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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Christos Massalas&“Broadway”/クィア、反逆、その生き様

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ギリシャ映画には連綿たるクィア映画の系譜がある。最近でいえば日本ではキワモノZ級映画と見なされている「アタック・オブ・ザ・ジャイアント・ケーキ」とその監督パノス・H・コートラスギリシャにおけるクィア映画史の重要人物でもある。彼の1世代後に現れた作家(ヨルゴス・ランティモスアティナ・ラシェル・ツァンガリなど)による、いわゆる“ギリシャの奇妙なる波”はクィア映画という面から様々な検証が成されており、2016年出版のMarios Psaras マリオス・プサラス“The Queer Greek Weird Wave: Ethics, Politics and the Crisis of Meaning”を嚆矢として、その研究は年々深化していっている。さて、今回紹介する映画はそんなクィアギリシャ映画の最新たる1作、Christos Massalas クリストス・マッサラス監督作“Broadway”だ。

今作の主人公はネリー(Elsa Lekakou エルサ・レカコウ)という若い女性だ。彼女はストリップダンサーとして働きながらも、貧困から逃れられない日々を過ごしていた。その閉塞感から彼女を救いだした存在こそマルコス(Stathis Apostolou スタシス・アポストロウ)だった。彼はネリーを連れてナイトクラブから逃走すると、自身が根城とするブロードウェイと呼ばれる廃墟へと赴く。彼はそこで仲間たちと暮らしていた。だがどう生計を立てているかといえば、スリなどの犯罪行為だ。しかしネリーはその犯罪家業に身を委ね、自由を感じるようになる。

マルコスが率いるこの名もなき集団は、資本主義や家父長制社会からは炙れた、野良犬のような者たちでできている。彼らはそのシステムに反旗を翻しながら、犯罪行為によって己の命脈を繋いでいく。例えば、広場でネリーがそのダンスによって通行人の注目を集めるなか、マルコスたちが観客から密かに財布を盗みとっていく。これを繰り返しながら、欲望の赴くままに生を謳歌している訳だ。

だがその中に、ネリーにとって謎の存在がいた。傷ついた体を、廃墟の一室に横たわらせるジョナス(Foivos Papadopoulos フォイヴォス・パパドポウロス)だ。殆ど死んでいるように見えたジョナスは、しかし少しずつ回復していき、ネリーのダンスの相棒として犯罪に参加するようになる。そこでジョナスは長髪のウィッグやドレスを身に纏い始め、そこに安らぎを見出だす。そうしてバーバラという名前を選びとった彼女に、ネリーは少しずつ惹かれていく。

Massalasによる演出は息もつかせぬ軽やかなテンポを伴った、目覚ましいものだ。編集のYorgos Lamprinos ヨルゴス・ランプリノスとともに、彼は社会の底辺で生存闘争を繰り広げるならず者たちの犯罪劇を一気呵成というべき勢いで軽快に語りまくる。そしてガブリエル・ヤレドの絢爛なるスコアはこの速度に更なる熱気をもたらしていく。この編集と音楽の交錯が、序盤における作品の推進力となっていく。

物語という意味で、今作はかなりの王道を行くことになる。はぐれ者たちが集まり、犯罪によって過酷な現実を生き抜かんとする。そういった犯罪映画は観たことがない人の方が少ないだろう。その展開に関しても観客の予想を裏切るといった類いのものでなく、その予想を堂々と踏襲してみせるといった趣向となっていると言える。

だが今作が他の犯罪映画と一線を画するのは、そのクィア性においてだ。この名もなき集団はクィアな人物たちによって構成されている。例えばネリーの先輩格で彼女の世話を焼いてくれる男性2人は恋人同士でもあり、加えて言えばインターレイシャルなゲイカップルでもある。そして主人公のネリーはバイセクシャルであり、最初はマルコスに惹かれながら、徐々にバーバラにも愛を抱くようになる。そしてそのバーバラはトランス女性だ。彼女は自己を模索する過程でネリーとダンスを繰り広げるうち、彼女もまたバーバラを愛するようになる。

これに対して不穏な感情を見せるのがマルコスだ。彼は秘められた暴力性と凄まじく強権的な性格を徐々に露にしていき、ネリーという存在を支配しようとする。例え警察に捕らえられ、刑務所にブチこまれながらも、その執念や愛憎の炎は消えることがない。そしてネリーとバーバラは、立ちはだかるマルコスとの全面戦争を避けられないものと知る。

今作の背景にあるのはギリシャにおける経済破綻だろう。2009年頃より顕著になった経済危機および破綻は、ギリシャ国民の生活を苦境へと追い詰めていき、映画界にもこれは波及していった。この状況で、限りない低予算とそれを補う映画作家同士の連帯、そして不条理な現状を元に紡いでいった奇想によってギリシャの奇妙なる波は幕を開けた訳である。しかしその余波は未だにギリシャ全土を苛んでいるようだ。アテネの寂れた風景、ネリーたちの舐める貧困の苦渋、そして打ち捨てられたブロードウェイという名の廃ビルがこれを象徴しているように思われてならない。

マルコスが率いる集団はこういった状況を作りだした資本主義に抵抗する反逆者の集まりである。そして資本主義に接続された、家父長制にも挑んでいくクィアな集団もであるのだ。しかしこれらのシステムの真に恐るべき点は、ネリーたち弱い立場に追いやられる人々をも分断し、互いに傷つけあうよう仕向ける、そんな抑圧的なヒエラルキーをもたらすことだ。連帯すらも無に帰すような現状がここから生じるのだ。

今作において悪として現れるのがマルコスという存在だ。マルコスは生臭い性欲と生々しい負の感情を持つ人物であるという意味で、集団のなかで再生産された抑圧そのものといった風に見える。同時に、どこか浮世離れした異様なる存在感を持っている。激しいファックによって男性性を誇示しながら、銀髪を揺らす彼の姿からはバイナリー的な性を逃れるような雰囲気もあり、正体が掴みにくい存在だ。彼を演じるStathis Apostolouは映画の出演本数自体は少ないようだが、しなやかな雰囲気を纏いながら、それでいて悍ましい攻撃性を持つ複雑な人物を、巧みに演じている。彼の存在が今作をより複雑にしているというのは間違いない。

ネリーとバーバラはそんなマルコスに闘いを挑むのだが、彼女たちの姿を見ながら想起した作品がある。それがウォシャウスキー姉妹のデビュー長編「バウンド」だ。今作は愛しあうクィアな女性2人が男たちを出し抜き、生存闘争を繰り広げるクライム・ロマンスというべき代物だ。この枠組みを“Broadway”は共有している訳だが、そこから更に1歩先へ行っていると思える部分がある。それはネリーがバイセクシャル女性であり、バーバラはトランス女性でかつレズビアンであることだ。バイセクシャルとトランス・レズビアンは女性を愛する女性のなかでも、マジョリティであるシスジェンダーレズビアンたちの周縁に置かれてきた。そんな彼女たちが今作では中心となり、抑圧者たちと対峙するのだ。この勇姿を目の当たりにしながら、ウォシャウスキー姉妹の魂はギリシャにも受け継がれている!と、思わず心が震えてしまった。

家父長制に挑む反逆者たちがいる。しかしこのシステムは弱き者同士が傷つけあう地獄をも生み出す。それでも両方に中指を突き立てて、愛を胸に生きるやつらもまた確かに、確かにいるのだ。この“Broadway”という作品は、そんなクィアな反逆者の生きざまを祝福する力強い1作だ。

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