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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ユーゴスラビアからインドへ~Interview with Anuj Malhotra

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さて、日本の映画批評において不満なことはそれこそ塵の数ほど存在しているが、大きな不満の1つは批評界がいかにフランスに偏っているかである。蓮實御大を筆頭として、映画批評はフランスにしかないのかというほどに日本はフランス中心主義的であり、フランス語から翻訳された批評本やフランスで勉強した批評家の本には簡単に出会えるが、その他の国の批評については全く窺い知ることができない。よくてアメリカは英語だから知ることはできるが、それもまた英語中心主義的な陥穽におちいってしまう訳である(そのせいもあるだろうが、いわゆる日本未公開映画も、何とか日本で上映されることになった幸運な作品の数々はほぼフランス語か英語作品である)

この現状に"本当つまんねえ奴らだな、お前ら"と思うのだ。そして私は常に欲している。フランスや英語圏だけではない、例えばインドネシアブルガリア、アルゼンチンやエジプト、そういった周縁の国々に根づいた批評を紹介できる日本人はいないのか?と。そう言うと、こう言ってくる人もいるだろう。"じゃあお前がやれ"と。ということで今回の記事はその1つの達成である。

今回インタビューしたのはインドと旧ユーゴ圏を活動拠点とする映画批評家Anuj Malhotra アヌジュ・マリョトラである。私が彼の批評に出会ったのは、ベルギーの映画雑誌Photogenieに掲載された"To Swim in the Eternal Coffee: Memories of Vjekoslav Nakić, Sasha and More"という記事を読んだ時だった。クロアチアの謎めいた作家Vjekoslav Nakićとの思い出について語られたこの記事に私は一目で恋に落ちた。それと同時にインド人批評家でありながら、旧ユーゴ圏を中心に活動し英語で批評を執筆するMalhotra自身にも興味を抱いた。ということでインタビューを行った次第である。今回彼には先述の記事を始まりに旧ユーゴ圏の映画の受容から、インドの映画界・映画批評界の現状についてまで幅広く質問を投げかけてみた。それではどうぞ。

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済藤鉄腸:まずどうして映画批評家になりたいと思ったんですか? どのようにしてそれを成し遂げましたか?

アヌジュ・マリョトラ(AM):思い出せる限り、意識的に映画批評家になろうと思った訳ではありません。私の信条としては映画批評とは――もしくは批評それ自体は――組織化された職業以前の態度であると思うのです。探求としての批評の実行可能性について問われた時、Manny Farber マニー・ファーバーはこう答えました。"自分自身の時間をやりたいことに費やすこと以上に良いことがあるとは思えません"と。私にとってはこれこそが批評を伝統的な定義や"キャリア"といったパラメーターから救いだしているのであり、それ自体が人生への近づき方であると想像しています。これは決して世界中で個人や個人のグループが成した素晴らしい努力を無効にするものではありません。これは自身の標や装備で以て映画批評を職業的なフレームへ組織する訳ではなく、代わりに普遍的で基本的な原理を強調することになるんです。私が理解する限りは。

関連する限り、それは文化的な継承において培われました。私が育った世界の一部では、個人がスクリーンに返事をするというのが普通だったんです。ここにおいて、この個人たちは――家族や遠い親戚、友人やそのまた友人――はスクリーンに惹きつけられたことはなく、それを意識してもいないんです。結果として、彼らは観ているイメージと連続的意識の独特な関係性を形成しています。しかしながら、だまされやすさの契約は無条件という訳ではありません。もしスクリーンで描かれる出来事が凄まじく暴力的なものなら、工夫が語りに浸透しているとしたら、もしくはある映画で救世主を演じた俳優の倫理コードが次の演技では変わっていたとしたら、この映画の現実の外に存在する間違いは"スクリーンに知らせるべき"対象として指摘され、強調されることは明白なんです。私はこの内在的に不自然な、人工的なメディアという映画の、自動的で素朴な意識が、何よりもまず批評という行為であると思われるんです。その意味で批評家は映画については書いておらず、実際においてはどこにおいても、映画に何かを知らせようとしているんです。

私は書くことを通じてある種の頻発性や活動的な興味を耕していくことが好きでした(それは批評行為それ自体とは区別されます)その時にはIMDbのメッセージボードなどの闘技場的な場所に参加していました。そこは際立った矛盾が集積したどこにも似ていないフォーラムでした。理知に長けながら感動に欠け、優雅ながら生の感触を持ち、複雑ながら素朴な場所です。公共でありながら、耕された匿名性に浸っているんです。便利なトレーニング場所であり、私はそこから活動を始めた映画批評家の存在にも気づきました。2017年にデジタルの流れによって全てが洗い流されてしまったことは悲しいことです。そして私の批評家としての活動がインド人映画作家に関する慎重で、シネフィル的な活動に限られていた2年を除いて、私はこの分野での活動を映画の、そしてシネフィルのとても個人的なコンセプトを耕すために使っていました。これは私自身のためだけのより広い目的からも自由だったと考えていますが、誰が分かるでしょう?

