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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Esther Rots&"Retrospekt"/女と女、運命的な相互不理解

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ゼロ年代も終りに近づいた2009年、1つの映画がオランダ映画界に激震を巻き起こした。それが新人監督Esther Rotsによるデビュー長編"Kan door huid heen"だった。精神的激動に見舞われた女性が救いを求める姿を描きだした本作は、オランダ最大の映画祭ロッテルダムでプレミア上映され、話題を掻っ攫うことになる。もちろん彼女には多大な期待が寄せられることとなるが、TV用の短編映画を1本残したきり彼女は沈黙を続けることになる。しかし9年後の2018年、彼は満を持しての第2長編を完成させ、オランダひいてはトロントやベルリンなど有名映画祭をも湧かせることとなる。その1作こそが"Retrospekt"だった。

今作の主人公であるメッテ(Circé Lethem)は夫であるシモン(Martijn van der Veen)とともに幸せな暮らしを送っていた。そして第2子ももうすぐで出産予定であり、この幸福は更に深まるかと思われた。しかし彼女の心には筆舌に尽くし難い不満が渦巻いており、彼女自身この感情とどう対面すればいいのか分からなかった。

まずRots監督はメッテの日常を描きだすのだが、その節々にはこの社会で女性が生きることの苦難が反映されている。ある時、メッテは服屋へと赴くのだが、そこで恋人らしき男性に罵倒の言葉を投げかけられる女性を見かける。メッテは彼女を助けようとするのだが、激高した男性のターゲットとなり、猛烈な罵詈雑言から命の危険すらも感じることになってしまう。メッテは恐怖に怯え、女性たちの苦難をまざまざと再認識することになる。

と思うと、物語は飛躍を遂げる。気がつくとメッテは病院に収監されている。歩行と言語に明らかな障害を抱えた彼女は、顔に残った無数の傷跡から何らかの凄まじい暴力に見舞われたと伺える。表情には濃厚なる絶望が刻まれており、同室の同じように障害を抱えたクラース(Teun Luijkx)らにも心を開こうとはしない。時おり面会にやってくるシモンには猶更だ。一体メッテの身に何が起こったというのか?

今作はこの2つの時間軸を行きかいながら展開していく。出産後メッテは子育てをしながら、DV被害者のサポートという仕事に就く。そこで彼女はミレル(Lien Wildemeersch)という若いDV被害者と出会い、彼女をサポートするようになる。一方で病院のメッテは日が経つごとに絶望を深め、身体も癒されることがない。救済への道が見えないまま、彼女は独りの内的世界へと堕ちていく。

まず巧みなのはRots監督自身が手掛ける脚本だ。まず2つの時間軸におけるメッテの変貌ぶりに驚かされた後に、物語は全く隔たったメッテの心理模様を描きだしていき、同時に隔たりに宿る謎をも見据えることになる。そしてこのともすれば混乱を巻き起こす脚本の大胆な飛躍を支えるのが、これもやはりRots自身が手掛ける編集だ。観客に媚びを売るような分かりやすさには至らぬスレスレで、この複雑さの交通整理を行い、更に物語をタイトにし、その緊迫感で観客の興味を勢いよく引っ張っていく。この連帯は監督・脚本・編集の全ての責任をRotsが負っている故の絶妙さであるのかもしれない。

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そして音楽と音響を同時に担当するDan Geesinの仕事も魅力的だ。冒頭から崇高なオペラの数々が流れ、時には滑稽なまでの誇張を以てメッテの心情が謳いあげられるのだが、それはギリシャ演劇のコロスを彷彿とさせるものだ。と同時に今作の劇伴は神経質さ極まるようなアンビエント音楽であり、聴く者の鼓膜を不愉快なまでに震わせる。そしてそれはメッテの抱く不安と共鳴するのだ。この劇的なまでに異なる極にある2つの音楽が"Retrospekt"を未知の境地へと高めていく。

シモンが出張で家を留守にしている間、メッテは自宅をシェルターとしてミレルに貸し、束の間共同生活を送ることになる。そんな親密さの中で、彼女たちは絆を深めていくのだったが、ミレルの恋人の不気味な影が2人の周囲に現れ、不穏なる雰囲気が邸宅に立ちこめることとなる。

ここにおいてRotsが描きだそうとするのは女性同士の関係性の複層性である。メッテはミレルを確かに助けようとするのだが、ミレルの態度は奇妙なものであり、彼への共依存的な愛を伺わせる煮え切らなさに彼女は翻弄されてしまう。そこでケアの精神と不信感が混ざりあい、先述したメッテ自身の不安と不満もまた深さを増していくのだ。そして1つの事件によりメッテのミレルへの不信は決定的なものとなる。

こうして記した通り、今作の主軸の1つはは1人のDV被害者と彼女を助けようとする主人公の関係性だ。しかし特に今いわゆるシスターフッドが殊に寿がれる中で、Rots監督は敢えて、同じく社会や男性に抑圧されようと分かり合えない女性と女性の関係性を見据えようとする。メッテは確かにミレルを助けようとするが、その行為は徐々に独善性を増していく。そういった感情が背景に存在するサポートは、DV被害者にとっても有難迷惑でしかないだろう。そんな女性同士の相互不理解をRotsは描きだしており、私はそこに彼女の真摯さを感じるのである。

そしてこういった要素の数々を束ねる存在がメッテを演じるCircé Lethemだ。彼女の顔に刻まれた深い皺の数々は、言葉にならない曖昧な感情と直面せざるを得ないメッテが抱く苦渋が反映されている。そしてこの苦渋はマグマのように煮えたぎっていき、彼女は良心やケアから逸脱した行為に打ってでてしまう。病院で見せる絶望はその末路なのか、それとも……Lethemはこの2つの隔たりを巧みに演じわけていく。

更に驚かされたのはこのCircé Lethemが、あのシャンタル・アケルマンの隠れた傑作ブリュッセル、60年代後半の少女のポートレートの主人公ミシェルだったということだ。17歳で今作に起用され、魅力的なまでに反抗的な少女を演じた彼女だが、この後にも俳優を続け、故郷のベルギー含めフランスやオランダを股にかけ活動を行っていたが、27年後彼女ははベルギー人ながらオランダ映画でも主役を張る名俳優へと成長を遂げていた訳である。この再開には深く感動させられた。

"Retrospekt"映画作家Esther Rotzの帰還を寿ぐに相応しい瞠目の1作だ。だがそれ以上に、映画の総合芸術性というものをを、洗練された娯楽性(ここではミステリー/スリラーの文法)とともに提示する監督の、その野心溢れる意気には感銘を受けざるを得ない。

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