さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)
この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアやブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。
さて、コロンビア映画界特集は早くも第3弾となった。今回インタビューしたのはコロンビアの映画批評家Camilo Andrés Calderón Acero カミーロ・アンドレス・カルデロン・アセロである。今回もコロンビア映画史上に残る傑作映画についてや、2010年代におけるコロンビア映画界の躍進などなどこの国の映画について様々な話題について聞いてみた。ということで今回もコロンビア映画に浸ってほしい。それではどうぞ。
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済藤鉄腸(ST):まずどうして映画批評家になろうと思ったんですか? そしてどのようにそれを成し遂げたんですか?
カミロ・アンドレス・カルデロン・アセロ(CA):おっと。映画批評家というのは荷が重すぎますね。シネフィルの方が好きです。私は映画が人間の魂を高めてくれる可能性を楽しんでいるんです。それから映画について書いたり読んだり、もちろん観たりするのが好きで、それは映画に限りません。産業それ自体に興味があるんです。映画は芸術ですが、同時に産業でもあるんです。この関係性について書くのが好きなのは、お金が映画の見方に影響するからです。
オーディオ・ビジュアル産業について語るにあたっては映画を観る必要があり、それが唯一の方法なんです。私は26歳の時、このプロフェッショナルな興味に集中すると決めました。映画を観るのはいつだって楽しいです。とても小さな町で育っているので、休日にボゴタへ旅行して映画館に行くのは素晴らしい経験でした。私にとって映画はいつだって他の世界への大きな興奮を伴った窓だったんです。
何かを書くために1つのテーマを決めなくてはならない時、その選択は明確です。2011年に映画について継続して書きはじめ、今でも学びつづけています。たくさんの窓が開かれるのを待っているんです。
TS:映画に興味を持ちはじめた時、どんな映画を観ていましたか? 当時コロンビアではどんな映画を観ることができましたか?
CA:その時期を1つだけ選ぶのは難しいですね。中学の頃には「いまを生きる」と「シンドラーのリスト」にはショックを受けました。それから有名なコロンビア映画"La estrategia del caracol"にもです。大学の頃には「マトリックス」を観て、映画を勉強しようという興味が開かれたんです。私はジャーナリズムを学んでいて、クラスで多くの映画を観ました。そして映画への愛は大きくなっていきました。その頃、面白いコロンビア映画はそう多くはありませんでした。しかしここ10年でクオリティは上がっていきましたね。私が好きなのは"Los niños invisibles"ですね。
TS:最初に観たコロンビア映画はなんですか? その感想もぜひ聞きたいです。
CA:確かコメディだったような気がします。先に言った通り、自分は小さな町に住んでいてそこには映画館がありませんでした。だから初めて観たコロンビア映画はTVで観ていて、それは80年代初頭のコメディだったと思います。おそらく"El taxista millonario"だったのではと。この時代のコロンビア映画はほとんどがコメディでした。B級映画に近いものです。低予算、限られた舞台設定、チャップリンのような古典的物語が主です。それから貧しく馬鹿で、それでも幸運な男が騒動に巻きこまれるんです。
TS:コロンビア映画の最も際だった特徴は何でしょう? 例えばフランス映画は愛の哲学、ルーマニア映画は徹底したリアリズムと黒いユーモアです。ではコロンビア映画はどうでしょう?
CA:思うにいくつかあります。例えば都市的リアリズムと暴力の行く末、そして内戦が引きおこしたものについて関心です。他方、娯楽映画は人々を魅了することに関心があります。コメディにおける素朴な物語は映画というよりTVのソープオペラのようです。
TS:世界のシネフィルにとって最も有名なコロンビア人映画作家は間違いなくLuis Ospina ルイス・オスピナです。"Agarrando pueblo"や"Pura sangre"などの作品は現代コロンビアの複雑さを描いていますね。しかし、実際に彼と彼の作品はコロンビアでどう評価されていますか?