TS;映画に興味を持ち始めた頃、どんな映画を観ていましたか? 当時のインドではどのような映画を観ることができましたか?

AM:意識的に映画を観察しようという目的を以て映画を観始めたのは、17歳の時でした。私はこの国の首都の郊外に住んでいて、それが2006年頃です。なので観られた映画に関して言うと、近くにフリーマーケット(Sunehriマーケットです)があって、そこに位置する縮小気味の店では人気曲のCDや映画、宗教的なショーを売っていました。使い捨てのストックにおいて、店の店主は在庫を気にしてはいませんでした。故に奇跡的なコンピレーションが存在していました。黒澤8-in-1、デ・ニーロ7-in-1、西部劇4-in-1などです。奇妙なことにそれらはちゃんと再生ができましたが七人の侍に他の6本の作品が1枚のDVDに収録されているんですからクオリティは推して知るべきです。これを通じて私は影響力ある"古典映画"を発見し始めました。黒澤ももちろんのことレイジング・ブルセルジオ・レオーネの作品群、ドーネン-ケリーのミュージカルなどです。そしてその頃ディネシュという、パリカ・バザールで海賊版DVDを不法に売っている人物を知りました。そのバザールは都市の中心に陣取るアンダーグラウンドなマーケットで、ここでならペーパークリップから飛行機まで買えるという伝説がありました。

しかしながら言うべきなのは、私はそのディネシュという人物とは最近まで直接の繋がりはなかったということです(彼が公共から消えざるを得なかった時、私は違法商品のバッグ3つほどをベッドの下に隠さなくてはならなかったことは、また別の話です)ある友人を通じてです。彼は戦艦ポチョムキン「フィッツカラルド」のコピーを持っていたんですが、それらはNitesh Rohit ニテシュ・ロヒットという人物から貸しつけられたもので、彼はインドの映画作家たちの元で編集をやっており、インドのシネフィルの間ではパイオニアでした。それが影響力ある作品を越えて、本物の情熱を以て映画を発見しだした時でした。

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TS:私があなたの作品に会ったのはオンライン雑誌Photogenieに掲載された記事"To Swim in the Eternal Coffee: Memories of Vjekoslav Nakić, Sasha and More"を読んだ時です。とてもパーソナルで、監督であるVjekoslav Nakić ヴィエコスラフ・ナキッチという人物に対して頗る愛情深い記事でした。あなたはどうしてこのPhotogenieに参加し、この素晴らしい記事を書くことになったんですか?

AM:記事を気に入ってくれてありがとうございます。Photogenieやここを運営する素晴らしい人々と関わりを持ったのは、この雑誌の批評家ワークショップに参加した2015年からです。設立者であるBart Versteirt バート・フェルシュタイルトは去年注目すべき批評を達成しました。ワークショップの異なる参加者たちに雑誌を編集させるというものです。これによって民主主義や雑誌のより広範な運営に関する所有権を強化することが目的でした。それぞれの号のテーマは入念に議論され、総意を以て決められます。Vjekoslav Nakicに関する記事の時のテーマは"長い映画"、もしくは"映画における持続時間"というものでした。何人もの論評者がそれぞれの命題を仮定していきました。例えばタル・ベーラR・W・ファスビンダーラブ・ディアスといった監督の作品です。私は、もし持続時間というものを統計的な、単なる属性ではなく、注意を払う時間のクオリティという機能として想像できたなら、議論に価値ある切れ目を入れることができるのではないかと思ったんです。つまり時の流れに反して、集中や密度を通じて時間について考えることができるか?ということです。イシューの編集者であるMaximilien Luc Proctor マクシミリアン・リュック・プロクターがこの考えをポジティブに受け取ってくれた時、私はNakicの作品が時間という考えの定式化に関する有益な例となるのではと思いました。そして最後にその記事は、主な出来事の数々が始まりも終りもなく、いわゆる永遠のなかで漂い続ける映画のセットで構成されることとなりました。

TS:先述した記事の主人公はVjekoslav Nakic、私が聞いたこともなかった旧ユーゴ圏の映画作家です。しかし彼の作品をYoutubeで観た際、彼の作品たちがいかに万華鏡的で実験的かに驚かされました。彼の様式はそれぞれ完全に異なり、それに感銘を受けます。あなたはどのようにNakicの作品に出合ったのですか? 彼の作品の何があなたを最も惹きつけるのですか?

