鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

スロヴェニア、この孤立の時代に~Interview with Maja Prelog & Blaž Murn

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

さて今回インタビューしたのはスロヴェニアの新鋭コンビMaja Prelog マヤ・プレログBlaž Murn ブラシュ・ムルンである。彼らが2016年に制作した短編"2045"は黙示録世界を描いた作品である。スロヴェニアのどこかを舞台として、ガスマスクを被った人物が故郷へと戻ろうとする姿を描いている。この光景は、コロナウイルスによって断絶と孤立を余儀なくされている私たちの状況を予見しているようで、その先見性に唸らされた。ということでそんな作品を作った彼らに映画監督になった理由、今作の成立過程、現在のコロナウイルス禍、スロヴェニア映画界の現状などについて語ってもらった。それではどうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まず、どうして映画監督になろうと思いましたか? そしてそれをどのように成し遂げましたか?

マヤ・プレログ(MP):最初は映画監督になるなんて思いもしていませんでした。写真にとても興味があって、面白いと思ったものは何時間でも眺めていられました。人間同士の関係性や心理、人生の異なる哲学にも惹かれていましたね。少なくとも未来の計画なんて存在していませんでした。時は過ぎて、ある日私は目覚めて、16mmカメラを片手に学生映画を作り始めたんです。

ブラシュ・ムルン(BM):自分は建築学を勉強していて、セット・デザイナーとして映画製作に参加しました。その後映画について古典的に、芸術体系として考えるようになりました。自分は物事を概念的に、文脈を踏まえながら考えることに長けていて、脳みそも何より構成を考える際に奇妙な感じになります。だから映画を実際に作ったし将来の計画もありますが、自分を映画監督であるとは言えません。それでもMaja Prelogとともに何かやっていきたいとは思っています。

TS:映画に興味を持ちだした頃、どんな作品を観ていましたか? 当時スロヴェニアではどんな映画を観ることができましたか?

BM:自分が7歳の時、ユーゴスラビアが解体されましたが、その時までは"Kekec"や、イタリアのTVでバッグス・バニートムとジェリーなどのカートゥーンを観ていました。それらはノンストップのイタリア語で放映されていたので、子供の頃の第1言語はイタリア語でもありました。それからターミネーターバック・トゥ・ザ・フューチャーなどの娯楽映画も好きでした。シリアスな映画を観始めたのは20代半ばからと認めざるを得ません。10代後半にはずっとスポーツをしていて、考えることは建築学のことばかりでした。なので作家主義的な作品が入る余地がなかったんです。

MP:スロヴェニアではどんな新しい作品、どんな芸術的な作品でも観ることができました。検閲なんて存在しなかったんです。公共の図書館からタダで映画を借りることもよくありましたね。映画に興味を持ち始めた頃観るのはほとんど70年代のアメリカ映画でした。例えば「卒業」「真夜中のカーボーイ」「タクシードライバー」「セルピコ」「地獄の逃避行に西部劇(例えばアラン・ドロン三船敏郎が出演していた「レッド・サン」です)イージー・ライダー」「バニシング・ポイント」「フォクシー・ブラウン」「ジョーズ」「未知との遭遇」「マッド・マックス」「TXH 1138」「地獄の黙示録」「ゴッドファーザーなどなど、全てが異なるジャンルです。しかし成長してから2000年代前半、2つの映画に出会いました。ラース・フォン・トリアーダンサー・イン・ザ・ダークの残酷な迫真性、デヴィッド・リンチマルホランド・ドライブの幻想性はとても印象に残っています。それからパク・チャヌクの「オールドボーイ」には骨まで震わされましたし、宮崎駿の「ハウルの動く城」に恋に落ちたんです。

TS:ブラシュさん、あなたはまず映画を勉強する前に建築学を勉強していましたね。この建築学の知識は映画製作に影響を与えていますか? もしそうなら、どのようにでしょう?

BM:もちろん影響はあります。それが弱みでもあり強みでもあるでしょう。映画製作の初期段階においてはより活躍できていると思います。例えばあらすじ制作やプレプロなどです。しかし俳優を演出したり編集をしたりする段階になると難しいです。技術面の方が得意なんです。だからポスプロ段階になると画面より音の編集が強くて、例えば色彩や音、グラフィック・デザインなど上手くこなせるようになります。

TS:映画を作る際、あなた方はコラボしながら映画製作を行っていますね。どのようにこの関係は始まったんですか。1人で映画を作るのと、2人で作るのではどう違いますか?

