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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Perivi John Katjavivi&“Under the Hanging Tree”/ナミビア、血の過去とそして現在

アフリカ南部に位置するナミビア共和国、この国とドイツの間には負の現代史が横たわっている。欧米列強の1国として領土の拡大を目指し、ドイツは1884年から1915年に南西アフリカを植民地支配していた。その支配の最中、この地に住んでいたヘレロ、ナマの両民族が1904年に反乱を起こすこととなる。だがドイツ軍は“民族の絶滅”を旨としてこの反乱を徹底的に弾圧、そして数年をかけて数万もの人々が殺害される。ヘレロ・ナマクア虐殺と呼ばれるこの虐殺は後のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺に繋がったとも言われ、100年経った現代でも両国間で長く懸案となってきたが、2021年にドイツが大量殺戮を認めとうとう謝罪と賠償が始まった。さて今回は、この血塗られた現代史を背景とした全く異色なナミビア映画、Perivi John Katjavivi ペリヴィ・ジョン・カチャヴィヴィ監督作“Under the Hanging Tree”を紹介していこう。

今作の主人公はクリスティーナ(Girley Jazama)という女性だ。彼女はサバンナの片隅にある小さな町の警察署で働いている。現在捜査しているのは、近くの大農場で家畜が殺害されその遺骸が放置されるという事件だ。クリスティーナの捜査を嘲笑うかのように家畜は次々と殺されていき、その山は大きくなっていくばかりだ。このあらすじからも読み取れるように、今作はまず刑事ものというジャンル映画として幕を開ける。不気味な事件を孤独な刑事が捜査していく中で、更なる事件が巻き起こっていく……このありがちな筋立ては、しかし今後の驚くべき跳躍への助走であることが後々分かってくる。

事件の頻発する大農場の持ち主がグスタフ・フィッシャーとその妻エーファ(Dawie Engelbrecht & Roya Diehl)である。彼らの夫婦仲は事件の以前からもはや冷え切っており、会話をするにしてもその視線が交錯することもほとんどない。物語の途中、観客はそんな夫婦の荒涼とした夫婦生活を目撃させられることになる。そこには常に不穏な静寂がつきまとっており、私たちはその破綻がそう遠くない時に来るという予感をも味わわされることになるだろう。

果たしてその悲劇は起こってしまう。ある日、グスタフが死体となって発見されることになる。彼の死体は農場にあるオムムボロンボンガ Omumborombongaという大樹に吊るされているという悲惨な状況を呈していた。クリスティーナはこの殺人事件の捜査を開始するのだが、エーファは夫が亡くなったにも関わらず平然とした態度を取っており、そこに疑念を向けることになる。

こうして今作は刑事ものの王道を行き、脚本の展開自体もそれを踏襲するような進み方をしていく。だが徐々に私たちはこの映画がそこを逸脱する独自の要素を数多く持っていることにも気付かされるだろう。まず顕になるのは、今作が持つ無二の背景である。捜査の最中、クリスティーナはグスタフがオイゲン・フィッシャーという科学者の子孫であることを知る。フィッシャーは医学、そして優生学を研究していた人物であり、ナチス党員でもあった。ナチスユダヤ人や障害者を劣った存在と見なし虐殺を行っていたが、その背景には優生学の知見があり、こういった研究を牽引する存在の1人がフィッシャーであったのだ。そして彼がこういった優生思想に傾倒するきっかけとなったのは、ドイツ領南西アフリカ、つまり今のナミビアでの“混血”の研究だったのである。そしてその研究を始めたのは1908年、ヘレロ・ナマクア虐殺の末期だった。

このようにグスタフ殺害の裏側にはナミビアとドイツの間に横たわる忌まわしき過去が存在しているのだ。虐殺自体は100年以上前の出来事でありながらも、国同士としては勿論のこと、個人間や人種間においてもこの傷は未だに清算されていない。そしてこの因縁はクリスティーナの血にも滲みこんでいる。彼女はヘレロ人、つまりドイツ軍によって虐殺された民族の子孫なのである。彼女自身はこの出自から目を背けて生きてきながらも、事件をきっかけとして正面から対峙せざるを得なくなる。そんな彼女の姿を通じて、監督はナミビア現代史の闇へと潜行していくこととなるのだ。

この背景の異様さとともに、監督による演出もまた一線を画した切れ味を伴っている。冒頭からして観客は今作が只ならぬものだということに気づかざるを得ないだろう。闇のなか、不穏に燃える焚き火の前、そこに座りこんだ男が延々と呪詛を吐き散らかす。これが不動の長回しによって提示されるのを何分も観客は見せつけられるのだ。血、死、亡霊。振り返るならこれはナミビアとヘレロ人の被った悲劇を仄めかすものであったが、それと同時に今作そのものの異様さをも予告するものでもあったと分かる。