AM:ええ、彼の作品は素晴らしいものです。それが好きなのは作品たちが、かつてのユーゴスラビアに伝わった素朴派絵画――そして映画も――の重要な伝統を呼び起こすからです。ここにおいて、この映画作家は世界を"ありのまま"受け止めようとし、この受容は彼の子供時代(そしてそこに宿る構成物全てです。原始的な古代の知識、自身が育った環境、家族もしくは文化的な繋がり、大地やそれが生じる背景……)を直接的な源とする感性によって裏付けられています。私は彼の映画が注目すべき理論的概念(実際、彼の作品群は技術研究所から生まれています)から生まれているところが好きなんです。しかしそこには献身的な無邪気さも存在しています。これこそ私にとって最良の映画なんです。そして私は世界が知識に向かず、攻撃的で持続的な既知に向いている今、もうそんな映画は生まれないのではと恐れています。今や到達ではなく、それは征服なんです。

Nakicの作品に偶然出会ったのは課題に取り組んでいた時です、本当ですよ。私は2015年のプラヴォ・リュドスキ映画祭(サラエボの人権映画祭です)の公式日刊紙において編集者としての責任がありました。私たちが編集チームとして成した重要な決意の1つが異なるセクションに分けてニュースレターを組織することで、内容やページに宿る声に多様性を確約することでした。ニュースレターの第2版において、私はちょうど町にいたVjekoslav Nakic(コーヒーショップにいたんです。本当です、作り話ではないです)にインタビューすることになりました。彼の作品の注目すべきレトロスペクティブについて聞くとともに、彼の同僚たちが1960年代70年代のユーゴスラビアでかつて作った、いわゆる素人映画の潮流について聞きたかったんです(私の好きな映画はKokan Rakonjac コカン・ラコニャツの無名な映画"Suze"(1964)です)ここで私は彼の作品を発見しました。その全てが驚くことに編集技師である彼の息子によってYoutubeに無料でアップされていたんです。そしてインタビューの準備として作品を観た訳です。その美学は偶然の出会いという意識的な耕作から生まれていました。つまり"出くわす"、"偶然出会う"、対象に"誤って"辿りつくというものでした。それに対しては普通ではない関心があてがわれ、宇宙的な重要性で満たされていました。

TS:Viekoslav Nakicは日本では完全に無名の作家です。しかし彼の故郷であるクロアチアセルビアなどの旧ユーゴ圏において、彼と彼の作品はどれほど人気なのでしょう?

AM:その地域についてよく知ることができるほど長くサラエボには住んでいませんが、それでもローカルな映画界への微かな印象はあります。これはKino Klub Split――ここで私はバルカン半島におけるオルタナティブな映画に関する興味を育みました。モデルとしても、そして逸話的にも――というクラブを運営する素晴らしい同僚たちのおかげです。クラブでは、若い世代の観客やシネフィルの間で、60年代70年代に作られた映画に関する興味の定義されたリバイバルが起こっていました。おそらくこのおかげでこれらの映画のリバイバルやレパートリー、レトロスペクティヴが近年この地域で行われていたんでしょう。しかし私はこれがより価値のあることと考えられているかは疑問に思っています。プログラマーや観客もそうですが、そんな映画作家たちの作品をコレクションとして、時代のモニュメントとして見るばかりで、彼らを個々の作家として考えることがないんです(彼らのキャリアがいわゆるブラック・ウェーブ運動に関わり、大きくならない限りは)これについては間違っていると思いますが。潮流における1人の監督だけに焦点を当てるこの特権は外側にいるからこそ存在します。潮流が育まれた時間的・空間的な文脈を除外することでこそ存在するんです。

TS:前の問いに関連して、インドでは旧ユーゴ圏の映画はどのように受容されているんでしょう? 例えばユーゴ・ブラック・ウェーブ運動のドゥシャン・マカヴェイエフジェリミール・ジルニクはインドでは人気でしょうか?