MP:真相としては彼は私のフィアンセなんです。数年前スケート場で会いました。彼はその頃建築学を勉強していて、私は映画を勉強していました。同じ大学を卒業し、労働力の市場へと飛びこみました。2人とも映画という芸術を通じて自分を表現したかったんです。なので時間を作ったりお金を稼いで、自分たちのゲリラ的な映画製作会社RÁを作りました。友人のおかげで、スロヴェニアのバンドであるライバッハのMVを2作作ることにもなりましたね。何度も細部について話し合うのは時間がかかりましたし、疲労もとても溜まります。しかしそれによって作品のコンセプトはより強く、洗練されていきました。

正直言えば、私にとっては1人で映画を製作する方が楽です。しかし共同制作においてはデュエットで踊るように、芸術家としてのエゴを抑えられます。1つの考えを様々なアングルから見ることができるし、常に考えることができる。よりよい解決策を探せるし、調整することもできるし、そして妥協すること(かしないことも)ができます。つまり共同作業によってよりよい芸術家になれるし、映画の可能性をより強化できるんです。

BM:彼女は私のソウルメイトです。彼女に多くのものを負っています。彼女がいなければ映画監督何てしていなかったでしょう。私はそういう種類の人間じゃなかったんですからね。あまりにも直接的で控えめすぎるんです。映画監督であるためには卑劣で自分の性格を隠さなきゃならない。それか彼女のような才能を持って生まれるしかない。彼女は笑顔を絶やさずに映画を作るので、誰も言うことに背こうとはしません。そういったコミュニケーションの問題もありますし、自分はそこまで我慢強くないんです。だから比べるのは烏滸がましいかもしれませんが、偉大なスタンリー・キューブリックが成したように、最小限のスタッフでこそ私は監督ができます。

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TS:短編作品"2045"の始まりは何でしょう? 自身の経験、スロヴェニアのどこか、もしくは他の出来事でしょうか。

MP:"2045"はこれらの要素が集まってできました。私はBlažと朝のコーヒーを飲むという儀式があります。そうして、コーヒーがいかに酸っぱいか、昨夜どんな夢を見たか、蜂が全滅したら何が起こるか、スロヴェニアと日本の自殺率がなぜ似ているか、南極の氷が全て溶けるのはいつかについて語るんです。そしてこれに対する考えを短い実験映画として表現しようと決めたんです。最終的に、考えは世界が崩壊する瞬間に至りました。それについて書き記し、ストーリーボードを作りました。機材を携えていても、スロヴェニアの自然に容易に辿り着けたし、ガスマスクを着けてくれる芸術家の友人にも恵まれました。なので霧が現れるのを待った後、スロヴェニア中を回り現実を越えた風景を探しました。

BM:今作は私たちが共有する世界的な状況への考えを反映したものです。例えば私たちは人類としてこの地球に、他の種族に、そして私たち自身に何をしたか。そして私たちはどこへ向かっているのか。何か大きなことが起こるのではと今感じています。巨大な戦争か、環境の崩壊か、それとも何か別の世界的な危機か。しかし予算無しで黙示録を描くのはとても難しいので、個人的な親密な経験について描こうと思いました。黙示録の影響下、行かれる母なる大地の偉大さを背負いながら、主人公が諦めに陥り、故郷へと帰っていく姿です。

TS:まず最初のショットから、今作の崇高なる風景の数々に惹かれました。今作を観た人はみなこう思うでしょう――一体この崇高な場所はどこなんだ?と。この場所は一体どこでしょう? スロヴェニアの有名な場所なんですか? "2045"でこの場所を起用した最も大きな理由は何でしょう?

MP:それはここ、Jezersko地方の山の1つです。とても有名ですが、一番という訳でもありません。私たちは"人工的な"自然、遠く神秘的なイメージを探していました。見覚えがありながら、記憶に焼きつくものです。実はここにはテスト撮影のためやってきたんですが、カメラを置いた途端、マジックが起きたんです。天気は完璧で、岩に残る雪の度合いも丁度いい、2本の松も正しい場所にあると。こう思いました。映画の神がここにはいると。

BM:これらは1つの場所として編集されていますが、実際はスロヴェニアの幾つかの場所を巡っています。しかしスロヴェニアは東京ほどの大きさしかないという視点に立てば、1つの場所と言ってもいいでしょうね。私たちが赴いたのはリュブリャナから1時間ほど離れた、厳重に保護された4つの地域です。この近くに住んでいたので、ロケ地探しは楽だったのは喜ばしいことでした。そうする必要があるなら日本とこの場所はトレードしても構いません。10年前に廻った地を行くのは素晴らしいと思います。

TS:今作で最も印象的なのは世界の崇高さです。あなた方はこの世界に宿る息を呑むような崇高さを、とても効果的に映しとっています。自身の映画の撮影監督として、これをどのように成し遂げたんでしょう?

