備しました。そしてこの準備がテーマや撮影、参考にすべき芸術作品(音楽、絵画、映画、建築など)に関する終りのない議論へと繋がっていった訳です。
TS:中盤において、とある酒場で1人の女性がモンテネグロの歌を唄いますね。美しくも、悲しげな響きを伴った曲です。そしてこれによって、主人公の個人的な苦悩や孤独がモンテネグロそれ自体の痛みと共鳴していくんです。この歌についてぜひ知りたいです。この曲は有名な作品ですか? 今作のためにこの曲を選んだ理由は何でしょう?
AM:この質問に関しては答えが少し長くなりそうです。撮影の間、この場面に合うだろう曲が幾つか頭に思い浮かんでいました。そんな中で撮影場所に行った際、歌を披露してもらうことになる女性が実は自身のアルバムも出しているような人物と知りました。今は酒場を経営しており、30年は歌っていなかったのですが。アルバムを録音していた頃、彼女は地方の酒場で歌う歌手で、誰も聞いていなかったと。
何度か私が選んだ歌を使ってみた訳ですが、成功には終わりませんでした。そうして彼女に自分の曲を歌ってもらうことになりましたが、理由だとかそんなこと誰が分かるでしょう。5分後、彼女は映画にも登場するあの歌を唄ってくれることになりました。正に作品を彩ってくれるものでしたね。
TS:そして今作の核は主人公を演じた俳優Milica Šćepanović ミリツァ・シュチェパノヴィチでしょう。彼女の演技にはその抑圧された魂を表現する抑制と静寂が宿っていますが、その思考や感情を些細な動きや表現から観客は目撃することになるんです。豊かで、とても雄弁なものです。この偉大な才能をどのように見出したのでしょう? この作品に彼女を起用しようと思った最も大きな理由は何でしょう?
AM:私たちは大学時代から友人でした。彼女に関して興味深いのは、今作を作るまで彼女はスラップスティックなコメディを演じる類の俳優と思っていたことです。しかし主人公を演じてもらうにあたり、顔や最小限の表情で何かを語れる俳優を探していた際、彼女を起用してみようと決めました。そしてこれが正しい選択だった訳ですね。
TS:日本のシネフィルがモンテネグロ映画史を知りたいと思った際、どの映画を観るべきだと思いますか? その理由もお聞きしたいです。
AM:私としては映画史に関わってくるような作品が多くあるとは思いません。モンテネグロは2006年にやっと独立を果たしましたからね。ユーゴ時代にも例えばMilo Đukanović ミロ・ジュカノヴィチやŽivko Nikolić ジヴコ・ニコリチ、Velimir Stojanović ヴェリミル・ストヤノヴィチなどの作家はいましたが。
"Cinema Komunisto"というドキュメンタリー作品でユーゴ映画の歴史に関しては知ることができますが、モンテネグロについて知るにはこの国の映画を観るのが一番でしょう。歴史を通じても、この国はそう多くの映画監督を輩出した訳ではないですが、私としてはŽivko Nikolićの"Lepota poroka"("悪徳の美しさ")と"Čudo neviđeno"("見えない奇跡")、それからMilo Đukanović(あの30年間、大統領をしている人物ではないですよ!)の"Ne diraj u srecu"("幸せに口出しするな")と"Palma medju palmama"("ヤシの林のヤシの木1本")をオススメします。彼らの作品は他も、この国の社会や歴史を完璧に映しだしていますね。
TS:もし1作だけ好きなモンテネグロ映画を選ぶとするなら、どの映画を選びますか? その理由も聞きたいです。何か個人的な思い出がありますか?
AM:この国が独立したのは2006年なので、ユーゴ時代の作品から1本選びましょう。先の質問でも挙げた"Lepota poroka"ですね。そしてユーゴ映画のお気に入りを1本挙げるならNikola Tanhofer ニコラ・タンホフェルの"H-8..."ですね。今作はアメリカのフィルム・ノワールをユーゴ流に翻案した作品と言えるでしょう。そしてここではフランス映画の会話劇やイタリアのネオ・リアリズモの影響が組み合わさってもいます。ユーゴスラビア映画で最も興味深く、アンダーグラウンド的な1作でもあるでしょう。
TS:モンテネグロ映画の現状はどういったものでしょう? 外側から見ると、現状は良いものに思われます。新しい才能が有名な映画祭に続々と現れていますからね。例えばカンヌのDušan Kasalica ドゥシャン・カサリツァ、ヴェネチアのIvan Salatić イヴァン・サラティチなどです。そして私自身、Zvonimir Grujić ズヴォニミル・グルイチやNikola Vučinić ニコラ・ヴチニチといった才能には感銘を受けています。しかし内側から見ると、現状はどういったものに見えますか?
AM:Zvonimir GrujićとNikola Vučinićは大学の同級生で、彼らについて話すと主観的でポジティブなことしか言えないですね。この質問に関してですがコロナ禍が始まる前の去年に聞かれれば、全て順調だと答えられたでしょう。しかし今モンテネグロは過渡期にあります。30年間続いた政権が交代しようとしてます。そしてバルカン地域において経済が優先される時、文化はいつであってもパイプに残る最後の穴なんです。
しかしそれを除けば、現状は良いものです。映画を理解する才能のある作家たち、その新しい世代が現れていますからね。あなたが挙げた人物以外にもです。ですからこの才能を発展させるため動くことが重要です。映画製作には金がかかりますが、今後どうなっていくか見極める必要があるでしょう。
TS:今後新しい短編、もしくは長編を作る予定はありますか? もしあるならぜひ日本の読者にお伝えください。
AM:"Praskozorje"の後、2本の短編を製作しました。そして今は大学の修士課程で学んでいますが、長編も作りたいところです。前の質問でも言いましたが、今後どうなるか見極めていく必要がある訳ですね。