CA:彼の貢献は絶大なものです。彼と彼のグループCaliwoodには先見の明がありました。語りで実験を行い、ラテンアメリカを異国情緒的な場所(未発展の国々)と見做すヨーロッパ中心主義の視点から逃れようとしました。思うにこれこそが実験映画というものであり、後継者たちに影響を与えました。
TS:そしてOspinaのパートナーとしてCarlos Mayolo カルロス・マヨロがいますね。彼はOspinaと実験的な短編を製作するとともに、さらに興味深いことに、"Carne de tu carne"などの奇妙なホラー映画を作っていますね。しかし彼については英語でも日本語でも情報がありません。彼は誰なんでしょう? コロンビアでは有名なんですか?
CA:ええ、彼はまずTV番組やコマーシャルを作っていました。それから彼とOspina、そしてAndrés Caicedo アンドレス・カイセドはカリにおいて流行を作り出し、芸術や実験に邁進していきました。しかし最も話題になるのはOspinaですね。Mayoloは2007年に亡くなり、彼のスタイルを受け継いだ人物はそう多くありません。例えばRuben Mendozaなども明らかにOspinaのスタイルを受け継いでいます。
TS:私の好きなコロンビア映画はVictor Gaviriaの"Rodrigo D: No Futuro"です。ここで描かれる過酷な現実は私を心から驚かせます。聞きたいのはGaviriaと"Rodrigo D"のような作品はコロンビアでどう受容されているかです。
CA:いつだって自分たちの悪い面を見るのは難しいことです。暴力の鏡を見る時、私たちは自身を中産階級と見做し、暴力は遠い現実だと思います。なのでそういった現実をスクリーンで観るのは好きではないし、悪いことに外国人ばかりが観ることです。議論を呼ぶ物語に関わらず、Gaviriaは貧困やギャング、ドラッグ中毒、女性への暴力という事実を暴きだしています。新しい作家の多くが彼のスタイルを真似していますが、スクリーンでより生の質感を見せてくれるのはGaviriaなんです。
TS:あなたの意見において、最も重要なコロンビア映画は何でしょう? その理由についても知りたいです。
CA:1本だけ選ぶのは難しいですね。思うに"La estrategia del Caracol"は私たちの文化を再起動させたようです。ここで描かれているものこそコロンビア人なんです。今作は古典になるでしょうし、そうしていつまでも残り続けるでしょう。他方、今世紀に作られた多くの映画は注目すべきクオリティを誇っています。例えば"Monos"や"Pajaros de verano"などです。それから私自身は"Confesión a Laura"が好きです。とても親密な映画(俳優は3人だけです)であり、コロンビアの歴史を背景に昔ながらの争いについて描きだしています。男、彼の妻、そして隣人の女性の三角関係というものです。
"La estrategia del caracol"
TS:もし好きなコロンビア映画を1つ選ぶなら、どの映画を選びますか? それは何故でしょう、個人的な思い出がありますか?
CA:いつだってそれは"La estrategia del caracol"ですね。小さな頃に今作を観たんですが、いつでも思い出に残っています。まず今作には前にTV番組で観た俳優がたくさん出演しています。それからユーモアです。ドス黒いユーモアは私たちの不名誉を描くにはベストであり、とても賢いものです。物語の核は15を越える登場人物が出ることです。今作を作るのは歴史的な事件であり、それは90年代、政府は映画産業に一切の補助金を与えなかったからです。なので映画自体を作るのが難しかったんです。
TS:2010年代で最も重要なコロンビア映画界の存在は間違いなくCiro Guerra シーロ・ゲーラでしょう。「大河の抱擁」や"Pajaros de verano"といった作品は世界中の映画祭で批評的に成功し、コロンビア映画が世界に躍進するきっかけを作りました。しかし、彼と彼の達成はコロンビアで実際にどう評価されているのでしょう?