AM:不愉快な矮小化をしない限り、インドの映画界における広大な風景を簡単に解決しようとするのは難しいことです(後々それを試みますが)しかしマカヴェイエフは献身的なシネフィルの特定のグループや大学の映画クラブでは良く知られていると思います。彼のラディカルな美学や作品における政治的な闘争性が気に入られているんです(特に彼の最も有名な作品「WR:オルガニズムの神秘」に関しては)ジルニクに関してはそうでもありません。世界という観点で見ても、彼が人気を得始めたのは2015年にドキュリスボア映画祭でフィルモグラフィを総覧する注目すべきレトロスペクティヴが開かれた時からです。これによってインドでも自然と彼の作品への好奇心が膨れあがっていきました。私が聞いたところでは彼の作品を収録したZipファイルがこの国の地下世界では流通しているそうです(私が結び目かって? 違いますよ)

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TS:あなたが最も影響されたインドの作家(映画もしくは文芸批評家、哲学者、小説家など)は一体誰でしょう?

AM:今のところはAmit Chaudhuri アミット・チョウドリーですね。それから歴史的に、そして批評という分野において、私はB.D. Garga B・D・ガルガShanta Gokhale シャンタ・ゴーカレChidananda Dasgupta チダナンダ・ダスグプタを強く勧めたいです。更にAmit Dutta アミット・デュッタ"Invisible Webs"もぜひ読んでください。社会的パフォーマンスにおける美術の観念に関するとても影響力のある本です。それからAlexander Keefe アレクサンダー・キーフはインド人ではありませんが、インド文化における重要な側面についての彼の著作は何よりも基礎的なものです。

TS:インド人映画批評家で、シネフィルが翻訳を読むべき人物は一体誰でしょう?

AM:今から名前を挙げる人物たちは英語で批評を執筆しており、なので翻訳は必要ないでしょう。そのかげでより広く読者を獲得できる訳です。推薦リストにはSrikanth Srinivasan スリカンス・スリニヴァサンAnupam Kant Verma アヌパム・カント・ヴェルマTrisha Gupta トリシャ・グプタSatish Naidu サティシュ・ナイドゥ(彼はもう書いていませんが)、Devdutt Trivedi デヴドゥット・トリヴェディ(彼はこのリストに含まれるのを好まないでしょうね)、Sudarshan Ramani スダルシャン・ラマニなどです。非公式で書いていたり、私がソーシャルメディアを通じて読んだり、個人のEメールやチャットで話したりした人物だと、Madan Gopal Singh マダン・ゴパル・シンShweta Nambiar シュウェタ・ナンビアルChandan Sen チャンダン・センとそれからKanika Katyal カニカ・カチャル(素晴らしいですが、話題性の誘惑に呑まれない必要があります)などです。それから彼らによって書かれた本や、映画作家へのインタビューを集めた本も多くあり、それらが広く流通したなら、世界中でシネフィル的な議論の恩恵を受けられることでしょう。

TS:英語とあなたの母語で書く時の違いについてお聞きしたいです。例えば私は小説を日本語とルーマニア語で書いているのですが、2つの言語と2つの国の人々はとても違うので、言葉や文章の構成を頻繁に変えることがあります。

AM:私は母国語であるヒンディー語パンジャーブ語では批評を書かないんです。これはかなり初期から批評は全開の明瞭さのなかで行われる意識的行為だと吸収していたからだと思います。それゆえに私は英語を使っています。その方が分析という目的に合っているように思えるんです。しかしそれは相対的な教化の結果とも思えます。ヒンディー語パンジャーブ語を使うのは脚本やモノローグなどの散文を書く時です。その言葉で書くという行為は頭の上を漂う、もしくは料金なしにアクセスできる言葉やフレーズ、表現の準備された溜池として存在する、古代の、ほとんど亡霊的な知識から生まれると思えることが良くあります。英語においては払う必要のある料金、満足するべき仮定上の読者がいます。言うなれば、これが私の野心です。母国語における自由やパーソナリティを英語の文章にインストールできれば有用だろうということです。これは簡単な仕事ではありませんし、その言語で書いた際のそれぞれの言葉に対する判定をパスする、内在の批評家を完全に消し去る必要性があるんです。これは批評自体にインストールしたい目的でもあります。それをどうやって、パンジャーブ語の家庭生活において昼食の後に共有される隣人同士のゴシップに表現される先鋭的な分析に吹きこむことができるのか? 同種の喜びにどう注入することができるか? 手短に言えば、1つの実践的な批評が書き手を分析の対象のなかで泳がせながら、それ以上深くは潜っていかないことがどうやってできるのかということです。批評は活発で、生きた対象であり、ペンが紙のうえに置かれる前に死ぬものではないんです。

