
さて、ガイアナである。ラテンアメリカでもカリブ海に面し、スリナムと仏領ギアナを合わせてギアナ三国と呼ばれ独自の立ち位置にあるこの国だが、ガイアナといえば何にしろこの国に存在したカルト宗教である人民寺院とその惨たらしい末路ばかりが言及される不幸が存在している。ガイアナ映画という面でもやはり思い浮かぶのは「ガイアナ人民寺院の悲劇」くらいで、ガイアナやその文化を描いた作品やガイアナ人監督は一切知られていない。ということでこの状況に一石を投じるべく、今回はガイアナから現れた新鋭監督Rae Wiltshireと彼の短編作品“Eating Papaw on the Seashore”を紹介しよう。
今作の主人公は十代の青年であるハナニとアシム(Isaiah Lewis&Wiltshireが兼任)だ。彼らは互いを心から愛しあう仲でありながら、アメリカ大陸では唯一同性同士のセックスが未だ犯罪化されているガイアナでこれを表沙汰にすることはできない。ゆえにこの同性愛憎悪的な社会において表では友人として振る舞いながら、彼らは密やかに愛を深めていたのだったが……
まず監督はそんな2人の日々を描きだす。海で一緒に泳ぎながらキスを交わす、食事を一緒に作る、独りの時もそれぞれの場所で互いを想う。監督は脚本や撮影、編集、さらに主演もマルチに兼任しているわけだが、撮影監督として彼はこういった光景に繊細で豊穣な官能性を宿していく。ハナニたちはよく海へと赴くのだが、そこでなら水に潜り、波に紛れながら愛を交わすことができるからだ。その愛の風景にはキメ細やかで荘厳な詩情が浮かびあがる。ここにおいて海は何よりも優しく2人の愛を抱きしめる存在なのである。
それと同時に監督は彼らの他愛ない日常からも官能性を引き出していく。海で泳いだ後にアシムたちはマンゴーカレーを作ることになる。料理上手なアシムをそこまでではないハナニが手伝うのだが、キッチンに立つのに慣れていないハナニに対してアシムがからかうように服を脱いで、戯れに彼を誘惑するのだ。料理という日常の風景に闖入するどこか微笑ましい性愛の駆け引きは、先の荘厳さとは真逆の軽やかな官能に満ちている。
そんな愛の官能性に対する監督の慈しみ深い眼差しは、また彼の故郷であるガイアナの文化にも注がれている。彼は特にその食文化への愛着を隠すことはない。それを象徴するのがパパイヤである。題名が正にそれを指しているが、砂浜で互いにパパイヤを食べさせる時の2人の表情は多幸感に満ちている。先の料理シーンもそうだが、彼らの愛は料理や食事を通じてより深いものになっていくのだ。
しかしガイアナは性的少数者を迫害する空気が確かに存在してしまっている。この状況で愛を隠し続けることに疲れ果てたハナニは一方的にアシムへと別れを告げてしまう。それに深く傷ついたアシムはさらに父からトリニダード・トバゴで働くよう命じられ、ガイアナを去ることになる。今作は17分とかなり短いが、男性同士の間で紡がれる愛と互いを求めあう欲望に宿る豊かさを、ゲイ・ロマンスとして濃密に描きだしている。今作はある種バリー・ジェンキンスの「ムーンライト」に対するガイアナからのラブレターと言える作品でもあるかもしれない。その結末はホロ苦いものでありながら、彼らの愛がそれでも続いていくことを観客は願わずにはいられないだろう。
最後にこのインタビューを元に監督の経歴について書いていこう。Rae Wiltshireはガイアナ生まれ、小さな頃から映画に親しんでおり「Ray/レイ」や「ダークナイト」「パルプ・フィクション」といった作品を観て映画制作を志す。しかしまずは劇作家や演出家として演劇に携わったり、短編小説で賞を獲得するなどした後に本格的に映画制作を始める。ガイアナでは自前の映画産業がほとんど育ってないゆえに苦労を重ねながらも2022年には、Nickose Layneとともに共同監督作の“Eating Papaw on the Seashore”を完成させた。これで名を上げたWiltshireは2025年には新作短編“Between Oceans”を監督、さらに脚本を担当した演劇“Don't Ask Me Why”が上演される。さらにジョージタウン映画祭でワークショップを開催し若い作り手の育成に奔走するなどガイアナ映画界に多大なる貢献を行っている。ということでWiltshireの今後に期待である。
