鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済藤鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

ここではないどこか、いつか~Interview with Manuel Muños

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さて、このサイトでは2010年代に頭角を表し、華麗に映画界へと巣出っていった才能たちを何百人も紹介してきた(もし私の記事に親しんでいないなら、この済藤鉄腸オリジナル、2010年代注目の映画監督ベスト100!!!!!をぜひ読んで欲しい)だが今2010年代は終わりを迎え、2020年代が始まった。そんな時、私は思った。2020年代にはどんな未来の巨匠が現れるのだろう。その問いは新しいもの好きの私の脳みそを刺激する。2010年代のその先を一刻も早く知りたいとそう思ったのだ。

そんな私は短編作品を多く見始めた。いまだ長編を作る前の、いわば大人になる前の雛のような映画作家の中に未来の巨匠は必ず存在すると思ったのだ。そして作品を観るうち、そんな彼らと今のうちから友人関係になれたらどれだけ素敵なことだろうと思いついた。私は観た短編の監督にFacebookを通じて感想メッセージを毎回送った。無視されるかと思いきや、多くの監督たちがメッセージに返信し、友達申請を受理してくれた。その中には、自国の名作について教えてくれたり、逆に日本の最新映画を教えて欲しいと言ってきた人物もいた。こうして何人かとはかなり親密な関係になった。そこである名案が舞い降りてきた。彼らにインタビューして、日本の皆に彼らの存在、そして彼らが作った映画の存在を伝えるのはどうだろう。そう思った瞬間、躊躇っていたら話は終わってしまうと、私は動き出した。つまり、この記事はその結果である。

さて、今回インタビューしたのはホンジュラス映画作家Manuel Muños マヌエル・ムニョスである。最近、よりマイナーなラテンアメリカ諸国の映画史に興味を持ち始めたなかで、出会ったのが彼の短編“Rubicón”だった。世界のどこかに存在する町、そこに広がる景色や記憶をめぐる美しい1作に私は魅了され、彼にインタビューを行った訳である。その作品については勿論だが、日本ではあまり知られていないホンジュラス映画史についても質問をぶつけてみた。それでは早速どうぞ。

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済藤鉄腸(TS):まずどうして映画監督になりたいと思いましたか? どのようにそれを成し遂げましたか?

マヌエル・ムニョス(MM):物心ついた頃から、いつだって映画を作りたいと思っていました。9歳の時には父と最初のスターウォーズを観て、家にあったミニDVカメラで映画を自作していたんです。独学で編集も学びながら、TVに映るイメージを自分で再現してみて、VHSテープに記録するなどもしていました。これが映画製作の第1歩でしたね。

TS:映画に興味を持ち始めた頃、どういう映画を観ていましたか? 当時のホンジュラスではどういった映画を観ることができましたか?

MM:子供の頃は父と一緒にスティーヴン・スピルバーグ作品を観ていましたね。E.T.インディ・ジョーンズシリーズに未知との遭遇などです。ホンジュラスではインディーズ映画を観られる場所がなかったので、主にハリウッド映画を観ていました。アルゼンチンに移住し映画学校に通いだしてから、Sala LugonesやMALBAといった映画館に行き、今までとは異なる映画を観始めました。アッバス・キアロスタミアルタヴァスト・ペレシャンペドロ・コスタLuis Ospina ルイス・オスピナといった映画作家の大ファンになったんです。ブエノスアイレスではEl Pampero Cineといったグループから、私自身の作品をインディペンデントな体制で構想していくにあたって、美学や製作のアイデアなど、多くを学びましたね。

TS:“Rubicón”の始まりは一体どういったものでしたか? あなた自身の経験、ホンジュラスのニュース、もしくは何か他の出来事ですか?

