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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ワット、ウィスキー、広島、そしてウルグアイ映画史~Interview with Agustín Acevedo Kanopa

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

さて今回インタビューしたのはウルグアイ映画批評家Agustin Acevedo Kanopa アグスティン・アセベド・カノパである。私は2020年代に力を着実に蓄え、2030年代に一気に花開くだろう国を探している訳だが、今頭に浮かんでいる4国がモンテネグロキプロスミャンマー、そしてウルグアイな訳である。実は2021年のベスト映画リストに2本もウルグアイ映画を入れていたりするほどで(今回のインタビューにも何度か出てくる)この国の動向から目を離せないのだ。だがウルグアイ映画と言われて即座に頭に何かが浮かぶ人は少ないだろう。2000年代から映画を観ている方は東京国際でも話題になったコメディ作品「ウィスキー」を思い浮かべる人もいるかもしれない。あの映画は実はウルグアイ映画なのだ。ということで今回は、そんな日本においては全く未知のウルグアイ映画史についてこの国で随一に有名な批評家に色々聞いてみた。それでは、どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画批評家になりたいと思いましたか? どのようにしてそれを成し遂げましたか?

アグスティン・アセベド・カノパ(AAK):自分が何を感じているか、なぜある作品を好きになったか、その作品がどのように機能しているか、子供の頃からこういったものを理論化するのに興味がありました。こういった感覚を人生において遭遇した全てに適応できると感じています。つまりどんな音楽を聴いたか、どんな本を読んだか、どんな料理を食べたか、もしくはもっとシンプルに、ある考えが頭のなかでどう変化したか、これを理論化するのが好きなんですね。これは芸術を体感するにあたって制限ととる人も多いですが、私の場合は真逆なんです。映画を観てそれを理解しようとするのは、あらゆるものをより興奮するものに変えてくれる、そして作品の効果というものを拡大してくれる行為という訳ですね。批評家としての仕事を振り返ると、まず日記に書いていたことを個人ブログにアップしていたんですが、2年後にLa diariaという雑誌が私をフリーランスの執筆者として迎え入れてくれました。2008年にこの仕事を始めて、毎週映画と音楽について執筆を行っていたんです。それから時間が経ち、ウルグアイ映画批評家組合に所属することとなり、このおかげでFIPRESCIの審査員として様々な映画祭に参加できるようになり、映画界というシステムにより深く関わることになった訳です。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時、ウルグアイではどういった映画を観ることができましたか?

AAK:最初に大きな影響を与えてくれた1作はディズニーの短編カートゥーン「花と木」(1932)ですね。両親はビデオ再生機を2台持っていたので、映画を借りては観ていき、どれをコピーしてまた観たいか皆で吟味してましたね(それでお気に入りの映画を何度も熱にうなされたように観れた訳です)そのなかにはSilly Symphonies シリー・シンフォニーの短編群、例えば先述した「花と木」「音楽の国」「田舎のねずみ」といった作品があり、今でも素晴らしい作品だったと思ってます。とにかく、私のシネフィル文化は根本においてビデオレンタルから培われていきました。父には何を借りるかの基準などはなかったので、今の観点からいえば当時の年齢には全くそぐわない作品なども借りさせてくれましたね(例えばホラー映画や、セックスと暴力まみれのアクション映画などなど)それからカバーを見て気に入ったけども、子供の世界とは何の繋がりもなかった作品なども借りました(例えば思い出すのは、10歳の頃なんですけど、キシェロフスキのトリコロール/赤の愛」を借りて、何も分からなかったということです。何にしろ最初から最後まで観ましたけどね)そして真の意味でシネフィル的な人生が築かれるための大きな1歩を踏んだのは16歳の時でした。古典映画やアングラな映画に少しばかり特化したレンタルショップに会員登録したんです。初めて行った時に借りたのがルトガー・ハウアー/危険な愛」自転車泥棒」「蛇の卵」ピンク・フロイド ザ・ウォールで、そこから止まらなくなってしまいましたね。

