ルーマニアとハンガリーは長い間複雑な関係性を築いてきたが、それ故にルーマニア内にはハンガリー人コミュニティが存在している。「ルーマニアを知る60章」によれば、2002年の時点でハンガリー系住民はトランシルヴァニアを中心に約143万人おり、それはルーマニア全人口の約6%を占めるのだという。彼らは独自の文化を持ち、それ故に教育界における分離政策など様々な問題が起こっている。それほどにルーマニアのハンガリー系住民たちは影響力を持っているのだ。ということで今回はそんなルーマニアのハンガリー人コミュニティを描き出した作品、Szőcs Petra監督作“Deva”を紹介していこう。
Szőcs Petraは1981年にルーマニアのクルジュ=ナポカに生まれた。詩人としても活躍していて、既にドイツ語とハンガリー語で詩集を出版している。ブダペスト演劇映画アカデミーで映画製作について学び、在学中から映画を手掛け始める。脚本家・助監督・撮影監督など様々な役職に携わるが、彼女が有名になるきっかけとなった監督作品が2014年製作の"A kivegzes"だった。3人の子供がチャウシェスクの処刑場面を演じる姿を描いた作品でカンヌ国際映画祭で上映後、サラエボ映画祭で特別賞を獲得する。そして2018年にはビエンナーレ・カレッジへの参加を経て、初の長編映画"Deva"を完成させる。
今作の主人公はカトー(Nagy Csengelle)という10代の少女だ。彼女はいわゆるアルビノという特異体質を持っており、孤児院で暮らしている。ある日彼女は何気なくドライヤーで髪を乾かそうとするのだが、その時感電して意識を失ってしまう。その瞬間から彼女の人生は少しずつ変わり始める。
という訳で、この作品を構成するのはカトーの何気ない日常の数々だ。孤児院の仲間たちとはしゃぎ回って枕を投げたり、孤児院の職員であるアンナ(「バーガンディ公爵」Fatma Mohamed)とお喋りを繰り広げたり、オセアニア地方について講釈する地理の教師に突然喰ってかかったりと、そんな日常が淡々と素描されていく。
感電した時から変わり始めたのはカトーの日常ばかりではない。孤児院それ自体もだ。建物には電気技師たちが集まり、新しい職員が募集されるなどする。そんな中でカトーは新しく起用された体育教師のボジ(Komán Boglárka)と出会い、親交を深める。そして2人でボジの友人だという男性に写真を撮影してもらったり、誰にも内緒でディスコに赴いたりと、ちょっとした冒険に出るのだが、これが後にちょっとした事件を引き起こしてしまう。
題名にもなっている“Deva”はカトーの住む町の名前なのだが、この地は正にハンガリーとルーマニアが交錯する場所と言える。何よりも印象的なのは言語についてだ。普段カトーはハンガリー語を話し孤児院でもその言葉が使われているのだが、1度外に出ると花屋の店主や教会の神父はルーマニア語を使用しており、故にカトーもルーマニア語を話さざるを得なくなる。2つの言語が奇妙に混ざりあう様は、文化の混成を象徴するものでもあり、それらが地理誌学的に捉えられていく点は頗る興味深い。
ちなみに監督は今作を作るきっかけについてインタビューでこう語っている。"2005年にデヴァの孤児院で3歳のアルビノの少女と出会いました。彼女は墓場で生まれたと言いました。私たちは友達になり、何度も尋ねるようになりました。そんな彼女が物語の構想源となってくれたんです"
そう監督が言う通り“Deva”の核となっているのはカトーを演じるNagyの存在感だろう。アルビノであるが故の真っ白な姿はまるでルネッサンス期の絵画に描かれた天使のようだ。それでいてカトー自身は神父の前で自分を悪魔と呼んで憚らない。そのコンプレックスは反抗期的というべき不機嫌で不敵な眼差しに現れている。そんな多面的な魅力を持ち合わせたカトーがデヴァの町を彷徨うというだけで、この詩的な映画は既に完成されているのである。
ルーマニア映画界を旅する
その1 Corneliu Porumboiu & "A fost sau n-a fost?"/1989年12月22日、あなたは何をしていた?
