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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ドイツ・建築・演劇・映画~Interview with Hannah Dörr

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ということで"2020年代、未来の巨匠との対話"のコーナーである。今回インタビューした新人作家はドイツ映画界から現れた新鋭Hannah Dörr ハンナ・デールだ。彼女のデビュー長編"Das Massaker von Anröchte"は、アンレヒテというドイツの地方都市で巻き起こった虐殺事件を追って、2人の男が実存主義的恐怖へと迷いこむシュールなコメディだ。その奇妙なユーモア感覚に惹かれ得る一方、私が最も感銘を受けたのは今作における建築や空間というものの存在感だ。という訳でそこを中心に今作に着いてインタビューしてみた。そして彼女、ドイツ演劇界においても重要な人物で、インタビューにはドイツ演劇の今すらも浮かびあがるものとなっている。ということで、早速どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか? どのようにそれを成し遂げましたか?

ハンナ・デール(HD):映画監督になりたいということは実はなかったんです。映画を作りたいとはいつも思いながら、監督(director)というより自分は映画の作り手(filmmaker)だなと感じていました……それからヴィジュアル的芸術を作りたいという思いがまずありましたね。12歳か13歳の時、父と一緒にビデオ制作のワークショップへ行ったのを覚えています。そしてアメリカン・ビューティーを観て初めてこう思ったんですよね――ああ、映画も芸術でありえるんだ!と。これが興味深かった訳です。学校では親友の1人がVolksbühne Berlinという劇場で活動するP14という劇団に通っていました。私も一緒になって舞台製作を映したビデオ・インスタレーションを撮影することになったんです。その結果ベルリンでファイン・アートを学ぶと決意したんですが、しばらくして映画が学びたいと思い、ケルンのメディアアート・アカデミー(KHM)に通い始めました。その時からは基本的に、映画監督と舞台製作専門の映像アーティストの間を行ったり来たりしていますね。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういった映画を観ていましたか?

HD:私にとってまず重要な映画はこの作品たちですね。サム・メンデスアメリカン・ビューティーペドロ・アルモドバルバッド・エデュケーションオスカー・レーラー「壁のあと」です。それからファスビンダーベルリン・アレクサンダー広場です。観たのは私が10代だった2013-2015年頃だったと思います。私を震わせるのは、強い自我を持った主人公たちが自身の生き方を模索し、自身の運命を決める姿なんです。ですが今はそこまで重要ではなくなりました。ここ10年私と共にあると思える作品はたった2作です。オーソン・ウェルズ「審判」ピエル・パオロ・パゾリーニ「大きな鳥と小さな鳥」です。

TS:あなたのデビュー長編"Das Massaker von Anröchte"の始まりは一体何でしょう? あなたの経験、ドイツのニュース、もしくは別の何かでしょうか?

HD:今作の始まりは原作者であるWolfram Lotz ヴォルフラム・ラッツとのインタビューで、ここで彼は脚本を渡してくれたんでした。2つ目の始まりはある日立ち寄ったオーバーハウゼンという都市とこのルール地方に一目惚れしてしまって、ここで彼の脚本を映画化しようと決意した訳ですね。

TS:まず冒頭の場面から今作に心を掴まれてしまいました。カメラはアンレヒテの風景を映し出します。陰鬱で荒涼たる色彩に包まれながら、同時に美しく鮮烈なものです。ここで観客は思うでしょう、これが題名にあるアンレヒテなんだな!と。そしてこの都市は映画にとって重要な役割を果たします。まずこれについてお聞きしたいです。このロケーションをどのように見つけましたか? アンレヒテの何に最も心惹かれたのですか?

HD:実は映画で"実際の"アンレヒテは一切映っていないんです。実際はただLotzが書いた脚本のタイトルにその名前が残っているだけなんです。アンレヒテは私たちが撮影を行った場所、例えばオーバーハウゼンやグラートベック(Gladbeck)、ボーフム(Bochum)やヴィッテン(Witten)など基本的にルール地方の都市なんですが、そこから100kmほぼ東にあります。小さなカメラを持って約500もの家の興味深いファサードを撮影し、それを映画に組みこもうと訳ですね。それから撮影監督のJesse Mazuch ジェシー・マツッフと一緒に、実際にどれを映画に入れるか、建築のドラマツルギーという風にどんな順番で組み入れるかを決めました。しかしこれは明確にしておきましょう。アンレヒテは私たちにとっていつだって虚構の町であったんです。西ドイツのとある小さな町の象徴であり、自然に存在する町とは違う訳です。

TS:そしてこの冒頭は陰鬱な美だけに終わりません。街並みのモンタージュの後、スクリーンに現れるのは再びタイトルが示唆する虐殺です。何か不穏なことが起きているという恐怖と、どこか現実離れしたユーモアの間にあるこの場面は悍ましいほど印象に残るもので、観客をあなたが作りあげる奇妙な世界へと導いてくれます。私にとって特に不可欠と思えたのはあなたが行った編集の独特のリズム感です。監督として、そして編集として、この冒頭をどのように構成していったのでしょう?