TS:初めて観たウルグアイ映画は何でしたか? その感想もお聞きしたいです。

AKK:確か初めて観たウルグアイ映画はBeatriz Florez Silva ベアトリス・フロレス・シルバ“La historia casi verdadera de Pepita la pistolera”でしたね。テレビ放送だったと思います。当時この映画に関して大きな騒ぎがあったんですが、思い出すのは今作が相当に低予算で(私が観ていたハリウッド映画に比べると本当に規模が違いました)、私が日常を過ごすウルグアイの風景がスクリーンに映しだされており奇妙な心地になったことです。とはいえこの印象以上に、まだ10歳くらいの子供の目にはとても退屈に思えましたね。

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TS:あなたの意見として、ウルグアイ映画史において最も重要なウルグアイ映画は何だと思いますか? その理由もお聞きしたいです。

AKK:2000年までに、ウルグアイ映画は何度も構築され直していきました。新しい映画が現れるたびに“最初のウルグアイ映画”というオーラを纏っている、なんて風ですね。しかし20世紀初頭からこの国でも映画は作られてきていた訳です。しかしながら、私が思うのは“25 Watts”という作品が国際的な注目を浴びた時、初めてウルグアイ映画は外国人の目に触れたと言えるのではということです(私たちの国と同じような小国は常にメインから除外された枠に入っていて、自分たちの文化を真剣に受け止めるには他国の評価というのが必要なんです)こういった理由で“25 Watts”は私たちの国において映画の新しい歴史、公式な歴史が綴られ始めるうえでの分岐点なんですね。これも私の考えですが、説得力のあるウルグアイ性というもの、ここにおいてはウルグアイで若者として生きるうえで何もやることがないゆえにダルくて退屈で、同じことが延々と続くといった感覚をどう強度ある形で再構築していくか、これを最も良く理解していた映画が今作な訳です。他の国でも似た作品はあったでしょうが、特に北米においていわゆるマンブルコア映画がやっていたことを今作はやっていたということですが、それと比べてもこの“25 Watts”はさらに迫真性があり、笑えたんです。この時までにもウルグアイについて語る作品はありましたが、どれも常に分析的な距離感を持つか(例えばMario Handler マリオ・ハンドレルの映画など)より私的でインテリ的な(例えばPablo Dotta パブロ・ドッタの賛否両論な“El Dirigible”など)作品でした。しかし“25 Watts”はウルグアイ人による、ウルグアイ人のための、ウルグアイ人についての映画だと初めて感じられる1作だったんです。後に監督のJuan Pablo Rebella フアン・パブロ・レベージャPablo Stoll パブロ・ストール「ウィスキー」という第2長編を作り、映像面ではより洗練されています。“25 Watts”の倍も越えるほどの評価を受けました。しかし彼らの初長編こそがより広大なカルト的評価を獲得していると、私としては常に思っています。

TS:もし1作だけお気に入りのウルグアイ映画を選ぶなら、どの映画を選びますか? その理由は何でしょう、個人的な思い出などがありますか?

AKK:先の質問で答えたことに少し戻るんですが、私のお気に入りの1本は“25 Watts”ですね。個人的に思い出すのは今作を観て突然、慰められたような奇妙な感覚を味わったんです。私の退屈な人生が突然に映画的なものに見えるようになったんですよね。そして他2本として“Carlos, video-retrato de un caminante” (Mario Handler, 1965)と“Las Olas” (Adrián “Garza” Biniez アドリアン“ガルサ”ビニエス, 2017)を挙げたいと思います。2作は劇的なまでに異なる作品で、全く異なる理由で私を魅了し、興奮させるんです。

TS:日本において最も有名なウルグアイ人監督はPablo Stollでしょう。Juan Pablo Rebellaとの共同監督である第2長編「ウィスキー」はカンヌとともに東京国際映画祭でも賞を獲得、さらに日本でも劇場公開され暖かく迎えられました。今でも日本には「ウィスキー」のファンがいます、Stollの次回作“Hiroshima”は未だに日本で上映されていませんが(日本の都市の名前がタイトルなのに!)しかし彼と彼の作品はウルグアイ本国でどういった評価を受けているのでしょう? ウルグアイ映画史において彼の立ち位置はどういったものになっているでしょう?

