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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Anna Cazenave Cambet&"De l'or pour les chiens"/夏の旅、人を愛することを知る

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"De l'or pour les chiens"の始まりはいささか、いやかなり軽薄なものだ。制作会社のロゴが出る時点で男女の喘ぎ声が聞こえ、予想通りファーストショットから彼らが砂浜でセックスをする場面が映しだされる。カメラはある程度離れているが、女性の乳房が揺れるのが見えるほどには露骨なものである。私はこの時点で今作はただ煽情的なだけの映画ではないかと思えた。

が、セックスが終り男性側がゴムを外す(彼はこちらに背を向けているが、音で分かる)という場面が現れた時、その予想は覆されるのではないかと思った。映画においてコンドームはセックスの親密な雰囲気を崩す忌まわしき存在として無視されることが多いが、その中で敢えてゴムを着けたり外したりする場面を描く映画作家は、性に対して、いや生そのものに対して誠実な作家だと私は確信している(例えばアラン・ギロディジョー・スワンバーグがそうだ)ここでも私はこの監督が誠実なる映画作家だと早々確信した訳であるが、この思いは予想以上の喜びへと結実した。Anna Cazenave Cambet監督の長編デビュー作"De l'or pour les chiens"は正に2020年を代表する傑作として寿がれるべき1作だ。

今作の主人公は18歳になったばかりのエステル(Talullah Cassavetti)という少女だ。彼女はどこにも居場所を見出せず、あるバカンス地で無為な時間を過ごしていたが、ジャンという少年と会い、恋人同士のような関係になる。しかし夏が終り、彼はパリへ帰ることになる。エステルは彼への恋慕が抑えられず、自身もパリへ行くことを決意する。

そうして始まる旅路において、エステルは自身の性を見据えざるを得なくなる。暇を持て余して参加したパーティでは、不本意な形で少年とセックスせざるを得なくなる。実家に帰れば最初は母親に歓迎されるも、彼女の恋人と話していると"あんたは私の恋人を誘惑してる!"とブチ切れられ、実家を出ていかざるを得なくなる。彼女の若さと性は狡賢い男性たちに搾取されながら、母親にすらそれを疎まれる。この光景は社会がいかに若い女性を手酷く扱うかの証左だ。そして未だ幼いエステルはこれを拒否する手立てを持ってはいない故に、状況に流されるしかないのだ。

このエステルの深い孤独が反映された旅路を観ながら、私はアニエス・ヴァルダ「冬の旅」を思いだしていた。自分の居場所を見つけることができない少女の終りなき彷徨、この独りきりの歩みがエステルの姿に重なっていくのだ。あちらが「冬の旅」なら、こちらは「夏の旅」と呼ぶこともできるだろう。

そして例えパリに着いたとしても辛さは終ることがない。何とかジャンの家に辿りついたはいいが、彼はエステルを拒否し、無慈悲にバーに捨て置くのだ。さらに当てどなく街を歩くうち、エステルはホームレスに荷物を強奪され、バカンス地から持ってきた思い出の砂を奪われてしまう。心も身体も傷ついたエステルを、しかし助ける者は何処にもいないように思われる。

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ここで興味深いのはエステルを取り巻く男性たちを描く監督の筆致である。今作には様々なクソ野郎が現れ、様々な形でエステルを抑圧していく。エステルを旅行先のセックス相手としか思っていないジャン、言葉巧みに彼女を誘導しセックスに持ちこむ名もなき青年など彼らの胸糞悪さは相当なものだ。だがある時、エステルは閉店間際のバーに迷いこみ、そこを経営する移民の中年男性に酒を奢ってもらう。彼の優しさに触れたエステルは"私にキスしてもいいよ"と思わぬことを呟く。彼女は性的な行為を以てしか男性との繋がりを持てないことを象徴するような言葉だ。それでも男性はぎこちなく、軽くキスをするだけなので、エステルは狼狽しながらバーを出ていく。監督の男性描写は容赦ない時もあれば、驚くほどの優しさに溢れている時がある。この男性の本質を怜悧に見据えるような真摯さは今後の描写にも繋がっていくことになる。

エステルが最後に辿りついた場所はモンパルナスの修道院だった。追い返されるかと思いきや、尼僧たちは何も言わずにエステルを受け入れ、泊まれる場所を用意してくれる。ここから思わぬ形で修道院生活が始まるのだが、尼僧たちは別にエステルに神へ仕えろと要求することもない。彼女を縛るものは何も存在せず、故に彼女は今までにない自由を感じることになる。

驚くべきことに、ここからは男性が全くいなくなり、女性たちだけの世界が広がることになる。寡黙でありながら慈悲に溢れた尼僧たち、家族の伝統として送られてきたという同世代の少女。彼女たちと交流を続けることで、エステルの心は少しずつ癒されていく。そんなある日、彼女は沈黙の誓いを立て2年間1度も喋ったことがないという若い尼僧(Ana Neborac)の姿を目撃する。彼女を何度も目にするうち、エステルの中に不思議な感情が現れる。

前半において今作は男性に性を搾取される女性を描いている故に、否定しがたいほどにヘテロ的な価値観を見据えた作品となっていた。だがあれほどヘテロ的だった映画が、後半においては女性同士の結びつきを描きだすクィア的作品として変貌することになる。修道院という女性だけの場所で、エステルは初めて自己をケアする方法やを知ることになる。そして沈黙の尼僧への思いを通じて、肉体的ではなく精神的な愛の存在を知るのだ。しかし監督はこの愛を簡単に成就させることはない、むしろ真逆だ。彼女は2人の少女の中にある愛の、崇高なまでに絶望的な食い違いを描きだす。そしてその中にこそある噎せ返るほどの官能性を捉えんとする。ラスト10分における壮絶な官能性はそれだけで「燃ゆる女の肖像」全体を凌駕するような峻厳さを纏っているのだ。

今作のように少女の性の目覚めを描きだす作品は欠伸が出るほどに多いだろう。だが"De l'or pour les chiens"は他の映画が持つことのできなかったドラスティックさを持ちあわせている。肉体的なエロティシズムと精神的な官能性、ヘテロ的な愛のしがらみとクィア的な禁欲と峻厳の絆、1つの映画でこの極を行きかう様には脱帽という他ない。全く、フランス映画界から凄まじい才能が現れたものである。今作は間違いなく2020年最高のデビュー長編の1本だ。

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