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映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Matjaž Ivanišin&"Oroslan"/生きることへの小さな祝福

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さて、今私の中でスロヴェニア映画がアツい。きっかけはスロヴェニア映画界の巨匠Boštjan Hladnikの作品を観る機会があって、それでド嵌りしてしまったのである。それからスロヴェニアの映画評論家にインタビューを敢行し、スロヴェニア映画史について学んでいる訳であるが、2010年代を代表する作品について問うと誰もが名前を挙げる作品があったのだ。それこそが今回紹介する作品、スロヴェニア映画界期待の新鋭Matjaž Ivanišinの監督作"Oroslan"である。

舞台はスロヴェニアのとある田舎町、ここでひっそりと1人の老人が亡くなった。オロスランという名前の男性だ。普段なら運ばれている弁当箱が玄関にそのまま残されていたことから、不審に思った住人たちが家へ赴き、変わり果てた彼を発見したのであった。突然の喪失に、町は悲しみに包まれることとなる。

まず今作は田舎町の日常を描き出していく。例えば町の住民が繊維工場で働く姿、精肉工場で豚肉を勢いよく裁断する姿、弁当の配達人が車で町をめぐっていく姿。そういったのどかな風景の数々が淡々と綴られていく。そこにはどこか安堵させられるような平穏が宿っている。

それと同時に私たちは映画から何か崇高な雰囲気をも感じることになるだろう。それは町を取り囲む雄大なる自然が源だ。鬱蒼と茂る深緑色の森、それを覆いつくす濃厚な霧、鈍い灰色を湛え続ける空。スロヴェニアの自然は独特の崇高さを宿しており、それが安らかな日常と重なりあうことで謎めいた空気感が生まれることとなる。

そしてそれらを見据える監督の眼差しも印象的だ。撮影監督Gregor Bozic(彼は以前紹介したスロヴェニア映画"Zgodbe iz kostanjevih gozdov"の監督でもある)のカメラは目睫の光景を明晰にして厳然たる面持ちで眺め続ける。そうすることでのどかな日常と崇高な自然のあわいに唯一無二の聖性が現れることとなる。ただ柔らかな泥の上を歩く足のショットが、得も言われぬ感動を喚起するのだ。

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そんな中で監督たちはある2人の男を追うことになる。彼らはサッカーや故郷についての無駄話を繰り広げながら、車を運転して何処かへ向かう。仕事を済ませた後に彼らは酒場へと赴くのだが、そこでも意味のないように思える会話は続く。そうして会話は重なり続け、時はゆったりと進んでいく。

だがある時、片方の男がとうとうあの話を始める。オロスランの死についてだ。弁当運び、残された弁当を目撃した女性、彼の死に様、救急隊員に運ばれる死体。そういった細部が紡がれる中で浮かぶのは、オロスランという死者がいかに愛されていたかということだ。彼らの声と言葉には死者への親密さと哀惜が滲んでいるのだ。直接は語られない言葉、つまりは"あなたがいなくて寂しいよ"というその言葉がその軽やかなお喋りには込められているのだ。

そして監督はオロスランの死の後に広がる風景というものを丹念に描き出していく。表面上は何ら変わったところは存在しない。だが先ほどと同じようにのどかな日常と崇高な自然が重なりあう中で、目には見えない喪失が、冬の寒々しくも静謐に覆われた風のように通るのが分かるだろう。何かが決定的に変わってしまったという切ない予感が心によぎるのだ。

さらに喪失の後に、住民たちがオロスランについてのそれぞれの思い出をカメラに語り始める。生前の彼の様々な逸話が語られていき、涙どころか笑いすら絶えない幸福な時間が続いていく。その語りは複層的で、一言には纏められない人間のパーソナリティというものが浮かびあがる。観客はそれぞれの心の中で、住民たちの言葉を手掛かりにそれぞれのオロスランを想うことになるだろう。

こうした意味で、本作はドキュメンタリー的な構築が成されていると言える。だが本作はスロヴェニアの小説家であるZdravko Dušaの短編作品が基になっている。つまりは巧妙に仕組まれたフィクション作品なのである。ゆえに今作はドキュメンタリーとフィクションのあわいを漂うような不思議な浮遊感を持ち合わせているのだ。これが今作の抗いがたい魅力だと断言できる。

スロヴェニアの田舎町、1人の老人が亡くなり人々は悲しみに包まれながら、それぞれの思い出を紡いでいく。その言葉の数々からは死者への哀惜と親密さが溢れだし、生きることへの小さな、切実な祝福が齎される。2010年代スロヴェニア映画界の最後を飾る、輝ける奇跡のような優しさがこの"Oroslan"なのだ。

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