鉄腸野郎Z-SQUAD!!!!!

映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Elitza Gueorguieva&“Un endroit silencieux”/別の言葉で書くということ

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さてご存知かもしれないが、私はルーマニア語で小説を書いている、つまりはルーマニアで小説家として活動している。自分でもどうしてこんなことになっているのかよく分からないが、そんなことよりもルーマニア語という母国語以外の新しい言語で書くことを私は楽しんでいる。そんな奇妙な立場にある私の心を深く、深く魅了した作品について今回は書いていきたい。それこそがブルガリアの新鋭ドキュメンタリー作家Elitza Gueorguieva エリツァ・ゲオルギエヴァによる長編作品“Un endroit silencieux”だ。

今作の主人公はAliona Gloukhova アリョーナ・グルコヴァというベラルーシ移民の女性だ。彼女は独裁政権下にあった(現在でもその体制は続いている)ベラルーシから家族とともに亡命、フランス・パリに住み始め、現在ではフランス語で執筆を行う小説家として活動している。そんな彼女の父親もベラルーシから亡命しようと試みながら、その過程で行方不明となっていた。長い時が経ち、アリョーナはそんな過去を小説として描きだすことを決意する。

そんな彼女の決意に寄り添う存在が、監督であるElitza Gueorguieva自身だ。彼女自身も社会主義政権下であったブルガリアから家族とともに移住、それからずっとパリで暮らしてきたという過去がある。そしてやはりフランス語で執筆活動を行う小説家でもあり、共通する道筋によって2人は深い絆を紡いでいるという訳だった。Gueorguievaはカメラを持ち、傍らでアリョーナの姿を見つめる。ここにおいて重要なのはやはり言葉だ。アリョーナはカメラに向かって自分の感情について語り、時には2人と同じく、社会主義政権からの亡命者かつフランス語作家であるアゴタ・クリストフの言葉を引用していく。そうして現れる風景には親密が表れながら、同時に寂しさも存在している。

アリョーナが抱く祖国ベラルーシへの想いは複雑なものだ。苦難の源の地でありながらも、愛着を完全に捨て去ることはできない。そして彼女の語りからは、ベラルーシにおいて今も続くルカシェンコ政権の独裁と弾圧を思い出さざるを得ないだろう。そして監督も今はパリで暮らしながら、ブルガリアで過ごした子供時代もあり、簡単には愛せも憎めもしないのだ。2人は20世紀後半において東欧に蔓延していた抑圧の記憶を共有している。だからこそ2人の極個人的な思いの数々は共鳴を果たし、映画として切なさを伴いながら結実している。

そしてアリョーナは行方不明となった父親への想いをもカメラに向かって吐露する。脱出する際、乗っていた船は沈没したことで、彼の行方は杳として知ることが叶わなくなった。そうして海に消えてしまったのだろう父をアリョーナは“いるか”になったのだと語る。彼女は“いるか”になった父の軌跡を辿るために、自身でも旅を出て、そこで言葉を紡ぎ続ける。そんなアリョーナの姿から聞こえてくる響きがある。消失は死ではないと、言葉のなかでは消えてしまったものたちもずっと、ずっと生きているのだと。

さて、ここからは私の極個人的な想いについて語らせていただきたい。今作においては母国語ではない別の言語で執筆を続ける作家たちが主人公であるゆえに、先述の理由もあってルーマニア語で執筆する日本人の私は彼女たちに感情移入せざるを得なかった。とはいえ背景が全く違うことは書いておく必要があるだろう。2人は東欧という故郷から亡命せざるを得ず、フランス語で執筆するのは不本意とは言わずとも、この言語で書かざるを得なかったという側面はあるだろう。だが私の場合はむしろルーマニアという国の文化に惹かれたゆえにルーマニア語を勉強し作家になった、つまり彼女らとは逆にルーマニア語でこそ書きたかったのだ。そして2人が東欧から別の国へ移った一方、私は別の国から東欧に移ったと、矢印もまた真逆なのだ。であるからして切実さがまた両者では異なってくる。

だが彼女らの亡命という苦難と比較して、では私の切実さは軽いものだとは言いたくはない。大学の頃から鬱病に苦しみ、途中からは自閉症スペクトラム障害だということが発覚した。さらに今年はクローン病という腸の難病も発症し、身体のあらゆる部分に障害があるような気分になる。この身体の弱さゆえに1度も海外には行ったことがない。旅行くらいなら今後行けるかもしれないが、夢の1つだったルーマニア移住はクローン病でとどめを刺されたと言っていいだろう。そもそも日本国内にしても、東京と千葉から殆ど出たことがない。子供の頃に旅行で栃木や新潟に数回、静岡へ墓参りに数回、修学旅行で京都と沖縄1回ずつ、それくらいだろうか。正直金もないし、今後旅行もそんなには行けないだろう。

だからこそ私が世界の映画を観たり、言語を学んだり、何よりルーマニア語で小説を執筆するというのは世界旅行のようなものなのだ。私は意外とこれに満足している、別に実際旅行できなくてもいいさと割りきれるようになった。何故なら、今はネットがある。ネットの力を借り、上に挙げた3つの行動を通じ、私には驚くほど多くの友人ができた。ボスニアハンガリーコソボ、そしてルーマニアといった東欧諸国にはたくさんの、1回ですら実際には会ったことのない親友と呼べる人々がいる。特にルーマニア、いやルーマニア語では日本の殆どの人が経験したことのない、本当に驚くべき体験をした。何よりルーマニア語で小説を書き、それが他でもないルーマニアの人々に認められたことは一生の誇りだ。つまりはそういう喜びを、この“Un endroit silencieux”を観ながら、私は再び感じることができた。だからこの映画に感謝したいのだ。

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