さて今回紹介する映画は、私が最近お気に入りのウルグアイ映画、Emilio Silva Torres エミリオ・シルバ・トレス監督作“Directamente para video”である。題名から何となく伺えるかもしれないが、ウルグアイで空前の人気を誇ったあるビデオスルー映画をめぐるドキュメンタリーな本作、しかしただのVHS時代、レンタルビデオの時代へのノスタルジーで終ることがない。今、言えるのは全くもって忘れ難い余韻を私たちに残す1作であるということだけだ。
1988年、ウルグアイで“Acto de violencia en una joven periodista”という映画が作られた。ある女性ジャーナリストがモンテビデオで巻き起こる暴力事件の謎を追うという映画だった。製作後、各地のレンタルビデオ店にVHSが置かれ、ウルグアイの人々は今作に言葉を失い、そして爆笑した。何故ならそのクオリティはあまりにも酷かった、殺人、ロマンス、ドキュ全部ブッこんだ結果どうにかなってしまった観るに耐えなすぎるZ級映画がここに爆誕していたからだ。人々は友人たちを集め、皆で今作の観賞会を行い、爆笑を共有しあった。例えばアメリカでは「プラン9・フロム・アウター・スペース」などエド・ウッド作品が規格外のクソ映画としてカルト的な人気を誇ることになったが、ウルグアイにおいてはこの“Acto de violencia en una joven periodista”が、その名誉に浴した訳である。
序盤において主人公となるのは当時VHSで“Acto de violencia en una joven periodista”を観て惚れこんでしまったファンたちである。世紀の駄作ぶりから今作はウルグアイに熱狂的なファンを産み、今でもFacebookにファンの交流ページがあるほどだが、そんな彼らがカメラの前で愛を語りに語るのである。それがもい本当に微笑ましい光景で、ウルグアイでこんなVHSスルー映画が熱狂を巻き起こしていたのかとこちらまで嬉しくなった。
それを観ながら、自然と私自身のVHSの思い出が頭に浮かんできたのだ。私は小さな頃、最寄り駅の近くにあるレンタルビデオ店によく母親と一緒に通っていた。とはいえ映画を借りるためではなく、ウルトラマンのビデオを借りにいくためだった。中学生の頃には「古畑任三郎」のビデオも借りていたのだが、私が映画を本格的に好きになる前に潰れてしまったのが残念だった。
だが全く借りていなかった訳ではなかった。とはいえぶっちゃけ実際観た映画が何だったか覚えていない一方、観られなかった映画の方が印象に残っている。例えば「悪魔のいけにえ」などのホラー映画は借りることができなかったが、ジャケットの禍々しさみたいなのは覚えているし、あと「オールナイトロング」シリーズのどれか、女性がシャワー室で血まみれになっている姿がデカく写っていたものがあったと思うが、その背徳的なエロさは未だ忘れ難い。最も印象に残っているのは「人喰族」だか「食人族」だか、とにかく人喰いもののビデオだ。ジャケットは日に焼けて、全体的に淡い空色のような色彩になっていたが、その片隅に完全にグチャグチャになった顔が写っており、完全にトラウマになって今後大学生になるまでこのジャンルを観られなくなった。今じゃ余裕で観られる汚い大人になったし、むしろ逆にクローン病のせいで肉を喰う方が制限されたという難儀なことになっている。遠くまで来たものだ。
そしてこういう思い出をウルグアイの人々が笑顔で語りまくる訳である。これに微笑まずにいられるだろうか。だからこそ今作の序盤は観ながら多幸感を抱いたし、ここで話題にあがる“Acto de violencia en una joven periodista”もぜひ観てみたいなと思わされた訳である。だがそこから風向きが変わってくることに、私も気づくことになる。
これがあまりにも人気になったもので、ぜひその撮影の裏側を知りたい、ほぼこの作品しか残していない謎の映画監督Manuel Lamas マヌエル・ラマスについて知りたいという人々が出てくる。だが全く情報が出回らないなかで、今作の監督もまた裏側に興味を抱き、調査を始める。志を共有する熱狂的なファンの力を借りて、出演者の何人かを探しあてるのだが、何故か映画については語りたがらず、再び忽然と姿を消してしまう。不審に思った監督が更なる調査を進めていくと、不気味な事実が少しずつ発覚していく。
私としてはこの先についても書いていって、いかに今作が凄まじく奇妙な運命を映し出しているかを語りたいのだが、そうすると何を言ってもネタバレになるのでこれに関しては記述を抑えたい。だが少しずつ明かされる“Acto de violencia en una joven periodista”の背景はあまりにも奇妙で、不穏だ。ラテンアメリカを震撼させた事件(日本でもそれを題材とした映画が一時期話題になった)が予想外の形で関わってきた時には、思わず声すら出てしまうものだった。
だが何よりも際立つのは、監督であったManuel Lamasの存在だ。何というか、今作を観るというのは彼の心のうちに在る、底の知れない迷宮を旅するようなものだった。それは人間心理それ自体の暗黒ともいうべきか?これを十全に表現できる言葉を私は見つけられていないのだが、いや本当にそれほどの事実を“Directamente para video”という作品は提示しているのである。
正直今作を観た後、“Acto de violencia en una joven periodista”という映画が実在するとは全く信じられずに検索したのだが、Wikipediaに普通にページがあるし、言ってしまえば本編自体もYoutubeにもアップされていて“これは現実!”と驚愕せざるを得なかった。しかし監督自体もドキュメンタリーを作りながら“本当にこれが現実か?”と思っていた節があり、本編の構成などにもその思いが如実に反映されている。そしてこの当惑が観客の当惑と共鳴しあい、作品世界自体もまた深まっていくのだ。
“Directamente para video”はVHS、そしてZ級映画の魔というべきものを炙りだす、私にとって本当に忘れ難い1作となる作品だった。今後もう一生忘れられないのではという予感にすら苛まれている。Emilio Silva Torresという監督は何て劇物を作ってしまったのかと、私は驚くしかない。