MM:映画の始まりは恋人であり今作の主演でもあるSofia Grisales ソフィア・グリサレスを撮った写真からです。アパートのバルコニー、そこの窓越しに彼女を撮ったんです。光の反射がガラスに当たり、部屋の内側とその外側に広がる街が同時に写っているというイメージが気に入りました。ここを始まりとして映画を作りたいとすぐさま思いました。次の1歩はこの中心となるイメージから連なる別のイメージを見つけだし、物語を創りだすことでした。今作はこのように撮影されていったので脚本は存在しなかったのですが、イメージや音の数々が互いに繋がりあい、映画がある種構築されていったんです。

TS:今作は印象的な長回しから始まりますね。カメラが黄昏の街並みに広がる風景を見据える一方で、観客はフレーム外から登場人物たちの会話を響いてくるのに気づくことになります。この風景と会話には一見して繋がりはないように思えますが、徐々に2つが混ざりあうことで、途切れなき長回しのなかに黄昏の美しさが現れるんです。このシークエンスをどのように撮影していきましたか? 何故、そしてどういった流れでこの場面を最初に据えようと思ったのでしょう?

MM:このショットも先の質問で答えたのと同じプロセスで撮られています。日が立ちあがるなかで街へと続く高速道路が見えるという場面を長回しで撮りたいと初めから思っていました。撮影する時もこれが映画に馴染むのかすら分からないまま撮っていましたね、ただ撮影すること自体が快かったというのもあります。編集段階であの郷愁に満ち満ちた曲(Toquinho&Vinicius“Tristeza”)で、これで映画を始めるのはいいなと思いました。同時に何か語りにおいてフックとなるものに欠けてるなとも感じてたのですが、SofiaがFela Benjumea フェラ・ベンフメアのインタビューを入れたらどうかと提案してきました、あの冒頭で観客が聞く声の主ですね。そしてSofiaの演じる人物がFelaが語る、国から国へと渡り歩いてきた過去を聞くという場面ができた訳です。

TS:この場面の後、映画はある男女がいっしょに時を過ごす姿を映し出しますね。彼らの微笑みや会話、親密さは今作の核でもあり、彼らを演じるSofia GrisalesAriel Sosa アリエル・ソサの存在感によって静かに、複雑に力強いものともなっていきます。この素晴らしい俳優たちはどのように会ったのでしょう、そして今作で協同しようと思った最も大きな理由は何でしょう?

MM:Sofiaは私のパートナーで、作品の殆どをいっしょに製作しています。Arielは仲のいい友人で音響回りの仕事もやっているので、今作では音響を担当してもらっています。ここで協同しているクルーたちは近しい友人たちばかりなので、物事を進めていくのに居心地がいい空間ができますし、間違いを恐れる必要もなければ、何かを決める時に不安になることもないわけですね。

TS:そしてもう1人の重要な主人公は映画の舞台となる町それ自体でしょう。カメラが部屋にいる男女を撮す一方で、同時に現れるのは窓から見えてくる景色です。天井に干された洗濯物、道やそこに行き交う人々、青空に抱かれたタワー。あなたと撮影監督Juan Fernando Collazos フアン・フェルナンド・コリャソスは町に浮かぶ様々な表情を撮しとり、その数々は写真アルバムのようになり、観客それぞれが持つ、自分の町についての記憶と繋がっていくんです。ここでお聞きしたいのはこの町がどこかということ、そして何故ここを撮影場所に選んだのかということです。この町に何か個人的な思い出がありますか?

MM:この町はブエノスアイレスですね。ここ7年間住んでいるんです。クルーの殆どはこの町に住む外国人でもあります。例えばニカラグアやコロンビア、メキシコ、ホンジュラスドミニカ共和国出身の人々が集まっていて、ブエノスアイレスとそれぞれの付き合い方をしているんですね。そこで私は、皆の心のなかに存在しながら、同時に誰の心にも存在しない町を創りたいと決めた訳です。つまり国籍に紐付けされたアイデンティティー、そんな考えが通用しない場所ですね。そして外国人であるという感覚が音やイメージによって経験されていくと。これがブエノスアイレスを舞台にしながら、デジタルの山を追加したり、かなりフィクション化された音響デザインを付け加えることで、この場所を虚構の場に変えた理由ですね。ある意味で私は町を、とてもぼやけて混沌に満ちた、登場人物たちの心の投影のように思っていたんです。

