鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

コバルトブルーのミャンマーで~Interview with Aung Phyoe

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まろうとしている。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は、2010年代に作られた短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

今回インタビューしたのはミャンマー期待の映画作家であるAung Phyoe アンピューである。彼は映画作家であると同時に、ミャンマー最初の映画雑誌である3-ACTの発刊者・編集者であり、様々な側面からミャンマーの現代映画を支えている人物だ。彼の短編"Cobalt Blue"は1998のミャンマーを舞台に、引っ越しを控えた少年とその隣人の切ない交流を描き出した一作である。ミャンマーの歴史を背景としたこの繊細な人間ドラマは、ミャンマー映画界の光ある未来を予告しているだろう。ということで今回は監督に作品についてとミャンマー映画界の現状について尋ねてみた。ぜひ読んでみてほしい。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画作家になりたいと思ったのですか? それをどのように成し遂げましたか?

アンピュー(AP):私はいつも物語に魅了されている読者でした。若い頃は小説家になりたいと思っていたんです。しかし挑戦して数年後、自分にはその才能がないと悟りました。映画はだいぶ後に私の元にやってきました。10代の後半から映画を観始め、その力強さに魅了されました。最初それは追うのが不可能な夢でした。私自身エンジニアリングを勉強していて、映画業界やそこでの実践とは関りが何もありませんでしたから。学位を取った後、私は映画制作について学ぶことを決め(2年間ムンバイに留学しました)そこで映画を学んだんです。その前はただただ映画を観るだけでした。

TW:映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時のミャンマーではどんな映画を観ることができましたか?

AP:映画は子供時代においてそう大きな役割を果たしてはいませんでした。そこにあったのは文学です。それでも母と映画館に映画を観に行ったり、日曜日にはTVで映画を観たりしました(電気があった時はですが)そこは閉じられた世界で、映画に触れる機会があまりなかったんです。その時ミャンマーで観られたのはアクション映画やハリウッドの大作映画などで、それには興味がありませんでした。高校を卒業した後、エンジニアリングを学ぶためシンガポールに行った時、世界が開いたんです。まず文学を原作とした映画を観て、それから映画理論にまつわる本を読み始めました。インターネットのおかげで、多くの映画や本の中で言及されている監督にも触れることができてから、真剣に映画を観ることになりました。

実を言うとエンジニアリングにはあまり興味はなくて、だから読書をしたり映画を観たりして時間を過ごしていました(少なくとも1日中)その時間は物事を深く吸収する時間だったんです。私は特に日本映画とインド映画(ボリウッドではないです)に影響を受けました。まず日本映画については成瀬巳喜男の作品に大きな影響を受けました。ほとんどの作品が好きです。「流れる」「浮雲」「山の音」「めし」「乱れる」「女が階段を上る時そして彼の遺作である乱れ雲も好きです。それからインド映画に関しては、サダジット・レイのファンであることはありませんでしたが、リトウィク・ガタクムリナル・セン、そしてマニ・カウル作品における儚いメディアとしての映画には影響を受けました。

TS:あなたの短編"Cobalt Blue"の始まりは一体何でしょう? あなた自身の経験、ミャンマーのあるニュース、もしくは他の出来事でしょうか?

PA:これは私にとって2本目の短編映画なんですが、自分自身が何を語りたいかを見極める時間でした。軍事政権下における私の子供時代の経験を再構築したかったんです。困難なようにも思われますが、人生は今よりも素朴なものでした。そんなミャンマー人の普通の生活を再構築したかったんです。

TS:短編についての質問に入る前に、その歴史的な文脈についてお聞きしたいです。この映画は90年代後半を舞台としていますが、それは重要な要素に思えます。何故90年代後半を舞台にしようと思ったんですか? そこには外国人が知らない重要な文脈が存在しますか?

