私は2020年の映画界を制する国の1つはコソボだと常々言っているが、2021年は正にコソボ映画界が大躍進を果たしそうだ。まず年間の長編制作数が5本ほどのこの国から既に1作がサンダンス映画祭、1作がロッテルダム映画祭に選出されるという快挙を成し遂げた。そして前者であるBlerta Basholli監督作"Hive"はサンダンスのワールドシネマ劇映画部門で監督賞と観客賞、そして最高賞の審査員大賞を獲得した。この3部門を同時制覇した作品は今作が初だそうだ。更に後者であるNorika Sefa監督作"Në kërkim të Venerës"もまたタイガーコンペティション部門において審査員特別賞を獲得した。私はFacebookで多くのコソボの映画人たちと繋がりがあるのだが、その沸き立ち様といえば喜ばしいほど活気あるものだった。ということで今回はこの2本の中から後者である"Në kërkim të Venerës"を紹介していきたいと思う。
今作の主人公はヴェネラ(Kosovare Krasniqi)という少女だ。彼女はコソボの田舎町で両親や祖父母、きょうだいらと一緒に住んでいる。3世代が同居しているゆえに家は狭苦しいものであり、彼女は息苦しさを感じている。しかしそれは物理的な問題であるだけでなく、精神的な問題でもある。あまりにも小さい村は相互監視と因習の文化に包まれ、それがヴェネラの心を追い詰めていた。
まずこの作品はヴェネラが直面する日常の抑圧を淡々と浮かびあがらせていく。家族のなかでも父親は強権的な人物であり、ヴェネラや家族の行動をその言葉と威厳でキツく縛りつけている。家から逃れたとしても、ヴェネラに注がれるのは男たちの不気味な視線だ。彼らはヴェネラ含めて女性への軽蔑、それでいて不穏な好奇心すら隠すことはなく、不愉快なニヤつきを顔に張りつけながら、ヴェネラを見据え、追い回すのだ。
そんななかで、ヴェネラはドリナ(Erjona Kakeli)という同世代の少女と出会う。ヴェネラが寡黙で内向的な性格の一方、ドリナは真逆に快活で外向的であり、1度友人関係になったとなると、彼女はヴェネラを様々な場所に連れ立っていく。こうして一緒の時間を過ごすうちに、ヴェネラは自由と友情を謳歌していき、その心は少しずつ解き放たれていく。
撮影監督のLuis Armando Arteagaによって、この情景が映しだされる際に最も際立つのは、彼女たちの友情の瑞々しさだ。村の閑散とした道を歩きながら、ヴェネラたちは他愛ない会話を繰り広げる。バーに行っては年齢をごまかして酒を飲み、その味を楽しむ。前半においてカメラに映しだされるのはヴェネラの苦虫を潰したような無表情ばかりだったが、ドリナとの邂逅によってその無表情が少しずつ綻んでいくことにも観客は気づくだろう。そこには笑顔すらも浮かびあがる。
しかし男性たちの視線はその友情にすらも介入しようとする。バーでは物珍しい少女たちに対し、彼らは一切の躊躇もなく粘りきった視線を向け、その風景がカメラに映しだされることとなる。それはまるでヴェネラたちを性的に値踏みでもしているかのようだ。だがそれより不気味なのは男たちより更に年下の、少年たちの視線である。彼らは路上で犬を燃やしたり女性を嘲笑ったりと頗る胸糞の悪い存在だが、例えドリナに注意されようと軽蔑的なニヤつきを抑えることはない。何を考えているのか分からない不気味さが彼らにはあるのだ。そしてそんな彼らのニヤつきや視線が、常にヴェネラたちに付きまとう。
今作に登場する男性たちは、女性たちに表立って暴力を振るうなどはしない。だがここにおいて最も恐ろしいのは彼らの視線そのものだ。それはヴェネラたちを軽蔑の対象として他者化していき、人間以下の地位に貶められていく。そしてこの感覚が全ての男性に共有され、いつしか村全体に満ちる不可視の抑圧となっていく。この悍ましい風景が今作には描かれているのだ。
昨今のコソボ映画は女性の抑圧というものを多く描きだしている。例えばAntoneta Kastratiの"Zana"(レビュー記事)は子供を念願される女性が被る、過去の傷を源とする苦悩を描いた作品であり、先に紹介したBlerta Basholli監督作"Hive"は養蜂業を始めようとする女性が直面する差別の実態を描いた作品だ。そしてこういった作品の作り手は女性監督が多いが、彼女たちは一様にコソボに広がる家父長制を強く見据えている。この国はヨーロッパで最も若い国である一方、旧ユーゴ時代、もしくはそれ以前からの女性差別的な伝統は温存され続け、今でも残っている。コソボの女性監督たちは自身の作品によってこの実態を描きだし、痛烈に告発するのである。これこそがコソボを変える1歩目と信じながら。"Në kërkim të Venerës"も正にそういった作品なのである。
そして家父長制において家族という概念もまた重要なものだ。ヴェネラにとって家族は正に監獄のような場所だ。権威的な父を頂点として、彼が構成員全員を支配し抑圧していく。ヴェネラたちは彼に従いながら生活し、外では父の評判を貶めないように行動を制限する必要がある。だがドリナとの邂逅がヴェネラにこの馬鹿馬鹿しさを教え、いわば権威と化した父の存在から逸脱を図ろうとし、これが彼の怒りを呼ぶ。
この一方で反抗を行うようになったヴェネラにとって、自身の母はもはや憐れな存在に思える。夫に対して奴隷のように従い、臆病な素振りを見せながら逃亡することすらできない。だが権威からの反抗を考えるにあたり、ヴェネラはこれが女性同士の分断を呼ぶことにも薄っすら気づき始める。劇中にはこの憐れみを越えて、2人が共鳴しようとする瞬間もまた存在するのだ。だが抑圧された者同士ですらそう容易く繋がることはできない絶望をも、監督は描きだすのだ。この連帯もまた男性たちの視線のなかに埋没していくのである。
今作の核となる存在は間違いなくヴェネラ役を演じるKosovare Krasniqiだろう。劇中の大部分において彼女は苦い無表情を顔に浮かべているのだが、そこに彼女の諦念や絶望感が現れる一方で、ドリナや母との交流によって一瞬綻びる表情は希望の兆しをも感じさせる。だがこの世界はそんな生易しいものではないとは先述したばかりだ。現れるたび希望は潰え、全ては不穏な絶望に包まれていくかと思える。だがこれを経るにつれヴェネラの無表情から、最初はとは違う、言葉にならない感情が溢れるのに気づくはずだ。こうして彼女の強靭な存在感が"Në kërkim të Venerës"を、コソボの抑圧的な現状を見据える、苦くも力強い1作へと高めているのだ。そしてコソボ映画界の更なる躍進と発展を寿いでいる。
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