撮影を担当するのはRenier du Bruynという人物だが、その撮影は他のジャンル映画のそれとは全く異なっている。カメラ位置はほとんどの場合、クリスティーナら登場人物からは隔たっている。少なくともその顔や体の部位にクロースアップするということは滅多にない。ここにおいて主役となる被写体は彼らのいる部屋か、もしくは彼らがポツンと佇むサバンナ、言うなれば空間そのものなのだ。ゆえにここにおいてはカメラと登場人物の距離は物理的には勿論、精神的な意味でより遠い。彼らを世界の主役でなく、あくまで一部として観察するという科学者のような冷えた視線が常に存在している。

そして編集を担当するKhalid Shamisはロングショット多用のこの風景を、長回しという形で持続させ続けていく。通常ならばカットはテンポよく割って、観客の注意を掻き乱すというのがジャンル映画の方法論というものだが、今作はスローシネマ的な瞑想の状態へと観客を誘い込むような方法論を取っている。であるからして編集の流れは物語の議論を呼ぶだろう煽情性とは裏腹に、奇妙なほどゆったりしているのだ。

それでいてこの永遠にも思えるほど引き伸ばされた時間には、一刻の後に何か悍ましいことが起こるのではないかという予感にも満ち溢れているのにも、観客は気づくはずだ。この雰囲気に寄与するのが音という要素である。まずMpumelelo McataJoão Orecchiaが担当する音楽はノイズ主体の前衛的なジャズといったものになっている。全編通じてこのジャズが流れるのだが、ずっと聞き続けていると三半規管が惑わされるような感覚すら覚える。そこではナミビアの闇は迷宮ともなっていくのである。

この劇伴と並びたつのが音響だ。今作では音楽が鳴らない場面においても、常に画面外から自然音や日常音が響き続けているのだ。闇のなかで燃える薪のパチパチいう響き、サバンナの大地を撫ぜる風の響き、自然のそこかしこに潜みながら生きている虫の響き。こういった音が増幅されながら、何処からともなく響き続けているのだ。画面外にも世界が確かに広がっているのだという畏怖にも似た予感を、観客は執拗に喰らわされていく。今作を観ている、いや聴いている時に観客が心を休められる時間はほとんどない。

このように今作の演出は刑事もの、もしくはB級ノワールといったジャンル映画の方法論からは面白いほどに逸脱している。その方法論はむしろスローシネマ、もしくは実験映画にこそ近いものだ。物語を語るというよりも、映像詩を紡ぐことにこそ注心している印象を受けるのだ。ここで思い出すのは映画作家ケリー・ライカートだ。彼女はロードムービー(「リバー・オブ・グラス」)や西部劇(「ミークズ・カットオフ」「ファースト・カウ」)などのジャンル映画を、例えばJames Benning ジェームズ・ベニングPeggy Ahwesh ペギー・アーウィッシュといった実験映画作家の演出法に学んだうえで再構築していっている。

私は数々の日本未公開映画を観るなかで、少なくとも劇映画においては、実験映画の方法論を有機的に取り入れ、その技術を以て物語(特にジャンル映画)を解体していき、新しく創り直す映画作家が2010年代以降続々と現れているという感覚がある。ライカート然り、ジョナサン・グレイザー然り、この鉄腸ブログで紹介した作家としてはEduardo Williams エドゥアルド・ウィリアムスや、Hilal Baydarov ヒラル・バイダロフなどがその作家にあたる。

そして今作の監督であるPerivi John Katjaviviはその系譜の最先端に属する新鋭なのではないかと私は直感したわけである。今ちょうど「ファースト・カウ」「ショーイング・アップ」の公開で、日本の観客もライカートを発見している最中と思うが、もしかするなら皆が彼女に感じるものと同じ類の驚きをこの“Under the Hanging Tree”を観ている時に味わったと言えるかもしれない。上述の作家たちの映画を観ていたゆえ、私はこれこそが劇映画の行くべき道という確信があるが、その系譜にある作家がナミビアという映画界においては比較的無名な国から現れたことは予想外ながら、これこそが日本未公開映画を観る醍醐味でもあると思った次第だ。

“Under the Hanging Tree”ナミビアの忌まわしき過去へと深く潜行し、そこに満ちる血塗られた闇を抉りだすことによって、ナミビアの現在を浮かびあがらせていく。そしてそれは映画の現在、その最先端へと躍り出る試みともなっている。驚くべき新鋭監督が現れたものだ、ということで監督の今後に期待!