PA:その時代はアメリカによる制裁があった時代で、私たちにも、そして政府で働く家族の人生にも影響がありました。人々は他の地域へ移住させられ、失業する人もいました。これを背景に入れたかったんです。そしてもっと重要なことに、その頃は時の流れが緩やかで、待ちわびる感覚や希望のない憧れが今よりより強い時代だったんです。

TS:今作で最も印象的なことの1つは、少年と彼の隣人の複雑な関係性です。最初それはとても親密で優しいものですが、徐々に胸を引き裂く切なさを帯びます。観客は関係性が変化していく上で生まれる深い悲しみを感じることになるでしょう。あなたはこの関係性について、脚本段階と撮影段階、その両方においてどのように構築していきましたか?

AP:成長するにあたって、私は人生において何か実践的なものについていつも目を向けてきました。何を感じようと、何を求めようと、ある1つの事象を行い、ある1つの道を行く必要があるんです。その道を行くごとに小さな欲望や願い、夢といったものはゆっくりと消えていきます。私はこの諦めというものを描きたかったんです。そういった深い、パーソナルな哀しみを描くベストのやり方は登場人物を親密な神々しさに晒す(それは性格が強いとか弱いとかいったこととは関係ありません)ことだと思います。おそらくそれが成瀬巳喜男の映画に私が触発される理由でしょう。彼は登場人物をそういった親密な瞬間に晒すことで何か深遠なものを達成しているんです。

撮影の間、私は俳優たちに気楽でいるようお願いしました。登場人物の心理や複雑さについては特に説明してはいません。ただ引っ越して親友と別れる際、感じるだろう何かについて話しました。子役や隣人役の俳優とはワークショップを開きました。リハーサルをしたり、兄弟のようにゲームで遊んでもらったんです。

TS:今作の核は主人公となる少年の存在です。今作の力強い複雑さは彼の不満、怒り、悲しみによって増幅されています。この俳優May Paing Soe メイパンソーをどこで見つけましたか? どうしてこの映画で彼と組みたいと思いましたか?

AP:いえ、その俳優の名前はArr Koe Yar アコヤーです。May Paing Soeは母親を演じた俳優ですね。彼は多くの映画やドラマで活躍しており、カメラやセットを怖がることはありませんでした。私は彼のなかにある種の哀しみを感じましたが(それを理解しようとしたり、疑問に思ったりはありませんでした)それで彼を主演にしようと思えたんです。説明した通り、関係性の複雑さについて説明はしませんでしたが、もし兄の元を離れたり、町から移住したりしなくてはならなかったら?ということを彼に尋ねたんです。それは例えば"兄と一緒にいたいけど、それは許されないんだ"とか"彼は君を騙して、それに怒ってるんだ"とかいった風です。こうして彼が簡単に理解できるシンプルな状況を作りあげた訳です。

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TS:今作においてある1つのことが会話のなかで繰り返されます。上ビルマへの移住です。少年の家族は上ビルマに実際移住しようとしますし、彼の隣人も恋人とそれについて話しますね。この"上ブルマへの移住"というのはどういう意味を持つのでしょう? これには特別な意味合いがあるのですか?

AP:これは個人的な考えですね。私は上ビルマに産まれ、ここを映画として描き出したいといつも思っているんです。上ビルマはほとんど乾いた風景が広がり、埃臭い風が吹き、細く茶色い人々で溢れています。この町や村で過ごした子供時代は鮮烈な思い出として残っています。この要素に関しては次の作品でも探求していきたいと思っています。

TS:そして今作の素晴らしい場面は正に最後です。あなたのカメラは車の後ろに座る少年の顔に迫っていきます。その顔ではとても、とても多くの感情が浮かんでは消えていきます。その様には静かに感動しました。この長回しを最後のショットとして決めたのは何故ですか?