HD:では……まず監督として。私たちにはスタントに使える馬もいなければ、"実際に"虐殺を行える訳でもないので、その虐殺の平凡さに着目しようとしました(何故なら恐怖というものは多くが恐ろしいほど平凡で、スクリーンで描かれるよりも冷ややかなものです)そしてこの不条理を見せるにあたって、奇妙なユーモアというものこそ上手く機能してほしいと思っていました。しかし編集としてこれは認めざるを得ません。撮影の休止中(コロナ禍のドイツでロックダウンが起こり、撮影を中断せざるを得なかったんです)私はJuli Schulz ユーリ・シュルツというメイクアップ・アーティストと出会い、あるTV番組のため彼と血まみれになる場面を前もって撮影しました。その時私は、冒頭を観ても観客は虐殺が起こったと分からないのではと不安になりました。なので虐殺を可能な限り平凡に描きながら、その残虐性を仄めかすようにもしました。

TS:驚いたのは今作の原作が、Wolfram Lotzという今世界で最も実力ある劇作家の作品であるということです。私も彼の作品、特に"Die lächerliche Finsternis"が好きですね。あなたがどうやって彼の作品や彼自身に出会ったか気になります。彼の作品を映画化しようと思った最も大きな理由は何でしょう? どれほどチャレンジングでしたか?

HD:元々彼とその作品の大ファンでした。特に"Unmögliches Theater"("不可能演劇について")という彼のマニフェストは忘れ難いもので、これに関して2017年にインタビューを行いました。"不可能演劇"というテーゼ、どういった意味に"不可能演劇"という言葉が適用されるべきなのかについて尋ねたんです。このインタビューの終りに、彼が脚本を渡してくれました。もう既に脚本として完成していたので、私が"脚色"する必要もありませんでしたね。最もチャレンジングだったのはここに執筆された、頗る複雑微妙でかつ正確なユーモアというものをどうスクリーンに移し替えるかということでした。最終的に上手く機能してくれたようで嬉しいです、少なくとも映画を観て観客は笑ってくれていました。

TS:そして印象的な要素の1つとして、あなたじしんの巧みな編集で培われた、シュールな笑いで満ちた奇妙な空気感です。撮影監督Jesse Mazuch イェッセ・マツッフによって固定されたカメラは静かに登場人物や空間を見据えますが、より重要なのは、カメラが細心の注意を払いながら時間の流れそのものをも捉えていることです。そしてこの流れのなかで、人物による表情や言葉の不器用さが笑いの化学反応を生みだすんです。ここでお聞きしたいのは、このユーモアを編集する際に最も重要なことは何だったのかということです。

HD:思うにこれは極個人的な観点から語るしかありません。編集の間、私は何度も笑ってしまって、それが編集過程におけるたった1つの道標だったんです。人々の不器用さ、居たたまれない状況、そのなかの沈黙、呻き、そして全てがバラバラになってしまう中で尊厳は保とうとする試み、こういったものをを見るのが好きなんです。Jesse Mazuchと俳優のHendrik Arnst ヘンドリク・アルンスト、Julian Sark ユリアン・ザルク、そして私。この4人は似たようなユーモア感覚を持っていて、信じられないほど笑えたあの脚本を読む時、同じようなトーンを思い浮かべていた訳です。そしておそらく私たちは互いを信頼していて、こうしてこのシュールなユーモアが道を見出したんです。Jesseと私でHendrikとJulianのための舞台を作りあげ、脚本を熟知した彼らはそこで素晴らしいコンビネーションを見せてくれた。そして更に良いものを作ってくれたんです。

TS:私が感銘を受けたのはあなたの空間や建築への意識がいかに鋭いかというものです。先述した冒頭の場面が象徴していますが、建築を通じてアンレヒテという町は捜査官コンカとヴァルターに次ぐ第3の主人公ともなっていますね。市役所の廊下、グラフィティで埋め尽くされた家の壁、ホテルの食堂。こうした建築空間があなたの演出によって印象的なイメージへと昇華され、その空間は登場人物たちによって活き活きと生きられています。今作を観た際、この監督は過去に建築を学んだのだなと思ってしまいました。これについては個人的に話しましたが、この建築に関する演出についてもう1度お聞きしたいです。オーソン・ウェルズの言葉についてぜひお聞かせ下さい。

