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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Lai Yuqing&“Whisperings of the Moon”/カンボジア、愛は揺れて深まって

さて、釜山国際映画祭である。東アジアで最大規模の映画祭なわけだが、ここのプレミア上映作を観ながら思うのは、東京と並んでマジに玉石混交ということだ。今年も幾つも作品をFestival Scope Proで鑑賞したが“これはアカンわ”と思う作品が多かった。だが同時にこういった中規模映画祭で輝く玉のような作品を見つけると、有名映画祭でそういう作品を見つけるよりも大きな感動があったりする。ということで今回は釜山でプレミア上映された、中国の新鋭監督Lai Yuqing(ノンバイナリーを公言しており、代名詞は“they / them”を使っている)による初長編“Whisperings of the Moon”を紹介していこう。

この映画の主人公はニサイ(Sopheanith Thong)という女性だ。彼女は7年もの間ニューヨークで舞台俳優として活動していたが、父が亡くなったとの報せを受け取り、その葬式に参加するために故郷であるカンボジアの首都プノンペンへと戻ってくる。そこで彼女はシダ(Deka Nine)と再会を果たす。かつて同じ劇団に所属していた2人は密かに愛し合う仲だが結局別れてしまった過去があった。旧交を温めあう2人の距離は再び近づいていくのだったが……

こうしてこのクィア・ロマンスは2人の視点、そして現在と過去を行き交いながら展開していく。ニサイは同性愛者であり舞台俳優としての夢を追うためプノンペンからニューヨークへ活動拠点を移したわけだが、それ以外にも性的少数者を居ないものとして扱う保守的な家族や社会にウンザリして移住したという背景もある。シダは7年前から既に結婚していたのだが、共演する劇でニサイと恋人役となったのをきっかけに恋愛関係に発展したのだ。だが別れと同時期に強権的な夫に俳優を止めさせられ、ずっと家事や子育てに追われる日々を送っていた。そして2人の愛は再燃するわけである。

監督自身が手掛ける撮影は常に手振れを伴うものであり、その揺れはなかなかに激しいもので観客からは酔う者も出る可能性があるのでここは注意だが、しかしこの技法はある種今作の核でもある。まず過去パートにおいて、これはニサイとシダの間に紡がれる愛の煌めきを、極彩色のネオンや周囲からその愛を隠す闇を交えながらエモーショナルな映像詩に結実させている。

しかし現在パートにおいては、ニサイたちを抑圧する保守性をこれでもかと生々しく提示する技法へと変貌を遂げる。例えば母とその友人との会話場面、彼女たちはニサイに対して葬式には誰を連れてくるのか、彼氏はいるのか、居ないならカンボジア人の恋人を作るべきだとズカズカろその私生活に踏みこむ。この日常に根づいた性的少数者への差別的意識、そして空気感がドキュメンタリー的に生々しく描かれ、ニサイのその苦しみを観客は追体験するのである。このように監督は手振れ撮影を駆使して、物語の見え方を現実に即したドキュメンタリーにも現実離れした映像詩のようにもしていく。この生々しさとエモさを自在に行き交うことでこそ、監督は2人の表情や行動から言葉にはならない感情を引き出していき、スクリーンに焼きつけていく。

物語では2つの作風が常に混じりあっているが、現在パートでは前者の生々しさが強くかなり陰鬱で後ろ向きな雰囲気が常に流れている。しかし過去の瑞々しさや前向きさが戻る瞬間も存在している。印象的に挿入されるのはNYでのイスラエルによるガザ侵攻反対デモの映像だ。これはドキュメンタリー的というよりも、おそらく実際に現地で撮影した映像が使われている。イスラエルの暴虐やそれを見て見ぬふりする、時にはサポートまでする世界に対して参加者たちは力強く抗議を行う。ニサイもまたそのデモに参加していたのだが、その最中に警察官に追われトラウマを負ってしまう。しかしそれに打ちひしがれ絶望するだけでなく、こういったトラウマや愛の記憶を抱えて彼女は前に進もうとする。その姿を見てシダの心は揺らいでいく。

愛は深まれば深まるほどそれを表現するのは難しくなる、そんな台詞が“Whispering of the Moon”には出てくる。ニサイとシダはそれを互いに抱く愛によって、それを誰よりも痛感せざるを得ない状況にある。それでも2人がそんな愛の表現を模索する様を監督は描きだそうとし、今作自体が他者への愛の表現そのものともなっていく。その物語はある種典型的な悲恋ものではありながらも、それを越えるようなカタルシスをももたらすのはこれゆえだろう。そして今作はその手振れ過多な撮影技法も相まって、荒削りも荒削りな印象を与える。だが、だからこそ愛しあう2人の心と2人を取り巻く世界をここまで剥き出しで提示せしめたのだと、観客の1人として私は言いたいのである。