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映画痴れ者/ライター済東鉄腸のブログ。日本では全く観ることができない未公開映画について書いてます。お仕事の依頼は 0910gregarious@gmail.com へ

María Alché&"Familia sumergida"/アルゼンチン、沈みゆく世界に漂う

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今、アルゼンチン映画界は空前の活況に至っている。例えばこの国のインディー映画界の代表的存在Matías Piñeiro マティアス・ピニェイロ“Hermia & Helena”などコンスタントに作品を発表、その一方で新人Eduardo Williamsは異形の作品“El auge del humano”(紹介記事はこちら)を発表し、私含めて映画ファンの度肝を抜いた。そんな中で去年、アルゼンチン映画界の裏ボスというべき人物Mariano Llinásは13時間にも渡る一大エピック映画“La Flor”を製作、全世界を騒然とさせた。だがアルゼンチン映画界はこれで終わりではない。常に新たな才能たちが現れ始めている。ということで今回は新人監督María Alchéによる驚異のデビュー長編“Familia sumergida”を紹介していこう。

今作の主人公はマルセラ( Mercedes Morán)という中年女性、彼女はよき妻でありよき母である人物であったが、最近ある悲劇に見舞われていた。愛していた姉のリナを突然失ってしまったのだ。彼女の遺品整理のために、家具や植物、写真などを自宅へと持ち帰るのだったが、その間にも家族の世話に追われることとなり、彼女は疲弊していく。

まず今作は狭苦しい部屋の中でマルセラの家族の日常が繰り広げられる様を描き出していく。日常とはいえ事件は立て続けに起こる。息子はパーティーに来ていく服を考えて母親を呼びつけたり、娘は恋人にフラれたと泣きついてきたり事件には事欠かない。マルセラはそれを1つずつ冷静に処理していきながらも、水面下において疲れはどんどん溜まっていく訳である。

ここで際立つのは、マルセラたちがいる空間の存在感だ。監督のAlchéは空間に対する感覚が鋭敏であり、スクリーンを見る私たちには常にその空間の息詰まるような猥雑さが迫ってくる。例えばキッチンには洗っていない食器や料理に使う調味料などがひしめき、子供部屋にはドラゴンボールのポスターや趣味の家具が所狭しと並ぶ。そしてリビングには姉のリナ宅から持ってきた植物が並び、ソファーに座るマルセラを圧迫する。このどこか窒息させる感覚が、まず今作を構成する重要な要素となる。

その猥雑さの中で、疲労が溜まりゆくマルセラは謎めいた幻想を目撃することになる。例えば死んだはずの親類たちが植物ひしめくソファーに座って談笑をする姿、そしてあのリナが笑顔を浮かべて自分をパーティーに誘う姿。その光景は全く現実離れしていながらも、どこか安心感をも発する類いの風景のように彼女には思える。

この風景はラテンアメリカ文学に顕著なものであった、いわゆる魔術的リアリズムの要素が垣間見えるかもしれない。日常の中に立ち現れる非日常は、日常それ自体と見分けがつかないようなものになっている。更にそれが猥雑さの中からこそ捉えられる様は、幾多のラテンアメリカ文学を想起させられるだろう。

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そんな中でマルセラはナチョ(Esteban Bigliardi)という娘の友人と出会う。彼は外国での仕事が決まっていたが、会社の都合でその契約を反故にされて、途方に暮れていたのだった。彼は暇な時間を利用して遺品の整理を手伝ってくれていたのだが、彼女はそんなナチョに対して様々な思いを抱くことになる。

ここで監督は、ナチョという若い男に心を揺り動かされるマルセラの心を細心の注意を払って描き出していく。夫の不在中に彼に近づいていくことで、マルセラの心には今までになかった感情が立ち現れることになる。遺品の整理を共にし、そして彼とちょっとした旅を続ける中で、彼女に一線を越えるか越えないかという震えるような一瞬が到来することになる。

今作の湛える雰囲気はとても微妙なものだ。例えるならば、まるで不穏な白昼夢と心地よい悪夢の間を行ったり来たりするような感覚なのである。それはある意味で姉であるリナの亡霊とナチョという男性の間を行ったり来たりするマルセラの心それ自体の揺れを見ているようなのだ。そしてこれは複雑な中年女性の心を表しているとも言えるだろう。

監督のAlchéは、今アルゼンチン映画界で最も称賛されている映画作家であるLucrecia Martel ルクレシア・マルテルの門下生と言ってもいい人物だ。彼女は元々俳優であり、マルテルの第2長編である“La niña santa”でデビューを果たした人物なのだ。その後も彼女と仕事を共にするうちに、映画製作のノウハウを学び取り、そして2018年にはとうとう念願であった映画監督デビューを今作で果たした訳である。今作の不穏さはマルテルの作家性を継承しており、物語を牽引するのがここにはもう存在しない亡霊であるという点ではマルテルの"La mujer sin cabeza"(邦題:「頭のない女」)を想起させる。

そして今作の核となるのは主人公のマルセラを演じるMercedes Moránに他ならないだろう。ままならない時の流れの中で、必死に何かを手探りで見つけ出そうとする彼女の姿には、人生というものの滋味深さが溢れている。それをMoránはその全身で表現しているのだと言っても過言ではないだろう。

“Familia sumergida”は現代アルゼンチン映画界の豊穣さを象徴するような一作だ。一人の中年女性は曖昧な世界線を行き交いながら、そして愛と人生の複雑微妙さへと至ることになる。それは“だからこそ人生には生きる価値がある”のだという感動的な讃歌でもあるのだ。

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