HD:まずこれを言うべきでしょう。建築について学んではいませんが、いつも建築に魅了されてきたんです。新しいプロジェクトを始める時、いつも考えるのは物語が展開する部屋、そして世界についてなんです。私にとって部屋は物語の状況を考えるうえで不可欠で、人間同士の関係性を規定するものなんです。とても素朴に聞こえるでしょうが、俳優がある場面、例えばロブシーンなどを撮影する際、部屋が小さいか大きいかで相当な違いが現れます。故に私にとってオーソン・ウェルズのある言葉がとても重要になってくるんです。彼はいつもまず部屋に照明を当て(本質的な建築のルールに従って、です)俳優をそこに入らせ、特定の光を当てるんです。そこでウェルズは言います。スクリーンにおいて、そこには部屋と俳優だけが在る、そして部屋を照らさなければ俳優に次のチャンスはないと。この言葉は全く正しいと私にも思えます。部屋はそれ自身特有の雰囲気を、そして歴史を持つんです。過去、戦争、建築のコンセプト……私にとってこれは背景以上のものなんです。

TS:特に素晴らしいと思ったのは遊園地のシークエンスですね。馬鹿な係員が客たちを煽りたて、乗り物からは爆発的な音楽や騒音が響き、客たちが凄まじく加速する乗り物に熱狂するなか、コンカが上空へ銃を発砲する。これらの要素がユーモアやリズム、イメージと映画的な調和を見せ、完璧なインパクトを宿すこととなっています。セット、編集の両段階で、このシークエンスをどう構築していったんでしょう?

HD:元の脚本においてこれは"普通の"パーティと書かれていました。大袈裟に見えることが多くあるので、パーティを演出するというのに不安を持っていたのですが、ルール地方でロケーションテストを行っていたところ、ある遊園地に行きあたりました。そして思ったんです。遊園地の乗り物、あの場面はここで繰り広げられるべきだなと。とてもドイツ的だし、既に存在する物として盤石でした(部屋や空間はやはり私には重要という訳です)そしてこれがフェイクでなく、"本物の"パーティという状況を作りだしてくれました。しかし撮影は難しく、というのも実際セットに来るまで乗り物の全容を見られなかったせいで、Jesseと私が明確なストーリーボードを用意していなかったんです(普段こういうことはないんですが)しかも沢山のエキストラもいました。それでも最終的には狂気こそ描きだしたいというのがとても明確になり、撮影が進みました。編集においては場面の核として、あの係員と彼のアナウンスに焦点を当てようと決めました(あの第1、第2、第3ラウンドというやつですね)俳優のAndré Hegner アンドレ・ヘグナーは素晴らしい仕事をしてくれましたね。Wolframによる実際の脚本は全く違うものでしたが、彼は実況ジョークを沢山研究し、撮影の際には彼の馬鹿げたジョークの数々を採用した訳です。

TS:ステイトメントのなかで、あなたはこの映画を"オーバーハウゼンのプロアマ両方の俳優(インクルーシヴな劇団Blindflugなど)とともに"制作したと仰っています。このBlindflugとの共同制作についてお聞きしたいです。まずBlindflugというのはどういった類の劇団なのでしょう? そして今作において彼らと仕事を共にした理由は一体何でしょう?

HD:Blindflugは30人ほどの劇団で、殆どの人が肉体的、もしくは精神的な障害を持っています。Theatre Oberhausenでは毎年彼らと共同制作を行っており、彼らの活動を聞いた際、すぐに会いたくなりました。そして会ってすぐ、映画に出てもらおうと思ったんです。まず彼らは本当に素晴らしかった。際立った顔つきや身体を持っていて、特に顔つきは今までスクリーンで映しだされてこなかった種のものです。だからこそ彼らに出演してほしかった訳ですね。そして映画製作の際、誰が映画に出演したいかを尋ね、彼らのために当初の5倍は小さなシーンが増えましたね。例えば女性が窓越しにいるだとか、男性がハサミを持っている、少女がホウキを持っている、警察官がいるだとか……

TS:そしてプロフィールに、あなたは"'TheatralFilm'という映画上映会のキュレーター"だという文章が載っていますね。演劇と映画の融合というのは今作において重要な要素です。ドイツ語は理解できませんが、この上映会ではクリストフ・シュリンゲンジーSigna Köstler シグナ・ケストラーなどの作品を上映していますね。そこでお聞きしたいのはこの上映会やキュレーターとしての経験が映画に影響を与えているか?ということです。

HD:演劇と映画の融合は私にとって、そして今作にとって本当に重要ですね。というのも物語というものを様々に語るための信頼は、演劇からこそ学んだからです。演劇は様々な形で物語を語る一方、映画というのは時おり現実的すぎるやり方に陥ってしまいます。もう少し正確に言うなら、皆が同意するもの、つまり"自然さ"に固執する訳です。そういう意味で例えばFrank Castorf フランク・カストルフ、 Christoph Marthaler クリストフ・マルターラー、Susanne Kennedy スザンネ・ケネディといった人物には影響を受けました。そしてTheatralFilmを通じてこそ、私は多くの友人や同僚たちと、それこそWolfram Lotzと出会うことができたんです。

TS:新しい短編や長編を作る計画がありますか? もしそうなら、ぜひ日本の読者にお伝えください。

HD:はい、あります。今2つの計画を進めているんですが、両方ともまだ初期段階で話せることはあまり……6か月後にまた聞いてください(笑)

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