TS:2010年代も数か月前に終わりました。そこで聞きたいのは2010年代最も重要なインド映画は何かということです。外国人としての私の観点から言うと、Vetrimaaran ヴェトリマーランはインドの文芸映画において最も重要な存在の1人であり、特に"Visaaranai"は2010年代において最良の世界映画の1本です。他にもSanal Kumar Sasidharan サナル・クマール・サシジャラン"Sexy Durga"Arun Karthick アルン・カルシック"Nasir"などがあると思います。

AM:私としてはここ最近インドで作られた最も重要な作品たちはこれらです。Pushpa Rawat プシュパ・ラワット"Nirnay"Anamika Haskar アナミカ・ハスカル"Ghode ko jalebi khilane le ja riya hoon"Amit Dutta アミット・デュッタ"Chitrashaala"Avijit Mukl Kishore アヴィジット・ムクル・キショレRohan Shivkumar ロハン・シヴクマール"Nostalgia for the Future"Rima Das リマ・ダス"Village Rockstars"Buddhadeb Dasgupta ブッジャデブ・ダスグプタ"Quartet 1"、そしてEkta Mittal エクタ・ミッタル"Birha"です。Visaaranaiは私も好きですね。思うにインドの男性作家によって作られる作品は国的な(もしくは国際的な)映画という遺産における彼ら自身の、想像された立ち位置に固執している傾向が見られ、それゆえに尊大に思えます。一方で女性作家たちは全体としてもっと自由で流動的、曲線が排された作品を作っています。これは総体的な普遍化ですが、この国で作られた最近の文芸映画という文脈において、それは刺激を意味しているんです。

TS:インドの映画批評の未来についてどう思いますか? 明るいでしょうか、それとも暗いでしょうか?

AM:インドの映画批評の真実というものは何ら新しいものではありません。どの世代も自分たちが初めて映画雑誌を発刊した、ウェブサイトを運営している、映画にまつわる社会を動かしていると思っているとはいえです。この誤謬は彼らだけの間違いではなく、インドにおけるシネフィルのより広い歴史は文書化されておらず(おそらくそれゆえに)大事にされてもいないゆえでもあるでしょう。結果として私たちは、メトロポリタン的な中心地が60年代70年代のオルタナティブな展覧会や出版物の上で隆盛しているというより広い現実を意識していないままなんです。しかしながらより大きな問題はその存在に関わらず、この分野における加害者である個人や組織が文化におけるメインストリームの議論、その分野に関する立案、インテリのより広い公共の構成に自分の居場所を見つけられないんです。これは主に彼らの仕事が誠実である一方、模倣を基にしているゆえだと私は信じています。ここにおいてある出版物における書き手たちや、映画社会を動かす活動家たちは、彼らを刺激する、西欧から輸入してきたシネフィルのモデルからの迫りくる影響を乗り越えようとはしてきませんでした。

インドにおいては不幸なことにこの愚かさが、同じように残酷な間違いを犯し続けている、"パイオニア"に続く全ての世代にとって皮肉と捉えられていることです。つまり世界的なシネフィルの(つまり第1世界のシネフィルという国際的観客の婉曲表現です)宣伝される理想(雑誌や批評家、社会や映画祭)に特に意識的でありつづけ、彼らにとって上辺だけの作品(レイアウトの洗練化、リベラリズムという演技、評価と裏書きのシステム)を複製する一方で、私たちは、ローカルな文脈(もしくはインドにおける複数の文脈)に関して適切な思考やアイデアののシステムをもっと活動的に御していく必要があるんです。私の意見としては、精神的もしくは個人的な批評の側面を発達させるにはもっと可視的な要素の数々に関する必要な進化と同時に進んでいかないといけないんです。もしそれを無視したなら、ここには資本主義の世代的な満ち引きにおける、偶発的で短い生涯の改善だけが現れることになります。つまりそれは長続きしないでしょう。

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