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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Adilkhan Yerzhanov&"Yellow Cat"/カザフスタン、映画へのこの愛

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さて、2010年代はカザフ映画界において躍進の年だった。Emir Baigazin エミール・バイガジンのデビュー長編"Harmony Lessons"ベルリン国際映画祭で上映、撮影賞を獲得し、更に彼の第3長編"The River"ヴェネチア映画祭オリゾンティ部門で監督賞を獲得することになる。更にEldar Shibanov エルダル・シバノフ(インタビュー記事はこちら)やZhannat Alshanova ジャンナト・アルシャノヴァといった新しい才能も次々と現れはじめている。だがもう1人、2010年代のカザフ映画界を牽引する重要人物がいる。彼こそがAdilkhan Yerzhanov アディルハン・イェルジャノフ、そして彼の新作"Yellow Cat"2020年代のカザフ映画の更なる躍進を寿ぐ1作となっている。

今作の主人公はケルメク(Azamat Nigmanov)という青年だ。彼は刑務所から出所してきたばかりであり、仕事を見つけ真人間になろうと試みていた。だが彼に恨みを持った刑務所長らが邪魔をし、ケルメクは面倒ごとに巻き込まれてしまう。

Adilkhan監督の演出はとても静謐なるものである。撮影監督Yerkinbek Ptyraliyevとともに、彼は一切の虚飾などなしに、目前に広がる光景の数々を見据えるのだ。彼の視線はいつであっても不動のものであり、動揺や狼狽を一切見せることなく盤石の態度で物語を語っていく。

今作の舞台となるのはカザフスタンに広がるステップという広大な草原である。ここでは果てしない不毛と息を呑むような崇高が交錯しており、観る者に不思議な畏怖を与えることになる。そこに広がる雰囲気はどこまでも深刻なものだ。

しかし監督はこの深刻さから無表情のユーモアを引き出していく。主人公のケルメクを含めて、登場人物たちは一癖も二癖もある人物ばかりである。彼らが奇妙な行動に走る様からは、何か人間存在の持つ可笑しさのようなものが現れるのだ。ここで描かれるカザフ人たちの生き様は何ともぎこちないものである。だが監督はそこに深い愛おしさを見るのである。

町で燻っていたケルメクは、ある日エヴァ(Kamila Nugmanova)という娼婦と出会う。彼らはすぐに愛を築いていき、この町から出ていこうと計画を立て始める。そして彼らには1つの夢がある。ここから遠い山のなかに映画館を建設するのだ。

という訳で今作には幾つもの映画ネタが現れる。最も印象的なのはケルメクがジャン・ピエール・メルヴィル「サムライ」を再演しようとする場面である。彼はアラン・ドロンに扮して演技をしようとするのだが、それが余りにも下手糞すぎて観客は言葉を失ってしまう。この映画への愛も先述した可笑しさに直結する訳である。

ここで少し監督について紹介しよう。Adilkhan Yerzhanovは2010年代のカザフ映画界を代表する映画監督の1人である。彼は2011年のデビュー長編"Rieltor"から既に長編を9本も作っており、その多くが著名な映画祭に選出されている。警察の腐敗と縁故主義に追いつめられる青年を追った"The Owners"(2014)とノワール映画のカザフ的解釈というべき"The Gentle Indifference of the World"(2018)はカンヌ映画祭に選出、1人のジャーナリストが殺人事件を追うなかで陰謀を暴きだす"A Dark-Dark Man"(2019)はサン・セバスティアン映画祭で上映された。そして今作"Yellow Cat"は彼にとって初めてヴェネチア国際映画祭に選出された作品となった。

彼の作品においては犯罪が関わってくる作品が多いが、ここではその犯罪要素をコメディへと接続していく。大胆にして微笑ましいトニー・スコット監督作トゥルー・ロマンスへのオマージュとともに、ケルメクとエヴァは逃避行を始めるのである。そして止むを得ぬ事情から犯罪を犯しながら、彼らは自身の夢を叶えようと奔走する。

この逃避行はどこまでも続くステップのなかで繰り広げられるゆえに、終りの見えない感覚が映画には充満しはじめることになる。大草原の崇高さのなかで奇妙なる味と無表情のユーモアはゆっくりと深化していくのである。だが2人の幸せは長くは続かない。警察やマフィアたちが彼らを追跡し、その命は窮地に追いやられていく。その悲愴感と人間の可笑しみが交錯する時、言葉を越えた複雑なエモーションが現れるのだ。"Yellow Cat"はカザフ映画界の2020年代における隆盛を予告するような1作だ。その映画への切実なる愛は私たち観客の心を静かに貫いていくだろう。

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