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TS:今作の音響デザインにも感銘を受けました。複雑で、心地よさに満ちた音、もしくは響きが、あの会話を描きだした冒頭から満ち溢れていますね。そしてより印象に残ったのは部屋の場面で、ここで観客は町の日常に深く根差した音を幾つも聞くことになります。車、風、ラジオなどなど。この豊かな音響はフレームの外、映画の外にも世界が無限に広がっていることを予感させてくれますね。この音響や音響空間をどのように構築していったでしょう?

MM:ある意味で私たちは映画の視点を町そのものに接続したかったんです。町こそが登場人物たちの物語を経験し、逆ではないといった風に。これが登場人物を見るより先に道端に広がる音の数々を観客が聞くことになる理由です。Arielとの協同は興味深いもので、というのも彼がドミニカ共和国で仕事をしていた際に録音していた音のライブラリーを持ってきてくれたんです。音響編集のÁngeles López アンヘレス・ロペスとも協同を密にして、映画に現れる出来事を創りだそうと模索していました。ラテンアメリカの異なる場所に響いていた音を集めて、カオスな交わりを作った訳です。

TS:この作品を観るのは暖かな午後に白昼夢を見るような経験でした。10分もの間、快い永遠のように広がっていく映画という名の幻影を漂っていくんです。この立役者はあなたとClara Vieiro クララ・ビエイロによる編集でしょう。どのようにこの夢見心地なリズムや雰囲気を編集によって作りだしたんでしょう、そこにおいて最も難しかったことは何でしょう?

MM:編集作業は脚本の執筆作業とも重なっていました。多くの試行錯誤があり、今作がなるかもしれない幾つもの構成を考えることになりました。ドキュメンタリー的な映像と、もっと綿密に演出された他の場面を行き来する構成に合うような、ある1つのリズムを探しだすためにはかなりの努力を費やしましたね。


TS:この“Rubicón”という作品において欠かせないと思う要素が車ですね。冒頭が車のなかで繰り広げられるのは勿論ですが、より重要なのはそこに続く部屋の場面でも観客は車の音を聞き続けるということでしょう。カメラはそこまで直接車を撮すことはありませんが、フレーム内外両方においてその存在感は興味深いほど忘れがたいものとなります。今作を観ながら、ゴダールが言ったとされる言葉を思い出しました。“男と女と銃があれば、それが映画だ”と。“Rubicón”は正にそんな映画でしょう。ご自身、今作に現れる車についてどうお考えでしょう? 意識的に車の存在を中心に映画を組み立てていったということはありますか? そもそもの話、車はお好きですか?

MM:多分これは無意識でしょうが、車が動いているという現象それ自体が何かとても映画的だと思えるというのはあります。おそらくこれはテグシガルパという、車が毎日続く日常やリズムにとってとても重要な都市に住んでいたという経験からくる考えでしょうね。ブエノスアイレスに越してきてから、車から地下鉄に乗るようになったというのも私にとって興味深い経験でした。この意味であなたの言った言葉は正しいでしょう。車と電車はいつだって映画の良き友なんです。

TS:日本の映画好きがホンジュラス映画史について知りたいと思った際、どの映画を観るべきでしょう? その理由もお聞きしたいです。

Sami Kafati サミ・カファティホンジュラス映画の父と言われています。彼は1964年に初の短編“Mi Amigo Ángel”を撮影しましたが、1984年に初長編“No Hay Tierra sin Dueño”を完成させる前に亡くなってしまいました。チリの映画編集者Carmen Brito カルメン・ブリトのサポートを受け作品は完成し、2003年にやっと上映されることになりました。Katia Lara カティア・ララ監督の“Corazon Abierto”というドキュメンタリーはその裏側にあった信じられない物語を描いた作品です。Samiは撮影監督としてRaul Ruiz ラウル・ルイス監督作“Utopia”にも参加しています。1976年にホンジュラスで撮影された1作です。“No Hay Tierra Sin Dueño”を除いて、全ての作品がオンラインで簡単に鑑賞できるので、ぜひ観てほしいですね。