その2 Radu Jude & "Aferim!"/ルーマニア、差別の歴史をめぐる旅
その3 Corneliu Porumboiu & "Când se lasă seara peste Bucureşti sau Metabolism"/監督と女優、虚構と真実
その4 Corneliu Porumboiu &"Comoara"/ルーマニア、お宝探して掘れよ掘れ掘れ
その5 Andrei Ujică&"Autobiografia lui Nicolae Ceausescu"/チャウシェスクとは一体何者だったのか?
その6 イリンカ・カルガレアヌ&「チャック・ノリスVS共産主義」/チャック・ノリスはルーマニアを救う!
その7 トゥドール・クリスチャン・ジュルギウ&「日本からの贈り物」/父と息子、ルーマニアと日本
その8 クリスティ・プイウ&"Marfa şi Banii"/ルーマニアの新たなる波、その起源
その9 クリスティ・プイウ&「ラザレスク氏の最期」/それは命の終りであり、世界の終りであり
その10 ラドゥー・ムンテアン&"Hîrtia va fi albastrã"/革命前夜、闇の中で踏み躙られる者たち
その11 ラドゥー・ムンテアン&"Boogie"/大人になれない、子供でもいられない
その12 ラドゥー・ムンテアン&「不倫期限」/クリスマスの後、繋がりの終り
その13 クリスティ・プイウ&"Aurora"/ある平凡な殺人者についての記録
その14 Radu Jude&"Toată lumea din familia noastră"/黙って俺に娘を渡しやがれ!
その15 Paul Negoescu&"O lună în Thailandă"/今の幸せと、ありえたかもしれない幸せと
その16 Paul Negoescu&"Două lozuri"/町が朽ち お金は無くなり 年も取り
その17 Lucian Pintilie&"Duminică la ora 6"/忌まわしき40年代、来たるべき60年代
その18 Mircea Daneliuc&"Croaziera"/若者たちよ、ドナウ川で輝け!
その19 Lucian Pintilie&"Reconstituirea"/アクション、何で俺を殴ったんだよぉ、アクション、何で俺を……
その20 Lucian Pintilie&"De ce trag clopotele, Mitică?"/死と生、対話と祝祭
その21 Lucian Pintilie&"Balanța"/ああ、狂騒と不条理のチャウシェスク時代よ
その22 Ion Popescu-Gopo&"S-a furat o bombă"/ルーマニアにも核の恐怖がやってきた!
その23 Lucian Pintilie&"O vară de neuitat"/あの美しかった夏、踏みにじられた夏
その24 Lucian Pintilie&"Prea târziu"/石炭に薄汚れ 黒く染まり 闇に墜ちる
その25 Lucian Pintilie&"Terminus paradis"/狂騒の愛がルーマニアを駆ける
その26 Lucian Pintilie&"Dupa-amiaza unui torţionar"/晴れ渡る午後、ある拷問者の告白
その27 Lucian Pintilie&"Niki Ardelean, colonel în rezelva"/ああ、懐かしき社会主義の栄光よ
その28 Sebastian Mihăilescu&"Apartament interbelic, în zona superbă, ultra-centrală"/ルーマニアと日本、奇妙な交わり
その29 ミルチャ・ダネリュク&"Cursa"/ルーマニア、炭坑街に降る雨よ
その30 ルクサンドラ・ゼニデ&「テキールの奇跡」/奇跡は這いずる泥の奥から
その31 ラドゥ・ジュデ&"Cea mai fericită fată din ume"/わたしは世界で一番幸せな少女
その32 Ana Lungu&"Autoportretul unei fete cuminţi"/あなたの大切な娘はどこへ行く?
その33 ラドゥ・ジュデ&"Inimi cicatrizate"/生と死の、飽くなき饗宴
その34 Livia Ungur&"Hotel Dallas"/ダラスとルーマニアの奇妙な愛憎
その35 アドリアン・シタル&"Pescuit sportiv"/倫理の網に絡め取られて
その36 ラドゥー・ムンテアン&"Un etaj mai jos"/罪を暴くか、保身に走るか
その37 Mircea Săucan&"Meandre"/ルーマニア、あらかじめ幻視された荒廃
その38 アドリアン・シタル&"Din dragoste cu cele mai bune intentii"/俺の親だって死ぬかもしれないんだ……
その39 アドリアン・シタル&"Domestic"/ルーマニア人と動物たちの奇妙な関係
その40 Mihaela Popescu&"Plimbare"/老いを見据えて歩き続けて
その41 Dan Pița&"Duhul aurului"/ルーマニア、生は葬られ死は結ばれる
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