MP:私たちは生の残骸を映し出すような映画のイメージを探し求めていました。そうして世界を映し出すために固定のロングショットを使おうと決めたんです。最初のショットは特に、観客がこれは写真なのでは?と疑うほど異様に長くしました。そして観客は催眠状態に陥り、未来世界への旅へ誘われるんです。

BM:自分は壮大な古典的作品が好きと言ってもいいです。映画に対する古典的なアプローチが好きなんです。現代の軽々しい、コンピューターによる演出とは真逆の、固定ショット、ステディカム撮影、移動撮影、その他の重々しい撮影技法を強く信じているんです。そこには不動のものがあり、100年以上の時を生き抜いてきた訳です。他方で私たちは今作をフル・フレームのデジタルカメラで撮影しましたが、そういう訳で両方のアプローチの中でも最善を尽くせたと思います。崇高さの多くは練り上げられたコンセプトと編集の技法によって達成できました。

TS:私が感銘を受けたのは崇高なイメージと不吉な音響の大胆な組み合わせです。自然の中の音がイメージと重なる時、あなたが表現する世界はより豊かに荘厳なものとなります。どうやってこのイメージと音響の組み合わせを達成したんですか?

MP:ありがとう。まず今作のコンセプトは技術的な状況や芸術的な欲望から始まりました。初めに、カメラは音のない"生の"フッテージのみを切り取り、同時に音を録音はしないことを決めました。そして第二に全てのイメージが現実の自然由来なら、音は不自然なものであるべきだと思いました。それである日、自転車でリュブリャニツァ川を走っていて、通風装置の音を耳にしました。そこでこの騒音が"2045"の音だと気づいたんです。録音と音響デザインは全てBlažがしてくれました。

BM:音は機械で作ったものです。病院の外にある巨大なエアコンの音を録音し、音響をデザインするにあたってそれを孤立における異なる周波数のレベルに適用していきました。強固に編集を行おうとしてきたので、無声映画として完成させても良かったですが、それでも映画の効果は画よりも音に多くを負っていると思います。今作において画はある意味背景であり、音こそがもっと複雑な在り方を呈していると思っています。

TS:あなた方は"2045"を2016年に作りましたね。しかし今作を2020年に観た私にとって、コロナウイルスが蔓延していることも相まって、今作の不吉さや孤立の感覚はより近いものに思えます。あなたは2016年にこの状況を予測していましたか? このコロナウイルスの時代に"2045"を観ることはどんな意味を持つでしょう?

MP:現在の状況を見たり、全ての選択肢においてネガティブな方を選び取ることで、私たちは黙示録的な世界を予測してきました。そして考えうる限り最悪の結果に辿りついたんです。私たちの心の中では、世界は大きな難民キャンプであり、地球には存在していません。今作を今観るなら、観客は災厄の孤立的な感覚により共感しやすくなるでしょう。

BM:思うに今作はパンデミックの終り、もしくは世界的恐慌の後に私たちが直面する終りに強く共鳴していると思います。そう悲観的になりたくはありませんが、私たち人類はこれからの未来に母なる自然と共生するため、多くのことを変えなくてはならないと思います。彼女は私たちに愛想を尽かしているんです。

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TS:スロヴェニア映画界の現状はどういったものでしょう? 外側から見るとそれは良いものに思えます。新しい才能が有名な映画祭に現れていますからね。例えばロカルノMatjaž Ivanišin マチャシュ・イヴァニシンや、トロントGregor Božič グレゴル・ボジッチなどです。しかし内側からだと、現状はどのように見えるでしょう?