TS:もし1作、好きなホンジュラス映画を選ぶなら、どれを選びますか? その理由もぜひお聞きしたいです。何か個人的な思い出がありますか?

MM:ホンジュラス映画における流れを考えるにあたって、私は“Mi Amigo Ángel”を選びたいですね。今作が撮影された時代、世界ではどんな映画が作られていたかを考えるとより重要なんです。例えばゴダール勝手にしやがれは今作の4年前に作られていた訳ですが、その頃には映画というメディアは現代性という言語に関して実験を始めていた。そしてそんな時代にホンジュラスでは初めてフィクション映画が作られようとしていたんです。私が思うに今作にはとても興味深い現代的な側面を持っていました。つまり頗る自由なドキュメンタリー形式で、いかに都市をめぐり、それを映画にしたかということですね。ホンジュラスという国は60年代から今日までに相当な変貌を遂げましたが、ではテグシガルパが、映画がそのイメージの神話を構築してきた都市、例えばパリやベルリン、ニューヨークといった都市のようになったかというと違いますね。私としては“Mi Amigo Ángel”を、もはや存在しない都市のドキュメントとして観るのが好きなんです。

TS:ホンジュラス映画界や映画産業の現状はどういったものでしょう? 外からだとその状況はほとんど見えてこず、日本語での情報もほぼ存在しません。なので内側から見るなら、それはどのように見えているのでしょう?

MM:ホンジュラスにおいて最近とうとう独自の映画法が可決され、映画製作をサポートする組織が結成されました。しかし残念なことに、映画作家としても観客としても、映画について学ぶ確立された方法論が今はまだ少ないんです。映画学校はないですし、インディペンデント映画や大胆なテクニックを持った映画にアクセスするオルタナティブなやり方もまた存在しません。ある種、私たちは現代の映画界、もしくは映画史そのものにおいて、映画作りから排除されているようなものです。それでも少しずつ現状は変わってきています。国立大学のシネマテークに所属するRené Pauck ルネ・パウクといった人物は本当に重要な存在で、彼らはこの国における映画の保存や映画史の発信に努めてくれているんです。

製作がほとんどできない状況で、こんにちにおけるホンジュラス映画は宣伝の論理、もしくはハリウッドの語りや製作基準に影響を受けてしまっています。この国の現実にとって支離滅裂なものであるにも関わらずです。映画とはアメリカの基準を満たせばいいのだという、美学的な植民地主義に陥ってしまっているんです。とても繊細で危うい民主主義とほとんど実体のない中産階級、そんなホンジュラスの現状においては、経済性といった観点から、オルタナティブな映画が作られたり観られたりするというのは難しいということもあります。私が願っているのは、ホンジュラスが映画という意味で外の世界とより繋がりあえる未来です。エルサルバドルの小説家オラシオ・カステジャーノス・モヤはこう語っています。自分のルーツとなる国に参照されるべき文学が存在がないなかで、世界文学の伝統について思考することが、自国の文化を語る場になってくれる。そうなればと思います。

TS:もし次の短編か長編の計画があるなら、ぜひ日本の読者に教えてください。

MM:今は“Los Reinos”(“王国”という語の複数形ですね)という長編の製作を2年ほど続けています。あるカップルの別離を描く作品でパートナーと私自身が主演しています。世界の都市、例えばブエノスアイレス、パリ、テグシガルパ、そしてハンブルクなどを舞台とした作品でもあります。

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