AKK:Pablo Stollウルグアイ映画において欠かせない存在です。その理由は映画自体(中でも“Hiroshima”はより完成度の高い1作と思います)だけでなく、彼のおかげでウルグアイ映画が世界的な映画祭で短いハネムーンを過ごすこととなり、今後の道が築かれたという意味でもなんです(例えばManolo Nieto マノロ・ニエト“La Perrera”ロッテルダムで、そしてAdrián Garza Biniez“Gigante”でベルリンで銀熊賞を獲得しました)さらにこんにち、ある特定の映画、もしくは特定の場面(映画外でも日常のある状況も)が“Control Z-esque / Control Zっぽい”(Control ZとはJuan Pablo RebellaPablo Stollの制作会社です)という言葉で形容されるようになりました。何かが形容詞にまでなるというのは、人物やものが何か大きなことを成し遂げたということだと思います。

TS:現代の作家たちのなかで、国際的に評価されている作家は間違いなくFederico Veiroj フェデリコ・ベイローでしょう。彼独特のユーモア感覚は世界の観客を魅了していますが、特に「アクネ ACNE」「映画よ、さようなら」は日本でも上映されています。彼のウルグアイでの評価はどういったものでしょう?

AAK:Veirojはとても興味深い作家ですね。異なるテーマやスタイルに挑戦することを恐れない様は、ウルグアイの同世代にはあまりないことです。個人的に彼のベストは“Belmonte”(2018)だと思っていて、あの作品では現実と非現実が奇妙かつ巧みに混ざりあっているんです。

TS:前の問いにおいては2000-2010年代において国際的に認知されたウルグアイ人映画監督について尋ねましたが、他にウルグアイでは有名ながら国際的にはまだ認知されていない映画作家はいるでしょうか? いるならぜひともその人物がウルグアイでどう評価されている知りたいです。

AAK:この問いに答えるのが難しいのは私が興味深いと思う新人監督の多くが未だ2作ほどしか長編を作っていないからです、つまり彼らの作品を正確に見定める、そして次に一体何を作るのかを予想することが難しいという訳ですね。しかし何にしろ将来性のある作家は多くいます。例えばGuillermo Madeiros ギレルモ・マデイロスFederico Borgia フェデリコ・ボルヒア(2015年製作の“Clever”と2019年製作の“El campeón del mundo”)やAgustín Banchero アグスティン・バンケロ(2021年製作の“Las vacaciones de Hilda”)らですね。彼らの次回作がどうなるのか注目する必要があるでしょう。

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TS:ここでお尋ねしたいのが、あなたが思う2010年代最も重要なウルグアイ映画は何かということです。例えばFederico Veroijのユーモアたっぷりのコメディ作品、Gustavo Hernández グスタボ・エルナンデスのジャンル映画「shot/ショット」(“La casa muda” 2010)、2019年のサンダンス映画祭で評価されたLucía Garibaldi ルシア・ガリバルディ監督作“Los tiburones”などなど。しかしあなたの意見はどういったものでしょう?

AAK:2010年代でも最もお気に入りの作品はAdrián “Garza” Biniez監督の“Las Olas”ですね。今作は小さな、しかし同時に大いなる作品でもあり、様々なテーマについてまとめて語りたくなるような映画です。実験的なアプローチのおかげで均衡を失うことなしに、自身をパロディ化しながら、自分で定めたルールをも破り、越えていくような作品ともなっています。間違いなく私が一番観たウルグアイ映画であり、特に興味深いのは作品に引用やオマージュ(例えばカルロス・サウラの「従妹アンヘリカ」など)を見つけるたびに、作品は小さくなるどころか大きく広がっていくんです。あなたが挙げた作品だと「shot/ショット」Pedro Luque ペドロ・フケの替えが効かない撮影スタイルという献身以上のものでなく、“Los tiburones”も悪い作品ではないですが、いわゆるサンダンス的に収まるようにクッキーカーターで切られてできた作品と思えるんです。

TS:そして2010年代が終わり、2020年代が始まりましたが、コロナウイルスのせいで予想外なまでに過酷なものとなっていますね。それでもここでは映画について話していきましょう。あなたにとって真の意味でウルグアイ映画界の2020年代という新しい10年を始めた1作は何でしょう? 例えばベルリンに選出されたAlex Piperno アレックス・ピペルモ“Chico ventana también quisiera tener un submarino”は文字通り最初のランナーとなった1作でしょう。しかし個人的な意見ではEmilio Silva Torres エミリオ・シルバ・トレス“Directamente para video”ウルグアイ映画の2020年代、いや私にとってはウルグアイ映画への門戸をも開いてくれた作品でした。あなたの意見はどういうものでしょう?