MP:才能という意味においてはスロヴェニア映画界は輝いていますが、国家的なサポートは欠けています。財政的に現状はとても貧しいものです。しかし私はスロヴェニア映画界を若く才能ある芸術家や批評家の共同体だと思っています。彼らは自分の居場所のために戦い、とても賢く優雅に立ち回っています。それはほとんど武道的な美徳です。

BM:認めざるを得ないのは、私がこの国における芸術の現状にとても怒りを抱いており、その事実に曖昧でいざるを得ないことです。今作はその1つの例です。私たちは自分の銀行口座から貯金をはたいて制作せざるを得ず、なので官僚主義の硬直性にうんざりしています。国立の映画補助に参加するため時間を費やしても、この国の有名人に対してルーキーである私たちは無力なんです。ですから全て自分でやらなくてはならないんです。そして私は自分のお金で映画を作るのが難しいのと同様に、上映されるのも難しいと思っています。多くの国際映画祭に応募していますが、全く採用されず、それは国立映画センターからしか応募できないからだと思っています。もちろん今作は最善の出来ではないですが、より良いクオリティのため多くを改善しています。それでも全てが悪い訳ではないと思っています。その後、今作が国際的に上映され、このMy Darling Quarantine Short Film Festivalではローカルの短編映画祭FeKK――ここで最優秀賞を獲得しました――でプレミア上映されてから、4年越しおそらく3回目の上映を果たしました。それでも言うべきなのは、他の若い監督たちが海外で成功したと聞くのは嬉しいですし、それが世界的にもローカル的にもより良い明日がやってくるという希望をもたらしてくれます。

TS:日本の映画好きがスロヴェニア映画史を知りたい時、どんな作品を勧めますか? その理由も教えてください。

MP:私はVinci Vouge Anžlovar ヴィンツィ・ヴォウゲ・アンシュロヴァル"Babica gre na jug"をお勧めします。今作はスロヴェニアが独立して初めて作られた作品で、ドロップアウトした学校の生徒が日本で脚本賞を獲得した後に作ったものです。ロードムービーで、おばあちゃんが老人ホームから逃げ出す姿を描いた美しい物語です。

BM:認めざるを得ないのは、私はこの国の映画については未だ無知で、この質問に答えるのに適した人物ではないことです。ここ3年、健康に問題を抱えており、オンラインでしか映画を観れなかったんですが、スロヴェニア映画はそこでは観ることができません。健康状況のせいで時間も限られていたので、時間を慎重に使ってきました。だから私にとっては観たことのない作品を観るより、面白い黒澤映画を10回観たほうが有益です。リスクがありますからね。これが映画批評家や他のシネフィルには受け入れ難いとは分かっています。誰か信頼する人が勧めてくれるなら、その映画も観ますけども。

TS:もし1作好きなスロヴェニア映画を選ぶなら、どの作品を選びますか? その理由はなんでしょう?

MP:やはり"Babica gre na jug"ですね。悲しくて面白い映画です。それにスロヴェニア映画の中でもサウンドトラックが随一に素晴らしいんです。

BM:私はJože Gale ヨジェ・ガレ"Kekec"(1951)を挙げます。今作は強いメッセージを持った子供映画で、スロヴェニア人の血の源を強く反映してもいます。ある意味で娯楽映画のようでもあり、観ていると心配事を全て忘れることもできます。中国やユーゴスラビア含め共産主義国家の至る所でヒットしました。今は深い映画というものを観れない状況にあります。それはそういった作品が全て過度に皮肉的に思われると共に、今起こっていることが複雑すぎるように思えるからです。今はこの現実のような非現実的で親密な作品を作れる脚本家や映画監督はいません。深い映画というものは"平和な"時代にはいいと思います。人々は自分の生き方をそこに反映できますからね。なので娯楽映画は"四季的な"映画であり、映画史を眺めるとなると娯楽映画の大部分は忘れられ、最高の作品だけが思い出されるんです。"Kekec"はそんな作品だと思います。

TS:新しい短編やデビュー長編を作る予定はありますか? あるなら是非とも日本の読者に教えてください。

MP:今は初長編の編集をしています。Blažと私についての物語です。彼は3年前に重度の白血病と診断されました。2人にとってとても辛い時期でした。彼は生きようと必死に戦い、私は自分自身に内にいる悪魔と和解しようとしていました。しかし骨髄の移植をし白血病を生き抜いた後、彼は自分のバイクで有名なジロ・デ・イタリアに参加し、健康を取り戻そうとしたんです。私もカメラを携え彼についていき、自分たちの経験を映画という芸術を通じて映しとっていきました。この旅路はお伽噺のようになると思いましたが、生々しい現実として迫ってきました。自分たちが病気の影響のもとにあることを思い知らされるとともに、世界でも最も美しい風景を巡ったんです。

BM:今はMajaのデビュー長編に深く関わっていた状況から回復しつつあります。あの作品には人生を吸い取られましたからね。なのでゼロから自分を建て直す段階にあります。

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