AP:私は彼らの人生がもはや彼らの望んだものではなくなってしまったということを伝えたかったんです。感情というものがどんなに強く誠実でも、それらは時間の流れのなかで消えていきます。私にとってそれが人生の最も残酷な側面なんです。彼がかつて感じていた愛はもう思い出のなかにしか生きていないんです。だからこそ(演技と顔にかかる影を通じて)その感情の変化が現れては消えていくようにしていきたかったんです

TS:ミャンマー映画の現状はどういったものでしょう? 外側からは良いように見えます。新しい才能たちが現れ、ワタン映画祭が存在感を発揮し始め、多くの映画の専門家がFAMU Burma Projectから巣立っていっています。しかし内側から見ると、現状はどのように見えているのでしょうか?

AP:私も良いと思いますね。強い信念を持つ多くの若い映画作家たちがいます(メインストリームにおいてもインディーズにおいても)FAMUとワタン映画祭はミャンマーにおけるインディーズ映画の勃興に重要な役割を果たしています。ここ最近、ミャンマーの若い作家は世界の映画祭で目に見える衝撃を与えています。Na Gyi ナージーは彼の作品"Mi"ASEAN国際映画祭の撮影賞を獲得しました。そしてZaw Bobo Hein ゾーボーボーヘインは自身の短編"Sick"で、シンガポール国際映画祭の監督賞を獲得しました。まだ長い道のりがありますが、光ある未来を願いたいです。

TS:あなたはミャンマーの映画雑誌3-ACTの発刊者ですね。この雑誌について説明してくれませんか? どうしてこの雑誌を始めようと思ったんでしょう? その過程はどういったものだったでしょう?

AP:この雑誌は映画作家や映画に真剣な興味を持つ人々のためのものです。1年に2回発刊され、今のところは4冊発行されています。雑誌は映画作家である私の友人Moe Myat May ZarChi モーミャメイザーチーによって発刊され、私も共同設立者と編集として携わっています。主にこの国の映画について(より批評的な側面から)、そして映画製作の分子的側面や映画理論の翻訳などについて特集しています。

TS:前の質問に関連して、ミャンマーにおける映画批評の現状はどういったものでしょう? 外側からだとその映画批評に触れる機会が全くありません。ですが内側からだと、その状況はどのように見えますか?

AP:ミャンマーにおいて映画批評の文化が強いとは思えませんね。批評というよりも個人的なレビューの方が多いです。しかしソーシャルメディアにおいて、より多くの批評ページが現れています。しかしその誠実さや映画への知識には疑問が残ります。

TS:もし1本好きなミャンマー映画を選ぶなら、どの作品を選びますか? その理由も知りたいです。何か個人的な思い出がありますか?

AP:それは1990年制作の"Khun-hnit Sint Ah-lwan"(監督:Maung Wunna マウウンナ)ですね。彼は私が影響を受けた唯一のミャンマー映画作家です。彼の最も称賛された作品は"Tender are the Feet"(1973)で、リストア版がベルリンと東京国際映画祭で上映されました。彼のほとんどの映画が好きです、様々な理由で。しかし"Khun-hnit Sint Ah-lwan"を選んだのは、そのミャンマー人の平凡な人生に対する信頼性を持った、成熟したスタイルとその複雑微妙さに感銘を受けたからです。

もちろん今作を初めて観たのは家族と一緒にです。TV放送でした。カップルが異なる倫理観のせいで別れることになりながら、最後には彼らの娘の願いで再び一緒になるという平凡な物語です。しかしそのクオリティは(ミャンマー人である私にとって)卓越したものです。

TS:新しい短編か長編を作る計画はありますか? もしそうなら、読者にぜひお伝えください。

AP:現在、私は"Fruit Gathering"というデビュー長編の準備をしています。今作は2人の平凡なミャンマー人女性をめぐる愛と憎しみの旅路を描いています。そして残酷な現実性を持った過渡期における親密さと所属の感覚についても描かれています。ミャンマーの過渡期を舞台として、今作は人生に苦闘し、自身のなかで繰り広げられる闘争を宥めようとする登場人物の人生を描くことを目的としています。

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