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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Tatyana Pandurska&“Divi jagodi”/ブルガリア、西と東の狭間で

この前、鉄腸ブログで“Perla”というスロヴァキア映画を紹介した。社会主義国家に、そして東欧に生まれ落ち、この地を故郷として生きざるを得なかった者たちの受難を描きだす壮絶な政治的メロドラマであり、2025年の“東欧映画”を語るうえで今作が提示した絶望は語り落とすことはできないだろう。だがその裏側には必ず希望も存在する、絶望を抱えたうえでそれでもと前に進んでいく希望が。ということで今回はブルガリア人監督Tatyana Pandurska(ブルガリア語表記:Татяна Пандурска)による長編作品“Divi jagodi / Диви ягоди”(英題“Wild Strawberries 野イチゴ”)を紹介していこう。

今作の主人公はニューヨークに暮らすブルガリアアメリカ人のダフネ(Vanina Kondova)だ。彼女は建築家として働きづめの毎日を送っていたが、そこにまさかの報せが届く。父ゲオルギの故郷である山脈の村、そこで存在も知らなかった祖母が亡くなったというのだ。そして彼女が遺した邸宅と土地の問題が持ちあがったのだ。この問題を解決するため、彼女はブルガリアへと初めて赴くことになる。

父の故郷にやってきたダフネに立ちはだかるのはアメリカとブルガリアの文化的なギャップの数々だ。甥であるオルリンとその妻シルヴィ(Ivan Yurukov&Stela Gancheva)のお節介焼きはなかなかのもので、自分の意思に関係なく歓迎会を開こうとしたりと強烈だ。さらに103歳で亡くなった祖母ダフィナが天使や霊と会話ができたりとかなり“スピリチュアル”な人物だったらしい。全てがアメリカの様式とは異なるゆえ、ダフネはタジタジに疲れ果てるばかりだ。

ここにおいて監督の演出は軽快なものだ。アメリカには人生に疲れた中年女性が自分探しの旅に出掛けるなんていう大人なコメディがある種のサブジャンルとしてある、例えば食べて、祈って、恋をしてだとかトスカーナの休日」であるとかだ。今作は正にそのブルガリア版というべき代物だ、まあそんな映画には付き物のオシャレさはブルガリア人のお節介に掻き消されているが。

とはいえ今作における自分探しの旅はより重い意味に裏打ちされている。ダフネが10代の頃に亡くなった父ゲオルギはニューヨークの建設現場で作業員として働きながら、家族を養っていた。そんな彼について知ることが旅の目的の1つでもあったが、ニューヨーク移住の裏側には、共産党の有力者に睨まれ故郷を追われたという原因があるのを旅の中で知ることになる。このようにして父を知ることは、ブルガリアとこの国の過去を知ることでもあらざるを得ない。

これと同時にダフネはブルガリア文化の精神性にも触れることになる。ゲオルギの移住後に祖父が亡くなってしまったのち、祖母のダフィナはこの村に独りで生きることとなる。彼女は織物の名手でありその技術によって生計を立てていたが、織る絨毯などに亡くなった人々の魂を宿らせることができたのだという。最初は非現実的だと呆れ返りながらも、ダフィナの織った作品は不思議な力で彼女を導いていくことにもなる。そして村に根づいた文化への愛着や、これを守りたいという想いが芽吹き始めるのだ。

この合間にはアメコメ的な要素に立ち返るのも忘れない。旅の最中にダフネが出会ったのはシナイ(Neno Koynarski)という同世代の医師だ。彼は病院に勤務するとともに、地域をめぐって身寄りのない老人たちのケアを行っている。それゆえ村民たちについて良く知っており、ダフネのルーツ探求を厚くサポートしてくれるようになる。その献身性に彼女は少しずつ心惹かれていく。

このように今作はロマコメの様相も呈するわけだが、監督はここへ巧みにブルガリア的要素を交えていく。シナイはトルコ系ブルガリア人であり、その名前はトルコ文化に由来している。一方でダフネという名前はギリシャ神話に登場する水の精が由来となっている。トルコとギリシャブルガリアの近隣国かつその文化に大きな影響を与えた2国であるが、近くて遠い、そして遠くて近い国を思わす名前はブルガリア人にとって異国情緒を絶妙に唆るものらしい。それゆえの疎外感を共有することで、2人の仲は深まっていくわけである。

このシナイという人物もそうだが脇役も魅力的な人物が多い。例えばオルリン&シルヴィの夫婦は食料雑貨店を経営しているのだが、その売り上げは全く芳しくない。そんな状況でオルリンはブルガリアの法律や土地事情がよく分かっていないダフネを騙くらかし、一発逆転を狙っている。一方でシルヴィは夫のそんな下卑た計略を尻目に、村へ頻繁にやってくるようになった中国人旅行客のガイドで金を稼ぐため中国語の勉強に堅実に励むなどしている。金を稼ぐことへの姿勢が真逆な2人の仲に亀裂が入るのはあまりにも当然だった。

彼らの姿が印象的に映るのは、その背後にブルガリアの今、特にその田舎部における逼迫した経済状況が見えてくるからだろう。ブルガリアは経済的にそこまで裕福でなく、社会主義政権時代にもゲオルギのように西側諸国へ移住する人物はいたが、それが崩壊しての自由化以後はよりよい将来を求めて特に若者たちが国外へ流出している。都市部はもちろん田舎部はより流出が激しく、こうなるとその経済状況は悪くならざるを得ないだろう。シナイはその影響の1つである老人の孤立化に医師として対処し、オルリンとシルヴィはそれぞれのやり方で不況を乗り越えようとしている。彼らの明確な行動原理に、観客はブルガリアの今を見ざるを得ないわけだ。

ここにおいてダフネはルーツがブルガリアやこの村にあるとはいえ、アメリカ、そこでもより高級で最先端の都市ニューヨークで何不自由なく暮らせる経済力とキャリアを持ち合わせている。そんな一時的滞在者でしかない存在が土地を引き継ぎたいであるとか文化を守りたいであるとかいうのは片腹痛い所業ではないのか。

ここはバルカン、あなたの世界とは違う場所です。異なる原理で物事が動いているんですよ。ある登場人物がダフネに突きつける言葉だ。この言葉だけでなく、取り巻くもの全てがダフネをブルガリア、ひいては東の文化に馴染めない存在だと突きつける。これと同時に東の血を受け継ぐゆえにアメリカ、ひいては西の文化にも完全には馴染めない事実をも、ダフネは味わわされる。

しかし物語から光が失われることはない。ダフネという存在はそんな狭間の存在だからこそ、双方について実感を以て知ることができ、その仲を調停したうえで繋ぐことができる。謂わば2つの架け橋となることができるのだ。ブルガリアアメリカ、東と西だけではなく、オルリンとシルヴィといった人々の架け橋にも彼女はなれるのだ。それは2つの国の狭間に娘を産んだゲオルギと、そして生者と死者を織物によって繋いだダフィナからダフネが受け継いだものなのだ。

“Divi jagodi”は序盤アメコメを模倣するかのような軽快かつ軽薄なコメディとして幕を開ける。しかし監督はこのジャンルを土台として、良いところも悪いところも含めたうえでブルガリアの過去と現在を繊細に描きだしていく。そこには絶望と諦念が脈打ちながら、それでも虚無主義へと陥ることなく控えめながらも力強く、未来への希望を語る。2025年の東欧映画シーンにおいて、先に紹介したスロヴァキア映画“Perla”がこの地への途方もなき闇を露わにするなら、今作はその闇において灯火として光り続ける導となるだろう。