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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Azer Guliev&“Tengnefes”/アゼルバイジャン、肉体のこの苦痛

さて、アゼルバイジャン映画である。現在の、いわゆる新しきアゼルバイジャン映画を支えるのは現在30代40代の映画作家たちだ。例えば私がこの10年で最も偉大な映画作家になると確信しているHilal Baydarov ヒラル・バイダロフや、2021年のオスカー国際映画賞のアゼルバイジャン代表となった“Daxildəki Ada”の監督Ru Hasanov ルー・ハサノフ(レビュー記事はこちら)がこの世代にあたる。そしてこの鉄腸マガジンでインタビューしてきたRuslan Ağazadə ルスラン・アガザダTahmina Rafaella タフミナ・ラファエッラは30代で、現在初長編を製作している途中だ。そんな中で、早くも20代の若手も才能の片鱗を見せ始めていると言わざるを得ない。今回紹介するのは若手最重要作家の1人になるだろう人物Azer Guliev アゼル・グリエフによる短編“Tengnefes”だ。

ある中年女性(Shahla Aliqizi シャフラ・アリギジ)が夜の町を駆け抜ける。その眼差しや顔つきは真剣そのものであり、脇目も振ることなく走り続けている。スクリーンには彼女が迸らせる熱い汗と、荒らいだ息遣いが濃厚に現れてくるのだ。そんな風に彼女の1日は終わり、そして再び始まっていくのである。

女性はシングルマザーとして、1人息子を育てている人物らしい。序盤においてはそんな彼女の子育ての風景が描かれていく。だが親子同士の愛に溢れた親密さといったものは全く存在していない。その真逆、見ているだけで息も詰まるような荒んだ風景ばかりが広がっている。母と息子、その関係性は頗る不穏なものだ。彼らの間には会話があまりなく、視線も交錯することはない。彼を育てているのはこの世に産んでしまったが故の尻拭い、そんな鬱屈ばかりが感じられるのだ。

その合間に女性は頻繁に運動を行うこととなる。例えば水泳を行い、呼吸器を鍛える。例えば夜にはジョギングを行い、スタミナを養う。例えば運動器具によって筋トレを行い、全身の筋肉に鞭を振るっていく。適度な運動は健康を維持するためには誰にも必要なことだろう。だが異様なのは女性の、運動への没頭具合だ。私たちはその姿に楽しみなど見ることはできない、ただひたすらな苦痛のみを目撃せざるを得ない。そんな状態へ、女性は常に自身を追いこんでいくようなのだ。

物語が進むにつれて、この没頭の理由の一端が伺えてくる。陰鬱な表情のまま彼女が向かうのは病院であるのだが、医師から健康にまつわる忠告を受けることになる。これ自体は中年に差し掛かれば誰にでもあることだろうが、そうして健康になるために女性が成す運動、その量や勢いの激烈さは異常なものだ。最初はただ健康のために続けていた運動が、どこかの時点でタガが外れて均衡を失う、そうして手段が目的へと不気味な形で反転してしまったかのようだ。そしてその理由が息子との関係性にあるのではないかと、物語は示唆する。

とにかく圧倒的なのは主演俳優であるShahla Aliqiziの存在感だろう。物語を通じて、彼女は重苦しいまでの寡黙を貫き通す。だがその陰鬱な表情に満ちる皺のあちこちからは常に苦渋と、曰く言い難いドス暗い感情が滲み渡る。それは息子への負い目であり、惨めな生活への怒りであり、老いて健やかさを失った己の肉体への憎しみであり、その全てが暴力的なまでに混ざりあった不穏な代物だ。これをAliqiziは一身に背負いながら、この映画そのものを牽引していく。

そして彼女の鮮烈な肉体感覚というものを、監督は巧みに提示していく。健康への執着が、拷問と見紛うほどに激越な運動行為へと繋がっていき、徐々に1人の人間の人格を歪めていく。この光景を、監督は言葉も失うほどの圧力を以て描きだしていき、そうして生まれた異形のアゼルバイジャン映画こそがこの“Tengnefes”なのである。