CA:彼の才能を疑う者はいません。彼は世界で最も認知されているコロンビア人監督ですが、多くの人々はただ彼が幸運だったと思っています。彼の成功の後、他の映画作家が続いたのは本当です。デビュー作が成功したなら、注目を惹いたり予算をもらったりするのが簡単になりますね。Guerraはコロンビア映画の門戸を開き、外国で認知されるようになりましたが、それだけではありません。これから他の監督が映画祭で作品を上映できるようになったでしょう。彼は大きな功績を達成したんです。この可視性は他の監督にも影響を及ぼしていて、それは作品が評価されるようになったからです。しかしコロンビアには他にも監督がいますし、もっと平等に才能が広められるべきです。
TS:2010年代も数か月前に過ぎました。そこで聞きたいのは、2010年代最も重要なコロンビア映画は何かということです。例えばシーロ・ゲーラの「大河の抱擁」 やFranco Lolli フランコ・ロジの"Litigante"、Alejandro Landes アレハンドロ・ランデスの"Monos"などがあります。しかしあなたの意見はどうでしょう?
CA:自分は"Pajaros de Verano"が好きですね。語りや芸術的側面においてより完璧な作品だと思います。しかし「大河の抱擁」はより素晴らしい撮影であり、"Monos"は"全体図"とも言うべき映画になっています。最終的な評決としては"Pajaros de Verano"と"Monos"ですね。しかしドキュメンタリーも忘れてはいけません。近年、素晴らしい作品がたくさん作られていますからね。"Todo empezó por el fin"や"Carta a una sombra"、"Smiling Lombana"や"Amazona"、"Señorita María"などです。
TS:コロンビア映画界の現状はどういったものでしょう? 外側から見ると、とても良いものに見えます。Ciro Guerraの後にも、新しい才能が有名な映画祭に多く現れているからです。例えばトロントのLaura Mora Ortega ラウラ・モーラ・オルテガ、ベルリンのSantiago Caicedo サンティアゴ・カイセド、カンヌのFranco Lolliなどです。しかし内側からは、現状はどのように見えるでしょう?
CA:とても議論を呼ぶテーマですね。コロンビア映画は海外で認知度をあげ、賞を獲得していますが、コロンビアではだれもその作品を観ないんです。それらは"映画祭のための映画"だと言う人もいます。私としてはそれは半々だと思います。映画祭に関してはもっと興味深い物語もあるでしょうし、語りの形式に関して言うべきこともありますが、監督たちが語りたい物語を語っているというのもまた事実です。この状況において欠かせないのは繋がりです。大衆はそういった物語を好まないので、監督は海外の大衆を獲得することに興味を持っています。他方、コロンビアで最も観られる映画はそんなに賢くないコメディなんです(私もアダム・サンドラー作品は好きですけどね)
TS:コロンビアの映画批評の現状はどういったものでしょう? 外側からだと、映画批評に触れる機会がありません。しかし内側からだと、現状はどのように見えますか?
CA:デジタル空間は多くの人々が執筆をしたりポッドキャストを作ったりする余地を作ってくれましたが、アルゼンチンやメキシコに比べると小さなものです。彼らはブログだけでなく、多くのデジタル雑誌やウェブサイトを持っていますしね。コロンビアでは文化を語るメディアが欠けているんです。雑誌も少なく、映画について語る場があまりありません。それでも私たちには雑誌Kinetoscopioや、Juan Carlos Gonzalez フアン・カルロス・ゴンサレスやPedro Adrian Zuluaga ペドロ・アドリアン・スルアガ、Samuel Castro サミュエル・カストロなどの歴史的な批評家がいて、コラムを書いています。
TS:コロンビア映画界で最も注目すべき才能は誰ですか? 例えば外国からだと、独自の映画的言語を持っているという意味でCarla Melo カルラ・メロとLaura Huertas Millán ラウラ・ウエルタス・ミジャンを挙げたいです。しかしあなたの意見はどうでしょう?
CA:私にとって最も興味深い存在はIvan Gaona イバン・ガオナですね。彼はこの国では海外より知られており、制作スピードも速いです。それからJuan Sebastian Mesa フアン・セバスティアン・メサやLaura Mora Ortegaもいいデビューを飾っています。彼らがどう芸術的・物語的アプローチを遂げるか楽しみです。私たちの国では創造性だけでなく、お金にも左右されますからね(補助金、賞、共同制作による予算などなど)
"Pariente"