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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

Iuli Gerbase&"A nuvem rosa"/コロナ禍の時代、10年後20年後

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さて、世界中の誰もがこのコロナ禍によって未曽有の状況に追いこまれている。容易く人とは会えなくなり、部屋に閉じこもらざるを得ない閉塞した状況は一体いつまで続くのだろうか。そんな苦悩を抱えている人々は今回紹介する映画を観るべきではないかもしれない。何故ならブラジル映画界の新鋭Iuli Gerbaseによるデビュー長編"A nuvem rosa"は否応なしに私たちの現実と共鳴し、その陰鬱たる未来を見据えた映画だからだ。

主人公は2人の男女ジョヴァンナとヤゴ(Renata de Lélis&Eduardo Mendonça)だ。彼女たちは人目を盗んで情事に耽っていたのだが、あくる朝桃色の雲が都市を満たし始め、部屋に閉じこもらざるを得なくなる。ニュースによれば雲は人体に頗る有害であり、これが消えるまでは外出は許可されていないという。そういった事情で、ジョヴァンナたちはしばらく寝食を共にすることとなる。

まず描かれるのは2人の新しい生活の風景だ。最初、彼女たちはこの奇妙な状況を楽しむ素振りすら見せる。2人だけの空間で食事を楽しみ、ヨガで身体の疲れを癒していき、そしてソファーの上でセックスをしながら互いの肌に触れあう。しばらくの間この緩やかな風景の数々はユートピア的光景にすら見えるかもしれない。

だが時が経つにつれて状況は刻一刻と変貌を遂げていく。なし崩しの生活を送っていたジョヴァンナはなし崩しに妊娠をし、中絶も不可能ゆえになし崩しに出産をし、息子であるリドを加えて、ジョヴァンナとヤゴはなし崩し的に家族という関係性に陥ることとなる。

このいつの間にかなし崩し的に進んでいく時間というものが"A nuvem rosa"という映画の鍵かもしれない。そのあまりの呆気なさに、ある者はどんな状況にも順応してしまう人間の強かさを見るかもしれないし、ある者は1つの異常事態によって失われてしまった喜び――例えば誰かに会いにいくこと、どこか遠い場所へ旅すること――への郷愁を見出すかもしれない。

絶妙な演出の数々もそういった観客の思索を深く刺激していく。撮影監督であるBruno Polidoroが捉える風景には常に桃色の影が付きまとい、それは登場人物によって脅威でありながらも、観客の網膜にとってはある種の詩情として揺蕩っていく。より重要なのはVicente Morenoによる編集であり、彼によって紡がれる断片的な時の流れは不気味な省略へと変貌していき、ジョヴァンナとヤゴの時間は恐ろしいほど速く過ぎ去っていってしまう。生の享楽、家族という関係性への遭難、子供の急速な成長、そして少しずつ迫る死の存在。この残酷な流れがいとも容易くここでは提示されるのだ。

Polidoroの編集が象徴しているが、今作の強みはこの終らない閉塞を10年20年単位で描きだしていることだろう。最近コロナ禍に直接対峙した作品が多く現れているが、それらがかなり小局的な視点からその閉塞感を描いている一方で、今作はもっと長いスパンを以て極限状況における人間心理の推移を描きだしているのだ。おそらくこれは今作がコロナ禍とは全く関係ない状況から作られたから成し遂げられたのもあるだろう。映画の冒頭に"今作の脚本は2017年に執筆され、撮影は2019年に行われました。ゆえに現在の状況と重なる点があるのは全く偶然です"という字幕が現れる。現在正に起こっていることに対して、10年20年後の未来を射程に入れながら物語を紡ぐというのはとても困難なことだろう。今ここに危機的状況があるのに、そのずっと先を見据えろというのも酷な話だ。その限界を"A nuvem rosa"は作り手自身が全く関知しないところで乗り越えており、全くの偶然からコロナ禍の現状とその遠い未来までもを何より奇妙に反映する作品となってしまったのだ。

前述したが、この作品の予期せぬ側面ゆえにコロナ禍における未来に懸念を抱いている人々は今作を観るべきではないと感じさせる。今作には観ながら"もしこのコロナ禍がこのままずっと続くとしたら……"と考えさせ、人々を際限ない憂鬱と恐怖へと追いこんでいく恐るべき力が確かに存在しているからだ。

今作はほぼカップル役のRenata de LélisEduardo Mendonçaの2人芝居から構成されている。どちらの演技も素晴らしいの一言だが、更に際立っているのはジョヴァンナ役のLélisの存在感だ。この状況の中で彼女の考えは様々に変化していく。最初は子供を持つなど最低だと切り捨てていたのに、なし崩し的に妊娠と出産を経験させられ、母として息子を育てざるを得なくなる。そしていつ終わるとも知れぬ閉塞の中で現実を直視することも不可能になっていき、VRの世界へ逃げこみ始める。この劇的な考えの変貌の流れへ、Lélisは確かな演技力を以て迫真性を与える。これが私たちの人生への思索を更に深いものとしてくれるのだ。

"A nuvem rosa"は偶然によって、壮絶なまでにコロナウイルスによって歪められたこの現代と共鳴することとなってしまった映画だ。現実と芸術というものは相互関係にあり、いつであっても互いに絶え間ない影響を与え続けるが、この芸術作品はその影響下すら越えて、突き抜けたのだ。

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