AAK:思うにウルグアイ映画の最も大きな問題は長い間、本物の流行というものを作ってきていないことです。映画がリリースされ、興業収入ランキングに乗り、新聞にレビューが載ったり、時には映画祭で賞を獲得する。しかし長く続くような印象を観客に与えることができていないんです。ですからこの意味で10年の終わりや始まりを象徴する作品というものについて考えると長くなってしまいます(特に今はコロナウイルスのせいで、こういった観客への波及に制限がかかったりしていますからね)この候補になる作品の中で、一番のお気に入りは“Las vacaciones de Hilda”になるでしょう。“Chico ventana”は素晴らしい才能のある作家が力強い美学とコンセプトを込めた1作ですが、そのフォーマットや構成のせいで論理的すぎるきらいがあり、専門性のある閉じられた枠内でだけ大きく評価されている印象があります。“Directamente para video”は始めこそ興味深いのですが、監督がスタイルにまつわる1つの考えに捕らわれ、そのせいでこういったドキュメンタリーに不可欠な要素を入れ忘れてしまったゆえ、幾ら実験的でありたいとしてもこれでは、といった風です。

TS:ウルグアイ映画界の現状はどういったものでしょう? 外から見るとそれはとてもいいように思えます。Federico Veroijの後にも新たな才能が有名映画祭に現れていますからね。例えばベルリンのAlex Pipernoサン・セバスチャンAgustín Banchero、さらにManolo Nietoは第3長編である“El empleado y el patrón”がカンヌに選出されました。しかし内側から見ると、現状はどのように思えますか?

AAK:楽観はしていませんね。創造性と知性ある人々による革新という意味において自然とウルグアイは良い状態にあります(監督だけでなくPedro LuqueArauco Hernandez アラウコ・エルナンデスDaniel Yafalian ダニエル・ジャファリアンといった技術スタッフも才能ある人々が多くいます)しかし産業や製作システムにおいては映画を現実的な早さで作ることができないという問題が内在しています。補助金が少なければ、ターゲットととなる観客も少ない(ウルグアイの人口は300万人ほどというのを思い出してください)ので、必然的に製作に耐え難いほど時間がかかり、上映する頃には新鮮味が失われる訳ですね。そうして監督たちも十分な量の作品を作ることが叶わないゆえ、私たちもこの国の映画の本質について語ることも、この考えを組み換えていくということもできない状況にあります。失うばかりで得るものがありません。こういった意味でウルグアイ映画は、ウルグアイ映画について真実味を以て語るだけの製作の歴史が、少なくとも20年は欠けているんです。

TS:おそらくこれは曖昧で焦点の合っていない質問ですが、あえてさせてください。あなたにとってウルグアイ映画の最も際立った特徴とは何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムとドス暗いユーモアなどなど。ではウルグアイ映画はどうでしょう?

AAK:現時点でウルグアイ映画と一般に関連付けられる特徴はControl Zがもたらした真顔のユーモアと、そしてカウリマスキやジャームッシュから受け継いだような、辛辣かつ酸っぱくも甘い物語様式のブレンドでしょう。問題はこの考え、つまりウルグアイ映画は全部こんな感じだという固定概念がウルグアイの観客にあまりに浸透しすぎて、誰かがある映画にいいレビューをつけると、他の多くの映画がそれを真似し始めるんです。ここ数年そういった小綺麗だけどもぬるい映画が積み上がっていく様を正に目撃しています。フレンチタイプのアコーディオンが背景で鳴り響いている映画を何本も観ました。ある国の映画が辿る道としては興味深さの対極にあるものとしか私には思えません。

文中に出てきた幾つかの作品はレビューを執筆しているのでぜひこちらも。
razzmatazzrazzledazzle.hatenablog.com
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